友(9)
畳の上に品良く座っていたアゼルは振り向いたきり動きを止めており、布団の上で胡坐をかいているサイゲートはむっつりとした表情で閉口している。二人それぞれの反応がおかしくて、海雲は思わず笑みを零した。そうしてあからさまに驚いてもらえると、わざわざ話の腰を折った甲斐があるというものだ。
「……いつからいた?」
高みの見物をしていたのが気に食わなかったのか、サイゲートが睨みながら尋ねてくる。サイゲートの態度には本心を聞かれた気恥ずかしさが見え隠れしており、海雲は照れ隠しにもなっていないと笑いながら問いに答えた。
「さっきから。だいぶ元気になったみたいだな、サイゲート」
「ああ、だいぶマシになった。それより、お前がここにいるってことは……」
「戦が終わった訳じゃない。まあ、一時休戦って感じだな」
サイゲートと会話をしながら海雲はアゼルの隣に腰を落ち着けた。平素であれば何ということもない距離なのだが、アゼルが不意に身を硬くする。アゼルの緊張を感じ取ってしまった海雲は真顔に戻って隣を振り向いた。
「アゼル、よく聞け。王という立場にある者は孤独と向き合わなければならない。王だけでなく誰かの上に立たなければならない人間は皆、孤独と戦っている。だがお前はまだ王子だ。この意味を、よく考えろ。これは白影の里の棟梁としての言葉だ」
海雲が真面目な話を切り出しても、アゼルは目を合わせることも顔を上げることもしなかった。彼は俯いたまま畳の一点を見つめていたが、耳を塞いでいるような様子はない。その態度にはアゼルの複雑な胸中がありありと表れていた。海雲は間を置かず、強く握りすぎた雪球のように凝り固まってしまったアゼルの心を融かすため言葉を次ぐ。
「もう一つ。これは友としての発言だが、言いたいことがあるなら顔に出さずに口に出せ。お前の友は、よく見ている」
「……よく、解った」
苦い口調ではあったものの、アゼルがようやく返事を寄越した。必死にアゼルを説得しようとしていたサイゲートもホッとしたような表情をしている。二人の様子を一瞥してから、海雲は改めてアゼルに向き直った。
「俺に何か不満があったんだろ? いつものお前らしく、率直な言葉で伝えろよ」
一度は顔を上げたものの、海雲が真っ直ぐな視線を向けるとアゼルは再び目を伏せてしまった。またしても沈黙が流れたが、今度はさほど時間を要さずにアゼルが口火を切る。
「感情に、流されすぎてはいないか?」
アゼルの発言は真意を掴みにくいものであり、海雲は眉根を寄せた。
「例えば?」
「サイゲートが俺を庇って飛び込んで来た時、五体満足で死んだ者はいなかった。同じ殺すにしても子供の前だったのだし、もう少しやり方があっただろう」
「では言わせてもらうが、あの場にいたのは俺一人だ。得物を持った数人相手に死にかけのサイゲート、正気を失ったアゼルを救わなければならない。そんな状況で手加減をしている暇も、子供の精神状態に構っている余裕もなかった。お前だったら出来たか?」
「……無理だろうな」
「お前が話していた老人が流民であると事前に知っていれば、もっと別な対応も出来ただろうがな。あの時はあれが精一杯だった」
「……そうだな」
「他には? まだ何かあるか?」
「……もう容赦はしないと出て行った時、お前の目には怒りが煮え滾っていた。あれは感情から出た言葉ではなかったのか?」
「白影の里は赤月帝国を護るために存在している。だから棟梁である俺の役目は被害を出さずに敵を撃退することだ。あれ以上好き勝手されると敵は勢いに乗り、被害はもっと増えただろう。そうさせないためには徹底的に叩くしかなかった」
「…………」
「感情的に見えただろうが、俺は常に白影の里の棟梁としての役割を優先させている。ただ、どちらの場合も俺は確かに怒っていた。それを消してしまえるほど感情を欠落してもいないし、それが人間だろう」
冷静とは言えなかったかもしれないが、恥ずべきことは何もない。そうした信念を持っている海雲に対し、自身の感情すら制御出来ていないアゼルはあまりにも脆かった。いつしかうな垂れてしまったアゼルを、海雲はじっと見つめる。
アゼルがこうまで落ち込んでいるのには二つの要因がある。その一つは、国民の無力さだ。海雲などは初めから国民を切り捨てて考えていたが、アゼルはどこかで期待をかけてしまっていたのだろう。自分が必死でやれば国民も着いて来てくれるだろう、と。そしてもう一つの要因は、赤月帝国民になりすましていた老人の存在である。アゼルはきっと、どんな人間とも話をすれば解り合えると思っていた。表面上は友好的な態度を装っていたと思われる流民の反応は、アゼルにそう信じさせるだけの力を持っていたはずだ。だが彼は、最悪の形でアゼルを裏切った。
人間が好きで、人間を信じてきたアゼルにとって、現実の無慈悲さを突き付けられることは衝撃だっただろう。それまで愛してきたが故に人間を信じられなくなり、行き場のなくなってしまった想いを海雲への不満という形で吐き出している。それが平和に慣れすぎていた者の甘えであることは、本人が一番よく解っているはずなのだ。
(……責めずに、いられないんだな)
国民を責められず、あの老人を責められず、アゼルは海雲を責めている。だが彼が本当に責めているのは自身なのだ。だからこそアゼルが苦しんでいることを承知している海雲は小さく息を吐いてから話を続けた。
「お前が人間を好きなのは俺も、サイゲートも知っている。だから何に苦しんでいるかは解るつもりだ」
だが、このまま沈んでいられては困る。やるべきことが、アゼルにはあるのだから。そう前置きしたうえで、海雲は王との取り決めをアゼルに伝えた。




