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月に喘ぐ  作者: sadaka
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友(8)

 王の決断を受けた海雲は里の者を率いて再度かげろうの森に赴き、前線で指揮を執っていた。大聖堂(ルシード)軍は進軍と共に森林を伐採していたが、先頭集団を殲滅したため現在は森から手を引いている。しかし依然として撤退の気配はなく、敵兵は森を出たところで停滞していた。動きがないのは上からの指示を待っているからだろう。

 かげろうの森には火を放とうとした跡なども見受けられたが雪を被った森に火攻めは無意味である。だからこそ敵兵はわざわざ労力を使って森を切り開いていたのだが、それも雪が消えれば変わってくるだろう。乾いた森になら、彼らは再び火を放つかもしれない。そうした危惧が捨てきれないからこそ冬のうちに決着をつけるべきだと、海雲は思っていた。

 戦場にはすでに冬が戻ってきており、小雪が舞っている。森の中から敵陣を遠望している王は先程から口を開くこともなく、ただ一点を見据えていた。護衛を兼ねて隣に佇んでいる海雲は周囲に気を配りながら王の横顔を盗み見る。王は何事かを考えているのか、意識を留めていない遠い目をしていた。

(……まだ、迷っておられるのだな)

 戦陣に赴いてからの王は極端に無口である。それは目前で命が奪われていくことに対する深い嘆きの表れなのかもしれない。自国民の命を奪った敵を目の当たりにしていても、王の慈悲は消えないようだ。

(目の当たりにしてしまうからこそ、なのか)

 大聖堂が兵として使っている者達は皆、元は流民である。貧民はこの寒さの中、防寒具も着られずにボロボロの格好をしている者が多い。凍死した者も少なくないだろう。そんな姿に、王は同情を寄せてしまうのか。

(その同情は不要だ)

 時には非情になることも覚えさせなければならない。そう思った海雲は静かに口火を切った。

「王よ、この世界で生きているのは人間(ヒト)だけではありません。長い歴史の中、我が国を戦火から護ってくれた森もまた生きているのです。彼等はたやすいことのように森を焼きましたが、元の姿に戻るには気が遠くなるほどの年月が必要なのです」

「人間は自然と共に生きる。彼等はそれを忘れてしまったのだな」

人間(ヒト)はまた、死して自然に還ります。さすれば、彼等も思い出すでしょう」

「……ここまでしても、彼等は再び攻めて来るだろうか」

「世の中が変わるか、大聖堂を総括している者達が代わらない限り、愚問でしょう」

「その選択肢の中に我が国が変わるということはないのだろうか?」

 王の発言に驚きを禁じ得なかった海雲は弾かれたように振り向いた。人間が死ぬことに慣れていない者があまりに多くの死を目の当たりにすると、気が触れてしまうことがある。海雲はそうした心配をしていたのだが、王は澄んだまなざしで敵陣を見つめていた。

「ずっと、考えてきた。大聖堂は我が国が持つ情報が欲しいのであろう? そして大聖堂の兵である流民は戦火に怯えることなく暮らせる地が欲しい。利害が一致しているから、彼らは我が国を敵としている」

「……王?」

「大聖堂も、だいぶ痛手を被った。無論、我が国も。今ならば交渉の場が持てるのではないだろうか」

 交渉などということは考えたこともなく、海雲は絶句して瞠目した。王はだいぶ以前からそうした考えを温めていたようで淀みなく言葉を続ける。

「確かに、我が国は長く平和であった。それゆえ外の国とは馴染まぬかもしれぬ。だが話し合いもしていないのだ。初めから可能性を否定しすぎてはいないだろうか?」

 王の言っていることは、一理ある。だが今更そんなことを言い出しても手遅れだと思い、海雲は顔をしかめた。

「王よ、その決断を下されるには殺しすぎました。大聖堂の者達はともかく、流民達は聞き入れてくれないでしょう」

「過ちは正さねばならぬと言ったのは汝だ。これ以上の恨みを増やす前に、この戦を終わらせたい」

 本気だと、真っ直ぐに見据えてきた王の瞳が言っている。全身から強い意志を漲らせる王を直視出来ず、海雲は視線を外して考えこんだ。

 話し合いという選択肢を海雲は今まで一考したこともなかった。世界では弱肉強食の風潮が主流であり、そのような中で条約を取り決めたところでほとんど意味を成さないからだ。話し合いは無意味に等しいが、このままでは憎しみが憎しみを生み、赤月帝国と大聖堂は争いを繰り返すだろう。長い目で見れば、話し合いでの解決が必要になる時が必然的に訪れるはずなのだ。話し合いの無意味さと共に、それもまた確かなことだった。

(有り得ないなら、どちらかが滅びるしかない)

 白影の里が存在する限り、赤月帝国を滅ぼすような真似はしない。しかし大聖堂を滅ぼしたところで憎しみは生き続ける。

「……王よ、」

 いつの間にか組んでいた腕を解き、海雲は王を振り返った。









 手を貸すと言ってくれた親方に断りを入れ、サイゲートは自分の足で板張りの廊下を歩いていた。薬湯のおかげで痛みは麻痺しているが失血した後だけに足下がフラついている。それでもサイゲートが進んでいるのは自らの足で動かなければならない想いがあるからだった。

 屋敷内にいた白影の里の者に探している人物がどこにいるのかすでに訊いていたので、サイゲートは迷うことなく歩を進めた。そうして辿り着いたのは、サイゲートが寝かされていた客間とよく似た造りの一室である。その部屋の中には街で助けた子供とアゼルの姿があり、来訪者を振り向いたアゼルが驚いたように目を剥いた。

「サイゲート!?」

 アゼルは慌てて立ち上がり、サイゲートの傍へ寄って体を支えた。だいぶ体が重かったので支えてくれることに感謝を述べてから、サイゲートは口調を改めて口火を切る。

「アゼル、話がある」

「後で聞く。それより、部屋へ戻るんだ」

「今、聞いてくれ」

 サイゲートが強く言うとアゼルは黙りこんだ。しかしアゼルは問答無用でサイゲートの腕を取り、自分の肩へ回す。そのまま口を開くこともなく、アゼルはサイゲートを引きずるようにして歩き出した。

 サイゲートがやっとの思いで進んで来た廊下を逆戻りし、彼らは布団が敷いてある客間へと戻って来た。アゼルに何かを言われたわけではなかったが、サイゲートはおとなしく布団の上に座り込む。話をするのに横たわっていたくなかったからなのだが、アゼルもこれに関しては黙認してくれたようだった。話し合いの席は整ったものの、どちらも口を開かなかったので妙な沈黙が流れる。どうやって切り出そうかと思案していたサイゲートが口火を切ろうとすると、そのタイミングを狙い済ましたかのようにアゼルが言葉を重ねた。

「話が、あるのだろう? 大方の察しはつくが」

 アゼルの口ぶりは皮肉なものだった。その表情にも平素の清廉さはなく、彼は心まで歪めてしまったかのような薄笑いを浮かべている。だがサイゲートは出端を挫かれることもなく、不思議なまでに落ち着いた気持ちでアゼルに語りかけた。

「その前に一つ聞かせてくれ。アゼルはオレのこと、どう思ってる?」

「どう、とは……?」

 サイゲートの切り出しが予想と違うものだったのだろう、顔を上げたアゼルは明らかな困惑を見せていた。唐突にこんな問いを投げかけられれば即答出来ないのは無理もないと思い、サイゲートは真意を明かす。

「オレはもうアゼルのことを王子として見てない。さっき、そう気づいたんだ。オレはアゼルのことを友達だと思ってる。アゼルはどうなんだよ? 今でもオレはただの国民か?」

「……待ってくれ、サイゲート」

「待てない。考えるようなことか?」

「そういう訳ではないが……何の話なんだ」

「ちゃんと答えろよ」

 アゼルが煮え切らないことを言うのでサイゲートは憤りを表した。サイゲートの語気が激しくなったことに驚いたのかアゼルは瞠目し、呆けているように動きを止めている。サイゲートはアゼルの返事を待ちながら、いつか海雲ともこんな話をしたなと過去を振り返っていた。

 この場所で同じような話をした時は今と立場が逆で、海雲にさんざん怒られたのはサイゲートの方だった。あの時はうまく言葉にならない感情を荒っぽくぶつけたサイゲートに対し、海雲もまた素直に感情を露わにしたので殴り合いになってしまったのだ。だがしこたま殴り合って、ようやく目が覚めた。アゼルが相手では流石に殴り合いというわけにはいかないが、言葉で彼の目を覚まさせてやることは出来るだろう。出来る間柄だと、サイゲートは信じていたかった。

「どうなんだよ? 大事なことだぞ」

 アゼルがいつまで経っても口を開こうとしないのでサイゲートは念を押した。その一言で我に返ったのか、アゼルは気まずそうにしながら下を向く。しかし小声で、答えは口にした。

「友だと、思っている」

「海雲のことは?」

「……同じだ。友だと、思っている」

 海雲の名前が出たことでアゼルは表情を硬くしたが、何とかそれだけを口にした。アゼルが同じ気持ちでいてくれるのならと、サイゲートは言葉を次ぐ。

「今、アゼルが苦しいと思ってることは、なんとなくわかる」

 サイゲートが本題を切り出したことでアゼルはさらに表情を硬くした。彼はきつく唇を結び、体をも強張らせながら拒絶を示している。だがここで話をやめることが優しさだと、サイゲートは思わなかった。

「言いたくないなら言わなくていい。だけど言いたいんだったらオレが聞くよ。今は海雲がいないから、一人で聞く」

 アゼルに苦しみを打ち明けられたところでサイゲートにはどうすることも出来ないだろう。サイゲート自身にもそのことは解っていたが、吐き出してしまえば楽になることもあるのだ。そうして幾度も、海雲に救ってもらったからこそサイゲートは言葉を重ねた。

「オレは前にどうしようもないことで悩んでた。でも海雲に聞いてもらって、楽になった。それから、友達ってそういうものだと思ってる。オレの言ってること間違ってるか?」

「……間違っているとは、思わない。友とはそういうものだと……俺も思う」

「なら……」

 アゼルに言い聞かせようと必死になっていたサイゲートはそこであることに気がつき、呆気に取られた後、口を噤んだ。サイゲートの不可解な動作を目にしたアゼルも背後を振り返り、そのまま絶句する。

「身分とか、そんなものは関係ない。大事なのは当人達がお互いをどう思っているか、だ。そしてお互いのために何が出来るか考えることだ。これは俺達だけじゃなく、全ての人間に言えることだけどな」

 開きっぱなしになっていた襖に背を預けている人物が、悠然とそんなことを言ってのける。いつの間にか、この屋敷の主である海雲がそこに佇んでいた。

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