友(7)
赤月帝国の軍隊である白影の里は一般的な国に見る軍隊とは役割も在り方も異なる。通常の戦場であれば敵兵の死体などは放置されたままであるが、白影の里と戦って命を落とした者はその死体すら人目に晒されることはないのである。そのため、死体の一つも転がっていない街からは戦闘がすでに終了していることが窺えた。篝火も灯されていない街は昏く、ひっそりと静まり返っている。闇に人間が潜んでいるような気配もない殺伐とした街を通り過ぎた海雲は抜け道を使って王城に入り、そのまま謁見の間を目指した。
王城内も夜を迎え、どこかから話し声が流れてくることもなく静まっている。海雲は足音を忍ばせながら上階へ上り、謁見の間へと歩を進めた。そこではすでに王が着座しており、海雲は玉座の足下に跪く。王の出方を窺うこともなく海雲は早々に口火を切った。
「やり方を、変えさせていただけますね?」
「それは報告を聞いてから決めたい」
ここまで好き勝手をされながら王がまだ甘いことを言うので海雲はありのままを報告した。命を落とした国民が多数いて、負傷者を見てもまだ増えそうなこと。国民は誰一人自ら戦おうとしないので人手が足りないこと。赤月帝国に保護されていた流民が今回の襲撃を手引きをしたこと。街をうろついていた輩は排除したが、森から来る連中が迫っていること。そして、邪魔だと言わんばかりにかげろうの森が切り開かれている。王城からは見ることの出来ないそうした事実を明かすと、さすがに王も閉口した。海雲は表情を変えることなく淡々と言葉を続ける。
「対策が甘すぎたのです。これだけ国民に被害が出てしまったのですから、もう容赦はいらないでしょう」
王が、出来るだけ殺さずに事を運びたいと思っていたことを海雲は知っている。例え、それが敵であったとしてもだ。しかしそれは実際の戦争をしたことのない人間の認識の甘さと奇麗事の博愛主義である。人間は誰しも自分が殺されそうになれば相手を殺す。肉親が殺されれば立ち上がり、刃を振るう。白影の里の者は幼い頃から戦場に立たされるので、それを骨の髄で知っていた。ただ、そういう感情に呑まれてはならない。王の優しさも人間として捨ててはならないものだと感じていたから、海雲は今まで配慮してきたのだった。だがここまでやられてしまった以上、もはや黙っていることは出来ない。優しさと甘さは違うものだからだ。
「……大聖堂も馬鹿なことを。森を壊してしまっては我が国は要塞ではなくなる」
海雲の言葉を受けた王は嘆きを露わにし、小さく首を振った。かげろうの森を壊すということは開かれた道が出来るということであり、そうなれば赤月帝国とて国を閉ざしておくことは難しくなるだろう。何人にも侵されない聖地としての赤月帝国を欲しているのに、流民達は自らの手でそれを壊しているのだ。そんなことも解らなくなってしまうほど、攻め寄せて来ている連中はまともではない。それが解っても王は何も言わなかったので海雲はさらに言葉を重ねた。
「王よ、白影の里の棟梁として申し上げます。今まで我々は国内を著しく侵した者にのみ、制裁を加えて参りました。それは王を初め、王族の方々のお考えに配慮した結果です。指導者たる王が決断を下されさえすれば、どのような敵も侵入を許すことはなかったでしょう」
自然の要塞ならば、それでもよかった。だが外界との隔たりであった森は焼かれ、道が出来、今までのような態度をとることは難しくなる。いつまでも殺さずを貫きながら我関せずの態度を守るのは、無理なのだ。
「過ぎてしまったことを非難しているのではありません。ですが、それが過ちだったのならば新たな道を選ぶべきでしょう。 ……ご決断を」
海雲に決断を迫られた王は静かに目を閉ざした。その表情からは何を考えているか、読み取ることは出来ない。海雲はじっと、王が口を開くのを待った。
「……我が赤月帝国の軍隊、白影の里の棟梁よ」
しばらくの沈黙の後、王は言葉を紡ぎながらゆっくりと目を開けた。無表情を努めようとしているが、彼の瞳には深い悲しみの色が表れている。どのような決断が下されようと動揺することのないよう、海雲は自身に平静を呼びかけながら王の声を聞いていた。
「そなたの言う通りだ。国を……そこに暮らしている民を護るのが我らの使命。私も汝らと共に行こう」
王が自ら戦場に赴くと聞き多少の驚きを覚えたものの、海雲は進言が聞き入れられたことに一礼で感謝を示した。そうと決まれば行動は早い方がいいので、海雲はすっと立ち上がる。
「ご無理は、なさいませんように。王子と姫が心配なさいます」
「民を苦しめたのは私の責任だ。案ずるな、軍権はそなたにある」
苦しい笑みを浮かべて見せ、王も腰を上げる。目前を通り過ぎて行く王を目で追った後、海雲は思いの外しっかりとした足取りで進んでいる王の後に従った。
目を開けてから幾度か瞬きを繰り返して初めて、サイゲートは自分が目を閉じていたことを知った。視界を占めている天井は板が張ってあるだけの自室のものではなく、木枠で造られた珍しい形をしている。手に触れている布団が上質な肌触りをしていることや、独特な青い匂いがすることからも、サイゲートはすぐに自分がいる場所が自宅では有り得ないという確信を抱いた。
(どこだ……?)
まだぼんやりとしている頭の片隅でそんなことを思い、サイゲートは首だけ動かしてみる。すると近くに、知った姿があった。
「……アゼル?」
布団の脇にアゼルが腰を落ち着けているが俯いているため顔までは見えない。そして呼びかけに対する反応も、なかった。
「アゼ……っ、」
もう一度名を呼びながらサイゲートは体を起こそうとした。だが激痛が走り、一度は浮かした背を再び布団に預ける。しかし腹や背が熱く、顔を歪めずにはいられないほどの痛みにサイゲートはのたうちまわった。
ひとしきり悶えた後、サイゲートはのたうつ力もなくなって脱力した。自身では体位を整えることも出来ないでいるサイゲートに、アゼルが腕を伸ばす。背を抱えられるようにして仰向けにされていると、自然とアゼルの顔が見えた。その表情を見なかったことにしようと思い、サイゲートは目を閉じて体を委ねる。
「薬を作ってくる」
サイゲートが乱した布団を整えた後、アゼルは短く言い置いてから部屋を出て行った。痛みからきているのか酷い眩暈がしたが、サイゲートは懲りずに体を起すことを試みる。痛みが意識を覚醒させ、寝ている場合ではないことを思い出してしまったからだ。
(ああ……)
どうせ痛いのならばと一息に体を起こしたサイゲートはそのまま動けなくなってしまった。立ち上がることも布団に逆戻りすることも出来ず、前のめりになっている状態で荒い呼吸を繰り返す。そうこうしているうちにアゼルが戻って来てしまい、彼に悲鳴のような声を上げさせることになってしまった。
「何をしている!?」
「い、いや……大丈……」
「説得力がないにも程があるぞ!」
「ほんとに、平気。だからクスリ、くれるとうれしい」
サイゲートが脂汗を流しながら無理矢理笑みを作ったのでアゼルは呆れたような顔をした。しかし口論より薬が先だと判断したのか、アゼルは手にしていた湯のみをサイゲートの前に差し出す。
「熱いから気をつけろ」
アゼルが注意を促したように湯呑みからは湯気が立ち上っていた。何か動作をするたびに疼く痛みと戦いながら、サイゲートは少しずつ湯呑みの中身を口に運ぶ。どろどろした液体は決して美味いものではなかったが、サイゲートは時間をかけて何とか湯呑みを干した。
「……いたくない」
湯呑みを干してから少し時間を置いた後、サイゲートは不思議な思いで呟いた。大袈裟な動作をする勇気はなかったものの、今は小さな動きであれば体を動かしていても痛みはない。サイゲートが手を握ったり開いたりしていると、それまで黙っていたアゼルが静かに口を開いた。
「効果はよく知らないが、効いたようだな」
「あのさ、水くれないかな。これ飲んだらよけいのどがかわいた」
「待っていろ。今、持ってくる」
空になった湯呑みを持って、アゼルが再び立ち上がる。襖が閉まるまでアゼルを見送った後、サイゲートは改めて周囲を見回した。サイゲートがいる部屋は畳敷きになっているが、これは街中では見ることのない光景である。街とは異なる独特の建築様式には覚えがあったのでサイゲートは胸中で呟きを零した。
(……白影の里か)
そしておそらく、ここは海雲の家だろう。サイゲートがそう思ったのは意識を失う前に海雲の声を聞いたような気がしたからだった。白影の里にいるということは、あの声は現実のものだったのだろう。
痛みはなくなったが傷が気になったので、サイゲートは自分の体を見下ろした。サイゲートが身につけているのは普段着用しているシャツなどではなく、白影の里で寝具として使われている浴衣である。着慣れない着物の合わせ目を緩めたサイゲートは改めて、違和感のある腹の辺りを眺めた。腹から肩にかけて、上半身はほぼ白い布で覆われている。血の痕などは見えないが、そこに痛みの元凶があることは明白だった。
ふと室外に人の気配を感じて、サイゲートは顔を上げた。間もなく襖が開き、湯呑みを手にしているアゼルが姿を見せる。サイゲートは反射的に着衣の乱れを直したのだが、その行動をアゼルに見咎められてしまった。
「気になるかもしれないが、あまり触るな」
わずかに顔をしかめながらアゼルは釘を刺す。サイゲートは真顔のまま頷き、差し出された湯呑みを受け取った。今度はどろっとした液体ではなく、湯呑みを満たしているのは水である。薬湯の時はあまりの不味さに味覚まで麻痺していたが、水を流し込むと血の味がした。
サイゲートが空になった湯呑みを置いてもアゼルは口を開こうとしなかった。アゼルが目を合わせることもなく黙りこくっているので、仕方なくサイゲートから口火を切る。
「海雲は?」
「……父の元へ行った」
「そっか。心配したけど大丈夫だったみたいだな」
「ああ。白影の里の者は大事無い」
「いっしょに街へ出た連中は?」
「……何人か死んだ。無傷な者もいない」
「……そうか」
共に戦った者の死は心にずしりと重く、サイゲートはそれきり閉口した。進んで喋ろうとしないアゼルも口を噤んだので再び沈黙が流れる。サイゲートは故意に話を途切れされたわけではないのだが、アゼルが会話を拒んでいるのだった。
アゼルの様子がおかしいことをサイゲートはすでに察していた。彼が何故そうなってしまったのかも何となく理解していたが、その話題を切り出せるほどの余裕はサイゲートにもアゼルにもない。以前サイゲートが同じような状況にあったとき言葉足らずであったにもかかわらず想いを汲んでくれた海雲であれば、アゼルに対しても的確な対応をしてくれるだろう。この場に海雲がいてくれたらと、サイゲートはつい思ってしまった。
「サイゲートの義父君がここにいる。もう目が覚めたことを伝えてあるから、間もなく来るだろう」
しばらくの沈黙の後、口火を切ったのはアゼルの方だった。その内容が思いもよらないものだったのでサイゲートは瞠目する。
「親方が……」
「また後で来る」
呆けているサイゲートにそれだけを言い残し、アゼルは静かに立ち上がる。アゼルが去ってから少しすると、今度は親方が姿を見せた。
「無茶をしたもんだな」
布団に張り付いているサイゲートを見下ろし、親方は平素と何ら変わらない調子で声をかけてきた。彼の無表情はこんな時でも動くことはなく、無愛想な喋り方も健在である。一見したところ怪我をしている様子もなかったのでサイゲートは心底ホッとした。
「よかった、大丈夫だったんですね」
「ここの連中に助けられた。ずっと街にいたら危なかったかもな」
「奥さんや娘さんも大丈夫ですか?」
「さあな。そう簡単にくたばるとも思えないが」
親方の口調から察するに、未だ連絡も取れない状態が続いているようだ。布団に縛り付けられている状態では状況を把握することすら難しく、サイゲートは歯噛みする。それでも何か出来ることはないかと考えを巡らせていると親方が再び口を開いた。
「俺は少し王族を見直したぞ、サイゲート」
「えっ? 何の話ですか?」
親方の真意を掴み損ねたサイゲートは思考を中断して顔を上げた。布団の脇に立ったままでいる親方は感慨を表すでもなく、淡々と言葉を次ぐ。
「王子がな、泣いて頭下げに来た。お前がこんなになったのは自分のせいだとな」
「アゼルが……」
「友達なんだな、お前ら」
親方の言葉はおそらく、感じたままをただ口にしただけのものだった。だがその一言が驚きだったサイゲートは思わず目を見張る。
(……ともだち……)
街中で初めてアゼルを見た時、彼は『王子』だった。注目される存在で、人を集めていて、羨ましいと思うほどに遠い存在だったのだ。親方や仕事仲間が言っていたように違う世界の人間だと、思ったこともある。だが『王子』ではなく一個人としてのアゼルと付き合ってみて、その考えは一変した。人を集めるのは彼が王族だからではなく、アゼル自身が人間を好きだからなのだ。そうしたことを考えてみて初めて、サイゲートは自分がアゼルを『王子』として見ていないことに気がついた。
(だったら友達、だよな?)
王子と一国民という関係でもなく、ただの知人でもない。ならばすでに『友達』だったのだ。そう思った時、サイゲートは自分がやらなければならないことが見付かったような気がした。
もう寝ていることが出来ず、サイゲートは立ち上がった。それまで呆けていたサイゲートが急に行動を起こしたので親方が微かに眉根を寄せる。
「起きて平気なのか?」
「はい。親方、ありがとうございます」
「……何がだ?」
眉間の皺をいっそう深くした親方は怪訝そうな顔をしている。説明を加えることはせず、サイゲートはただ笑って見せた。




