友(4)
王城一階にある大広間へ足を踏み入れた刹那、サイゲートは思わず顔を歪めていた。この場所は避難してきた国民で溢れかえっているのだが、大広間に集っている人々は老若男女を問わず誰もが恐怖に震えて縮こまっている。一様に閉口している人々の重たい視線が、広間に進入してきたアゼルに向けられた。人々に縋るような瞳を向けられたアゼルは王族らしい堂々とした態度で口火を切る。
「皆、聞いて欲しい」
アゼルの凛とした声が静寂に包まれて消えていく。人々が真剣に耳を傾けていたので、アゼルは言葉を続けた。
「突然のことに狼狽えるのは無理もない。だが街には、まだ多くの人が取り残されているだろう。彼等を救うために協力してもらいたい」
アゼルが協力を乞う発言をした刹那、室内には異様な空気が漂った。アゼルを見据える人々の視線はすでに、先程までの救いを求めるものから非難のまなざしへと変わっている。つい先刻、同じような状況で物を投げつけられるという体験をしているサイゲートはいつでもアゼルの前へ出られるよう警戒を強めた。
(……同じだ)
赤月帝国の国民も、橋に殺到していた大聖堂の兵達も、同じ目をしている。余裕のないギラついた瞳はまるで空腹時の獣のようだ。追い詰められた人間は絶望して、誰かを責めるしかないのだろうか。そして何のためらいもなく人間を殺せる人間になっていくのか。
「もう、死んでるよ」
誰かが発した一言が静寂に重みを加える。何もしようとしない人々はその後、自らの無力ではなく他人の非力を罵り始めた。アゼルは呆然と、浴びせられる罵詈雑言の中に佇んでいる。
「うるさい!!」
悪言は聞くに堪えず、サイゲートは民衆を一喝した。今ここでアゼルを責めたところで何かが変わるわけではない。無意味な話し合いに見切りをつけたサイゲートは、まだ呆然としているアゼルを振り返った。
「アゼル、行こう」
「……サイゲート」
サイゲートに呼びかけられたアゼルはどういう表情をしたらいいのか解らないといった風に、ぽつりと呟く。彼の様子は明らかに冷静さを欠いており、サイゲートは顔を歪めながら言葉を紡いだ。
「城へ来る途中、オレは助けを待ってる人を見た」
目の前で、凶行に晒された人を見た。見ていたのに、何も出来なかった。その時に感じた強い後悔が感情を支配しているサイゲートはアゼルを蘇らせるべく話を続ける。
「オレは、何もしようとしないで大切なものを失いたくない。だから、行こう」
何も出来ず途方に暮れるのは、たまらない。その思いはアゼルも同じなようで、空虚だった彼の瞳には次第に光が蘇った。
「……そうだな。行こう、サイゲート」
使命感からか、アゼルも力を取り戻して頷く。だがその場を立ち去るサイゲートとアゼルに従う者は、誰もいなかった。この分ではアゼルの私兵だけを頼りに街へ出ることになりそうである。多勢に無勢ではあるが嘆いていても始まらない。今出来ることをするだけだと、サイゲートは心を固めた。
「人間とは、恐ろしい生き物だな」
ふと、アゼルが独白を零したのでサイゲートは顔を傾ける。アゼルの表情には皮肉が滲んでいたが、あんなことがあった後では無理もないとサイゲートは思った。
「キライになりそうか?」
「かもしれん。だが醜い部分までを愛せて初めて、人間が好きだと言えるのだろうな」
「追いつめられた人間は、きっとみんな同じなんだよ。オレにはあの部屋にいた人たちがルシードの奴らと同じに見えた」
「……そうだな」
「きっとあいつらは、オレたちなんかが想像も出来ない世界で生きてきたんだろうけど、何も出来ない人を平気で殺せる人間はゆるせない」
「ああ。許しては、ならない」
他人の平和を壊してまで得る安楽など、あるはずがない。同じ想いで、サイゲートとアゼルは口を噤んだ。
街に取り残されていた負傷者は回収したと聞いていたので、かげろうの森を後にした海雲は脇目も振らず王城を目指した。森を放棄してきた以上、早く城の護りを固めないと陥落してしまうという危惧を抱いていたからである。果たして、街のほぼ中央に位置している王城は敵に取り囲まれていた。外堀を渡る吊橋付近には敵兵がうろついていたので、海雲は抜け道から王城への進入を試みた。抜け「道」と言うには少々困難が伴う通路だが、こうなってくると堀の工事をした時に抜け道を用意していたことは功績と言わざるを得ない。
二度ほど水泳をして城へ辿り着いた海雲は着替えの暇を惜しんで全身から水を滴らせながら城内に進入した。日が傾くごとに外気は冷たさを増していたが城内は人いきれのためにむっとしている。通行に邪魔な人々を器用に避けながら先を急いでいた海雲は、負傷者の手当てをしている者の中に菜の花の姿を見つけて足を止めた。視線を感じたのか菜の花もすぐに気がつき、こちらへ走り寄って来る。
「海雲! 無事だったのね!」
「姫様……」
自身の無事を心から喜んでくれている菜の花に向け、海雲は膝をついて頭を垂れた。まずは出で立ちが不恰好である非礼を詫び、それから本題を口にする。
「この度は私共の不始末でこのようなことになってしまい、申し訳ございません」
「今はそんなことを言っている場合ではないでしょう。早く、父上の元に」
駆け寄って来た時は素顔の彼女だったが、海雲が公の場であることを意識していることを察して菜の花もすぐに口調を改めた。あまり時間を割くことが出来なかったので菜の花の切り替えの早さに感謝しながら海雲は頭を上げる。
「承知致しました。王子はどうなさっているか、ご存知ですか?」
「兄上は橋へ行かれました。なるべく敵を防ぐのだと」
「解りました。急ぎ、王の下へ参ります」
立ち上がってから改めて一礼し、海雲は踵を返そうとした。しかし視線を外す間際に菜の花が瞠目したので海雲は動きを止める。背後から制止する声が聞こえてきたのは、その直後のことだった。
「その必要はない」
「父上!」
菜の花が発した驚愕の声に驚きながら海雲も慌てて背後を振り返る。そこには、護衛を引き連れて自らも武装した王が凛然と佇んでいた。
「状況を報告してくれ」
王に促され、海雲はハッとして跪いた。面目がなくて低頭したまま、海雲は報告を始める。
「街に取り残されておりました人々は里へ収容致しました。我等はかげろうの森を放棄してこちらへ参りましたので、間もなく森の戦力もこちらへ参ります」
「そうか。ならば城の護りを固めよ。これ以上、民を死なせてはならん」
「はい。すぐに手配致します」
立ち上がって王に一礼した後、海雲は菜の花にも目礼してから歩き出した。ひとまずアゼルと合流することが先決だと思った海雲はその足で橋へ行こうとしたのだが、誰かに呼び止められて再び歩みを止める。
「そのカッコ……あんた、白影の?」
声をかけてきたのは若い男だった。男は軟弱そうな体つきをしており、海雲に声をかけることすら勇気が必要だったようで小刻みに震えている。煩わしいと思ったが王族の手前では無下に扱うことも出来ず、海雲は一応話を聞く態度をつくった。
「そうだが。何か用か?」
「助けてくれ! オヤジとオフクロがまだ取り残されてるんだ!!」
「落ち着け。生きていた者は助けた」
「じゃあ、ブジなのか!?」
「それは確認してみなければ分からん」
「連れてってくれ! 一緒に!!」
男が縋り付いてきたので海雲は力づくで撥ね退けた。だが男は、歩き出した海雲の背に向かって尚も叫び続ける。
「待ってくれ!! 王子と、誰かが街へ行ったんだ!」
男が発した一言は聞き捨てならないものであり、再度足を止めた海雲は表情を険しくしながら振り返った。男は床にへたりこみ、涙ながらに海雲を見上げている。
「王子が街へ出た、だと?」
「一緒に来てくれって言ってたんだ。だけど、怖くて……」
「おい!」
胸倉を掴み上げると、男の顔はぐしゃぐしゃだった。それでも容赦なく、海雲は男を締め上げる。
「王子が何のために命を懸けていると思ってる! お前達のためだろう!? お前達が何もしないから王子がやってるんだ! 違うか!?」
怒鳴り声に集まって来た者だけでなく現在地から程近い大広間に集っている人々も何事かと耳をそばだてているはずである。それこそ城中に響き渡るように、海雲は声を荒げ続けた。
「それを! 助けてくれ? 甘えるな!! 自分の命と自分の大切なものくらい自分で守れ! もっと本気になって守れ!!」
男は怯えて泣くばかりで、もう言葉すら失っていた。傍目には一人責められることになった男には気の毒な話だが、民衆を叱咤するためにはもう少し厳しくした方がいい。そう思った海雲はさらに詰る科白を重ねようとしたのだが、横からそっと手が伸びてきた。
「海雲、手を離して」
「姫様……」
期待通り仲裁に入ってくれた菜の花の意向に従い、海雲は男の胸倉を掴んでいた手を離した。解放された男は床に蹲り、背中を丸めて泣き崩れる。菜の花は男の背を優しくさすりながら海雲に向かって言葉を紡いだ。
「行って下さい。兄上を助けてあげて」
「はい。無論です」
「それと、無理をしてはなりませんよ」
王族らしく毅然とした態度ながらも菜の花の顔には微かに不安が滲んでいる。本人が押し殺そうとしている細微な恐怖を感じ取ってしまった海雲は小さく頭を下げ、今度こそその場を立ち去った。




