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月に喘ぐ  作者: sadaka
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友(3)

 赤月帝国は冬がくる前、国民総出で街に堀をめぐらせた。その工事をした際、密かに抜け道を用意していたのである。城への表立った入口である吊橋には狂気じみた人々が殺到していたので、サイゲートは大きく迂回して城の西側を目指した。そこに、抜け道の出入口があるのである。

 堀の工事をした時、万が一のためにと抜け道を用意した。表立っている橋には狂気じみた人達が殺到していたので、サイゲートはまだ発見されていなかった裏道から王宮へと入った。

(……アゼル)

 東に見える城を仰ぎながら走っていたサイゲートはアゼルの身を案じていた。彼はきっと、率先して戦っていると思われるからだ。一刻も早く合流したかったので、一度足を止めて背に負っていた女を下ろした。ここへ辿り着くまでに、彼女はすでに絶命してしまっている。死体を負ったままではどうしても足が鈍るので、サイゲートは罪の意識に苛まれながらも女を捨て置くことにした。

 仰向けに倒れている死体を一瞥した後、サイゲートは苦い思いで顔を背けて走り出した。胸に広がっていく息苦しさに似た感覚を振り払うように、ひたすら足を動かす。そうして辿り着いた場所は王城の西側にあたる外堀だった。その場所には、常緑の植物で覆い隠されていて傍目には解り辛いが竪穴が掘られている。その竪穴は横穴と連結しており、その出口は外堀の水面すれすれにあるのだ。横穴の出口には小舟が隠されているのだが、時間が惜しいと思ったサイゲートは堀を泳いで渡った。内堀にも同じ仕組みの抜け道があり、それを越えると王城内の片隅に出現することが出来るのである。

 王城内にある抜け道の出入口には常時監視が立っている。監視の兵は抜け穴から出現したサイゲートを見るなり剣を突きつけてきた。サイゲートは自らのものではないが血にまみれ、ボロボロの格好をしている。敵である流民と間違われても、無理もないことであった。

 抜け道を使ったのが裏目に出てしまい、サイゲートは拘束されてしまった。今まさに敵と対峙している状態では兵が神経質になるのも仕方がなく、何度説明をしても耳を傾けようともしてくれない。少しでも早くアゼルに会いたかったサイゲートは苛立ちを隠せなかった。

「だから! アゼルに会わせてくれって言ってるだろ!!」

「黙れ! 貴様らのせいでどれだけの命が失われたと思っている!」

「オレは敵じゃない!!」

「黙れ黙れ!! この人殺しが!!」

 王城は避難してきた国民でごった返しており、連行されながら口論をしているサイゲート達は自然と人目を引いた。兵がサイゲートを敵と思い込んでいるので、その態度を受けた国民も怒りを噴出する。あまりにも多くの敵意に晒されたサイゲートはゾッとして閉口した。しかし、兵や国民の感情は鎮まらない。ついには物が飛んできたのでサイゲートは頭を庇って蹲った。

「やめなさい!!」

 サイゲートを救ったのは凛とした女の声だった。群集の怒号にもかき消されなかった声音は威厳に満ち溢れていて、頼もしさすら覚える。周囲が静まり返り、物を投げつけられなくなったのでサイゲートは顔を上げた。群集の中から歩み出て来た少女が傍へ来たので、サイゲートは彼女の顔を凝視する。

「怪我はありませんか?」

 そう言って、少女が手を差し伸べてくる。投げつけられた物がぶつかって痣になっていたが、サイゲートは平然を装って立ち上がった。立ち上がればサイゲートの方が背が高いので、少女はサイゲートを見上げながら言葉を次ぐ。

「あなたは先程、兄上の名を口にされていましたね。兄上は堀を渡る吊橋へ行かれました。赴かれるのでしたら、どうぞお気をつけて」

 アゼルを兄と呼ぶ人物は、姫しかいない。サイゲートは初めて目にする菜の花に驚き、目を瞬かせた。間近に見れば菜の花は可憐な少女だったが、瞳が強い意志を湛えている。

「姫様! この者は……」

「この方は敵ではない。先程、そう申されていたではありませんか」

 サイゲートを連行していた兵が非難の声を上げたが菜の花は毅然と一蹴する。兵はまだ何かを言いたそうにしていたが王族には強く出られないようで身を引いた。菜の花の目が再びこちらを向いたので、サイゲートは心の底から湧いてきた言葉を口にする。

「ありがとう」

 兄によく似ている菜の花に笑みを返し、サイゲートは走り出した。目指す先は王城の正面入口である。しかし狂気する人々の間をすり抜けて辿り着いた扉は、閉ざされていた。

「開けてくれ。アゼルのところへ行きたいんだ」

 サイゲートがそう申し出ても、門番をしている兵は首を横に振った。

「危険です。お戻りください」

 門番の態度が淡々としているからこそ、サイゲートは頭にきた。加勢に出ようという者まで退けていては外で戦っている者を見殺しにしているも同じである。兵が聞く耳を持たないことはすでに解っていたのでサイゲートはすぐさま実力行使に出た。門番の一人に体当たりを食らわせて彼が佩いていた剣を奪い、切っ先を丸腰の者に向けながら叫ぶ。

「オレが出たら閉じていい! だから開けてくれ!!」

 半ば脅迫であったサイゲートの懇願が通じ、扉は開かれた。だがその先にあったのは、無造作に死体が転がっている街中よりも鬼気迫る状況だった。

(これだけしか、いないのか)

 敵はすでに内堀にまで達していて、吊橋の袂で応戦している者達が最後の砦である。しかし自らの国を護ろうと戦っている者の数が、あまりにも少なすぎた。サイゲートは絶望感を覚えながら、それでも走り出す。

「アゼル!」

 応戦している者達の中には案の定、アゼルの姿があった。サイゲートはすぐさま彼の傍へ寄り、剣を振り回して敵兵を退ける。サイゲートが参戦したことが転機となったのか、アゼルは味方を下がらせて吊橋の縄を切り落とした。橋の上に転がっていた負傷者や死体、それらを踏み台にしてまで押し寄せて来ていた敵兵が吸い込まれるように堀へ落ちていく。痛々しい表情をして堀から顔を背けたアゼルを促し、サイゲートは城の方へと引き返した。

「怪我を、したのか?」

 アゼルに問われて初めて、サイゲートは自分がひどい格好をしていることに気がついた。ボロボロになるまでに経験した女の死や民衆の敵意が脳裏をよぎっていき、サイゲートは苦い気持ちで首を振る。だが痛みに溺れるより前にするべきことがあると思い直し、サイゲートは口を開いた。

「それより、これは何なんだ?」

 まずは状況を把握しなければ動きようがない。サイゲートはそう思っていたのだが、アゼルもまた首を振った。

「解らない」

「海雲は?」

「それも解らない。白影の里も混乱しているようだ」

「自衛団はどうした?」

「負傷している者が多い」

「それでも動ける奴はいるだろ」

「皆、突然の凶行に震え上がっている。無理もない」

「じゃあ、この人達は?」

 サイゲートとアゼルの周囲には数名の若者がいる。彼らはアゼルと共に戦っていた者達だが、普通の国民のようには思えなかった。サイゲートが感じた通り、彼らはアゼルの私兵であるらしい。つまり、自衛団を初め国民は誰一人として動いていないということだ。

 不動の人々を、アゼルは責めない。しかしサイゲートは憤りを隠せなかった。一般の若者から構成される自衛団はもともと、開戦宣言に乗じて自ら兵となることを望んだ者の集団だ。それなのに、いざ戦闘となれば怯えて動けないのでは役立たずもいいところである。

「……アゼル、話をしに行こう。取り残されてる人達を助けないと」

 サイゲートが凶行を目にしたように、街にはまだ多くの人が取り残されているだろう。だがサイゲート達だけで助けに行くには人数が心もとない。どうしても国民の協力が必要なのだ。アゼルもそのことは承知しているようで、彼は苦い表情のまま城へと足を向ける。サイゲートとアゼルの私兵達は無言でその後を追った。







 敵の侵攻を知ってすぐかげろうの森へ赴いた海雲は最前線で指揮をとっていた。街に接近していた敵兵はあらかた殲滅したと思われるが、大聖堂(ルシード)は次から次へと兵を送り込んでくるので攻防戦の終わりが見えない。海雲の耳に信じられない情報がもたらされたのは、何か打開策はないかと考えを巡らせていた時だった。

 街が、急襲された。それも突然の出来事だったらしく、対応が遅れている。そうした報告を受けた海雲は苛立ちを隠せず、声を荒げた。

「街はどうなった!」

「避難した国民は王城に、逃げ遅れ息のある者は里へ運びました」

 そのために報告が遅れたのだと、配下は言う。冷静さを取り戻すために一つ息を吐き、海雲は頭を切り替えてから問いを重ねた。

「侵入したのはどれ程か?」

「敵はおそらく軍を幾つかの小隊に分けた後、個別に行動させ何処かで合流したものと思われます。よって、森の兵力を除いた残りかと」

「不確かな推測はいい。被害の状況は?」

「はっ。詳しい数は判りませんが、死傷者が出たとのことです」

 死傷者が出たと聞き、海雲は唇を噛んだ。白影の里がこの体たらくであるのに、国民が自衛の手段を講じられたと考える方がおかしいのである。一人でも死者を出してしまった今、次はいかに死傷者を抑えるか考えるべきなのだ。そう思った海雲は次なる行動を即決した。

「森を引き払う。水源は死守しろ」

 海雲の意を受け、報告に来ていた配下が他の者への指示に走る。後悔は後だと自身に言い聞かせ、海雲は撤退をする配下に先立って街へと急いだ。

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