まもりたい(7)
街が落ち着きを取り戻してから数日後、王から街全体を囲む堀を造るとの通達があった。通達によると国民総出、昼夜交代制で働かなくてはならないらしいが、かげろうの森を焼かれたこともあって反対する者はいなかった。しかしまだ具体的な動きはないので、サイゲートはいつも通り彼岸の森で斧を振るっている。アゼルが訪ねて来たのは、ちょうど背の高い木を一本切り倒した直後の出来事だった。
「水源?」
アゼルが再会の挨拶もそこそこに本題を切り出したのでサイゲートは汗を拭いながら首を傾げた。アゼルは真顔のまま頷いて見せる。
「堀にはある程度の深さがいる。それに水源を一つにしておくことは危険なんだ。だから新たな水源を見つけたい」
「なるほどな。ちょっと待ってくれ」
アゼルに言い置いてから、サイゲートは森の奥へ向かって声を掛けた。返答はなかったものの、やがて森の奥から親方が姿を見せる。親方はアゼルを一瞥しただけですぐに視線を逸らし、サイゲートを見た。
「なんだ?」
「今使ってる川以外に水源って思い当たりますか?」
「この森の川は全て一つの源泉から分かれている。新しい水源を探すなら、掘るしかないな」
「だ、そうだ」
親方の解説をそのままアゼルに流すためにサイゲートは彼を振り向いた。アゼルは何かを考えている様子で沈黙していたが、やがて目を上げてサイゲートを見る。
「サイゲート、ご家族の方に話がある」
アゼルが唐突にそんなことを言い出したのでサイゲートは意図が解らないまま親方を見た。サイゲートの視線を追ったアゼルも親方を振り向いたので、親方は無表情のままアゼルを見る。
「こちらが、ご家族の方か?」
サイゲートに顔を戻したアゼルは念を押すように尋ねてきた。サイゲートが頷くと、アゼルは表情を改めて親方に向き直る。
「しばらく、彼を貸していただけないでしょうか?」
「どういうことだ?」
アゼルの申し出に応えたのは親方ではなくサイゲート本人だった。サイゲートが口を挟んだので、アゼルは意図を明かす。
「工事の指揮を任された。俺一人では見えないこともあるだろう、労働者である国民の代表が補佐に欲しい」
「ああ、そういうこと。親方、行ってもいいですか?」
「……好きにすればいい」
親方は素っ気なく言うと森の中へ戻って行った。彼が無愛想なのはいつものことなので気にせず、サイゲートはアゼルを促して歩き出す。
「あの人が父親だったのだな。親方と呼んでいたので気付かなかった」
二人きりになると、アゼルはそんなことを口にした。アゼルが何を気にしていたのか納得のいったサイゲートは淡々とした気持ちで話に応じる。
「血のつながりはないからそう呼んでるんだ」
「……悪いことを聞いたか?」
「別に、気にしてない」
意表を突かれて困ったような表情をしているアゼルにサイゲートは首を振って見せた。一時は気にしていたこともあるが、事実は事実でしかないのである。だがアゼルの方が気にしてしまったようだったので、サイゲートは早々に話題を変えた。
「それより、二月で完成させるって本気なのか?」
「ああ。それが、次に敵が攻め込んで来るまでの目安らしい」
「そっか。冬が来れば雪にジャマされるもんな」
赤月帝国は豪雪地帯である。冬になれば雪が進路を阻み、退路を消してしまう。それは何も軍隊だけに限った話ではなく、森と共に生きているサイゲートは雪の脅威を自然なこととして知っていたのだ。だがアゼルにはサイゲートの発言が意外だったらしく、彼は目を瞬かせている。
「頭の回転が速いな。樵にしておくのは勿体ない」
アゼルが妙な褒め方をするので、どう反応を示したらいいか分からなかったサイゲートは軽口で濁した。
「口がうまいな」
「世辞ではない。俺はサイゲートを評価している」
今度は事のほか真剣な表情に出会い、サイゲートは言葉を詰まらせる。アゼルは本気で言っているようで、彼は真面目な顔つきのまま言葉を次いだ。
「城に召して、俺の伴をしてくれてもいいのだぞ?」
ついには率直に誘われてしまったのでサイゲートは苦笑いを零す。だがアゼルが真剣な目で見ていたので、サイゲートは笑いを収めて肩を竦めた。
「なんか、最近やたらとさそわれるな」
「他にも勧誘があったのか?」
「あったけど、ことわった。親方に育ててもらった恩があるから俺は何処にも行けないよ」
「……そうか。無理を言って悪かったな」
アゼルの謝罪には今回手伝いをすることになったことも含まれているようだったのでサイゲートは即座に首を振った。
「堀を造るのはみんなの安全のためだし、二月くらいなら大丈夫だよ」
「そう言ってもらえるとありがたい。では、存分に働いてもらうぞ」
今度はうって変わった爽やかさで、アゼルは白い歯を見せて笑う。まるで子供のようにころころと変わるアゼルの態度がおかしくて、サイゲートは本気で笑った。
見張りの人員だけを残してかげろうの森を引き払った後、海雲は白影の里へ戻って来ていた。今のところ再び森へ侵攻してくる気配もないので、今はまだ自宅と王城を往復する生活を続けていられる。だが程なく、再び衝突する時が来るだろう。それまでにやっておかなければならないことは山積しており、海雲はあれこれと思案を巡らせていた。現在、最優先に考えなければならないのは堀の造成である。ひいては堀の完成に不可欠な水源の確保が最大の課題だった。
冬になると雪の多い赤月帝国周辺は地下水が豊富であり、森に湧いている水に全てを頼ってきた。これが街中を流れる川の源泉である。戦争もなく爆発的に人口が増えることもなかったので、今まではそれで充分だったのだ。だが街全体を囲う堀を満たすとなると、それでは足りない。現在使用している泉の他に水脈がないか探っているが、今のところいい報告はなされていなかった。
「西の崖の方は見てきたのか?」
屋敷へやって来た配下の報告を聞き、海雲は難しい表情をしながら問いかけた。赤月帝国の西端は絶壁になっており、まだあまり調査が進んでいない。期待をかけるのであればそこくらいなものだが、配下の返事は色好いものではなかった。
「はい。崖の向こうには山が連なっておりましたが、こちらに向いている流れはないようです」
配下の言葉を聞いた海雲はふと、世界には「火器」という武器があることを思い出していた。爆発を任意に引き起こせるという火器でも使えば水の流れを変えることが出来るだろうが、残念ながら白影の里にはその技術がない。人力で立ち向かうには西の崖は強敵であり、時間もあまりないので諦めるしかなさそうである。
「やはり地下水脈を掘り当てて、それでなんとかするしかないな」
「はい。それでは、調査を続けます」
配下が退出して屋敷の中に人気がなくなってから、海雲は腕を組んだ。地下水脈を掘り当てたところで水源は同じである可能性が高い。堀を完成させることは出来るかもしれないが、籠城戦となった場合に水源を押さえられると命取りになりかねないことは変わらないのだ。
(問題は数だ)
籠城戦になるほど接近を許すつもりもなかったが、大聖堂が赤月帝国の三倍以上の人手を抱えていることも事実である。兵の質はこちらの方が高くても、一度に攻め寄せて来られたらひとたまりもない。森で敵を食い止めることが防衛線の要だが、広大な森の全てを監視出来るほどの人手はないのだ。
(……細かな問題を挙げていても、きりがないか)
少し頭を休めようと、海雲は息を吐いて首を振った。
人手不足は様々な箇所に見受けられるが、国民に戦争をさせる訳にはいかない。必死で、狂いかけている連中に、それでどこまで対処出来るのか。仲間もろとも敵を焼き殺そうとする凶行を目の当たりにしてから、海雲が抱える不安は日増しに強まってきていた。
(いっそ、こちらから攻めて出れば簡単に片がつく)
かげろうの森を焼かれた日から幾度となく考えてきた科白が脳裏を掠めていく。だがそれは赤月帝国の軍隊として、してはならない行為なのだ。だから海雲は赤月帝国の領土であるかげろうの森より外では敵兵に攻撃を仕掛けないよう里の者に命じている。森を焼かれて後の掃討戦ですら、忠実にそれを守ったのだ。だがもはや王城に上ったら進言してしまいそうで、海雲は人知れず唇を噛みしめた。




