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月に喘ぐ  作者: sadaka
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まもりたい(6)

 森林火災から数日後、王城に避難していた人々も街に戻り、赤月帝国は本来の静けさを取り戻していた。公式な発表では森の一部分が消失しただけで街に影響などはなく、敵兵が街に迫って来ていたという噂もでたらめであるとのことだった。敵兵は現在、かげろうの森からも撤退しているらしい。だが国に帰ることはせず、未だに赤月帝国の交通路を遮断するように展開しているというのが実情である。そうした情報を得たサイゲートは、ある不可解さに首を捻っていた。

 大聖堂(ルシード)軍は、かげろうの森を焼いた。それは彼らが攻勢に出たということである。サイゲートには軍事のことは分からないが、勢いに乗ったはずの敵がどうして撤退を決めたのか不思議だった。喧嘩の時でさえ、勝つためには相手の弱みにつけ込む。相手が受身になった時こそが攻勢に出るチャンスなのだが、大聖堂軍はそれをしなかった。その理由を考えた時、サイゲートの脳裏には自然と海雲の顔が浮かんできていた。

 サイゲート自身捕らえられた経験があるだけに、白影の里の者達が気配を殺すことに長けていることを知っていた。彼らを相手にすると知らぬ間に接近を許し、気付いた時には手も足も出ない状態にまで追い込まれているのだ。さらには海雲が、里の者は全員が殺人術を使いこなすのだと言っていた。だからおそらく、森を焼いた勢いに乗っていた時ですら大聖堂軍は勝てなかったのだ。

(でも、きっとまた攻めて来る)

 それはもはや推測ではなく確信であり、サイゲートは粘着質な恐ろしさを肌で感じながら胸中で独白した。









 火災の後始末も終わり、諸事が一段落した海雲は報告のために王城を訪れていた。そこで王の口から出た言葉は、海雲も考えていたものだった。

「対火用に堀を作ろうと思うのだが」

 失敗から学ぶ王の姿勢は謙虚であり、また提案自体も有益だったので海雲は即座に頷いて見せた。その後さっそく、実施の具体案を検討する。

「ならば、街全体を囲うように水を引きましょう。王宮の周囲は二重になるよう、さらに水を引きたいと思います」

 赤月帝国にはすでに、街中を流れている川がある。この流れを変えるように工事を行えば、一から造り上げるのとは比べ物にならないほど早く堀が完成するだろう。王も無論、そのことを視野に入れての提案のようだった。

「どの程度の時間を要するであろう?」

「昼夜交代制で国民を総動員し、二月で完成させましょう」

大聖堂(ルシード)が再び軍を出してくるには、どれほどの時間がかかると見る?」

「仕置きがだいぶ堪えたでしょうから軍の再編などで、やはり二月ほどかと。無理を押してでも冬になる前には来るでしょう」

 赤月帝国周辺は豪雪地帯である。ただでさえ深い森や切り立った崖のせいで天然の要塞だというのに、雪にまで阻まれてしまっては侵攻どころではなくなる。だから必ず、冬になる前に攻めてくるはずなのだ。そうした海雲の考えは通じているようだったが、王は眉根を寄せた。

「際どいな」

「なんとか致します」

「指揮はアゼルにやらせる」

「適任でしょう。里からも王子を補佐する者を数名派遣します。後は余裕があればということで、よろしいでしょうか?」

「うむ。よろしく頼む」

「かしこまりました。では、早速手配致します」

 王に一礼して、海雲は謁見の間を後にした。しかし考えを巡らせているのは王だけではなく、海雲もまた眉根を寄せて腕を組む。

(問題は水だな)

 赤月帝国は生活に使用する水の全てを森の恵みに頼っている。街中を流れている川も源泉は森にあり、この水を使って水路を巡らせることは対火対策に限らず有益である。だが街全体を取り囲む堀を作るとなると、それでは到底足りない。それに水源が一つに限られていると籠城戦になった時に水路を断たれる恐れがある。

(新たな水源を確保しなければならないな)

 城内二階にある謁見の間を後にした海雲は考えこみながら歩を進めて階段を上り、四階にあるアゼルの私室の扉を開けた。思案を巡らせている海雲の顔を見たアゼルは、すぐに事態を察した様子で声をかけてくる。

「父に難題を突きつけられたか?」

「それを背負い込むのは俺じゃない。お前だよ、アゼル」

「それは是非、こちらへ来て茶でも飲みながら聞かせてもらいたいものだ」

 長話になると感じたのか、アゼルは茶の準備を始める。海雲はアゼルの部屋にある長椅子に腰掛け、準備が整うのを待った。

「それで、どのような話だ?」

 水出しの茶をグラスで差し出された海雲はアゼルに礼を言いながら受け取り、一息に干した。よほど喉が乾いていたのかと笑いながら、アゼルは空になったグラスに褐色の液体を満たす。今度は口をつけることをせず、海雲は本題を切り出した。

「街全体を囲むように堀を造ることになった。その工事の指揮をとるのがお前だ」

「それは、随分大掛かりな作業になるな」

「二月で完成させてくれ」

「また無茶なことを」

 街を取り囲む堀を造るなど、本来であれば半年はかかる大事業である。アゼルが呆れ顔をするのは無理もないことだったが、海雲は淡々と説明を続けた。

「昼夜交代制で国民を総動員すれば出来ない話じゃない。対火用だけでなく罠や飲用としても重要なものだ。里からも技巧に優れた者を補佐として出そう」

「ならば、そう難題でもないのではないか?」

「問題は水だ」

「ああ、なるほど」

 海雲は何故水が問題となるのか説明しようと思っていたのだが、アゼルはあっさり納得してしまった。戦が始まる前はしょっちゅう街に繰り出していた彼は、もしかしたら海雲よりも国内の地理に詳しいのかもしれない。

「そういうことならば国民の方が詳しそうだ。樵に知り合いがいる、聞いてみよう」

 何処でどう知り合いになるのか、アゼルの交友関係は幅が広い。海雲が呆れと感心を含ませながら「顔が広いな」と言うとアゼルは笑って見せた。

「面白い奴だよ。今度紹介する」

「そりゃ楽しみだ」

 アゼルの言う『今度』は、少なくとも戦が終わって後の話になるだろう。こんな和やかな空気は長く続かないと解っていたため、海雲は束の間の憩いにゆっくりと茶を味わった。

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