まもりたい(5)
かげろうの森で起きた火災を鎮めた後、海雲は幕営を引き払って街へ戻った。白影の里へも寄らずに王城へ急行したのは大聖堂の兵達が未だ近辺に展開しているからである。敵が荒っぽい手段でくるのなら、こちらも早急に対処しなければならない。
王城に到着した海雲は避難してきている国民を尻目に一般人が立ち入ることの出来ない上階を目指した。会議室などのある三階へ上ると、アゼルの姿があったので海雲は足を止める。アゼルの方でもすぐに気がつき、彼は小走りに傍へやって来た。
「海雲」
アゼルの顔には安堵が浮かんでいたが、彼はすぐ表情を改めた。海雲が微笑すら返さなかったからである。ぴりぴりとした空気を纏ったまま、海雲は不快を露わに口を開いた。
「街はどうだ?」
「自衛団が思ったより機能したので大きな混乱は起こらなかった」
「ほう。それは意外だ」
「俺もだ。ある人物の尽力によるところが大きい」
「国民の中にもまともな奴がいたんだな」
「そのようだ。それで、何が起こったのだ?」
「奴ら、いかれてやがる」
戦場での不愉快さを押さえきれず、海雲は毒を吐き出すように言った。海雲の激しい語気にアゼルが少し顔をしかめる。
「父は会議室だ。続きはそこで聞く」
「ああ」
海雲とアゼルはどちらからともなく歩き出し、その後は一言も交わさず目的の場所へと達した。アゼルが会議室の扉を開いたので、海雲は儀礼的に頭を下げてから入室する。室内にはすでに王や大臣達の姿があり、彼らは一様に海雲を見つめていた。海雲が険しい顔つきのまま着座すると、王が口火を切る。
「状況を説明してくれ」
「はい。まず、かげろうの森において幾度かの攻防戦があったことをお伝えしておきます。大聖堂兵は曲り形にも軍人です、彼らは一応隊列を組んで森に侵入して来ました。そうした手合いは全て退けておりますが、隊もなく森に侵入してきている者も確認しております。個人で行動している者まで排除することは極めて困難ですが、かげろうの森は天然の迷路になっていますので放置しておいても問題はないでしょう」
ここまでは、すでに王城にも届けられている情報である。会議室にいる者は全て耳にしているはずなので驚きやざわつきはなかった。沈黙が先を促していたので、海雲は報告を続ける。
「大聖堂軍は幾度目かの侵攻を開始しました。先に述べました通り具体的な数は把握していませんが、先行して森に侵入している者も合わせますとかなりの数になるかと思われます。敵は、かげろうの森を前に攻めあぐねていました。いっこうに進軍しないことに痺れを切らしたのでしょう、彼らは森に火を放ったのです。先行している仲間もろとも、我らを焼き殺すために」
そこで海雲が言葉を切ると室内には息を呑む気配が漂った。王もアゼルも大臣達も、絶句している。
火災自体は、実は大したことのないものであった。とは言っても、それはかげろうの森の規模と消失した面積を比較しての見解である。消失してしまった面積と白影の里が割ける人員を比較すれば、それはまた違う見解を生じさせる。だが人員不足より問題だったのは、火災に対する準備をしていなかったことだ。森に火を放たれるなどということは想像もしていなかったので水を用意するだけで時間がかかってしまい、それが結果として被害を拡大させてしまった。対応が後手に回ってしまったのは自身のミスであるので、海雲は鎮火に時間を要してしまったことを詫びてから報告を続ける。
「焼け野原からは夥しい数の焼死体が発見されております。我が里に人的被害は確認されていませんので、それらは全て大聖堂の兵です」
戦の現状が想像を遥かに超えてしまったのだろう、誰からも反応は返ってこなかった。一様に沈黙している面々を見回し、海雲は言葉を次ぐ。
「大聖堂の上層部は赤月帝国を聖地と信じ込ませ、兵達を動かしています。長く平和な時代の続いた我が国を、神に守護された場所だと広言しているのです」
「……都合の良いことばかりを。よく言えたものだな」
そこでようやく、アゼルの口から怒りとも呆れともつかない呟きが洩れた。赤月帝国は神が治める地でもなんでもなく、争いを嫌う人々が長い歳月をかけて護ってきた土地である。アゼルのそうした考えには同感だったが一瞥するに止め、海雲は王を振り返った。
「大聖堂の上層部は宗教をうまく操っているのです。だから兵である彼らに罪はないと、そう思ってきました。しかし、いくら追い詰められているとはいえ森に火を放つなど限度を超えた暴挙です」
判断を仰ぐというのではなく、海雲は王に語りかけるように説いた。海雲が何を言いたいのか察したようで、王は無駄な問答を挟まず核心に触れる。
「ならば、どうする?」
「今の彼らは聖地というまやかしに目が眩み、何をするか解りません。こちらも対策を練るための時間が必要です。ですから、一度壊滅させて追い返したいと思います」
「……そなたに任せよう。火の対策はこちらでも考えておく」
「承知致しました」
打てば響くような王の聡明さに敬意を表し、海雲は立ち上がって一礼する。その足で踵を返し、海雲は足早に会議室を後にした。
海雲が立ち去ってからも会議室はしばらく静寂を保っていた。最前線で戦う者からの報告は平和に慣れている者達の想像を遥かに超えており、誰も意見することが出来なかったのである。しかしやがて、王が重苦しい沈黙を破った。
「アゼルよ、そなたの友は怒っておるな」
父に苦笑を向けられたアゼルは海雲が去った扉から目を外し、そちらに視線を傾けた。
「そのようですね。いくら戦乱の世とはいえ、何をしても許されるという訳ではありません」
「大聖堂は痛手を被るな」
「よい薬でしょう」
敵を勢いづかせてはならない、というのが海雲の考えだろう。それは道理であり、自国の被害を抑えるためには敵兵の心情にまで気を配っていてはならないのである。海雲がどうやって敵兵を殲滅するのかは分からないが、彼の冷酷さは至極真っ当なものと言わざるを得なかった。だが王は、敵兵が命を落とすことにまで心を痛めている様子である。困ったような笑みを浮かべている父の顔を見据え、アゼルは一抹の不安に駆られていた。
(父は、優しすぎる)
追い返されたからといって、彼らは赤月帝国から手を引こうとはしないだろう。そのことは今まで幾度か繰り返されてきた攻防戦からも明らかであり、戦はまだ続くのだ。長期化すればするほど弱っていくのは赤月帝国の方だと実感したアゼルは、口にはせずに戦の早期終焉を願ったのだった。
赤月帝国の由来ともなった血を流したような紅い月が、今宵も虚空に浮かんでいる。その月が間もなく姿を消そうとしている夜明け前、一日の中で最も暗い時分に海雲は白影の里の者を集めた。かげろうの森の深奥に集った者達は白装束に身を包んでいるため、彼らがいる場所だけ闇が影を潜めている。
「相手は女子供、老人も混じっているが我等の赤月帝国を侵略しようという敵だ」
全ての者が白い布で顔を覆い隠している中、唯一顔を晒している者が発する声はよく通り、暗闇へと消えていった。白装束の者達は黙して、その時を待っている。
「殺せ。一人残らずだ」
棟梁である海雲の言葉を合図に、白い影達は闇へ溶けていく。首元の布を持ち上げて顔を隠した海雲も短刀を抜き、すぐさま月の消えた夜に潜り込んだ。




