まもりたい(2)
太陽が昇ってすぐ森へ繰り出していたサイゲートは日暮れ前に仕事を終え、仲間達と酒場へ向かっていた。街から遠く離れた森では未だに戦が行われているが、夕暮れの街は安寧の空気に包まれている。あちこちから漂う夕餉のにおいも、人々の笑い合う声も、戦時中だという緊迫感に欠けていた。
仕事終わりで上機嫌の仲間達の背を見ながら歩いていたサイゲートはふと、街中に人だかりが出来ていたので足を止めた。夕暮れの街で見るこの光景は、いつかの風景を彷彿とさせる。気になったサイゲートは仲間達から外れ、人の輪の外側から背伸びをして中心ある物を覗き見た。するとそこには予想通りの姿があったので、足を地に着けたサイゲートは口元に手を当てて考えこむ。
人だかりの中心にいるのは、王子である。会戦宣言のあった日から彼はしばしば、国民に演説を聞かせるために街へ出てきていた。サイゲートも幾度か王子が人を集めている姿を見かけたが、彼の話を聞いたことはまだない。王子は街の緩み切った空気を断ち切ろうと努力しているようだったが、国民には戦の攻防が見えないのでうまくはいっていないようだ。それは今、王子を囲んで和やかに微笑んでいる人々を見ても一目瞭然である。
考えを巡らせていたサイゲートは意を決し、人だかりを離れて仲間の元へ戻った。そしてすぐさま、親方に声をかける。
「親方、少しいいですか?」
「ああ。先に戻っててもいいぞ」
親方に許可をもらってから、サイゲートは改めて王子を囲む人混みに加わった。今度は輪の外から見るのではなく人の壁を崩しながら進み、王子がよく見える場所まで移動する。よくよく見ると、王子は数人の若者相手に剣の稽古をつけているようだった。
真剣を手にしている若者の一人が、王子に斬りかかる。だが王子は水が流れるような動きで相手の攻撃を制し、若者が持っていた剣を叩き落した。王子の美技に、観衆から歓声が上がる。だがそれは珍しい芸でも見たかのような声であり、負けた若者もヘラヘラと笑っていた。
サイゲートは直感的に、この空気は王子が求めているものではないと思った。これでは、ただの遊びである。王子は国民を鼓舞したいのであって、親睦を深めるために街へ下りて来ているのではない。笑っている王子が苛立っているように感じた時、サイゲートは自ら輪の中心に進み出ていた。
「オレも相手してもらっていいですか?」
その場の視線を一手に引き受けていることを感じながらも、サイゲートは王子だけを見据えて言った。王子は顔に笑みを貼り付けたまま、半ば自棄気味に頷く。
「ああ。この剣を使うといい」
民家の壁に立てかけてあった剣を王子が差し出してきたので、サイゲートはそれを受け取って感触を確かめた。初めて握る、抜き身の剣。斧を握る感覚とも違う、ずしりとした重さがあった。
「構えろ。俺が撃つから受け止めるんだ。反撃してもいい」
笑みを消した王子を構えをとったので、サイゲートも見よう見真似で構えた。ケンカの時と同じく、腰を落として相手を見据える。どんなに小さな動きも見逃すまいと目を凝らし、サイゲートは王子が動き出すのを待った。
構えをとってからさほど間を置かず、王子が斬り込んできた。受け止めた感覚から察するに、彼はそう力を入れていない。まだ安穏さを引きずっているのかと、サイゲートは力任せに王子の剣を押し返した。サイゲートが本気であることが伝わったためか、王子が目を瞬かせる。サイゲートは王子を睨みつけ、渾身の力をこめて大上段から剣を振り下ろした。
サイゲートが放った一撃は、避けられてしまった。だがサイゲートは幾度となく、王子に斬り込んでいく。王子が防戦一方だったため観衆から野次が飛んだ。女子供を中心に王子を応援する声、面白半分の男達がサイゲートを応援する声と、野次の内容も様々である。だがその場にいる誰もが、サイゲートと王子の対決を楽しんでいた。
ようやく王子が攻撃に転じてきたので、サイゲートは際どい身のこなしで剣を躱す。その後サイゲートが再び斬り込んでいくと歓声は悲鳴に変わった。
「王子さま!!」
「大変だわ! 血が!!」
腕から血を流している王子に女達が慌てて駆け寄る。肉を斬る感触をまだ手に受けながら、サイゲートは構えを崩さなかった。
「お前! 王子になんてことするんだ!!」
誰かが叫び、王子を案じていた人々の非難がサイゲートに集中した。しかしサイゲートは、それでも動かない。自分の身を案じてくれている女達への対応に追われていた王子もサイゲートの様子に気が付いて顔を上げた。
「……少し、離れていてくれ」
手当てをしようとしていた女達を押し退け、王子も再び構えをとる。互いに真剣を手にしているサイゲートと王子の間には不穏な空気が漂った。彼らが本気だと認識した観衆は青ざめて閉口する。
王子が構えたまま動こうとしなかったので今度はサイゲートから動いた。サイゲートが振り下ろした一撃を、王子は歯を食いしばって受け止める。そのまましばらく力比べが続いたが、勝ったのは王子の方だった。サイゲートの剣を横へと流し、王子は仕返しとばかりに腕を斬り付けてくる。
「っ、」
自分にしか聞こえないように呻き、サイゲートは顔を歪めた。もう剣を持っていられる力もなく、サイゲートの手を離れた剣が地に落ちて乾いた音を立てる。唇を噛んで周囲を見回すと、先程までの和やかさが嘘のように人々は重い沈黙に支配されていた。目的は達したようだったので、サイゲートは傷口を押さえながら歩き出す。腕から血を滴らせているサイゲートに触れたくないと言わんばかりに、誰もが道を譲った。
人だかりを後にしたサイゲートは路地裏へと入り込み、周囲に人気がないことを確認してから体を投げ出した。民家の壁に背を預け、顔を歪めたまま傷口を見る。腕からの出血はまだ止まらず、血が地面を染めていった。
頭まで壁に預けたサイゲートは息を吐き、傷口を押さえている手に力をこめた。しかしいくら強く握ろうと、傷口を押さえている手も、腕も、傷とは無関係な脚すら感覚がない。だがそんなことより、何よりも堪えがたかったのは全身の震えだった。
「ここに居たのか」
不意に声が降ってきたのでサイゲートは目を開けた。瞼を持ち上げるなり飛び込んできた王子の顔に、サイゲートは少し嫌な顔をする。
「傷を見せてくれ」
言うが早いか、王子はサイゲートの傍らにしゃがみ込んだ。懐からハンカチを取り出した王子は、それをサイゲートの傷口に巻いていく。手当てをしながら、王子は話しかけてきた。
「名は?」
「……サイゲート」
「サイゲート、随分剣の扱いに手慣れていたな。誰かに習ったのか?」
「はじめてだよ」
「初めて?」
ちょうどハンカチを結んでいた王子の指に力が入り、それが痛かったのでサイゲートは顔を歪めた。サイゲートの苦悶の表情を見た王子は慌てて手を退ける。
「すまない。驚いて力が入った」
「……いたい」
「悪かったよ。それで、本当に初めてなのか?」
「剣は初めてだけど、オノなら毎日使ってる」
「樵か。どうりで力があるはずだ」
よほど不可解に思っていたのか、王子は納得したように頷いた。サイゲートが反応を返さないでいると、王子はすっと立ち上がる。
「応急処置はしたが、家できちんと手当てをしてもらってくれ」
すでに立ち上がっているのでそのまま去って行くのかと思いや、王子はサイゲートが起き上がろうとしないのを見て再び腰を下ろした。隣に座り込んだ王子を見てサイゲートは嫌な表情を作る。
「なに、となりに座ってんの?」
「いけないか? 少し、話をしたいと思っているのだが」
「……何の?」
「サイゲート、本気だったな?」
王子が真顔で尋ねてくるのでサイゲートはふいっとそっぽを向いた。
「さあな。そっちは手当てしてもらったのか?」
「ああ、それで足留めをくった。本当はすぐに追いたかったのだが」
「そんなカッコ悪いことするな。あんたは王子なんだから、カッコ良くしとけ」
「面白い奴だな」
笑いもせずしみじみと呟いた後、王子は黙ってしまった。サイゲートから話しかけることもなかったので、しばらく沈黙が流れる。だが会話がなくとも王子が立ち去る様子もなかったので、仕方なくサイゲートから口火を切った。
「あんたさ、オレが出てく前まで相手してた奴にイライラしてただろ?」
「……分かったか」
自身ではうまく隠せたと思っていたのか、王子は微苦笑を浮かべた。しかしすぐに笑みを消し、彼は真剣な口調で言葉を次ぐ。
「あまりの緊張感のなさに苛立っていた。だが、サイゲートがそれまでの緩みきった空気を一変させてくれた」
「剣なんか使ったことなくても、本気でやればあれくらい出来る」
「それを解らせたかったのか?」
「あんたがわからせたかったんだろ?」
「その通りだ」
素直に苦笑いをする王子に、サイゲートも素直に好感を抱いた。
こうして話をする以前、サイゲートは王子のことを『エライ奴』だと思っていた。それはサイゲートの周囲が皆そう思っていたからなのだが、何がどう偉いのかも解らず、王族だというだけで尊大に見えてしまい煙たがっていたに過ぎない。だがそのような思い込みは間違いなのだと、サイゲートは海雲に教えられた。そして等身大の王子と接して初めて、海雲の言葉を本当の意味で理解することが出来たのである。
「名前、聞いてもいいか?」
サイゲートが邪険な態度を改めると王子も自然な笑みを浮かべながら快く応じてくれた。
「これは失礼した。俺の名はアゼルという」
「アゼルか。そう呼んでもいいか?」
「好きにするといい」
「アゼル、ルシードって怖いな」
彼になら胸の内を明かせるような気がして、サイゲートはそれまで誰にも語ったことのなかった本心を口にした。話題が急に飛んだこともあり、アゼルは眉根を寄せる。
「恐ろしいと、感じるのか?」
しばらくしてからサイゲートの独白に応じたアゼルも、心なしか顔を強張らせている。やはり恐怖を感じていたのは自分だけではなかったと思いながら、サイゲートは怪我をしていない方の腕を持ち上げて見せた。
「さっきアゼルにやられた時と同じだ。まだ、止まらない」
体全体の震えは治まったものの、サイゲートの手は未だ小刻みに震え続けている。アゼルが無言で震える腕を見つめていたので、サイゲートも為す術なく自身の腕に目を落としていた。




