第六十二話 心友
ずっと、扉の前で考えてた。
レスターの事、俺の魔力暴走の事、それからあいつが今までどう生きてきたか……。あいつは腐敗した大地で右半身を失いながらも、生きるために自分の両親を殺したクロレシアに土下座までしたらしい。しかもあいつの右半身を奪ったのは親友であるはずの俺だ。
正直言ってあの時の事はほとんど覚えていない。けどあいつが嘘をつくはずもないし、半分機械になってしまっている体だって冗談で出来るわけじゃないだろう。間違いなく俺がやったんだ。
俺は自身の手のひらをじっと見つめていたが、覚悟を決めて握り込むと顔を上げて扉を見据えた。
「謝って許される事じゃないのは分かってる。だけど、あいつとの関係をここで終わらせたくはないんだ」
やや汗ばむ手で扉のノブを握ると、そっと開けて一歩踏み込んだ。
辺りにはレンガのブロックで覆われた床と壁、それ以外は何もないガランとした空間の中央に、緑色の髪、黒い瞳をした半分機械姿の幼馴染が笑う事もなくただ黙ってこちらを見つめていた。俺は一歩、二歩と、戸惑いながらもレスターとの距離を縮める。
「警戒でもしているのか? お前らしくもないな、ウッドシーヴェル」
俺の戸惑いがレスターにも伝わったんだろう、あいつは笑う事もせず俺を見つめたままそう口を開いた。
「レスター……。俺が来るって分かってたんだろ? そうじゃなきゃお前がコタロウの考えたゲームなんかに参加するはずないよな」
俺の言葉に、レスターは蔑むように笑った。そのまま自身の右手を剣の形に変形させていく。
「随分知った風な口を利くな? 未だ親友気取りか。たかだか幼少期の数年、共に過ごしただけだというのに」
「時間じゃねーだろ」
分かり合うのに必要なのは時間じゃねーよ。俺は数年だろうが、数時間だろうが、お前とともに過ごした日々はかけがえのないものだと思ってる。だから親友だって思ってるんだ、こうして敵対している今も。
そうは思っていても、俺の気持ちがレスターに通じることはないんだろう。その証拠にあいつは嘲笑した。
「は。口ではどうとでも言える」
あと数歩でレスターの前に辿り着く、というあたりでレスターが剣の形をした右手を俺に振るってきた。覚悟はしてたし話し合うだけで済むとは思ってなかったよ。俺はすぐに自身の紋章に触れると、魔法を発動してレスターの攻撃を防いだ。
「貴様は運がいい。こうして孤独に逝かないような死に場所を作ってもらえたのだからな」
レスターが左手を振り、風の魔法を発動した。とっさに体勢を低くして前のめりになり踏ん張ったが、俺の皮膚を切り刻みながら後退させてくる。そのうち支えきれなくなり吹き飛ばされて壁に打ち付けられた。レンガのブロックが脆くも数個崩れ去る。
「お前が死ぬか、オレが死ぬか、どちらにせよオレ達の関係はここで終わりだ」
近づいて来るレスターより先に魔法を発動して土の剣を作り上げた。終わりになんてするかよ、その一心で右手に剣を持ったまま左手で再び紋章に触れる。魔法で自身の前に土の壁を作り上げた。俺はレスターを殺すつもりなんてないんだ。どうにか分かり合えるはずだって思ったからこそ、ここに来た。だから話を聞いてもらおうと、俺は必死に話しかけたんだ。
「俺はお前を敵だなんて思ったことはないし、あの暴走でお前を攻撃したなんて何かの間違いなんだ!! なぁ、もっと話し合えば原因が分かるかもしれないだろ!? あの時のこと、俺何も覚えてねーんだからさ!」
覚えていれば何か分かったかもしれないし、レスターの体をあんな風にすることもなかったかもしれない。原因が分かれば憎み合う事もないんだって思ってた。そんな甘い考えが余計にレスターの怒りを煽ったんだろう、レスターは俺に斬りかかってきた。
「くだらない言い訳などせずかかって来い!! 十年前、オレを殺すつもりだったのならできるだろう?」
「だから! 違うって言ってんだろ!!」
レスターの剣が俺の頬をかすめる。右手の剣に気を取られている隙に左から蹴り飛ばされた。立ち上がる間もなく右足を剣で貫かれる。
「う、あぁ! レスター、俺はっ……」
「話し合いの時間などとうに終わった。オレはこの心の中の靄を晴らしたくてここに居るだけだ。貴様を殺してな!!」
風の魔法が俺を切り刻む。俺の右足から引き抜かれた剣が心臓へ向けて突き出されるのをかろうじて転がって避けると、すぐに自身を回復した。レスターを見上げれば眉間にシワを寄せたまま俺を見据えている。そこでようやく気が付いたんだ。
話し合えば分かり合えるなんて甘い考えをしていたら、俺はレスターに殺される。こいつにとって俺は人生を狂わせた敵なんだ。本気で俺を憎んで、本気で殺そうとしてる。もしかしたら例え原因が分かったのだとしても、二度と解り合う事など出来ないのかもしれないと思った。
レスターはもう、俺と親友に戻る事なんて望んでないんだ。
「ほんっと……俺バカだよな。今までずっと昔に戻りたいからって言い訳ばっかしてさ、覚えてないとか、やってないとか、そんなのお前が聞きたかった事じゃないのに。これじゃマジで親友だなんて言えないよ」
持っていた土の剣を強く握り直し、俺はレスターに向き直った。どうすればいいのかなんて分からなかったけど、レスターの気持ちを真剣に考えてみようと思ったんだ。あいつが今何をしたいのか。何を求めているのか……。
俺の隙を突いてレスターが腕の剣で襲い掛かってくる。とっさに土の剣で受ければ、甲高い音が響き渡った。直後放たれた風の魔法はすぐに地の壁を作って防ぐ。
そうだ、レスターはずっと孤独を恐れてた。一人になるのが嫌だって、遊びですら一つ残されるのを嫌がってた。こいつはいつも一人だったから……。
右から上段蹴りで壁を破壊されると、すぐに風の刃が飛んできた。それをしゃがんで避けると左から来た蹴りを腕で防ぐ。そこでまた考えた。
俺と居る事が多くなってからは一人を怖がらなくなってたっけ。『明日になればウッドシーヴェルが来てくれるでしょ? ウッドシーヴェルが僕のここに居てくれてるから怖くないんだ』って心臓の辺りに触れて笑ってた。
レスターの剣が俺の心臓めがけて迫ってくる。魔法で横から岩を突き出し、防いだ。俺の思考はまだ十年前の腐敗した大地を走ってた所にある。あの時、俺の魔力が暴走してレスターを攻撃したのだとしたら……。魔法は潜在意識で敵味方を判別するから、自分で意識しない限り味方は攻撃できないはずなんだ。なのに俺は……。
レスターの右半身を奪った。
孤独を恐れてたレスターの想いを裏切って、俺はまた一人にしてしまったんだ。心までずたずたに傷つけて……。
そこまで考えて辛くて苦しくなった。もし俺だったらきっと耐えられなかっただろう。レスターの剣を受けながらこのまま力を抜いたらどうなるだろう、なんて事まで考えた。
「くっ……! ただのらりくらりと暮らしていた貴様とオレ、なぜ力の差が出ない!?」
レスターが息を切らし悔しそうに吐き捨てる。俺も魔力切れが近いせいか、かなり息が上がっていた。さすがに魔法、使いすぎたみたいだ。だけど力を抜くこともできなかったんだ。
恐らくあいつらと出会ってなければ、俺はレスターの望む通り自らあいつの剣をこの心臓に突き立てていただろう。だけど今は……。
右からきた上段蹴りは腰を落として避け、回転するように放たれた剣は土の剣で受けた。すぐに風の魔法で吹き飛ばされる。ハァハァと息をつきながらも、とっさに地の魔法でつぶてを放ち立ち上がった。苦しいけど、レスターの思う通りにするわけにはいかなかったから。
「俺はまだ、死ぬわけにはいかないんだよ」
村を出てから色々あった。やりたい事、やらなければいけない事、救いたい人、救えなかった人、共に居たい奴ら……。タケルと出会った頃から俺は変わったんだ。あの村でタケルに誓った。本当の英雄になるって。だからまだここで終わるわけにはいかない。
そんな俺の覚悟の想いなどお構いなく、レスターは再び風の魔法を放ってきた。その魔法で腕を斬られたと同時に鋼鉄の拳が襲い掛かってくる。気が付けばレスターの右手がいつの間にか剣から普通の手の形へと変わっていた。もしかしたらあいつの機械は自身の魔力で変形していたのかもしれないと気が付いた。
「何だよお前、魔力切れか?」
はぁはぁと息をつきながら問いかけた俺に、図星だったのかレスターも息を切らせながら不愉快な顔をする。これならまだ話が出来るかもしれない、と急いで腕を回復しようとして、俺の魔力も途中で切れた。
「は。お前もじゃないか。オレより立派な紋章を持っておきながら情けない男だ」
言いながら俺に向かって鋼鉄の拳を振るう。油断していた俺は殴られた衝撃のまま床に倒れた。さらに殴りつけようと胸ぐらを掴んできたレスターの生身の方の左腕を掴んでひっくり返す。もう生きるとか死ぬとかそんな事すら考えられなくなって、ただ昔のように思うままの怒りをレスターにぶつけた。
「うるせーよ!」
馬乗りになって開いていた方の手でレスターの右頬を殴りつける。バカなことをした、とすぐに後悔した。
「いってぇぇ~」
レスターの頬を形作ってた機械の角が当たり、傷ついたのは俺の拳だ。痛みに悶えている俺を見てレスターが嘲笑った。
「貴様は相変わらずバカだな」
言いながらも俺の下から機械の拳で二度三度と殴りつけてきた。この、鉄の塊は反則だろっ……! 押さえつけようと思ったけど機械と生身じゃ力の差が歴然すぎて、すぐに押し戻された。敵うわけねーって、こんな機械の腕じゃ……。そこまで考えて、レスターの機械で出来た腕を反対の手でつい握りしめた。
「……ごめん」
たった一言だけ、こぼれる。
改めて考えてしまったんだ。こんな風にしてしまったのは俺だったんだって。馬乗りになったままうつむいてレスターの腕を握り締める俺に、あいつはキョトンとした表情になる。いきなり何を言うんだって顔に書いてあった。
「これ、やったの……俺なんだよな。俺が、お前の人生をめちゃくちゃにした」
「ウッドシーヴェル……」
呆けたままのレスターに向かって更に言葉をつなげる。言い訳でもいい、レスターが昔、俺を信じてくれてた想いだけは裏切りたくないって思った。
「でもこれだけは信じてくれ。本当に俺、お前を殺そうと思った事なんて一度だってないんだよ。今だって、これからだって。本当はさ、命を懸けて証明するべきなんだろうけど、俺は今やらなきゃいけない事があって、死ぬわけにはいかねーんだ。だから……だから俺はお前を裏切ってないって、一生かけて証明する。……頼む。見ててくれ」
言い終わった所でレスターがいきなり笑い声をあげた。今度は俺の方がキョトンとなる。
「は。どうせお前の事だからオレの為に復讐を果たさせてやりたいとか、戦いながら馬鹿なことをずっと考えていたんだろう?」
「それはっ……!」
図星を指され恥ずかしくなり、慌てて手を離す。レスターが上半身を起き上がらせながら、機械の右手で左側の顔を、生身の左手で心臓を押さえて何かを呟いた。
「まったく……。どうして未だにお前の気持ちが分かってしまうんだろう。ここにまだ、お前が居たというのか……」
何を言ったのか俺には聞き取れなかったし表情すら見えなくて、もっとよく聞こうと近づいたら左手で殴り飛ばされた。
「顔を近づけるな、気持ちの悪い男だ。だいたい貴様、どこのプロポーズの言葉だ。一生かけて証明する? オレに貴様と一生付き合えというのか、バカが」
そのままもう一度俺の顔を今度は右の鉄の拳で殴り飛ばすと、押しのけて立ち上がり見下ろしてきた。口元が笑んで見えるのは気のせいだろうか?
「出来るものならやってみろ。もしもお前が本当に裏切っていたのだと分かった時は、すぐに殺してやる。ずっと見ていてやるから、いつか証明しろ」
レスターの言葉を聞いて安心した。魔力切れだと思ってたし。
……だから油断してたんだ。レスターは風の魔法を放って魔導砲側のドアを切り刻むと、そこに向かって俺を機械の足で蹴り飛ばした。体が吹き飛ぶほどの衝撃だ。一瞬意識が飛んだ。
「まずはやるべき事を果たせ、……我が親友」
意識が戻った時にはレスターを中に残したまま、崩壊する音が聞こえてくる。俺は慌てて扉の方へと近づいた。やめろ、もう誰も失いたくないんだよ。
恐る恐る中を確認して俺は唇を歪めた。
「バカ……やろうが。お前知ってんだろ、俺バカだからお空の向こうから見てるって言われても分かんねーんだよ! それに、すぐ殺すっていうならちゃんと俺のそばで、見えるところで監視してなきゃダメだろ!!」
崩落した床の下、俺が地の魔法で作り上げた瓦礫の塊の上に居るレスターに向かって叫んだ。レスターはカッコまでつけて死ぬつもりだったのが今さら恥ずかしくなったのか、少し頬を赤らめながらしきりに髪をすいていた。
「そういえばお前、昔から穴の中に何かを仕掛けるのが好きだったな」
レスターの奴は苦笑して嫌味ったらしく言いやがったけど、照れ隠しだって分かったから再び唇を歪めてニヤリと笑ってやる。
「そうだよ。お前もとっととこっちへ来い」
手を差し出したらなんだかんだ言いながらも俺の手を握ってくれた。なんだか、久しぶりにレスターとこうして話せた気がする。嬉しくてニヤニヤする俺とは別に、レスターは未だにぶつぶつ言っていた。
「まったく……。オレより紋章が大きい癖に魔力切れしてたのはこのせいか。相変わらずバカな奴だ」
うるせーよ、と反論する前にいきなり俺の背中に衝撃がはしる。蹴り飛ばされたって気づくより先にテンの声が降ってきた。
「バカーーーーー! このバカー!! 魔力切れって正気!? まだ何があるか分からないんだよ!? こんな所で魔力切らしてどーすんのさ!? あーもー、ホンット考えなしのバカ! バカオブバカ!! キングオブバカ!!」
「ああ!? お前、人の事バカバカ言いすぎだろ!!」
怒りのままに立ち上がろうとしたらテンに押し戻された。そのままぶーぶー言いながらも回復してくれる。なんだよ、文句言う割に心配してくれちゃってんの? 可愛い奴め~。嬉しくなってテンの頭をぐちゃぐちゃにかき回しながら、今更だけどきょろきょろ辺りを見回した。ナナセや桔梗と目が合って俺は無言でうなずく。ヤエもどうやら無事だったらしい。桔梗の腕の中に居る赤ん坊の事は後で聞くとして……。
「やっぱお前らしぶといな」
冗談交じりに言ったらナナセに盛大なため息をつかれた。まるで、お前こそって言ってるみたいだ。なんなんだよ、俺、そんな扱いなワケ? 少しショックを受けてた俺に桔梗が止めを刺してきた。
「バカは死なないっていうだろう」
お前まで言うのかよ!? ってかなんかその言葉ちょっと違わねーか?
三対一……いや、レスターも言いやがったから四対一か。それじゃ敵うわけないと、こいつらとの戦闘を放棄して魔導砲を見上げた。
どうやらここは城の屋上らしい。円形になっている半分には俺達が出てきた扉があり、一つを残して全部開いていた。中央には魔導砲があり、その上には青い空が広がっている。扉の反対側は海側の崖だ。俺達の身長ぐらいの壁しかないから、気をつけないと落ちたら間違いなく死ぬだろう。城の窓からレスターに突き落とされた事を思い出し、少し身震いした。
「さて、どうやら俺達の勝ちらしいし、核を頂いていこう……」
言葉の途中で一つだけ残っていた扉が開く。恐らくコタロウがいた部屋だろう。俺たち全員何事かとそちらに注目した。
「なんだ、誰も死んでいないとは予想外だったね。だけど面白い事になってしまったからねぇ。途中放棄はボクの意志に反するし、勝ちは君達に譲るとしてゲームはこの扉で終了としよう」
何を言っているのか分からないうちに、いきなり俺達の周囲に透明な幕が張り巡らされた。これは何だと触れようと思ったら、途端体中に衝撃と痺れがはしる。
「何なんだよ、これ!?」
「防御壁か!? この魔力量、半端ないな」
桔梗ですら怯えるほどのものらしい。だけどコタロウは扉から出ることはせず、一歩体を横にずらした。
「扉は開放しておいてあげよう。ギャラリーも居た方が楽しいしねぇ?」
防御壁は透明で、扉の向こうまでよく見えた。だからコタロウのいる部屋の……扉の奥に居た人物もすぐに確認できたんだ。信じられない、信じたくない。だけど、あいつはそこに居た。
「タケル!?」
あいつからも俺の姿が見えたんだろう。一瞬だけ微笑んで、すぐにコタロウに向き直った。バカ、何やってんだよ!? 何でコタロウがいる部屋なんかに……。
訳が分からないまま俺達は二人の戦いを見守るしかなかった。