第六十話 精霊
しんと静まり返る室内、開いたままだった扉を閉めればその音で気がついたのか、部屋の中央に浮いていたノワールが振り返った。ノワールの周囲には禁書が3冊浮遊している。
「あれ? おねーさんは一緒じゃないんだ? テン一人でアタシに挑みに来るってバカなの?」
「ボロボロに負けてたの、もう忘れちゃったったんじゃない?」
「きゃははっ! 学習能力すらないおバカなテン~。あのピンク服の女でも連れて来ればよかったのに」
一人でしゃべり続けているノワールに、テンがややしかめっ面で答えた。
「……黙れよ」
普段と違い眉間にシワを寄せている様子に、ノワールが訝しげな顔になる。そのまま浮遊をやめて床に足をつけると、テンの方へと歩み寄った。
「めっずらし、テンが怒ってるぅ~。そんなにアタシに復讐させたくない? いつからそんなに丸くなったの?」
「……君の言う通り契約者に似たのかもね。ぼくはただ復讐したって何も変わらないって、ノワール自身に気付いてほしいだけだよ。ぼくらの役目もう分かってるでしょ? これからは元の役割、ちゃんと全うしようよ。うっしーが腐敗を治したらその後の維持は僕らの役目なんだ。それが出来るのも今はもうぼくら二人しかいないんだから」
言葉を言い終わるか終わらないかの所でノワールの光の矢がテンの腕を貫いた。
「世界なんかどうでもいいって言ってる」
「アタシは! サレジストが滅ぶなら世界全部がなくなったっていいの! あの子の為にもサレジストを滅ぼさなきゃいけないのよ!!」
心のままにノワールは闇の術を生み出しテンへ向けて放った。それをテンは水の壁で防ぐと、うねる水流を生み出しノワールの体を弾き飛ばす。壁にぶつかった直後立ち上がろうとしていたノワールに向けて水の刃で切りつけた。
「うぁ!」
直後悲鳴を上げたのはテンだ。ノワールが氷の術でテンの右足を串刺しにしていた。
「やるじゃない。アンタもしかして……禁書開放した?」
「そうだよ。だから何も知らないなんて言わせない。ぼくは全てを知ってここに居るんだ。自分の事も、ノワール、君の事も」
「きゃははっ! 知ったかぶりはやめてよ!!」
暴風がいきなりテンを巻き上げた。天井に打ち付けられ動けないまま落下してくる位置に氷の針山を作り上げる。魔法を使う間もなくそこにテンが打ちつけられた。
「回復する間もなく殺してあげる」
急所は外れたらしかったが、氷の針山で串刺しにされ動けずにいるテンの頭上に、光の矢が生み出された。すぐにその矢も放たれる。
「こんなに簡単にサレジストも潰せたら爽快なのに」
満足げに呟いて魔導砲側の扉へ近づいた。だが扉を開ける前、視界に入ったテンに突き刺さるはずの矢が、何故か彼の体の前で水に弾かれたため振り返る。
「アンタ、なんでっ……」
慌てるノワールにはお構いなく、テンは脇腹を押さえ右足を引きずったまま、氷の針山から出て来てニカッと笑った。
「針の隙間に合わせて体勢変えるの難しいなぁ~。ちょっと失敗しちゃった」
言いながらノワールを水柱で扉の前から弾き飛ばす。そのまますぐに回復術を使った。
「まだ話は終わってないでしょ。せっかくぼく一人で来たんだからもっと話してよ。例えば……シェナさんの妹の話」
「アンタには関係ない!! ムカつく。今死ななかった事後悔させてあげる!!」
暴風が辺りを包み込む。風の刃がテンの体を徐々に切り刻んだ。
時折周りの壁についていたブロックがはがれ、それすらも凶器になって襲い掛かる。
「どうして……話してくれないのさっ……! 君の元契約者の話でしょ!?」
「元とか言わないで!! この子は今でもアタシと契約してる」
「そうよ、私ここにいるでしょ」
「アタシの契約者はこの子だけなの!! この子はサレジストの外に憧れて、夢見て、でも叶わなかった!! 全部、サレジストの制度のせいで!!」
それを聞いてふと、テンの脳裏に自分が恋していた精霊の少女がよぎった。彼女もまた騙されているとも知らず恋して楽し気に未来を語っていたのだ。好きだった子を殺した、男。自分もまた男という共通点だけで憎んでいた事を思い出した。テンはもっとノワールから話を聞きたくて、水の防壁を張るとその中からノワールに話しかけた。
「ねぇ、ノワールが憎いのは誰? その子を殺した人? 皇帝陛下? それとも国の制度? サレジストを滅ぼしたって同じような人がこの国にもいるんじゃないの?」
ずっと彼女に訴えかけてたことだ。ノワール自身が聞く耳を持ってくれなくてなかなか伝えられなかった事。今なら聞いてくれる気がした。
「全部よ、全部!! だから全部滅ぼすの! ねぇ、テン。何でアタシが抵抗もせずここに居るか分かる? アタシ、コタロウ様の思想に賛同したからなの。だからアンタにもここで死んでもらうんだから!!」
ノワールが生み出した氷柱がテンの防壁を突き破り、頬をかすめていく。それと同時に腹部に闇の渦が現れ弾き飛ばされた。
「う……ノワール。嘘、だよ。だったらなんでその子が殺された時に復讐しなかったのさ? 本当は皇帝陛下やシェナさんを殺す事、迷ってたんじゃないの? だから直接じゃなく魔導砲って手段を取ろうとしたんでしょ。遠くからなら死ぬ姿を見なくて済むからっ……」
「な、に言ってんの? アンタ、ホントバカでしょ」
契約者の子の口調が出なかった事、それに微かだが言葉の詰まりや少し揺れた瞳でノワールの戸惑いが見て取れた。きっと図星なのだ。テンは回復することも忘れ立ち上がると、更に言いつのった。
「サレジストの人たち、ぼく……ううん、精霊に対してすごく誠意的だった。”紋章持ち”のうっしー達だってぼくと居るってだけで酷い扱いは大して受けなかったんだ。それってノワールがあの人達やサレジストの為に色々尽力してきてたからでしょ? 君が復讐しようとしてたならぼくに対してあの人達はもっと酷い接し方してたよ」
「……がう、ちが、う、違うッ!!!! アタシは!! あんな奴ら大っ嫌いなのーーーーー!!!」
ノワールは興奮したまま光の柱を次々落とし、暴風でテンを巻き上げた。
「ノワールっ……、もう、復讐なんてやめようよっ……! ぼくが手伝うからっ……一緒にサレジストを変えよう?」
テンの言葉にノワールは首を振った。諦めた眼差しで呟く。
「もう、遅いのよ。この心は憎しみでいっぱいになっちゃってる! もうあの頃には戻れないの!!」
そのままテンに向けて闇の術を放つ。叩きつけた衝撃で、テンのズボンにあったポケットから何かが転がり落ちた。それはノワールの足元へと転がっていく。
ふくよかな腹、ソフトクリームのように盛られた白い髪。それはニタから貰ったサレジストの皇帝陛下の人形だった。
「な、んで? なんで皇帝陛下、なのよ!?」
あからさまにノワールが取り乱し始めた。テンは床にたたきつけられた後すぐに起き上がると、その隙を逃さず力を放った。
「ノワール、自分の気持ちが変われば憎しみも薄れるから。だから遅い事なんてないんだからね!」
ノワールの横に浮いていた青色の禁書が光を放つ。直後上からノワールに向けて氷柱が落下した。それはノワールの心臓を突き破る。
「!? うそ、ノワール!! ごめん、こんなつもりじゃっ……。ぼく腕を狙ったはずなのにっ……」
人であったなら即死していただろう。だがノワールにはまだ意識があった。
「テ、テン……な、んで……」
なぜ自分が持っている禁書をテンが使えたのかが気になったのだろう。テンはノワールを心配しながらも答えた。
「君が自分以外の禁書を使ってたから……ぼくにも使えるんじゃないかって思ったんだ。君が集中してる時は気づかれると思ったけど、取り乱してる時だったから……」
「そ、か」
ノワールが微笑んだ。久しぶりに見る純粋な笑顔だ。
「ははっ、あいつと、同じ死に方……。おねーさんの想い……かな?」
「何言ってんのさ!! 回復するよっ……!」
慌てて術を使おうとするテンの手を握って止めた。
「もう、遅いよ……。回復間に、合わない。ね、テン。サレジスト、変えて、くれる……? ……そ、なら……コタロウ様……止めて……」
ノワールの手が、体が、徐々に光に変わっていく。精霊の死、立ち会うのはこれで二度目だ。
「ダメ、ダメだよノワール!! 君も一緒じゃなきゃダメだ!!」
テンの体からノワールと同じ光の色が溢れ、彼女の体を包み込んだ。
「死んじゃダメだよ!! 二人でサレジストを変えようっ……」
テンの祈りもむなしく光は徐々に収束し、一つの小さな塊になっていく。
「そんなっ……ノワール!!」
テンの叫びに呼応するようにおぎゃぁおぎゃぁと赤ん坊が産声を上げた。テンの足元に、小さな一つの命が両手足をバタつかせて必死に泣き叫んでいる。
「……女の子……。もしかして、ノワール……なの?」
不安になりながらもテンは赤ん坊の下で固まっていたノワールの服で彼女をくるみ、そっと抱き上げた。
ぱっちりと開いた瞳は赤い色をしている。今は産毛だが、恐らく髪は黒色だろう。
「ノワール……! 約束だよ、ぼくと二人でサレジストを変えよう」
テンは自身を回復すると、すっくと立ちあがった。もちろん腕にはノワールが着ていた服でくるまれた赤ん坊のノワールが抱かれている。彼女は今泣くのをやめ、テンに興味を示しているみたいだ。小さな手を一生懸命に伸ばしている。
「コタロウ様を止めて……か。いったい何を考えてるんだろう?」
ノワールを抱いたままテンは魔導砲側の扉をくぐった。すぐに背後で床が崩れ落ちる。元床だった瓦礫は三冊の禁書ごと飲み込んで落下していった。
「……っあ! お兄ちゃまのっ……!」
テンを見つけたヤエがすぐに這いながら近づいてきた。予想外の展開にテンが珍しくも慌てふためく。
「え!? なに? ヤエちゃん!? ちょ、何でそんな足元セクスウィーなの!? ギザギザのスリットが太ももまで……うへ、うへへ」
デレるテンにはお構いなくヤエは必死な形相でテンに迫った。
「名前忘れちゃったけど、お兄ちゃまのお友達よね!? あなた回復術使える!?」
名前……忘れた、その言葉がズギャーンっとテンの心を打ちぬいたが、直後倒れているナナセを見て慌てて近づいた。生きていることを確認してほっと息をつく。
「うっしーが来るまで大丈夫なんじゃなーい? それよりヤエちゃん、ぼくはテンだよ!! 未来の旦那様でしょ~名前ぐらい覚えてよぉ~」
ヤエにすり寄ろうとしたテンに向かって小さなフレスヴェルグらしき鳥がいきなり嘴でつつき始めた。
「いて! いててっ! 何だよコイツ!? ナナセの召喚獣~!? ……にしては小さいけど」
テンの言葉にヤエがふふっと笑った。
「私の召喚獣なの。お願い、お兄ちゃまを治して」
天使のような微笑みでお願いされては、さすがではないテンではイチコロだ。すぐにノワールをヤエに預けると、ナナセの回復をした。
しばらくしてナナセが目を開ける。視界に飛び込んできたのはボロボロの服をまとった最愛の妹と決して同じ空間に二人きりにしてはいけないテンだ。しかも妹のヤエが抱いているのはどう見ても赤ん坊にしか見えない。
「テ、テン……き~さ~ま~、僕の大切な妹に何をしたぁ!?」
「へ? ちょっとぉ!? 誤解だよ!? 触れただけで子供産ませるような才能ぼく持ってないからね!? この赤ん坊はノワールだよ!!」
「分かるものか!! 天誅をくれてやる! そこに直れぃ!!」
ぎゃぁぎゃぁ追いかけっこを始めた男二人をヤエは微笑ましい顔で見つめていた。だが突然ノワールが泣き声を上げ始める。
「テ、テン君!? どうしよう!? ママを恋しがってるのかな!?」
「え!? どうしようって言われてもっ……。ママァ!? ちょっと、ナナセどうにかしてよっ……」
「僕に言われてもっ……」
どうする事も出来ず三人はただ赤ん坊相手にあたふたするしかなかった。たまらずテンが悲鳴を上げる。
「おねぃさぁーーーん! 早く来てぇぇ!!」
空にテンの悲痛な叫びがこだました。




