第五十九話 兄妹
「来てくれるって信じてたわ、お兄ちゃま」
扉を進んだ一本道の先、そこにはピンクのひらひらのスカートの裾をつまんで丁寧にお辞儀をするヤエが居た。どうやら自分の意志でここに居るのだと気づき、ナナセは眉間にシワを寄せる。その表情を見てヤエが笑顔を曇らせた。
「どうしてそんな顔をなさるの……? せっかく久しぶりに二人きりでお話ができるというのに……」
「ヤエ、君こそどうしてこんな所に居るんだい? 言ったはずだよ、僕はもうクロレシアに戻るつもりはない、他の場所で暮らそうって。お屋敷に残してきたヨンや使用人たちを気にかけてたのかい? それなら彼女たちも一緒に連れて行けばいいよ」
ナナセの言葉にヤエは唇を噛み、スカートの裾を握り締めてうつむいた。何かを言いたげにもごもごと口を動かしてはいたが、生憎ナナセには聞き取ることが出来なかった。
「やっぱり……お兄ちゃまにとっては、私が居る場所が一番ではないのね」
ぼそりと呟くと、いきなりヤエは自身の力を開放する。うねる水がナナセの体を弾き飛ばし、入って来たばかりの扉に叩きつけられた。あまりの衝撃にたまらず呻き声をあげる。
「……ヤ……エ、ゴホッ、どう……して」
きりきりと痛む肺を押さえ、それでもナナセは立ち上がった。ヤエが自分に何を求めているのか、それを知りたかった。寂しかっただけ? それならばこんな事をするはずはないだろう。一体なぜここに居て自分を攻撃してくるのか、ヤエの心の中を探るためにさらに口を開く。
「ヤエ、君が望むなら僕はあの屋敷に……クロレシアに戻るよ。でも、もう少しだけ待ってて欲しいんだ。僕にはやるべき事がある。だからっ……」
「違うわ! 私はっ……」
そこで一旦言葉を止めると、暗い表情で微笑んで言葉を続けた。
「お兄ちゃま、コタロウ様の話を聞いてなかったの? ここはどちらかが先に進んだ時点で崩れ去るのよ。お兄ちゃまか私、どちらかしか生き残れないの。迷っていたらゲームが終わって、二人とも死ぬことになるわ」
死ぬ……か。そこでようやく彼女の考えていることを理解した。ヤエは自ら死ぬつもりなんだ。自分を犠牲にナナセを先に進ませようとしている。先程の攻撃もどの程度の威力になら耐えられるのか試したのだと気づいた。
「ヤエ……」
「私、お兄ちゃまの足枷にはなりたくないの。だからいっぱい考えたわ、どうするのが一番か。以前のようにクロレシアで一緒に暮らそうとも思った。でもサレジストから帰って来て気づいたの。お兄ちゃまはそれをしても笑顔に……幸せにはならない。お兄ちゃまの幸せを邪魔してるのは私自身なのだって」
ヤエが自身の周りに水を生み出す。恐らく水圧で魔導砲側の扉の先に自分をはじき出すつもりだろう。そうなればここはすぐに崩れ去ってしまう。フレスヴェルグを召喚するにはやや狭いこの空間では救う事は難しいだろう。彼女の術を防いでどうにか二人で助かる方法を探るしかないと思った。
「ヤエ、君は僕の足枷なんかじゃない!! 僕は君に何度も救われたよ。君が生きてそばに居てくれたから、僕は今ここに居るんだ」
「違うわ。私が居たからお兄ちゃまは全てを捨てざるを得なかったのよ」
ヤエはそのまま水の術を放ってきた。ナナセは慌ててフェンリルを召喚し氷の壁を作って自分を守る。今はヤエの術に当たる事すらできない。弾き飛ばされて向こうに出てしまえば、ヤエを救う術など思いもつかなかったのだから。
「ヤエ、お願いだよ。僕は君と戦いたくなんかない」
「それなら、戦いたくなるようにして差し上げないといけないわ」
ヤエは暗い表情のまま闇の術を頭上に生み出した。黒いうねりが徐々に剣のような形に変わっていく。
「フェンリル!!」
ナナセは咄嗟に召喚すると、自身の前に再び氷の防壁を張るよう命じた。だがヤエの狙いは自分ではなかったのだ。
「キャウンッ」
辺り一帯にフェンリルの悲鳴がこだまする。足に、闇の剣が突き刺さっていた。ナナセはフェンリルに駆け寄り足の具合を見ると、傷は浅く大丈夫そうだと確認してヤエの方を見た。彼女は表情を失くしたままナナセの方を見据えているだけだったが。
「ヤエ! どうしてっ……」
「私と戦わないのならお兄ちゃまのお友達を傷つけるわ。ここで命を絶って私だけを助けても同じ。魔導砲の外に来たお兄ちゃまのお友達もお兄ちゃまの元へと送って差し上げるから」
本気で殺し合うつもりなのか。いや、ヤエは自分を救う事しか頭にないのだ。二人で助かる道すら考えていない。それならば……とナナセは覚悟を決めた。
「フェン、痛いのにごめん。回復もしてあげられないかもしれない……。だけど」
自分はフェンリルにとても残酷なことをしようとしているのだと分かってはいた。それでもヤエを一人犠牲にするなんて出来そうもなかったのだ。フェンリルも自分の気持ちが分かったのだろう、痛む足を引きずって顔を上げると、ナナセの頬を何度か舐めた後力を振り絞って術を使った。
魔導砲側の扉を氷の棘が埋め尽くしていく。
「お兄ちゃま!?」
「ありがとう、フェン。僕ら死ぬ時は一緒だよ」
ナナセはフェンリルをひとなでしてヤエに向き直った。
「懐かしいな。昔ヤエを寂しがらせないために必死で手品の勉強したっけ。僕はね、君の笑顔を見るのが好きだった。母と同じ笑顔……それを見ながら君を守るって両親とした約束、何度も思い出してた」
ナナセは微笑むと、帽子を取って中から花を取り出した。その花をヤエの足元に投げる。
「僕の命は君とともにある。君が死ぬというなら、僕も共に行くよ」
ハッキリ言って後悔はなかった。フェンリルも自分の考えに賛同してくれたし、うっしー達が居ればタケルが死ぬこともないだろう。迷いがあるままクロレシアの貴族で居たあの頃とは違って今は清々しい気分なのだ。
「だから、嫌なのよ……! お兄ちゃまは自分の幸せを願うべきなの!! もう私のせいで辛い想いはしないでっ……」
ヤエが闇の剣を生み出しナナセの体を切り刻んだ。弱らせて力を奪おうという魂胆なのかもしれない。ナナセはニーズヘッグを召喚すると、自分を守るよう命じヤエの方へと駆けた。まずは足の機械を破壊するのが先決だ。ヤエもそれに気づいたのだろう、闇の渦を生み出すとナナセを弾き飛ばそうとした。ニーズヘッグによりそれは難なく止められたが。
ナナセはその隙を狙ってヤエの足に取り付けられていた機械を叩き割る。
「お兄ちゃま!? だめ!!」
このままではまた自分が兄の足枷になってしまうと、ヤエは魔法で自身に向けて闇の剣を放った。ナナセがすぐさまヤエに覆いかぶさったおかげでそれはナナセの腹部を貫通する。
「ぐっ……」
「お兄ちゃま!? どうして私を見捨ててくださらないの!? 今お兄ちゃまに必要なのは、一緒に居たあの人たちなのでしょ!? お兄ちゃまだってあの人達に必要とされてるのにっ……」
ヤエの言葉にナナセが痛みをこらえて微笑む。
「そう、だったら……嬉しいけど、ね」
そのままずるりとかぶさっていたヤエの上から落ち、床に仰向けに転がった。痛みで動くことすら難しいみたいだ。
「ヤエ、君は、僕の命を二度、救ってくれたんだよ……。城から、落下した時、と子供の頃……僕ら、の家が……クロレシアの騎士の襲撃を、受けた、時。僕に、生きる気力をくれたの、君なんだ。だから……ここから、生きてクロレシアを出て……!」
ナナセは最後の力を振り絞ると、ニーズヘッグとフェンリルに命じた。これが最後の主からの命になるかもしれない。それでも二体の召喚獣は命令に従って動いた。
ニーズヘッグが火を噴きフェンリルの作り上げた氷を解かすと、フェンリルがヤエの服を咥えて足を引き摺りながらも駆けた。
「や、いや!! 離してっ……だめぇッ!!」
ヤエの叫びなどお構いなく主人に忠実なニーズヘッグがドアを打ち破ると、ヤエを咥えたままのフェンリルがその外へ出た。同時にそこでナナセの意識も尽きたのだろう、二体の召喚獣は徐々に姿を消していった。
「い、いやっ……! お兄ちゃま!! いやあぁぁ!!! 誰かお兄ちゃまを助けて!!」
意識を失ったナナセを飲み込むように、今まで居た場所の床が崩壊を始める。
ヤエが半狂乱のまま兄を助けて、と叫び続けた。
直後黒い光が辺りを覆ったかと思えば、小さな、小さな鳥の鳴き声がしてくる。
「……ぇ?」
ヤエも訳が分からず崩壊したはずの部屋を覗き込んだ。そこにはヤエと同じぐらいの大きさで赤と黄色とオレンジ色をした見覚えのある鳥が必死に傷ついたナナセを咥えて羽ばたいていた。
「フ……レス……?」
フレスヴェルグにしてはかなり小さい、けれどその鳥は頑張ってナナセをヤエの元へと届けた。魔導砲側の扉をくぐりヤエの足元へとナナセを下ろすと、そのままヤエの横にちょこんと座る。
「ぁ、お兄ちゃまっ……!」
慌ててナナセの生死を確認した。手や首から脈の動きを感じ、ヤエはほっとして涙をこぼしながら微笑む。すぐに横に座っていた小さなフレスヴェルグの頭を撫でた。
「君が救ってくれたの? お兄ちゃまが呼んだのかしら?」
小さなフレスヴェルグはクルクルと鳴いて首をかしげる行動をした。そこでヤエも不思議に思う。
「もしかして……呼んだのは私? 私、お兄ちゃまと同じ力があるの?」
嬉しそうに微笑むと、ナナセの傷に気が付き慌てて自身の服を破って止血をした。
「まだ……誰も来てないわ。回復してくださるお兄ちゃまのお仲間が早く来てくださるといいのだけど……」
ヤエは心配げに辺りを見回すと、兄の顔を見た。少し血色を失ってはいるが呼吸を感じる。
ほっとしたのも束の間、大切な人を失う恐怖を改めて思い知り、徐々に苦しくなってきた。そしてそれは命を懸けて自分を守ろうとしてくれた兄も同じだという事に気が付いた。
「お兄ちゃま……ごめんなさいっ……私、自分の事ばかりだった。もう死ぬなんて言わないわっ……」
ヤエは兄の服を握り締めると魔導砲の方を見上げる。
「コタロウ様……本気なのかしら。あんな事……」
青空にヤエの不安そうな声がこだました。




