第五十一話 解読
「ヤエ! ヤエーーーーー!!」
ナナセが珍しくも焦り、裏返った声で叫んでいる。それもそのはずだ、上空から身を投げ落下していくヤエを混乱した頭のまま追いかけたが、なぜかフレスヴェルグにかかる風圧が酷く距離を縮めることが出来なかった。桔梗がどうにか風の魔法でヤエの落下スピードを緩めてくれてはいたが、力及ばずザブリと海の中へ沈んでしまった。
「くっ、私の魔法ではせいぜい波を起こすぐらいしかっ……。ここにテンが居れば良かったんだが……」
「ヤエっ……!」
今にも海に飛び込みそうなナナセの腕を桔梗は掴んで止めた。
「お前が海に入ってしまったらフレスヴェルグはどうなる!? ここでこいつが消えてしまったら私もお前も、ヤエも確実に助からない」
「分かってる。だけどっ……」
焦るナナセに桔梗が自身の帽子を押しつけた。不安な気持ちは隠し、にこりと微笑む。
「私が行く。出来るだけ海面に近づいてくれ」
もう誰にも大切な相手を失くしてほしくない、その一心だった。ナナセもそれに気が付いたのだろう、少しだけ冷静さを取り戻すとコクリとうなずいた。
「ありがとう。桔梗あそこ、少し先に何かが見える。多分あれ船だよ。ちらついてる旗の色からして恐らくクロレシアの船だけど、いざとなったら逃げこめるかもしれない」
「そうだな、フレスに乗るにも海中より地面があった方がよさそうだ。ヤエを助けたらあそこへ向かおう。魔法を使えばあの距離ならいけそうだ」
ナナセと視線を交わし、うなずき合って海面に近づく。途端、海から迸るように柱が突き出てきた。何事かと驚きつつも危うい所でフレスヴェルグを旋回させて避けると、そこから逃げるように再び空に上がる。その場に居たら恐らく壁のように突き立ってきた海に呑まれていた事だろう。
「いったい何が!?」
「海が……割れた……だと!?」
高くそびえ立つ海と海の壁の間にはヤエが居た。おそらくヤエが魔法を使っているのだろう。そこでナナセがハッと気づく。
「ヤエ……まさかこれが目的で飛び降りた……?」
もしかしたらヤエは、二人が焦り我を失うことも、近くをクロレシアの船が通っている事も全て計算ずくだったのかもしれない。船を巻き込まないよう割れた海が徐々に階段のようになり、そこを歩いて船に乗り込んでいってしまった。
「くっ……海の壁が邪魔で船まで近づけないっ……」
「あいつ、クロレシアへ帰るつもりか……?」
ヤエが船の中へ入り海が元通りになると、桔梗は静かになった海面を眺めたまま呟いた。
「ヤエ……どうしてクロレシアなんかに……」
例えあの船から連れ帰っても恐らくヤエは再び同じことをするだろう。それどころか今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。今はもう妹の考えすら分からなくなっていた。
――――☆☆☆☆――――☆☆☆☆――――☆☆☆☆――――☆☆☆☆――――
「んふ、んふんふ、とうとう二人っきりだねシェナおねぃさん♥」
「あの、ずっと気になっていたのだけど、そのおねいさんというのは……」
俺達がスヴェルの谷から帰ってきて皇帝陛下に報告をし、ニタに案内されるままにシェナの部屋の前まで来た途端、聞こえてきたセリフがそれだ。すぐにノックをして入室の許可を得たと同時に俺は無言でテンに近づいてげんこつを落とした。
「ってぇ~~~。何すんだよ、クソうっしー!!」
「土産だ。受け取れ」
ニコーっと笑ってやる。帰って来てみれば街の随所が焼け焦げてるし破壊されてるし、あの金髪の女騎士は町を鎮めるのでいっぱいいっぱいみたいな感じで駆けずり回ってるし、ナナセも桔梗も居ねーし、お前らは何やってたんだって程サレジストの街は酷いありさまだったんだ。これぐらい当然だろう。
「シェナ、何があったか報告しろ」
「はい」
ニタに促されるままシェナは報告を始めた。それを俺達も聞いてたんだけど、シェナの口から語られたのは信じられない事ばかりだった。あのヤエが爆弾仕掛けに来てた奴でナナセと戦ったとか、嘘だろって報告の間中ずっと目を見開いてた。
だけどテンが否定しないってことはまず間違いないんだろう。俺は苦々しい気持ちで呟いた。
「だからナナセが居ないのか……。どうせ港町まで連れてってるんだろ。無事辿り着いてるといいな」
俺の言葉にテンもうなずく。
「そういう訳だからぼくはシェナおねぃさんと禁書の解読進めるよ! うっしーもどっか行っていいからね!!」
「なら俺が鍛えてやろう」
なぜか力のこもったテンの言葉に不安を感じたが、俺もまだニタに鍛えてもらいたい思いはあったから暫くは二人の言葉に甘えることにした。もちろんタケルはテンの元に残して、だけどな。
ニタとの修行を始めてからどれぐらい経っただろう、しばらくして落ち込んだ感じでナナセと桔梗が戻ってきた。
「ああ、うっしー……戻って来てたの……」
「あ? どうしたんだよ、そんな食あたりしたみたいな顔して。トイレなら早く行けよ」
俺の質問に二人の表情が一気に呆れに変わった。あれ、俺何か変なこと言ったか? 俺にはお構いなしに、ナナセがため息をつきつつ答えてくれる。
「君の下品なセリフを聞いたら一気に目が覚めたよ。……ヤエが、クロレシアに戻った」
「あ!? クロレシア!? 港町じゃなくて!? それでいいのかよ!?」
「いいわけないだろ!? だけど……引き止められなかったんだ。フレスの上で考えてたんだけど、多分僕が戻る場所を守るために帰ったんだと思う」
ナナセが苦しそうに顔を歪めた。そんなナナセを見ていたら俺まで苦しくなってくる。お互い想いあってるのに何ですれ違うんだろう。大事に思ってるからこそすれ違うなんておかしいだろ……。それでも今は自分が何か出来るわけじゃないって分かってるから。だから俺はナナセに向かって言った。偉そうに言える立場じゃないってのは分かってるんだけどさ、けど言わずにはいられなかった。
「ヤエは生きてるんだろ。今俺達が出来る事……やろうぜ」
「そうだね……」
ナナセも渋々ながら納得したのか、うなずいてくれる。
今俺達に出来ることって言ったらやっぱテンの禁書の解読、かな。それしか思い浮かばねー。
その日からしばらくはニタに修行してもらいながら禁書の解読に励んだ。励んでたのは俺じゃねーけどな。俺は、まぁ……邪魔になるだろ? 頭使うことに関しては役立たずだって分かってるからさ。見守ってた。
――――☆☆☆☆――――☆☆☆☆――――☆☆☆☆――――☆☆☆☆――――
「全部分かったーーーーーーーー!!!!!!」
ある日の朝、めちゃくちゃでかい声で叫ぶテンの声で目が覚めた。覚めたは覚めたんだけど、なんだか頭がはっきりしなくて目を開けたままぼんやりしていたら、いきなりタケルの顔が俺の目の前に現れる。あまりにも驚いて尻で後ずさった。
「お、お、おま、いきなり人の領域に入ってくるなよ!?」
おかげで一気に目が覚めたわ、くそ。シェナの部屋とはいえ一応寝る場所は布で分けてたのに俺にプライバシーはねーのかよ!?
ジト目でタケルを見つつ慌てて布団代わりの布をすっかぶる俺に、タケルは渋った声でもらしやがった。
「ちぇーっ上半身ぐらい裸で寝ててくれたらよかったのにぃ。そうしたら……うふ、くふふ」
お前、最近テンと一緒に居すぎて似てきたんじゃねーか? やや恐怖を覚えつつ仕切った布の外に追い出すと、ちゃちゃっと着替えを済ませて外に出た。
たとえ寝ている間でも油断するな。なぜか頭の中でニタの言葉がよみがえる。ああ、マジでそうだよな。うんうんとうなずきながら、俺は先に来ていたみんなの元へと近づいていった。桔梗、ナナセ、シェナにニタがテンを囲むようにそこに居た。俺とタケルもテンの向かいの方へと歩いて行く。つーかテンのヤツめちゃくちゃ嬉しそうじゃねーか。俺もなんだか嬉しくなってテンの前に笑顔で腰を下ろした。
「解読できたのか?」
「解読っていうか、ぼくが昔の言葉思い出してただけなんだけどね~」
自慢げにそう言うテンだったが、お前が忘れてなければもっと早く分かってただろうよ、という言葉は飲み込んで先を促した。
「じゃぁ禁書の内容、軽くかいつまんで話すね。ぼくの禁書は第一巻。世界の成り立ちとぼくら精霊の役割ってところだね。この世界は魔力がうまく流れることによって成り立ってるみたい」
「そうだろうな」
このサレジストが魔導砲によって荒野になっていた事を思えば言っていることもなんとなくわかる。納得してさらに続きを促した。
「魔力の流れが狂わないように調律するのがぼくら精霊とレガルの民って書いてあったよ。ぼくそんな役割全く覚えてないんだけどね~」
「レガル!!」
ずっと引っかかっていた、タケルがたった一つだけ覚えていた言葉だ。民ってことはレガルというのは村の名前か何かか。俺はタケルの方を見た。あいつは何かを気にするでもなくただテンの言葉を聞いていただけだったが。
「大地の腐敗と”紋章持ち”については何か分かったのかい?」
ナナセがいきなり身を乗り出してテンに問いかけている。ってか、冷静さを欠いて切羽詰まった感じのこんな聞き方、いつものナナセじゃねーよな。妹と何か関係があるのか? 良く分からなかったが俺はあえて突っ込まずテンに視線を戻した。テンも同じように戸惑っていたみたいだけど、俺の視線に気付いたのか一つうなずいてナナセの質問に答えていく。
「う、ん……。何かをすると腐敗の恐れがある……とか、次の巻に魔導砲の作り方を記しておく、とかそんな事は書いてあったけど、詳細はなかったなぁ。ノワールが持ってる残りの三巻にはもしかしたら書いてあるかもだけど……」
テンの言葉を聞いた後、ナナセは肩を落として乗り出していた体を元に戻した。そんなに腐敗が気になってたのか? こっちの方が驚きだ。
「しかし、魔力の流れと大地が関係しているのだとしたら腐敗もそれと深くかかわっているのではないか?」
桔梗が顎に手を当てつつ意見を述べる。そうだよな。だとするなら……。
「レガルって町……いや、多分村か。それがどこにあるのかは分かるのか? そこに行ってみるのが一番だと思うんだが……」
腐敗についてだけじゃない。タケルの事についても行ってみたいって思ったんだ。
「レガルはここから北東の方角だよ。だけど分かるのはそれだけ。どこにあるのかとかは詳しく書いてなかったんだ。それでも行くの?」
聞くまでもねぇ。俺はコクリとうなずいた。こんなとき一番に反対しそうなナナセもただ黙ってうなずいてくれた。こいつも真剣に知りたいって思ってくれてるんだ。一番関係ありそうなタケルは相変わらずキョトンとしたままだったけどそれでもいいと思った。知りたいと思ったのは俺のエゴだからさ。
「じゃ、さっそく出発だな! ナナセの魔力がレガルまで持つかも分からねーし、オリオ達の事も気になるから一旦港町で休んでから進もうぜ」
港町に寄りたくてそう言ってみたけど、俺の意見に反対するやつは誰もいなかった。俺の気持ちが通じたのかは分からないけど、ありがたい事この上ない。
それじゃあ今すぐ出発……と言いたいところだったけどここにはずいぶん世話になったし、ちゃんと別れの挨拶はしたかったから、色々考えて翌日皇帝陛下に報告してからサレジストを発つことにした。
「……もう行ってしまうのか。少し寂しいのぅ」
でかい腹を揺らしつつサレジストの皇帝陛下が俺の目の前に来た。今はもう外に居てナナセがフレスヴェルグの召喚のため集中に入ってる。皇帝陛下の他にはシェナとニタが見送りに来てくれてた。俺達三人は”紋章持ち”だけど、今までの功績と精霊が居るからって事であの地下に戻されることもなかったんだ。これで本当にサレジストともお別れだ。少し名残惜しくなって皇帝陛下の頭頂を見つめた。ああ、ソフトクリーム食べたい……。
「お前の目的が達成できることを願う」
ニタもこちらに近づいて来る。ってか相変わらずカッコいいこと言いやがるよこいつは。ホントここまで来たら嫌味だよな。それでもこいつには色々世話になったから最後に礼を言って頭を下げた。
「アンタについて来てもらえたら百人力なんだけど……」
まだフレスヴェルグは現れなくて時間があったからつい思った事まで口に出してしまった。色々世話になって馴染んだせいかな。それだけじゃない、教えてもらったことも沢山あったからだ。剣の事だけじゃなく、人として大事なことも教えてもらえた気がしたんだ。
「俺にはこの国を守る義務がある。陛下を置いてここを出るわけにもいかないからな」
あー、まぁ、そうだろうな。ちらりと俺の真下にあったソフトクリーム頭を見つめる。確かにこの人を一人で置いていくのは心配だろう。納得してうなずいた。
そのまま顔を上げた直後、ニタはなぜかテンの方を見ていた。殺気とは違うが明らかに憎しみがこもったようなあの視線だ。
「アンタ、精霊に恨みでもあんのか?」
聞いたらニタは首を横に振って答えた。
「いや、精霊にというよりあの男に、だ。奴は全てを無駄にしている」
無駄? と聞いたらニタは拳を握り締め、せきを切ったように語り出した。
「あれほどレースやフリルが似合いそうな容姿などそうそうないのになぜあんなシンプルな服を着ているのだ!? 惜しい、惜しすぎるではないか!! いっそ無理やりにでもレースをあしらってやりたいと何度思った事か!!」
……サレジスト……。やはり良く分からない国だった。ちょうどフレスヴェルグが召喚されたのを確認して、俺はニタから少しずつ距離をとった。
「レースやフリルが好きならアンタが自分でつければいいだろ」
「やったが似合わなかったから言っているのだ!! あの男の容姿であったのならば俺だとてっ……」
……………………やったのかよ。俺はそれ以上言葉が出て来なくて、フレスヴェルグの上にそっと乗った。続いて乗ろうとしていたテンにニタが声をかける。え、マジかよ!? こんな所で諍いはやめてくれよ、と思ってたらニタはテンに何かを渡した。
「餞別だ。白い髪がなかなかうまくいったと思っている」
「え、白い髪って……もしかしてシェナおねぃさんの人形っ!? うふ、うふふ、こういうのって無駄に服脱がしたくなるよねぇ」
嬉しそうにニタからそれを受け取ってテンはフレスの上に飛び乗ってきた。そんなもの渡していいのかよ……と思いながらも、どれ程の出来栄えか気になって俺もテンの手の中を覗き込んでみた。嬉しそうにゆっくり開いた手に握られていたのはふくよかな腹、上向きの鼻、ソフトクリームのように頭頂付近にのみ盛られた白い髪。
「なんだ、サレジストの皇帝陛下かよ……」
六十過ぎのオッサンの人形だった。
「い、ら、ねぇぇぇーーーーー!!!!」
さすがに本人目の前に投げ捨てることも出来ず、フレスヴェルグに叩きつけられる皇帝陛下の人形、空にテンの悲鳴がこだました。
「ニタとやら、どうせならシェナと付き合ってみてはどうだ?」
桔梗もフレスに乗り込みつつ、からかうようにそう告げた。桔梗なりの別れの言葉なのかもしれない。時間が桔梗の心の傷を多少なりとも癒してくれたのか、最近は以前のように振る舞うようになってきていた。正直ほっとしてるよ。タケルが最後に乗り込んだのを確認したと同時にフレスがふわりと浮き上がっていく。
「冗談はよせ。俺にそんな趣味はない」
俺達を見上げながらニタが淡々と答えた。そんな趣味って? と不思議顔で居たらシェナが珍しく不機嫌に答えてきた。
「私は男ですから」
「男ぉぉぉぉーーーーー!!!???」
飛び立っていくフレスヴェルグの上、今度は俺とテンの悲鳴がこだました。人は見た目じゃない、ここではそんな事を学んだ気がしたぜ……。抜け殻のようになった俺とテンはしばらく動けなくなってた。