第四十七話 禁書開放
ウッドシーヴェルがサレジストの皇帝陛下と謁見している頃、出来るだけ人目につかないようにと壁の影に隠れていた四人だったが、ナナセがとうとうしびれを切らして立ち上がった。
「タケル、少し話したいことがあるんだけど」
「え、な、なに? あたし??」
「ちょっと来て」
それだけ言うと、ナナセは壁の影から出て行った。タケルも慌てて後を追う。いったい何の話だと不思議に思いながらもナナセを止める言葉など何一つ出てこなかった。
十字路をいくつか通り過ぎ、角を二、三か所曲がった目立たない影になっている通路で、ようやくナナセが足を止めた。つられてタケルも足を止め、ナナセを見上げる。その表情は眉根を寄せ、厳しい表情を作り上げていた。
「ど、したの……?」
タケルは不安げに問いかける。どう見てもナナセは怒っているように見えたのだ。
「お腹。ただの腹痛じゃないよね? どうして僕らに隠すの? 僕らはそんなに頼りない? タケルにとってその程度の存在なの?」
「違うよっ……!!」
ナナセの質問のシャワーにタケルはただ否定の言葉を告げることしかできなかった。違う、確かに違う。その程度の存在なわけがない。だけど本当のことを言ってしまえば今の自分が壊れてしまいそうで言えなかった。
「ナナセどうして……どうして分かったの? もしかして、うっしーもテンも知ってる!?」
「僕は君をずっと見てたからだよ! いっそ皆に言ってしまいたかった。でも君がそれを望んでないと思ったから……。だから言ってない。けどもう限界だ、苦しんでる君を見ているだけなんてできない! 今からでも遅くないよ、外に出たらテンに回復してもらおう?」
うっしーに、とはとても言えなかった。タケルの気持ちを知っているから。だけどタケルはその提案すらをも首を振って拒絶した。
「回復魔法は……効かなかったの」
「え……」
タケルは自身の服をめくり上げると、腹部をナナセに見せた。港町でナナセから力を貰ったばかりの時は下腹部の一部だった腐敗が、今は胸の下肋骨辺りから太ももの付近にまで広がっている。もう少し広がればもしかしたら歩行することすら難しくなるかもしれない。
「腐敗……している……?」
「大地とおんなじみたい。だからあたし、そのうち全身腐って死んじゃうと思うっ……!」
改めて考えたら恐怖で膝の力が抜け、タケルはその場にへたり込んだ。
「ごめん、ごめんねナナセ。お願い、うっしーには言わないでっ……。あたしはあたしのままでいたいっ……。だってあたしは兵器じゃないから。だからうっしーの中では最後までおバカで元気なタケルのままで居たいのっ……」
タケルが必死でナナセの服を掴み懇願する。その目からは自然と涙がこぼれだしてきていた。溢れ出る滴を抑えることが出来ず、タケルはただうつむいて言わないでと願い続けるしかなかった。
そんなタケルを見てしまったらナナセは押し黙るしかない。大地の腐敗と同じなら治す術などないのだ。それを今皆で探しているのだから……。タケルの腹部の腐敗がどの程度のスピードで進んでいるのかは分からなかったが、恐らく大地よりも残された時間は少ないだろう。こうしている今も刻一刻とタケルに死が近づいているのかもしれなかった。そう思ったらかける言葉全てが薄く思えてしまう。
「こっちこそ、ごめん。戻ろう……」
ナナセはそれだけ言うと、タケルが落ち着くのを待って先ほどの二人が居る場所まで戻っていった。心の中では大地腐敗の治し方をもっと真剣に探さなければならないと誓いながら。
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「何それ! 最っ低!!」
皇帝陛下との謁見を終え地下に着いてすぐ、爆弾処理とガルヴァ退治調査、両方を押しつけられたっていう事情を説明した途端の第一声がテンのそれだった。桔梗もナナセも呆れ顔で俺の方を見てくる。仕方ねーだろ!? 俺だって好きでこんな役割請け負ったわけじゃねーよ!! 渋い顔をしながら俺は言葉を続けた。
「とにかく拒否権はねーんだ。ここから出たきゃ二手に分かれて爆弾とガルヴァって魔物の調査をどうにかしないといけないらしいからな」
「……ガルヴァはその爪に懸賞金がかかってるってほどの強敵だよ。しかも魔法も効かないって話だし。それが一体じゃなくて大量に徘徊? うっしーは相変わらずバカだね。爆弾処理班と二手に分かれ……って死にに行くようなものじゃないか。ただでさえ大地腐敗の治療とはかけ離れて来てるっていうのに」
ナナセがジト目で俺を見てくる。あーあー、俺がバカだなんてお前らとっくに知ってるだろうがよ。大体ガルヴァ退治の調査は俺が決めた事じゃねーんだよ。
責めるつもりで未だ無言のまま俺の後ろに居たニタを横目で見てみる。ギロリと睨み返されただけで一言もなかったけどな。
「とにかく、ここから出るにはそれをやるしかないんだ。ガルヴァに魔法が効かないんなら桔梗は爆弾処理班、タケルはガルヴァ退治調査斑になるんだろうけど……」
「それじゃぁ、僕がタケルと……」
いつものようにそう言い出したナナセを見て、俺はついタケルの腕を掴んだ。結託してる二人を想像して何故かもやっとしたんだ。タケルが一瞬驚いた後に嬉しそうに笑ってくれたから、すぐにそのモヤモヤもなくなったんだけどさ。
「俺がタケルと行く。ガルヴァって魔物が強敵だってんなら回復役は居なきゃダメだろ。爆弾の方だってクロレシアの奴らと戦わなきゃならないかもしれないんだからテンは桔梗と爆弾処理班だ。で、二人だけだとめちゃくちゃ心配だからナナセも爆弾処理班に居てくれ」
ちょっと、強引な分け方だったかな……。けど今回ばかりはいつものように行きたくなかったんだ。自分でも良く分からなかったけど、気持ちに正直に動いてみた結果だった。
「えー。ナナセいらね」
テンがそうぼやいた瞬間俺のチーム編成は間違ってなかったって確信した。ナナセ、頼むから二人の間に居てくれよ。そう思いながら勝手に応援の視線を送ってしまう。しかもめちゃくちゃいいタイミングでナナセがため息をつきつつうなずいてくれたもんだから、別に俺の応援にってわけじゃないんだろうけどついつい頼もしく思ってしまった。
「決まったならさっそく出発する。爆弾処理班については伝言しておいたから間もなくシェナが来るはずだ。それまで三人はここに居ろ」
ニタが予告もなくいきなり俺とタケルの腕を取ると、歩き出そうとするからあわてて引き止めた。
「ちょっと待ってくれ!! まだやることがあるんだっ……」
俺の腕を掴んでいるニタの手を引きはがし、テンの方へと近づいていく。これだけはやっておきたいって思ったから……さ。
「契約……解除するんだろ?」
真っすぐ見つめたら覚悟の視線で見つめ返された。
「うっしーがどうなるか分からないけど、いい?」
「え……」
それは聞いてないぞ、と思って不安の表情を見せたらテンに笑われた。
「うっそだよ、バーカ。鍵、ちょうだい」
テンが手のひらをこちらに差し出してくる。初めて出会った時、俺がテンから奪った鍵だ。あの時はこんな事になるなんて思ってもみなかったよな……。これは契約の証……。
俺は首から下げていたそれをそっと外すと、テンの小さな手のひらの上に乗せた。契約中に鍵に触れると相当な痛みを発するはずなのに、テンは少し呻いただけで何も言わずただ歯を噛みしめていた。
「これからはうっしーがケガしても分かんないよ」
辛そうに顔を歪めたまま、少し寂しそうにそうぼやく。長い間契約してたもんな、俺も少し寂しいよ。気持ちを込めてテンの髪を掻きまわした。
「うぜぇ……」
俺の手を振りほどくことなくそれだけ言って、本の鍵穴に俺が渡した鍵を入れて回した。途端、辺りに光が満ち溢れる。テンの口から、俺の口から、無意識に同じ言葉がこぼれていった。契約解除の呪文か何かだろうか……。寂しさはあったけどこれで俺達が離れるわけじゃないんだろ? そう思ったら嬉しかった。
すべての言葉を言い終えると、光が収束していく。そのまま自然と巨大な本が開いた。
「……こ、れ……!!」
テンが開いた本の中身を見て驚愕の声をあげる。俺も覗き込んでつい声に出してしまった。
「なんだこりゃ!?」
ミミズ……のように這いずり回った文字だ。読もうにもどう読んだらいいのかすら分からない。ナナセと桔梗も覗き込んできた。
「これは古語だな。しかもかなり昔の……。私ですら少ししか分からない……」
「数百年以上前の物なのかな……? 解読書でもあればいいんだろうけど……。テン、君も読めないのかい?」
「ううう~。残念ながらぼく興味ない事はすぐ忘れちゃうの~。おねぃさんの胸のサイズなら一度聞いたら忘れないんだけどね~」
……こいつ、呆れてものも言えねーわ。桔梗とナナセも俺と同じ表情でテンを見つめていた。
その間を縫うようにいきなりニタがしゃしゃり出てくる。何なんだと俺達三人の視線がニタに集まった。
「古語ならシェナが詳しいはずだ。解読書も何冊か持っていた」
「うっそマジで!? これはもうぼくとシェナおねいさんの運命としか!! あ、ナナセ爆弾よろしく。おねぃさん! 一緒に解読手伝ってね!」
ルンルンとスキップでもしそうな勢いのテンに呆れが治まらない。ナナセの口からそれはそれは深いため息が漏れた。
「桔梗、解読頑張るそうだからテンに夜食でも作ってあげて」
ナナセッ……おまえぇッ……!! い、いや、ここは何も言うまい。俺が脂汗を流しつつテンの方を見ていたら、テンは慌てたようにナナセに縋り付いていた。
「ばっ爆弾処理が先だよね!? 睡眠不足はお肌の敵だし、ぼぼ、ぼく爆弾処理頑張るよ! ちゃんと夜更かしもしないからぁ!!」
言いたいことは分かるが会話の順序がめちゃくちゃだ。テンですら桔梗の闇鍋には相当懲りたらしい。
「ふむ、夜食か……。どれ程の腕前か、一度食してみたいものだ」
…………やめておけよ、ニタ。桔梗の料理は殺人的な腕前だ。そう思ったが俺の口は動かなかった。
「と、とにかく俺達はガルヴァ退治……だろ? 行こうぜ」
促すようにニタの背中を押し、俺は歩き出した。ぽかんとしていたタケルに一言だけ声をかけたら、すぐに後をついてきたから安心する。俺、なんでこんな不安になってんだ……? チラッとタケルの方を見たら、いきなり目が合って何故か慌てて視線をそらしてしまった。自分の気持ちなのに良く分からない現象だ。
もやもやしたまま俺達三人はサレジストの城下町を出た。
サレジスト城を出てから暫く歩いたが、そこから見える景色はほぼ荒野に近かった。枯れた木々、ひび割れた大地が辺り一帯に広がっている。
「サレジストってこんな荒れてひどい国なのか……?」
あまりにも見ていられなくて、俺はニタに問いかけた。城の敷地内はあんなに緑豊かだったのに、他の村や町がこんな状況で生活しているかもしれないって考えたら耐えられなかったんだ。
「……いや。元は緑豊かな土地だった。クロレシアから放たれた魔力の塊のせいでこの辺り一帯の魔力の流れが狂ってこうなったんだ。暫くすれば元に戻るだろう」
「狂ったなら待たずに治せばいいのにね」
タケルがきょとんとした表情でニタに言う。確かにそうだよな、魔力の流れが見えるんなら治すのも難しそうに思えない。だけどニタは渋い表情になって答えた。
「出来るものならやっている。クロレシアから放たれた魔力には、人の念がこもっているのか何故かうまく使えないんだ。使える分だけでは相殺させるだけの魔力量が足りない。同等の力をぶつけなければ、こちらの放った魔力と反発して暴発するか霧散して終わるだけだからな」
えーっと……、悪いんだけど俺未だに相殺について良く分かってないんだよな……。タケルも同じなんだろう、キョトンとしたままニタを見ていた。
「……すまない、無駄話をした」
いや、そうじゃなくて! もっと分かりやすく説明してくれよ!? そう言ったけど無駄だったんだろう、ニタはそのままだんまりを決め込みやがった。だけど今の話でこれだけは分かった。
「相殺も万能じゃないんだな……」
すべての魔力を打ち消せるわけじゃない。弱点はあるってわけだ。
「ねー、うっしー。そーさいでも爽快でもいいけど、お腹すいたー。あたしずっとご飯食べてなかったんだよね」
そう言えば俺も腹へって来たな。と思ってる間に鳴った、相変わらずのタケルの腹の轟音にニタが驚いて辺りを見回した。
「敵襲じゃなくてこいつの腹の音だよ。それよりこの辺りに何か食べられそうなものあるか?」
「そ、そうか、腹の音か。そう言えばお前たちは兵士ではないから携帯食は持ち合わせていないのだったな、忘れていた。すまないがこの辺りは見ての通り荒野で何もない。恐らくスヴェルの谷付近に行けば野生の獣も多いし木の実も豊富だろう。そこで調達すればいい」
それだけ言うとニタはすたすたと歩き出した。ちょっと待て、スヴェルの谷って確かガルヴァって魔物が大量に徘徊うんたらって言ってた場所じゃねーのか!? そこで食料集めって、どんだけヤバいか分かってんのかよ!?
そうは思ってもニタは先へ進んでいくし、タケルもヘロヘロしながらニタに続きやがった。あの野郎俺達を殺すつもりか……。心の中で文句を言いつつも、俺もニタの後に続いた。