第四十五話 奴隷の住処
「くそ、片腕使えないと不便だな……。腕くらい回復してくれてもいいのによ」
「それがサレジストの奴隷の現状だから」
呻く俺の横でテンが淡々と告げやがった。それは分かってるんだけどさ……。ずきずきと痛む腕がどうにもならなくて、まどろこしくて仕方がない。
「あ~ん……。うっしーの腕が無事だったらあたしもお姫様抱っこしてもらったのにぃ」
俺の無事な方の右腕に縋り付いて来るタケルは無視だ。ナナセが抱き上げている、未だに気を失ったままの桔梗をうらやましそうに見た後、こちらをチラチラ見てくるタケルの表情が恐怖に感じたのは俺だけだろうからな。ナナセも肩に担ぐとかすればいいのに貴族が板にでもついているんだろう、あいついきなり桔梗を横に抱きあげやがったんだ。
結局俺をこんな目に合わせた金髪の女騎士は、シェナという審査官に厳しく諫められ大人しく檻の外へと出て行った。どうやら俺達は危険な奴じゃないと分かってくれた……というか地下に行くのを嫌がってたみたいだからな。それからギャーギャーと言っていた貴族たちは、シェナの審査で”紋章持ち”ではないと判断されたみたいで、俺達を見下すような表情を浮かべたまま女騎士について出て行きやがった。なんだかああいう態度、関係ないはずなのにムカついた。俺達はただ紋章を持って生まれただけだってのにってさ。だからかな、この国の奴隷制度なんてぶち壊したくなってきた。
俺達はシェナに案内されるまま檻の先へと進んでいく。もちろん貴族たちが出て行った方とは逆の進路だ。左右の壁全体を塞ぐように閉じていた檻が上がった先はすぐ階段になっていて、地下へと降りる仕組みになっているみたいだ。恐らくらせん状になっている階段の隙間を檻と檻で塞いでいるんだろう。シェナが丁寧に案内してくれたからそれ以上誰かに何かをされる事もなく、さらに地下へと続く檻の前まで来た。
「この先が奴隷として捕らえた人達の住処。”紋章持ち”だけじゃなくて凶悪犯も居るから気を付けて」
「アンタ、なんで俺達に良くしてくれるんだ……?」
「……あの精霊の子に聞くといい。後で迎えに来る。それまで死なないようにね」
そのままシェナは俺達を檻の中へ進ませると、鍵をかけ直し振り返らずに上階へと戻っていく。奴隷の居住区……か。キョロキョロと辺りを見回しながら俺達は階下へ向かって歩き出した。
しばらく歩いて階段を下りきった先、そこの様子を見て俺は唖然とするしかなかった。
地下は一言でいえば凄惨としか表現しようがない様子だった。散らばっているのはゴミだけじゃない。口に出すのもおぞましいモノがあちらこちらに散らばっていたんだ。
「酷いっ……」
タケルがつい、そうこぼしてしまうのも分かる。地獄絵図ってのはこういうのを言うのかもしれないなって思ってしまうぐらいだ。
「うっしー……、ちょっとだけ……聞いてくれる?」
「あ?」
現状を見て珍しく遠慮がちに切り出したテンに、俺は不思議に思いながらも話を促した。ってか、こんな聞き方されたら逆に気になるだろ。とっとと話せよ。俺の思ったことが表情で伝わったんだろう、テンが苦笑しながら話を続けた。
「うっしーってホント分かりやすい。……ノワールはさ……ずっとここで暮らしてたらしいんだ。契約者は”紋章持ち”しかなれないから……多分ここで……」
こんなひどい場所で、奴隷として生きている奴らのそばで、ずっといたってのか……? だからあんなにサレジストを憎んでいたってのかよ……。そう考えたらぎゅっと胸が締め付けられた。
「ノワールの最後の契約者は、あのシェナおねぃさんの妹さんらしいよ。ノワールと親友だったんだって……。シェナおねぃさんは魔力の流れを読める能力のおかげでここから出られたらしいんだけど、でもその子は……シェナおねぃさんとノワールが目を離した隙に女騎士の暴力で命を落としたって話……。ノワール自身が守ってた本の封印が解けたのも次の契約者を探さなかったからなんだって言ってた……ううん、違う。きっと探せなかったんだ……」
「なんだよ……それ……」
ノワールは世界なんかどうでもいいって思ったんだろうな……。ずっとこんなおぞましい環境を見続けて、大事な奴まで殺されたら俺だって……。
「ノワールのやったことは許されない事だけど……。ノワールの気持ちも分かっちゃったからさ……。あークソ! 昔のぼくだったらそんな気持ち分かんなかったのにさぁ!」
叫んで俺を見上げてきた。いつもと違う表情に戸惑ってしまう。何かを覚悟したような、諦めたような……そんな表情だったんだ。
「ぼく、この本の封印を解こうと思う」
「はぁ!?」
意外な言葉につい叫んでしまう。だけどテンの表情からは冗談だなんてこれっぽっちも思えなかった。本当に本の封印を解くつもりなんだ。
「ノワールの狂気を止めてあげたいんだ。でも中途半端な気持ちじゃ止められないと思う。だから……うっしーとの契約もここまでだよ」
テンから、俺でも分かるほどのゆらゆらとした覚悟のような力が漂ってくる。本の封印が解かれれば世界が滅亡するって言ってたけど、それは本に書かれてる内容の事だろう。使う奴によってそれは良くも悪くもなる、だからきっとテンも覚悟を決めたんだ。俺は真剣なテンを見つめたままコクリとうなずいた。
「わかった……」
「うあぁっ!!」
契約解除しよう、そういうつもりだった。タケルがいきなり悲鳴を上げながら腹を押さえて倒れるまでは。
「タケル!? どうした!?」
慌てて駆け寄って肩に触れれば、その手を振り払い這いながら俺から距離を取りやがった。だけどお前、額に脂汗が浮かんでるじゃねーかよ……。調子でも悪いのか……?
「ご、ごめんっ……女の子の事情っ……!!」
それだけ叫んでタケルは壁の向こうに姿を隠す。お、女の事情だったら俺じゃどうにもできないだろうけど……。何故かナナセが鋭い目つきでそちらの方を見ていた。
「う……」
そんな中、ナナセの腕の中で桔梗が身じろぐ。覚醒が近いのかもしれないと、ナナセができるだけ綺麗な場所に桔梗を下ろした。こいつにも色々説明しないとな……。それから相殺についても、もしかしたら桔梗ならできる可能性があるかもしれないって言ってみようと思った。
いや、それ以前にタケルだ。女同士ならタケルの苦しみを和らげる方法を知っているかもしれない。そんな淡い期待もあった。
「あの兵士!!」
いきなりカッと目を開けたかと思えば、桔梗がこぶしを握り締めながら勢いよく起き上がった。あの兵士ってもしかしてガタイのいい奴の話だろうか? 俺と目が合い、今は別の場所にいる事に気が付いたのか桔梗はハッとしたようにまわりを見て、照れながら握りしめていた拳を解いた。
「……すまない。サレジストのでかい兵士にことごとく魔法を打ち破られてな……。どうにかしたかったんだがダメだったみたいだ」
「安心して。みんな無事だから」
「そう……みたいだな」
明らかにほっとした表情で辺りを見回していた。今いる場所のあまりにも酷い有様に顔をしかめてはいたが。とりあえずあの兵士が使っていた相殺について説明したら桔梗も苦笑いしやがった。そりゃそうだよな。
「まぁ……、その話については後でする。それより、タケルを診てやってくれないか……? ここじゃ回復魔法は使えないし、女の事情で調子が悪いみたいなんだ」
「へーき! へーきだってば!!」
「タケルが?」
隠れた壁の向こうを指差したら桔梗がゆっくり立ち上がってそちらに近づいて行った。何故かタケルが壁の向こうからワーワー言っていたが、俺だって心配なんだよ。どうにか元気になってほしかった。
暫くすると、変な顔をした二人が壁の向こうから出てきた。いったいどんな症状だったんだ……? 問いかけようと口を開くより先に桔梗が渋い顔で答えてきた。
「私には……どうすることもできないよ。今はもう治ったみたいだし、お前は気にするな」
そんな眉間にシワを寄せた顔で言われてもな……安心できるわけないだろ。だけどタケルも愛想笑いを浮かべて平気なふりしてるし、魔法が使えるようになったらどうにかしてやるしかない、そう思った。
「にく……。肉だっ……」
気が付けばずるずると、こちらに近づいてくる音があった。タケルが隠れていた壁よりさらに奥……そこからいくつかの引きずるような……これ足音、なのか? そんな音が向かって来ていたんだ。
「肉ぅぅぅっ!!!!」
叫びと同時に飛びかかってきた。いや、飛びかかってっていうよりフラフラと触れてって感じだな。それだけスピードが遅い。体力がないからなんだろう、そいつは骨と皮だけかと思うほど痩せこけていた。見てみれば素足の足の甲に紋章がある。そいつの背後にも何人かの同じ状態の”紋章持ち”が居た。
これがサレジストの、奴隷となった”紋章持ち”の現状……。見れば見るほど悲しくなる。同情して一瞬反応が遅れた俺にその”紋章持ち”が襲い掛かってきた。
ヤバいっ……! このままじゃ目を潰されるっ……。焦った俺の目の前で、その”紋章持ち”の腕がなぜか斬り落とされた。
「なっ……」
「死にたかったのなら謝る。シェナから事情は聴いている。陛下がお会いになるそうだ、お前たちのうち一名だけついて来い」
赤い髪に青銅の鎧……こいつ、あの時のでかい兵士じゃねーかっ……! 驚いてそいつを見ている間に、腕を切り落とされた”紋章持ち”は悲鳴を上げながらフラフラと走り去っていった。他の奴も恐怖で散り散りに逃げていく。そりゃそうだよな……回復できないならあんな傷、命とりだ。
「うっしー、謁見は君に任せるよ」
「お、俺ぇ!?」
驚いて声をあげれば当然だと言わんばかりにナナセがうなずいた。助けを求めて桔梗の方を見てみたけれど、あいつスイっと視線を逸らしやがった。くそ、面倒事は全部俺かよ!? 恨みがまし気にナナセを見たら盛大なため息をつかれた。
「そんな腕じゃここで皆を守る事もできないよね。ここを出れば魔力は溢れてるだろうし……回復ぐらいは許してくれるでしょう? サレジストのお方」
「……ニタ、という。回復だけなら許可しよう」
マジで!? この痛みが取れるんなら謁見ぐらいしてやるぜ!! 謁見なんてどうやればいいのかすらも分からなかったが、とにかく早く痛みをなくしたくて皆に背を向け先程下りてきた階段の方へそそくさと歩き出した。
「……なに? アンタもノワールの知り合い?」
突然背後で、テンの不機嫌丸出しの声がなぜか聞こえてきたから振り返ったけど。見てみればニタ……だっけ、アイツがテンの事をじっと見ている。殺意……ではないけど、それに似た何かを含んでるような視線だ。
「…………いや。何でもない」
暫くしたあと、テンから視線を逸らしそれだけを言うと踵を返した。そのまま俺だけを引きずり黙って階段を上っていく。サレジスト……良く分からない奴が多いな……。そう思ったがとにかくニタって奴について行くことにした。




