第三十九話 涙
「あああぁぁ!!」
俺が向かう先、そこから聞こえてきたのはそんな桔梗の悲鳴だった。急いで駆け寄れば桔梗の体にはいくつもの氷の刃が突き刺さっている。
「もー。邪魔しないでって言ってるでしょ!!」
「うざい」
言いながらノワールは振り返ることなく一番奥の部屋へと入っていった。
「桔梗」
「止めるな! 私はっ……私はっ……!!」
回復した俺の手を振りほどくように立ち上がる。そのままノワールを追って部屋に入ろうとする桔梗の腕を俺は掴んで止めた。今のままの桔梗じゃダメだって思ったんだ。
「タケルが言ってた言葉を思い出せ。さっき少し話しただけだけど、オルグはお前がノワールに復讐して喜ぶような奴だとは思えない」
俺の言葉に、桔梗はハッとして顔を上げた。そうだよ、きっとオルグは復讐なんて望んでない。
「なら私はどうすればいい……。この怒りを、苦しみを、どこにぶつければいい!? ようやく、あの人に会えたというのにっ……」
今にも泣きそうな、辛そうな表情で眉を寄せ俺に詰め寄ってくる。いっそ泣いてしまえば楽になれるのかもしれないけど、桔梗はそれすらもできないみたいだった。
「俺には……ごめん、分からない。だけどノワールにも何か事情があるみたいなんだ。だから俺はあいつを止めたい」
「あいつの事情などっ……!! 私はお前ほどお人よしじゃない、この怒りが治まった訳でもない。あんな女に同情などしないし何かの拍子で殺してしまうかもしれない。だけど、オルグは……」
桔梗は戸惑った表情のまま拳を握り締めてうつむいた。迷う気持ちもわかる。俺だってそうだったから……さ。大切な人を殺されて平気でいられる奴なんていないよ。だけど俺は……俺も桔梗に復讐なんてして欲しくなかった。だから迷ったままの桔梗を置いて扉を開けたんだ。俺がノワールを止めるために。部屋に入ってすぐ、誰にも開けられないように扉を土の魔法で固定すると、俺は部屋の奥に居たノワールを見た。
「違う……。アタシが知りたいのは、こんな事じゃないっ……!」
扉の先には黄色い大きな本を開いて読んでいるノワールの姿があった。あれが四冊目の禁書……か。あいつは力の高め方だと言っていたが、それとは違う内容だったんだろうか? 訝しげに見ていたら、ノワールがぼそりと呟いた。
「レガル……そうか、それが分かればっ……!」
レガル!? それってタケルの記憶に最初からあった言葉じゃねーか!!
俺はその事がもっと知りたくて、ノワールに問いかけようと一歩進んだ。それと同時に地面が揺れる。
「な、地震!?」
「あはは! もしかしてまた腐敗の進行かも……ね!」
ノワールのその言葉の後にいきなり風が舞った。先程まで頭上にあった天井が吹き飛ばされていく。
「内容は役に立たなかったけど、この力は便利。これだけでも使わせてもらうわ」
禁書とともにノワールの体も浮き上がっていく。あの黄色の禁書の力なんだろうか。止めようと駆け寄ったが一歩間に合わずノワールは空へと消えて行った。
そうしてどれ程アホみたいにノワールが消えて行った空を眺めてたんだろう。俺の意識を引き戻したのは扉を破壊する轟音といきなり伸しかかって来た扉の重みだった。しかもその衝撃に耐えきれず扉の下敷きになったら、さらに上から踏みつけられる。お、重てぇっ……! カエルのように潰れた声で悲鳴を上げたらタケルが謝りながら慌てて扉をどけてくれた。テメーが犯人かよ!? 痛む背中をかばいつつ立ち上がって文句をつけた。
「ごめ~ん。すぐそばに居るとは思わなかったんだもん」
舌を出しながらそう言うタケルを半眼で睨みつける。俺のこめかみにはもちろん青筋が走ってるからな。
けど何でだろう、こいつの顔を見たら不思議と落ち着いてきた。だからなのか、結局今回は許してやることにした。
「あれ? 桔梗はどこ行った?」
「破壊された天井と中に誰も居ないのを確認した途端何かを呟きながらフラフラとどこかに行ったよ。まったく、僕らがノワールに頼まれて契約者探してる間に何があったんだい? いつの間にかテンは居るし、あの亡くなってた緑髪の彼はいったい……」
「すまない、後で説明する」
それだけ言って俺は先程の部屋に戻ろうとした。桔梗がノワールを追っていないなら落ち着くまで待っていればいい。それに、オルグをそのままにしておけないと思ったから……。だけどすれ違った直後に聞こえてきたナナセの言葉に俺は足を止めた。
「タケル、腹痛はもう平気?」
「あ、うん! もう治った! ありがと」
「何だよお前、調子悪かったのか?」
タケルをじっと見てみれば、顔色は悪くなさそうだったから今は本当に平気なんだろう。けど気になってタケルの額に自分の手のひらをのせてみる。熱くはない……し元気そうだよな。そう思ってたら急にタケルの顔が赤くなり始めた。
「お前本当に調子悪いんじゃないのか?」
「へへ、へいきだってば!! テンに聞きたいことあるから早く行こ!!」
そのままタケルは先程の部屋へと向かって行った。俺も首をかしげながら後に続いていく。背後でナナセのため息が聞こえてきたが何なんだいったい……。お前ら俺の知らない間に結託でもしてんのか? 訳も分からないままオルグが倒れていた部屋に入った。
「うっしー、ちょっと手伝って。ぼく魔力切れちゃってて、自分の力だけじゃ持ち上げられない……」
テンが暗い表情でオルグに刺さったままだった氷柱を指差す。俺も無言でうなずくとすぐに手伝った。タケルとナナセも何も聞かずに手を貸してくれる。
「黄色の禁書、見た?」
「ああ……」
オルグから氷柱を引き抜いた後、力なくその場にへたり込んでうつむいたまま話し始めたテンに、俺もうつむいたまま顔を見ることなく返事をした。多分テンは今の顔、見られたくないんじゃないかって思ったんだ。俺の横に居た二人も黙ったままただ耳を傾けていた。
「あの禁書の精霊、女の子だったんだ。ちょっとヤエちゃんに似てた……かな。ぼく、すっごく大好きでさ。オルグに手伝ってもらって色々頑張ったの」
「そうか……」
いつもと違うテンの様子にただ相槌だけを打った。ここは冗談言ったりからかう所じゃないって感じたんだ。テンが自嘲気味に笑う。
「でもさー、その子別の男に恋しちゃったんだよね。しかもその男、禁書の新しい契約者になったの」
その事を聞いて俺は顔を上げてテンの方を見た。禁書の契約者って……、確か精霊を殺したっていう……。テンの話に嫌な予感が膨れ上がってきた。もしかしてそいつは……。
いきなり反応した俺が気になったのかテンも顔を上げてこちらを見てくる。俺の表情を見て事情を知ってると分かったんだろう、苦笑して話を続けた。
「そういうこと。そいつは彼女の気持ちを利用して近づいて来てたんだ。禁書を奪う事が目的だったとも知らず、彼女はすごく嬉しそうに契約したよ。ぼくも、全然気づいてなくて……さ。あの子が殺されるまでぼくそいつと仲良くしてたっ……!!」
オルグの横に座ったまま全身を震わせながら辛かった過去の話をしてくれるテンに、俺は何も返すことができなかった。男嫌いの理由がそんなところにあったなんて思ってもみなかったから、さ。驚きすぎて動けない俺とは別に、タケルが無言で近づいてテンの頭をくしゃりと撫でた。こういう時、ホントアイツは素早く傷ついた心にするりと入ってくるんだよな。すごい奴だって感心した。
「テン、頑張ったよ! いい子いい子。この人がオルグ?」
「子ども扱いしないでよ、もう……。うん、そう」
文句を言いつつも、テンは少しだけ顔を上げて笑った。
「立派な人だったんだね! じゃ、立派なお墓作ろう!!」
そのままタケルは立ち上がると、外に駆け出していった。俺もすぐに立ち上がる。
「俺も手伝うわ。今出来ることってこんな事だけだけど……さ、お前が早くいつもの女好きに戻れるよう協力する」
「ちょっとぉ……」
文句を言いながらも少しだけ嬉しそうにしているテンになぜかほっとした。
「僕がそんな男に見えるのか自分に問いかけてみるといいよ」
ナナセもテンにそれだけ言って外へと出て行く。テンが立ち上がってナナセの背中に向かって叫んだ。
「お前は騙すより騙されて泣くタイプだよバーカ!!」
そのままテンも一度だけ振り返り、オルグをやさしげな瞳で見た後外へ向かって走っていった。この時、あいつはもう大丈夫だってなぜか意味不明な確信を持ったんだ。
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桔梗はオルグがよく使っていた部屋に入ると、そこにあった使い古しの机の引き出しを開けた。オルグが言っていたことが確かなら恐らくここにメッセージがあるだろう。一つ一つ……、整理された引き出しの中身を机の上に出していく。そこの一番奥の奥に幾枚かの封筒がしまわれていて、その中の一つ、自身の名前が書かれたものの封を開けた。
シアン、卒業おめでとう。
ようやく君に堂々と愛を伝えることができるよ。
君に送った桔梗の指輪にはね、
『永遠の愛』っていう意味が込められているんだ。
はは、重いなんて言わないでおくれよ。
私はきっと、ここでずっと教師をしていると思う。
だからシアン、一緒にこの町に居て欲しい。
私と、君と、生徒たちと、
この学校で共に過ごしていけたらいいと思っているよ。
最後の一文を読んだ後、桔梗は自身の口元を手で覆いその場にくず折れた。
「ふざ……けるな。こんな文章でプロポーズだと……。当時の私では気づかなかったかもしれないだろう!? もっとハッキリ言ってくれれば良いものをっ……」
オルグからの手紙を掻き抱き、それでも辛そうに眉根を寄せただけだった。桔梗はうつむいたまま暫く物思いに耽った。
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オルグの墓を作り終え、手を合わせた頃になってようやく桔梗が中から出てきた。
「……桔梗。お前は……ここに、残るんだろ……?」
気まずげにそれだけを言う。俺との契約はこんな形でだけど終わったんだ。もう桔梗には俺達と一緒に行動する義理も名分もない。寂しい気持ちでいっぱいだったが俺達の元に引き止める理由さえ思い浮かんでこなくて、そう言葉を紡ぐしかなかった。
「私は……」
うつむいて何かを言おうとした桔梗の前にいきなりナナセが歩み寄っていく。何事かとぎょっとそちらを見た。
「事情は皆から聞いた。君の返事を聞く前に話があるんだ、来て」
いったい何を話すつもりなのか……。歩き出そうとするナナセに付いて行くつもりで足を動かしたら手だけで制止された。ついて来るなって事か……? くそ、話ってなんなんだよ……。めちゃくちゃ気になったがナナセにも何か考えがあるんだろう。俺は結局そわそわしながら待つことにした。
……あれからどれだけ歩いたのか、学校を出て森を進み、坂を上がり、桔梗はかなり戸惑っていた。
「おいナナセ、いったいいつまで……」
「もう着くよ。そこ……」
ナナセが指さした先、そこは木々が生い茂り岩が転がる道を最後まで上がった場所だ。そこから水飛沫が当たる音が聞こえてくる。あれは滝だろうと遠くからでも分かった。
「先に上って」
言われるままに桔梗は足場の悪い坂を上っていく。綺麗な景色でも見せて慰めるつもりか……と自嘲気味に笑いながら開けた場所まで歩いた。そんなもので慰められる訳などない、今はそんな気分ではないのだと思いながらも、たどり着いた場所を見渡してみる。
けれどそこにはきれいな景色どころか木と岩と滝以外、何もなかった。
「おい、こんなところに何があるというんだ!?」
「――――――」
「え……?」
ナナセが何かを話したが滝の音でかき消され何も聞こえてこない。それどころかいきなり片手を上げると、今上ってきた道を塞ぐようにニーズヘッグを召喚した。
こいつ不甲斐ない私を殺すつもりか、と桔梗は未練などないといった表情で目を閉じる。今の自分には死の恐怖など感じなかった。
「どうして泣かないの?」
「え?」
いつの間にか耳の真横にナナセの顔があって桔梗は驚いた後戸惑いつつナナセの顔を見て質問に答えた。
「私は……もう子供ではないよ。泣くなど……」
「泣くことに大人も子供も、男も女もないよ。辛いなら泣けばいい。涙は悲しみを中から出してくれるんじゃないかな。我慢してたら余計苦しいだけだよ」
そのままナナセは桔梗の頭を自身の肩に引き寄せた。
「ニーズヘッグが塞いでくれてるから誰も来られないし見られない。滝の音で君の声も聞こえないよ。こうしてれば僕にも見えないから」
そこからはまるでタガが外れたように桔梗は泣きだした。幸せだった頃や、今までずっと救う事ばかり考えていたこと、ようやく会えた時のこと、思い出しては辛かった想いを全て涙で洗い流した。そうしている間中、ナナセは黙って肩を貸していた。
ナナセ達が出て行ってどれ程経ったのか、フレスナーガの学校の外、俺はカタカタとあぐらをかいた膝を揺らしていた。
「遅ぇっ……!」
もう空が闇に染まりつつある。いったい何の話をしてるんだよ……。テンは未だにオルグの墓の前だし、タケルの腹は先程から酷い音を轟かせている。いい加減限界だと立ち上がろうとしたその時、ようやくナナセの姿が見えた。
「お前、いったい何の話して……」
そこまで言ってナナセの背後に存在感薄く居た桔梗の顔を見、それ以上言葉が出てこなくなった。桔梗の目元が赤く腫れあがり、どうやら泣いてたみたいだって気づいたんだ。
「おお、お前、何やったんだ!?」
俺の大声にテンとタケルも気づいたのか、こちらに近づいて来る。テンが桔梗の顔を見た途端、ナナセに飛びかかった。
「おまえっ……よくもぼくのおねぃさんを!! やっぱりヤローなんて信用できない!! 消え失せろーーーー!!」
「誰が君のだっていうんだい!? というか僕は何もしていないっ……!」
ギャーギャーやり始めた二人は置いておくとして俺は桔梗に向き直った。少し恥ずかしそうにしていたが隣で心配そうにしているタケルにも笑顔で答えていたし、見た感じ酷いことをされたわけじゃなさそうだったから安心する。桔梗がこちらを真っすぐ見てきた。
「心配かけてすまなかった。私にも、お前たちの手助けをさせてくれ」
「え?」
桔梗の意外な答えに間抜けな声が漏れる。桔梗が周りを見渡しながらもう一度俺に言い直した。
「こんな腐臭が漂う中じゃ気分も悪くなるだろうからな。大地の腐敗を治してこの学校を再建させたい。だからお前たちを手伝わせてくれ」
真っすぐに見つめてくる桔梗に、俺も迷う事なくうなずいた。
「せんせーーーーい!!」
そんな話をしていたら、遠くから子供の声が聞こえてくる。走って来たんだろう、すぐに三人の子供が姿を現した。
「あれ? オルグ先生は―!?」
そういえばフレスナーガの中に入ったばかりの時走って行く子供たちが居たよな。その時の子供たちだろうと察した。桔梗が子供たちの前にしゃがむと辛そうに笑いながら話しかける。
「オルグ先生は遠くへ急ぎの用事が出来て旅に出たんだ。ここは環境が良くないから暫くは他の街で過ごせる所を探そう」
それを聞いた子供たちも始めはキョトンとしていたが、漂ってくる腐臭に納得したみたいですぐにうなずいた。
「ナナセ、テン遊んでると置いてくぞ!!」
いつの間にか遠くの方まで行って戯れている二人に声をかけ、俺達はフレスナーガの町を後にした。聞こえてくる背後からの文句は全て聞き流しながら。
まずはこの大陸に最初に辿り着いた街に戻るのが得策だろう。そこで今後の話し合いをすることにした。