第三十八話 止められた刻
「もう! 邪魔しないでよ!!」
ノワールの行く先に土の壁を作り出し進路を塞いだ途端、彼女が叫んで振り返った。それと同時に飛んできた光の矢は桔梗が風の魔法で煽り、防いでくれる。その隙を狙って傷ついたままだった桔梗を治療した。
「……助かる」
「懐中時計を奪えばオルグがどうにかしてくれるらしい。手伝ってくれ」
目的だけを簡潔に伝え、すぐに土の剣を作り上げた。目の前にいきなり現れた闇に驚き剣を振れば、偶然なのかその闇が切り裂かれる。なんだよ、闇の魔法なのに物理的に斬れるのか。そのことが分かって俺は口角を上げた。
なるほど、ノワールの術はおそらく三種類。光の矢と現れる闇、それからもう一つの禁書の力であろう凍結の術。凍結の術をすぐ使わないってことは使いづらいってことなんだろう。闇は物理的に切り裂けるとするなら残るは光の矢だが、それならさっきみたいに桔梗の風で避けられるはずだ。
なんだよ、俺結構冴えてんじゃん?
注意するのは凍結の術のみだが使っている術によって光を放つ禁書が変わるなら油断さえしなければ防げるはずだ。
珍しく頭を使って戦ってる自分に自分で感動しているのはどうかとも思ったが、今は自分の勘を信じることにした。
「桔梗は光の矢と青い禁書が光った時はすぐに防御の術を頼む」
「はは、お前にしては珍しく考えてるじゃないか」
自分でも思ったことだが人に指摘されると複雑な気分だ。曖昧に笑ってごまかしノワールの方に集中した。
あいつは俺達が話している間に土の壁を破壊したのかすぐに先へ進んでいこうとする。そこを塞ぐように再び土の壁を作り上げた途端、闇に体が吹き飛ばされた。
い、今のは油断だ。心の中で言い訳しつつ気を取り直して剣を握ると、ノワールに向かって駆けた。
「邪魔しないでって言ってるでしょ」
「そっちこそ諦めろよ。サレジストと何があったかなんて俺には分かんねーけど、お前がやろうとしてるのは世界の滅亡と大して変わんねーだろ!!」
一つの大陸が滅べば世界に関わるかもしれない。そう言いたかっただけなのにノワールは顔に怒りの表情を張り付けると俺に光の矢を放ってきた。すぐに桔梗が魔法で防いでくれたが。
「アタシは世界が滅んだって構わない!! 大事な物なんてもう何もない!!」
「なんで……」
そんな事をいうんだって言おうとした。けどいきなり青い禁書が光を放つ。とっさに防御の術を全開にすると、桔梗もすぐに魔法を使ってくれた。
「アタシの事情に踏み込まないで。貴方には関係ない」
防御の術が解けた直後、光の矢が俺の足に突き刺さる。さすがの桔梗も間に合わなかったみたいだ。
「すまない……」
「気にすんな」
言いながら回復もせず俺はノワールに迫っていく。あいつの心が乱れてる今しかないって思ったんだ。目の前に現れた闇を剣で切り裂き、紋章に触れて土で作り上げた花びらでノワールの腕を切り刻んでいく。持っていた懐中時計がカシャリと床に当たる音を聞いて、俺はそのままノワールに足払いをかけた。
「なんで邪魔するのよ!!」
「悪いが俺は世界を救いたいんだ。そのために村を出てきた。だから……お前の行動を見逃すわけにはいかない」
忘れかけていた。世界を救う目的、失った彼らの為に英雄になるって決意。そうだよ、俺顔を上げて帰れるよう頑張らなきゃいけなかったんだ。復讐しようとしたり流されるままここに居たり。俺何やってたんだろうな……。ついつい苦笑が漏れた。
「世界なんか救ったって何にもならないの!! 問題なのは大地じゃない、人なんだから」
ノワールの言葉に一瞬ハッとした。そうかもしれないと思う所もあったから、さ。けど……。
「それでも、大地の腐敗を治すことで救われる奴らもいる。人が問題だって言うなら少しづつ直していけばいいだろ? 人は変われるんだ。頼むノワール、大地腐敗の理由を知ってるなら教えてくれ」
頭を下げて尋ねたが、ノワールはただ笑っただけだった。
「そんなの知らない。全部嘘だもの。契約者がいるってのも大地腐敗の理由を知ってるっていうのも。アンタがテンの契約者だから近づいただけ。今頃外ではテンが必死になってるんじゃない? アンタ攻撃したから激痛走ったでしょ?」
ノワールの言葉にそうだったと思い出した。テンは俺が死にかけると分かるんだよな。フレスナーガの中に入れないんだとしたらあいつは今……。俺は慌てて懐中時計を拾うと身動きが取れないようノワールを土の壁で囲んだ。これで禁書を奪われることもないだろう。
「どうにかできたな」
桔梗がほっと一息をついてオルグに近づいていく。オルグも柔らかな笑顔で桔梗の方へと歩み寄った。
「シアン、後で君に渡したいものがあるんだ。こうなってしまう前、もうすぐ卒業だった君達に書いたメッセージが机の引き出しに入ったままだったからね。ふふ、君にはプロポーズの言葉を書いたんだよ」
からかうようにそう言うオルグの笑顔に桔梗が珍しく赤面した。こっちまでつられて赤くなりそうだ。咳払いして二人に近づいていく。
「……どうでもいいからのろけは後にしてくれ。いや、俺が居ない所でしろ」
ぽりぽりと後頭部を掻きながらオルグに懐中時計を手渡す。二人も少し照れながら見つめ合い、すぐにこちらに向き直った。
「すまない。それじゃ……」
そうしてオルグの持っていた時計が光るのと、忘れかけていた未だ宙に浮いていた青い禁書が光るのは同時だった。一瞬戸惑ったものの慌てて守りの術を発動する。桔梗もすぐに術を使ってくれた。術が解けた頃にはノワールも自力で脱出したんだろう、俺が作り上げた土の壁が壊されていた。
「あはは! あんたたち油断してて笑える~。それでアタシに勝ったつもり?」
「この時計さえあれば、怖い物などないんだ。時は戻せる」
時計に力を注いだまま自信満々にオルグが言う。それと同時に再び青い禁書が光った。オルグがこれ程余裕の顔で言っているんだ、恐らく大丈夫だろう。俺と桔梗も安心して守りの術を発動した。
「そう。その時計とアンタの力は時を戻す。だからぁ」
そこで言葉を止めるとノワールは周囲にあった氷柱を術で折った。そのまま青い禁書がまた光を放つ。
守りの術越しに冷気が押し寄せ、そこに何かが刺さる音がした。恐らく先程折られた氷柱だろう。けど残念だな、ここまでは届かねーよ。余裕の気持ちで音が鳴りやむまで術を発動し続けていたら、いきなり衝撃が奔った。自身の体が徐々に痺れ始めてようやく思い出す。
ノワールのもう一つの……、俺を襲ったときに使ってた術だ。すっかり忘れていた。痺れと脱力感が俺だけじゃなく桔梗やオルグも襲ったらしい。桔梗は呪文を唱える口を、オルグは懐中時計を持っていた手を、光の衝撃にやられたみたいだ。オルグの手から懐中時計が離れていく。
「厄介なものは消しちゃえばいいの」
光の矢が時計に向かって降り注ぐ。痺れて動けない俺とは違って二人はまだ体の自由が利くらしい。桔梗がとっさに飛び出し、時計に覆いかぶさった。光の矢が桔梗にいくつも突き刺さる。
「あああ!」
「っ……!!」
「シアン!! すまない、すぐ安全な場所を作るっ……」
声すら出せない俺とは違い、オルグが桔梗に駆け寄り動く方の手で時計を取ると再び術を発動するため力を発した。
「んふ、それ待ってたの」
ノワールの嬉しそうな顔。嫌な予感がしてぼんやり霞む視界でとらえたのはオルグの真上だ。宙に一つだけ残ってた、ひと際大きな氷柱。それが勢いをつけて真っ逆さまに落下した。
「―――――!!!!」
相変わらず体がしびれて声すら上げられない。ノワール、あいつが消そうとしてたのは時計じゃなかった。消そうとしてた厄介なもの……。
ダメだ、体が動かないっ……!
ドスリと氷柱が勢いのまま背中からオルグの胸に突き刺さる。桔梗が血だらけの手を伸ばしたけれど間に合わなかった。
「あはははは! これで邪魔者は居なくなった! 禁書はもらっていくね」
ノワールが歩き出したのと同時に辺りを魔力を含んだ澱んだ風が駆け巡っていく。その風に運ばれてきたのか、腐った大地の悪臭が漂ってきた。もしかして時を止めてたオルグの魔法が解けたという事だろうか。だとしたらオルグは……。
くそ、体動けよっ……! ピクリともしない自身の体にだんだん腹が立ってくる。辺りには桔梗の言葉にならない悲痛な叫びだけが響いていた。そんな血だらけで傷だらけの状態で叫んでたら桔梗まで危ないっていうのにあいつはオルグの元へ這っていって必死で氷柱を掴んでいる。何なんだよ俺……、何もできない自分に歯噛みした。
「うっしー!!」
ノワールがその場から居なくなった頃、扉が開くのと同時に誰かが駆け寄ってくる。最初はタケルとナナセかと思ったけどぼやけたままの視界に飛び込んできたのは目の覚めるような金髪だった。
「いったい何があったのさ!? もしかしてオルグ……」
問いながらテンは真っ先に桔梗ではなく俺を治療してくれる。俺は体が動くようになると、テンにここであったことを簡単に説明しながら傷ついた桔梗を治療した。オルグは……やはりというか、もう間に合わなかった。テンが呆然と立ち尽くしたまま、もう動かないオルグを見ている。
「ノワール……あいつ、許さないっ……!」
治療したばかりだっていうのに桔梗はそのまま駆け出していく。あいつの気持ちも分からなくはなかったが、今のあいつかなりヤバいって感じた。相打ちにしてでも敵を討ちそうな勢いだ。俺は慌てて後を追おうとした。いきなりテンが膝をつくまでは。
「おい……」
「へーき。ちょっと、魔力切れだよっ……! ここ入ろうと思って結構無理しちゃったからさー」
声をかけるより先に説明してくれる。俺が心配かけたんだよな、と思ったら悪かったなって気持ちと、それとは別にちょっとだけ嬉しかった。後のは秘密だけどな。
「俺、桔梗とノワールを止めに行く。お前はタケルとナナセ探してきてくれ」
「何それ、いきなり命令!? 人使い荒くない!? これじゃ悲しむ暇もないじゃんっ……!」
「命令じゃなくてお願いだよ。それにお前人じゃねーだろ」
それだけ言って俺は駆け出した。テンもオルグと知り合いだとしたらここに居ても悲しいだけだろ。今は悲しんでる場合じゃない。それに早く桔梗を止めないと大変なことになりそうな気がする。急く気持ちを抑え、桔梗を落ち着かせる方法を考えながら俺は桔梗とノワールの後を追っていった。