第三十四話 ひと時の休息
宿の部屋に着いてすぐ、俺は備え付けのベッドにバタリと倒れ込むと、思った以上に疲労がたまっていたのかそのまま死んだように眠りについた。意識が途切れる前にナナセの苦笑のような声が聞こえた気がしたが、悪い……今はそれどころじゃない。
「……まったく、顔に似合って下品な寝方だね」
そのままナナセは部屋を出て階下へと向かった。
「でしょー! だからほんっとに困るんだよー!」
「あいつは物欲なさそうだからな……。それなら何か美味しい物の方がいいんじゃないか?」
「お揃いで持ちたいのにぃ……。うーん……食べ物かぁ……」
ナナセが階下に降りると、広間で女性二人が何かの話で盛り上がっていた。あまりにも照れて嬉しそうに話しているタケルが気になって近づいていく。
「おいしいものの話? ノワールはどこ行ったの?」
思いっきり今の話題に興味津々な顔をしているくせにハッキリ聞いてこないナナセに、桔梗は苦笑しつつも答えた。
「ノワールは何か用があるみたいで出ていった。タケルがうっしーに色々お礼したいらしくてな、プレゼントは何がいいかって話してたんだ。そうだ、男のお前にも聞いてみようか。何をもらうと嬉しい?」
「ぼ、僕がタケルから……? えっと……」
そこまで言って何を想像したのかナナセが急に顔を真っ赤に染め上げた。慌てたように顔の前で手のひらをうちわのようにして扇ぐと、ごまかすように咳払いをして続けた。
「な、なんにしても物をあげるなら買うための金銭が必要だろ!? 分かってる? 僕ら今文無しなんだよ?」
「えええ~~~!? そうなの!? うっしーみたいに奪っちゃえばいいんじゃないの?」
タケルのセリフに桔梗とナナセが同時に目を見開いた。桔梗が慌ててタケルの肩を掴み、諭すように言い募る。ナナセは額に手をやりため息だ。
「あいつっ……いったい何を教え込んでるんだ!? タケル、あのバカ男の真似は絶対にダメだ。それは罪だからな!!」
「そなの?」
可愛らしく首をかしげるタケルにナナセは脱力しながらも思いついた案を告げた。
「タケル、また一緒に芸をしよう! 投げ銭を貰えるかもしれないし、きっと楽しいよ!!」
「え、やる!! やるやる!! ね、桔梗!!」
嬉しそうに桔梗の腕を掴むタケルに、苦笑しながらも桔梗はその手をほどいた。
「少し……考えたいことがあるんだ。二人で行ってこい」
桔梗の言葉にナナセは嬉しそうに、タケルは少しがっかりしたように、宿を出ていった。
「蛍光の黄色はいったい何っ……!!」
変な叫びと同時にテンが目を覚ました。
「あ……れ……? ここ、どこ……?」
白い壁に白い天井、周りには薬品を入れる棚が並んでいる。診療所か何かか……、おそらく船の救護室から運ばれてきたらしいと察する。見渡せば白衣を着た老齢の医者らしき男が一人、机に突っ伏しているだけだった。テンは自分が寝ていたベッドから出て立ち上がると、近くに置いてあった自身の本を見つけてほっと息をつく。すぐに背負ってこんな場所にもう用はないと、その部屋を出た。
「体に痛みがないってことは、まだ近くに居るってことだよね……。か弱いぼくを置いていなくなるなんてサイテーな奴だよ、まったく……」
ぼやきながら歩いていると、ナースのおねぃさんを発見して場所を訪ねようとした。何故か恥ずかしそうに逃げていく。
「やだなぁ~、ぼくってそんなにイケてる? うふ、うふふ。恥ずかしがっちゃってぇ、可愛いんだから❤」
とはいえ、すれ違う女の人すべてが同じような反応で結局何も聞けないままテンは首を傾げつつその施設を出るしかなかった。
そこを出た途端、急激に嫌な気配を感じてテンはとっさに水柱を立ち昇らせる。辺りをきょろきょろと見まわした。
「なぁ~んだ、気づいてたんだぁ、あっぶな~い」
「その本……、ちょうだい」
声の主は向かいの建物の屋根の上に居た。だがセリフと同時に黒い闇の渦がテンの目の前に現れそのまま飲み込もうと咢を開く。テンはとっさに防御壁を展開してその渦を防いだ。
「ノワール!! クロレシアに居たんじゃなかったの!?」
眉間にしわを寄せてテンは建物の上にいるノワールに向かって叫んだ。ノワールはただ、きゃははと笑っているだけだ。
「答えろよ!! クロレシアで感じた気配、あれはお前だった!! お前一体何をしてる!?」
「魔導砲が何故一度失われたのか、アタシ達がなぜ生まれたのか、まだ知らないんでしょう? バカなテン」
「あはは! テンが知ってる訳ないじゃん~。まだ魔導書に支配されてるお子ちゃまだもん!」
「どういうっ……!?」
尋ねようと口を開いたテンだが、いきなり現れた光の矢に腹部を射抜かれた。痛みに膝をつき見上げれば、声では笑いながら表情は蔑むようなノワールの視線と重なる。
「もう一度言うわ。その本、ちょうだい」
「ノワール……」
ノワールの頭上に生み出されていくいくつもの光の矢に危険を感じ、テンは急いで自身の傷を回復して施設の中に戻った。追われる前に反対側の窓からすぐに逃げ出す。
「ノワールの奴……いつの間にあんなに力をつけてたの……? 本を集めてどうしようっていうのさ……」
テンは自分の無知と無力さを思い知り歯噛みしながら施設から離れて行った。
「やだ、逃げちゃった。テンのくせに回復術まで使えるなんて誤算~。今回の契約者とそんなに相性いいんだ?」
「どうするの? 追う?」
ノワールは一人にんまり笑うと施設の入り口に背を向けた。
「んーん」
口元を歪めたまま、視線を鋭いものに変える。その視線だけで人を殺められそうな程だ。
「契約者との解除がさーき! でしょ?」
「そうね……」
くすくすと笑いながら、ノワールの姿は闇にかき消されていった……。
その頃タケルとナナセはちょうどショーを終えて人気のない裏路地に来ていた。
「投げ銭いっぱい集まったね! 楽しかったぁ~」
「本当に……。ねぇ、タケル。これからも僕と一緒にこういう生活するの、悪くないんじゃないかな……。その時は僕の妹のヤエもつれて……」
「うっしーも一緒だよね!!」
嬉しそうに笑うタケルに、ナナセは少し肩を落とした。
「うん……。そうだね……」
ガッカリした表情のまま、ずっとはめていた綿の手袋をゆっくりと外す。そのまま跪いて右手の甲をタケルに向かって差し出した。そこには”紋章持ち”特有の模様が描かれている。
「僕の力……貰ってくれるかい?」
「ナナセ……、いいの?」
タケルの質問には微笑んで答えた。ヤエと自分の力をタケルにもらって欲しかったから……後悔しない自信があった。タケルが「なんかこれ逆だね」と笑いながら近づいて、遠慮がちにナナセの手の甲に口付ける。途端、辺りが光で満ち溢れていった。
「くっ……」
座っていて良かったとナナセはつくづく思う。襲い来る脱力感とめまいに悲鳴を上げて今にも倒れそうだったが、何とか平生を装う事が出来た。
だが、どういう訳かいきなりタケルの方が座り込む。ナナセは心配になり、そばに寄って肩を抱きつつ顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「ん。へ、いき。ちょっとびっくりして力抜けちゃっただけだから!」
タケルはふらつきながらも立ち上がり、笑顔で返した。
「あたし、うっしーへのプレゼント買ってから帰るね!! ナナセ、ありがと!!」
そのままナナセから投げ銭の一部を奪い取り、駆け出していった。
ナナセから見えない所まで走っていくと、タケルは壁に背をつき誰も居ない事を確認して自身の服をめくり上げた。
「どう……して……? 大きく……なってる……」
へそより少し右斜め下の辺り……。そこが灰色に変色し、腐敗を始めていた。クロレシアを出た頃は指先程度だった。それが今、痛みを発しだしたかと思えば拳大になっている。
「あたしの体……どうしちゃったの……?」
回復術を何度かかけてもらっていたはずなのにここだけは治る気配を見せない。このまま進行すればこの身体もやがては腐り落ちるだろう。
「やだ……やだよ、うっしー……どうしよう……」
しばらくそうしてうつむいていたが、タケルは顔を上げると歩き出した。
「あたしはあたし。あたしはタケル。……最後まであたしらしくいなきゃっ……」
祈るように、願うように、それだけを呟いて……。
「……あれから五年……か」
桔梗が首から下げていた指輪を取り出した。滅びた故郷を想い、辛そうに眉根を寄せる。
「私はまだ……あなたを救いたいと思っている、と言ったらきっとあなたは笑うんだろうな……」
そっと指輪に絡まっていた細い鎖を外し、その指輪を左の薬指にはめた。左手を頭上にかざし、ピタリとはまった指輪を見つめる。
「桔梗……か」
指輪の先には紫色の小さな花があしらわれていた。それを見つめたまま桔梗は微笑む。
「もうすぐ、会いに行くよ。オルグ……」
桔梗は頬を染め指輪に愛おし気に口づけた。
今度こそ故郷を救えるかもしれない、ただそれだけを願って。