第三十話 戦いの始まり
「いやあぁぁっ! お兄ちゃま! お兄ちゃまっ……!!」
叫びと同時にヤエが空に向かって何かを投げつけた。それと同時にバタンと背後の扉が開く。その先には桔梗が固まったまま室内を眺めていた。
「お願いっ……! 助けて、お願いっ……」
「なにが……あった……?」
「…………」
ただ祈るように床に這ったまま涙を流して外を見つめるヤエと、先に行ったはずなのに今ここに姿のない二人を確認して、桔梗が呆然と呟いた。その瞬間レスターが疾風のごとく駆け抜ける。気が付いたときには桔梗の目の前までレスターが迫ってきていた。
「く!? 風よ!!」
レスターの右腕を風で弾き飛ばし、ヤエの元へと駆け寄ろうとしたが、桔梗の背を破壊するかの如く何かが叩きつける。それがヴェリアの拳であったと気づいたときにはもう遅く、衝撃で声を出すこともできずに桔梗はその場に倒れた。その髪をヴェリアが鷲掴んで持ち上げる。背中の上に乗られたせいでエビのようにのけぞるしかなかった。
「今まで散々やってくれたねぇ。安心しな、お前の目玉はくり抜いて肉は私の胸に納めてやるよ」
「ヴェ……リア……!」
苦し気に名を呼んだのと同時に背中の方で腕をひねり上げられた。さらに頭を持ち上げられ、声を出せない程に締め上げられて呪文を唱えることすら封じられる。
(くっ……、うっしー達はどこへ行った? それにあいつ、うっしーの親友じゃ……。 何故クロレシアの王を守っているんだ?)
苦し気な息をつきつつ、ただ愕然と桔梗はレスターを見上げていた。
その頃俺はただ流れゆく景色を呆然と眺めていた。
ああ……死ぬ間際って世界がゆっくり見えるって言うけど本当だったみたいだな……。
上方へと流れていく世界を眺めながら、俺はさっき起こったことを思い出していた。
そうだ。俺を……俺とナナセを窓から突き落としたのは間違いなくレスターだった。しかも俺は覚えていないとはいえあいつを殺しかけたんだ。だからレスターは俺を憎んで……。
過去が、走馬灯のように流れる。その中では楽しかった記憶しかなくて、辛い事も何もなかったみたいにみんなが笑っていた。
ああ、そうか……このまま死んだら俺も笑えるのかな……? ただ楽しいだけの世界で……。
俺はゆっくりと瞳を閉じた。
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
「痛ったぁぁぁ!!」
階段を上る途中、テンが悲鳴を上げた。タケルが慌てて駆け寄るより先に、コタロウの炎がテンを巻き上げ天井に叩きつける。そのまま謁見の間の扉前にぺシャリと落ちた。
「う、ううッ……あの……ヤロォ!! 何死にかけてんだ、ヘマしやがってッ!!」
コタロウの炎とは別の痛みに自身の胸を掻きむしりながら、閉じた扉の先を睨みつける。自身に命令すら下さず復讐しに行ったウッドシーヴェルをテンは恨まずにはいられなかった。
「ゴミは消えろ」
コタロウは扉の前を炎で包み込んで逃げ道を塞ぐと、紋章をつなげた布をテンに向かって放った。その前に飛び出したタケルはとっさにそれを剣で切り裂く。一瞬コタロウと目が合いビクリと震えたが、小刻みに震える指先に力を入れてテンを守るように立ちはだかった。直後、テンが間の抜けた声を漏らす。
「え……なん……で? 痛みが……。う、そ……だろ……、痛みが消えた!? もしかしてあいつホントに死んだの!?」
「テン……? どうしたの?」
「うっしーが、死んじゃった!!」
尋ねるタケルすら見えていないかのようにふらふらと立ち上がると、水の膜を張って迫りくる炎の中を突き進んだ。
タケルが目を見開く。
「う……そ……嘘だよね、うっしー!? やだよぉぉ!!」
タケルは自身が焼けるのも気にせず、扉の前の炎の中を突き進んでいった。
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
目を閉じたまま落下に身を任せようとしていた俺の腕を、いきなり力強く引く手があった。何事かと目を開けばナナセと目が合いそのまま俺をかばうように下に来る。こいつ、どうして!? 焦りと信じられない思いで見つめていたら、ナナセの唇が微かに動いた気がした。
妹を……お願い。
多分そんな形だったんじゃないかと思う。
はぁ!? ふざけんなよ!? ヤエだって俺なんかよりお前が生きてた方がいいに決まってんじゃねーか!! このままじゃ俺、あの子の恨みもかう事になる。そんなの……俺には耐えられない……。
再びレスターの事を思い出して胸が苦しくなった。
そんな事を考えていたら、いきなり頭上で黒く小さな光が輝いた。何かと思う間もなく、その光は一直線にナナセに降り注いでいく。あっという間に光が広がってナナセを包み込んだ。
「この……力っ……!!」
相変わらず耳元では落下の影響で風がゴウゴウいってるし、聞こえたわけじゃない。けどそう言った気がした。そのままナナセは俺の腕を離し、片手を持ち上げる。
「お願い、来て。 フレスヴェルグ!!」
まばゆいばかりの光が溢れるのと同時に現れたのは、鷲の姿をした巨大な召喚獣だ。頭は白く金色の目をぎらつかせ、体は燃え上がるような赤色の羽で覆われている。鷲にしては尾がかなり長く、ひらひらと空に舞い踊っていた。大きな羽には紋章のような形が黄色とオレンジで形作られている。もしかしたらナナセの帽子に付けられたあの巨大な羽根はこの召喚獣フレスヴェルグのものなのかもしれない。
気が付けば長いフレスヴェルグの尾が俺とナナセの体を巻き取り、自身の背に運んでくれていた。けど俺はそんな感動や助かった安堵よりも、上が気になってナナセに声をかける。レスターともう一度話がしたかった。謝って許されることじゃないかもしれないけど、それでも何かしたかった。
「うん、分かってるよ。ヤエも迎えに行かなきゃ。落ちないように掴まってて」
言葉と同時にフレスヴェルグが高度を上げていく。落ちないようにって言ってたわりには親切にもかなり水平に昇ってくれてるみたいで、ゆっくりと……けど確実に俺達が先程落ちた窓へと近づいていった。
「お前、何をした!?」
「きゃっ!」
レスターがヤエの腕を取って引いた。外に見えるのは巨大な赤とオレンジの塊だ。見たことのない生き物だったが、あれは間違いなく召喚獣だった。
「ヨンにお願いして私の魔力を抽出してもらったの。少しでもお兄ちゃまのお役に立ちたいと思ったからなのだけど……まさかこんな形でお兄ちゃまを救えるとは思ってなかったわ」
「ヨン……、あのメイドか」
レスターの呟きと同時に爆発音が響いた。
「うわぁ!!」
「きゃあぁ!!」
「ヨンは元研究者ですね。サー、レスター」
テンとタケルの叫びとともに入ってきたのはコタロウだ。ヴェリアが急に桔梗を押さえつけたままでハートを飛ばしながら悶え始めた。
「コタロウ、いい所に来た。あれを今すぐ使うから下の者に命を下せ」
いつの間にかゆったりと玉座に腰かけていたクロレシアの王が立ち上がり、それだけを言うと外を見た。視線の先は召喚獣ではなく遥か彼方だ。
「了解しました。……サー、レスター。ゴミの処分は任せましたよ」
それだけ言い残しゆっくりと扉の外へと出ていく。レスターはその姿を冷めた瞳で見つめていた。
あともう少しで窓に辿り着く、という所でいきなり城の上方が変化を始め何かの機械っぽいものが顔をのぞかせた。いったい何が始まったんだ……? 驚いたまま見上げたのと、脱力感に襲われたのはほぼ同時だった。
「なんだよ、コレっ……!?」
「く!? 魔力が……吸い取られる!?」
焦ったようにナナセが叫ぶ。ちょっと待てよ!? 魔力が吸い取られたらフレスヴェルグが消えるんじゃねーか!?
「早くココから離れないと、まずいかもしれない」
そう言いながらもナナセは窓に近づいていく。ヤエを見捨てることなんかできる訳ねーよな。そう思っていたら窓からちらりとタケルが見えた。もしかしてそこに全員いるのか……?
「ナナセ」
「そうだね」
ナナセと考えてたことは同じらしい。フレスヴェルグを可能な限り窓に近づけた。
「タケル! 飛べ!!」
少しだけ回復しつつあった力をヴェリアに放って桔梗を開放すると、俺はタケルに向かってそう叫んだ。
桔梗もテンも理解したようで、こちらに向かって駆け出した。
「……痛みが消えたのは助かってたからなんだ……」
何かを呟いたテンの顔がなぜか一瞬奇妙な表情を作り上げていたが、良く分からないから考えるのはやめることにした。
「ヤエちゃん、行こう!!」
「う、うん!!」
途中でテンがヤエを抱える。こちらへ来るのを邪魔しようとしたレスターの剣はタケルが防いだ。
「なかなかに面白い展開だな!!」
言いながら桔梗がこちらへ飛んでくる。着地するより先に振り返ってタケルに襲い掛かっていたヴェリアとレスターを魔法で攻撃した。
「うっしぃー!! うっしぃぃーーー!!! よかったぁ! 生きてたぁぁ!! あたしがんばったよぉぉ!! 受け止めてぇぇ!!」
「ちょっと待てバッ……いきなり人に向かって来るんじゃねうごぁっ……」
飛んできたタケルの頭突きは後ろにひっくり返りながら腹で受け止め、暫く悶え苦しんだ。その上にヤエを抱えたテンが降ってくる。
「死ね! クソうっしー!!」
「俺に向かって来るんじゃねーっつってんだろがぁぁぁ!!」
叫びながらも、みんなの表情がほっとしたものに変わってるのが分かって嬉しかった。俺達全員無事だったんだ。
そう思った。
「きゃぁ!!」
いきなり風が舞ってテンの腕からヤエが離れていく。何故かレスターの方へと引き戻された。
「風よ!!」
桔梗がさせまいと魔法を放つ。その魔法は城の上方に出てきた機械へと吸い込まれていった。
「どういうことだ!? 私の魔法だけ吸い込まれる!? まさかさっきから急に起こり始めた倦怠感はあの機械のせいか!? 何故あいつは魔法が使えるんだ……」
「う、ダメっ……! 早くあれから離れないと封印が……解けちゃう!!」
「くっ……ヤエっ……!」
テンの声が聞こえていない訳でもないのにナナセは再び窓に近づこうとする。フレスヴェルグの姿が微かに薄れた。これじゃ俺達まで……。
「お兄ちゃま、逃げてっ……! 大丈夫、サレジスト帝国と戦ってる限り私にはまだ利用価値があるもの。殺されたりしない……。だからっ……!!」
二度目の逃げて、というヤエの叫びを聞きながらフレスヴェルグは名残惜しげに窓からゆっくりと離れた。振り返ればレスターと目が合う。あいつは感情のない冷たい左目で俺を見ていた。
もう……戻れないんだろうか……。
「離れるよっ……フレスヴェルグが消える前にっ……!」
「…………」
レスターの言う事が本当なら俺がした仕打ちは許されるものじゃない。あいつが恨むのも分かるよ……。だけど……。
どんどん離れて小さくなっていくレスターを見つめながら俺はただ、もう一度あの時の俺達に戻れないかと考えた。
「な、何だあれは!?」
すでに窓が米粒大になるほど離れた頃、桔梗が叫び声をあげた。その声に俺の思考が中断される。
テンがフレスヴェルグの尾の方まで行き、城の上方に現れ俺達の魔力を吸い取っていた機械を見つめた。機械の先端からまばゆいばかりの光が溢れ出してきている。
「魔力の……弾丸!? まさか、あれは失われし魔導砲……!」
テンが呟く。俺も目を凝らしてそちらを見た。
「俺達を狙ってるのか!?」
「違う、あの方角はっ……!!」
ナナセが言い切る前に魔力が集結した弾丸が放たれた。とっさにフレスヴェルグが旋回する。真横を目で追えないほどの波動が流れ飛んで行った。あのままフレスヴェルグが真っすぐ飛んでいたら一緒に撃ち落されていただろう。
「あの方角はサレジスト帝国……!!」
まさかサレジスト帝国と本気で戦いを始めるつもりか……!?
俺は憎しみを込めて小さくなっていくクロレシアの城を見つめた。