第二十九話 憎しみの心
ニーズヘッグの轟く悲鳴を聞いて、桔梗は顔を上階へと向けた。
「ナナセ……!?」
不安に瞳を揺らしていると、ヴェリアの拳が桔梗の頬をかすり、斬れたそこから血が滴っていく。焦って視線をヴェリアの方へと戻した。
「この私の目の前でよそ見をするとはいい度胸だな」
ヴェリアのニヤリと笑った顔は視界に入っていたが、桔梗の心中はそれどころではなかった。
ニーズヘッグが悲鳴を上げるなど、あの二人に何かあったに違いない。せっかく見つけた力のある”紋章持ち”達…これからまだ手伝ってもらわなければならないことがあるのだ。
桔梗はヴェリアから視線を外すと、すぐに階段を駆け上り始めた。
「テン、タケル! 一度あの二人と合流する!! ついて来い!!」
振り返ることなく、桔梗は上階へと向かって駆け出していく。ヴェリアがその後を追っていった。
「あああっ!!」
タケルが悲鳴を上げたのと同時に、燃え盛る炎が体を焼いていく。すぐさまテンが駆け寄って回復魔法を施した。桔梗の声は残念ながら二人には届いていないようであった。
コタロウはゆっくりとタケルに近づくとテンを蹴り飛ばし、痛みと……さらには急激に膨れ上がった恐怖で震えているタケルの体を踏みつけつつ見下ろして言い放つ。
「どんなにあがいても、お前の脳にはボクへの恐怖が植え付けてあるんだよ。つまりお前にあるのは二択のみだ。ボクのために兵器として生きるか、ここで死ぬか。ボクは優しいからお前に選ばせてやろう」
「タケル!!」
やめさせようと慌てて駆け寄り足を掴んだテンの体は、コタロウに再び蹴り飛ばされた。それでもテンは床を滑りつつ体勢を立て直すと、すぐさま起き上がりコタロウに肉薄する。
「お前は後だ。用があるのはその本だけだからな。こいつが決めるまで大人しくしていろ」
「……ノワールが関わってるの?」
コタロウの攻撃を避けつついきなり質問するテンに、コタロウの眉がピクリと動いた。テンはそれを肯定と受け取ったのだろう、眉間にしわを寄せて背負っていた本を体の前で抱え直す。
「本を集めてどうしようっていうのさ? まさか世界を滅ぼすつもり?」
「ク……クク……存在を感じ取れるのか、これは興味深い。四冊の本が根本でつながっているっていう話は本当だったみたいだな。しかし……ノワールの言っていた通りだ。お前達は何も知らない。ふふっ」
「知らないってどういうことっ……うあぁ!」
問いかけようとしたテンの体を炎が巻き上げた。テンが持っていた本ごと焼き焦がしていく。封印が解けてはまずいと、焦って本だけは守ったが、テンの体はコタロウが生み出した炎によって焼き爛れた。
「どうして……どうして動かないの!? あたしの体っ……。あいつが怖いなんて変だよっ……!」
タケルは震える手で剣を握り締めたまま、ただコタロウを睨みつけることしかできなかった。炎に焼かれた瞬間、一気に恐怖が吹き上がってきていたのだ。
「せっかくうっしーと再会できたのに……。また離れ離れなんて、そんなの……やだよ」
そこでふと、ウッドシーヴェルが言っていた言葉を思い出した。タケルはタケル。
そうだ、この恐怖は兵器であった時のものだと思った。このまま兵器に戻って再び彼を傷つけるぐらいなら、今散るのも悪くはない、と。そのまま剣を握る指先に力がこもった。
「あたしが一番怖いのは、うっしーを傷つけることなんだから!! それに……うっしーからご褒美のちゅーもらわなきゃ、死んでも死にきれない!! ちょっとアンタ!! 返事を聞かせてあげる! あたし兵器には絶対戻らないから!!」
決意の言葉とともにコタロウに斬りかかった。足元から巻き上がった炎は飛び上がって避け、そのまま落下とともに剣を薙いだ。
「な、スピードがアップした!? ク、クク……これは面白い!」
攻撃しようと舞い上げたコタロウの布を視界にとらえながら、自身の回復を終えたテンがそこでようやく桔梗の姿がないことに気が付いた。
「なんで!? おねぃさんがいない!!」
きょろきょろと辺りを見てみれば、所々崩れ去っている階段が見えた。恐らくヴェリアが攻撃の際に破壊したのだろう、テンは急いで本を背負うとタケルを援護しつつ声をかけた。
「おねぃさんも上に向かったみたい! タケル、ぼく達も行こう!!」
「え!? うん!!」
元気よく返事をしたタケルがそのまま駆け出していく。テンもすぐさま後に続いた。
「チッ。クソ共が」
二人の後を面倒だと言わんばかりにコタロウが追った。
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轟く悲鳴に慌てて見てみれば、俺の剣じゃ斬る事も出来なかったニーズヘッグの体が斬れ飛んでいた。ニーズヘッグの姿が消えるのと同時に何か……いや、誰かの影がナナセに迫っていた。ゾクッと背筋に悪寒が走る。あいつ、ナナセの首を切り落とすつもりだっ……!
「きゃあぁっ!」
ヤエもそれを察知したんだろう、彼女の悲鳴を聞きながら俺は飛び出し、そいつの右腕に掴みかかった。魔法は使えなかったんだ。兵士を攻撃して気絶させた時点で俺の魔力が尽きたみたいだった。
「…………」
「うっしー!!」
止められたと思った瞬間、腕の一振りで俺の体が弾き飛ばされた。急に風が舞い、ナナセの叫びを聞きながらなぜか恐ろしい勢いのまま玉座の奥まで飛ばされていく。それどころか日の光を注いでいたはずの巨大な窓を割り、外へまでをも飛び出した。
「くっ……! うぅあ!」
ナナセがとっさに俺の腕を掴んで窓からの落下を止めてくれる。おかげで、かろうじて俺の体は城壁に留められていた。恐る恐る下を見てみれば、肝が冷えるくらいの崖だ。ナナセが居なかったら俺は……なんて事まで想像してしまい、恐怖で震えが来た。
落ちたら確実に死ぬ。俺は慌てて中に戻ろうとナナセに支えられながら城壁の出っ張りに手や足をかけたところで、俺の腕に伝う生暖かい液体に気が付いた。それがナナセの血だって気づくのに数秒。割れたガラス片がナナセの腕に突き刺さってるんだって理解するまでに数秒。その間に俺を弾き飛ばしたあの影が近づいて来ていた。
「ぐあっ!!」
「お兄ちゃま!!」
その影がナナセの背中を踏みつけたところでブワリと風が舞う。風は俺の体を少しだけ持ち上げ、奴がかぶっていたフードをめくり上げつつその姿を露わにしていった。それと同時に俺は目を見開く。
「どう……して……」
なんで……? 声が出てこない。今の風がなければ力が抜けてこのまま落ちてしまいそうなほど、驚きとショックで這い上がる事も出来ずにただ茫然と奴の姿を見上げるしかなかった。
「遅かったな、レスター。私を守る騎士が何をしていた?」
王が先程の影にそう声をかける。
「申し訳ございません、城下町の混乱を沈めておりましたゆえ」
騎士……? 騎士だって……? いや、別人だろ? でも……俺一度会ってる。面影も緑色の髪や黒い瞳も間違いなく俺の記憶にあるレスターだし、この顔は城下町で会った、俺を覚えていたあのレスターなんだ。
ただ違うのは右側半分が鉄の塊になっているってことだけか。身体だけじゃない、顔も、だ。
「嘘……だろ? レスター……騎士って……、なんで……」
腕の……足の力が抜けそうだ。ナナセの血はどんどん流れてるし早く登らなきゃいけないのに、力が出ない。だって、あんなに憎んでたじゃないか。お前の両親を殺したクロレシアだぞ? なんで……。
「お前には分からないだろうな。親友だと思ってた奴に殺されかけて、憎い仇に命乞いをするしかなかったオレの気持ちなんて」
俺が……殺しかけた……? そこでもう一度レスターの右半身を見つめた。長めの髪で覆い隠してはいるが、よく見てみればあの鉄の塊は機械か何かで出来ている……? 手も剣を持っているのではなく直接繋がっているように見えた。もしかして、あの姿は俺の魔力暴走のせいで……?
覚えてもいない記憶を手繰り寄せようとしても行き当たる場所が全くなかった。
「朦朧とする意識の中で腐って臭う大地に額をこすりつけて、敵に向かって命だけは助けてくれと泣き叫んだあの時……オレは死んだんだ。あの時からオレはクロレシアの犬になった。貴方なら俺の気持ち、少しは分かるんじゃないですか? スティンリー卿」
「っ……」
出血のせいか、ナナセがヤバそうだ。俺一人を支えるだけでも力がいるのに怪我までしてるんだ。俺だってそこまで体力があるわけじゃない。早く、早く登らないとっ……!
焦る俺をよそに、レスターはナナセを踏みつけていた足を持ち上げた。
「さようなら、元親友。せめて孤独に逝かないよう、道連れを」
「レスター!?」
「やめてっ……! お兄ちゃまっ……!」
止めようと近くまで這って来ていたヤエの努力もむなしく、レスターは俺をナナセの体ごと外に蹴り出した。
空に俺とナナセの体が舞い踊っていく。
訳も分からないまま俺は、離れていく窓に……そこに居たレスターに、届くはずもない手を伸ばした。




