第二話 追放
別に、オリオが迷いの森へ行ったと確信があった訳じゃない。
けど、俺の中の何かがそう訴えかけてくるんだ。そちらへ行けと。
これは、魔法……? よく分からないけれど思うがままに突き進むことにした。
「ウッドシーヴェル兄ちゃん!!」
「あ!? お前ら、なんでっ……」
振り返ればマノとソノのちび兄妹二人が俺の後を追ってきていた。迷いながら走っていたせいか、子供でも追いつける速度になっていたらしい。短足か俺は。
危ないから帰れと手を振っても二人は頑なに拒んできた。
「おれたちも行く!! 研究所まで案内できるよ!」
「はぁ? 研究所!?」
いきなりの場所の特定に、不審に思った俺は足を止めて体ごと振り返った。
近づいてきていたマノがしまった、という顔をして俺の目の前で停止する。
「研究所ってどういうことだ」
「あ、あのね! きのう、おじいちゃんたちのおはなしをねっきいてたのっ……!」
ソノの言葉に、そういえば……と昨日の村長の話を思い出す。確か迷いの森の先にある研究所で俺たち”紋章持ち”を捕まえて研究してるんだったか……。
「お願い、怒らないでっ……! オリオ言ってたんだ。自分もウッドシーヴェル兄ちゃんのような英雄になりたいって。だからあそこに捕まえられてる”紋章持ち”の人たちを助けるんだって」
マジかよ……。まさか自分の存在が己の平和な暮らしを脅かしてたなんて思ってもみなかったぜ。俺はがっくりと肩を落とした。
「研究所に行った理由は分かった。けど案内できるって、お前らそんなに頻繁に研究所に近づいてたのか?」
この先は迷いの森だ。相当慣れたやつでも一歩間違えれば迷う複雑な森でもある。俺も足を踏み入れるのは初めてなんだ。
危ない事をしているものだと不安になって聞いてみた。
俺の質問には兄のマノが首を横に振って答える。
「おれ、風の加護があるから……。臭いで大体の場所がわかるんだ。それで、オリオと研究所に行ったんだけど……」
そこでマノがつらそうに顔を歪めた。
「オリオとはぐれたってわけか」
それには再び首を横に振ってマノが答えた。
「オリオ捕まっちゃった……。ごめんなさい!! おれ、自分だけ逃げたうえに怖くて言えなくてっ。オリオ、もう殺されちゃったかも知れなっ……」
ひくひくと喉を痙攣させながら涙をこぼし始めたマノの頭を俺はくしゃりと撫でてやった。しゃがんで目線を同じ高さに合わせると、うつむいたマノの顔を覗き込む。こいつ、ずっと自分を責めてたんだ。
「研究所は”紋章持ち”を研究してるんだろ? 子供とはいえそんなすぐには殺されないさ」
落ち着かせるためににこりと微笑むと、その言葉に少し安心したのかマノは俺の服を強く掴み、滝のように涙をこぼし始めた。
「う、ううっ……!」
しかし……。
俺はマノの頭を撫でながら逡巡した。
もしもオリオが研究所に捕まったというなら果たして俺の力で助けられるんだろうか? 魔法も使えない丸腰の俺が? 何か作戦を練らないとどうにもならないかもしれない……。
そんな考えを打ち消すように、いきなり真横から小さな風とともに甲高い悲鳴があがった。
何事かと慌ててそちらの方を見る。
「貴様ら、コソコソしてると思ったらやっぱり”紋章持ち”か!!」
声がした方を見てみれば、白銀に金色のライン……見覚えのある鎧に身を包んだ奴が小さな女の子、ソノの体を捕まえてこちらに剣を突きつけて来ていた。先程の風はソノが放ったものか。
「ウッドシーヴェルにぃちゃぁん!!」
「ソノ!!」
マノが俺の横から悲痛な声で叫んだ。
……完璧に油断していた。
「お前、クロレシア王国の兵士……!!」
俺は背後にマノを隠すと兜越しに兵士の顔を睨み付ける。
どうする……? 奴は剣まで持ってるんだぞ? どうやってソノを助ける?
思考ばかりが焦って、いい解決策が何も思い浮かんでこない。掌がじっとりと汗ばんできた。
「へ、へへっ。この辺りに”紋章持ち”が隠れ住んでるって噂を聞いてたが、本当だったんだな! ”紋章持ち”を殺せばオレの出世も間も違いねぇ! これで騎士になれるぜ、ひゃっほう!」
言いながら奴はソノを放り、剣を構える。あいつ、あの子を斬るつもりだ! このままじゃヤバい!!
俺はとっさに背後でかばっていたマノを置いて地面を蹴ると、ソノを背に庇い剣で刺せる隙間すら作らないよう地に膝をつき両手を広げた。マノもソノもオリオも生まれた頃からずっと一緒にいる、俺の大切な家族みたいなものなんだ。なんとしてでも守りたかった。
「ぁんだ? テメェ……。テメェも”紋章持ち”……。いや、だったらこんな事せず魔法使ってくるはずだからな。ああ! そっか、お前アレかぁ。王国の極秘調査潜入班! 紋章の入れ墨で”紋章持ち”騙して、誤情報流したり殺したりして出世してんだろ? 悪ぃけど今回の獲物は諦めてくれよ。俺が出世するんだからよぉ!!」
奴は饒舌にペラペラしゃべったかと思えば今度は一人になったマノに狙いを定めた。俺の背中に冷たい汗が流れる。
「マノ!!」
「っ……!!」
奴の剣が、マノを捉えた。立ち上がろうとした俺のつま先がずるりと地を削る。とっさに手をついて逆の足で踏みだしたが……。
間に合わない!!
ピィィィィッ!!!
焦る俺の耳に、辺り一帯に、何かの笛の音が鳴り響いた。兵士が空を振り仰ぐ。
「チィッ! もうTK86の搬送時間か。船に置いていかれたら帰れなくなっちまうからな。仕方ねぇ、戻るか……。へへっ、まぁいい。”紋章持ち”の隠れ家があるって分かったし、収穫はあったぜ」
それだけ言うと何かの装置……? を取り出した奴は迷いの森の方へと消えていった。
「あー……、えと……大丈夫……か?」
暫くぼーっとしていた俺は我に返ると、立ち上がってすぐ後ろにいたソノに手を伸ばす。だがソノは俺をキッと睨みつけるといきなり小さな手に力を込めて突き飛ばしてきた。
一瞬何が何だか分からなくなる。
「うそつき!! うらぎりもの!!」
「ソノ……?」
「そういえばおれ、ウッドシーヴェル兄ちゃんが魔法使ったとこ見たことなかった……」
そう言って俺を見るマノの蔑むような眼が、俺の心臓をえぐる。間抜けかもしれないが、そこでようやく先程の兵士の言葉を思い出した。”紋章持ち”を騙して殺して出世してる極秘調査潜入班……。
俺はマノ達にそう思われたんだ。もしかしたらオリオの事も俺が騙して捕まえたって考えたのかもしれない。
違う、マノ。違うんだ、俺はただお前達と平和に暮らしていられればそれでっ……。
言い訳しようと口を開きかけた俺には目もくれずマノは妹の手を取った。
「ソノ、走るぞ!! 英雄は偽物だったってじいちゃんに知らせるんだ!!」
「マノ! 待ってくれ、俺はっ……」
目の前を風が切る。マノの魔法だ。その隙にマノとソノが走り出した。
子供だからすぐ追いつけると思った。けど何度も追いつこうとするたびマノの風が俺の足を止めた。
結局姿すら見えないほど距離を離され、気がつけば俺はツイッタ村の前まで来ていた。
ここまで来たら村長たちになんとか話を聞いてもらおうと、村の入り口に一歩足を踏み入れる。
瞬間、俺のつま先の数センチ先からブワリと炎が巻き上がった。あまりの勢いに驚いて数歩下がる。
「ここからとっとと出てお行き!! 裏切り者!!」
その声を発したのは、黒髪を後ろで縛りバンダナを巻いた……オリオの母親だ。いつもは優しげなその顔が今は恐怖と絶望、怒りと悲しみの色に染まって歪んでいる。この人でもこんな顔をするのだ、と初めて知った。
「俺は……」
言葉も出せずに突っ立っていると、俺の目の前、渦巻いていた炎の中に何かが投げ入れられた。よく見てみればそれはこの村の……小さくても気に入っていた、俺の部屋に置いてあった俺の荷物だ。
「研究所の噂を広めたのも、オリオを捕まえたのもアンタの仕業なんだろ! オリオを……オリオを返して!!」
その声に押されるように、俺の足がまた一歩下がる。
「まぁ、待て……」
興奮するオリオの母親の肩を後ろから来た村長が力強く掴み引き止めた。そのまま村長は前に出ると、炎越しに俺の方まで歩いてくる。
「この十年間、あんたには世話になってた。オリオの事は腹立たしいが我らの心の支えになってくれていたのも確かだ。あんたのおかげで生きようと思った者も居たのだからな。……だから、命だけは取らないでおくから……頼む。この村から出て行っておくれ」
頭が混乱する。
どうしてこうなった……?理解が追い付けないまま、声も出せず固まっていた。
「お前達、引っ越しの準備をするぞ。マノ、ソノ、残念だがオリオはもう……」
村長の言葉にオリオの母親が泣き崩れ、マノとソノが涙ぐんでいる気配がする。
待てよ、オリオの事までそんな簡単に諦めるのか……?
マノとソノの表情を見ようとしたが炎でよく見えなかった。
いや、でも待て。
そこでふと、光が見えた気がした。
オリオ……。そうだ、オリオを助ければ俺が王国の人間じゃないって信じてくれるんじゃないか? それならまたちび達と平和な暮らしに戻れるかもしれない!!
俺は一刻も早くしなければならないと、たまらずその場から駆け出した。勘を頼りに迷いの森を突き進む。途中で武器になりそうな木の枝も拾っておいた。
これは一応ってやつだ。
クロレシアの兵士に襲われたら対抗できるようにしておかなくちゃならないと思ったから。
剣の腕? 子供の頃父さんに教えてもらって以来だ。自信なんて全くない。だから一応だって言ったんだ。
ちらりと潜入班だって嘘をつく手も思いついたが、その嘘がバレた時のためにも護身用はあった方がいいと思った。オリオの命と俺の平和な暮らしがかかってるんだから。
とにかくやるしかない。俺は走りながら気合を入れた。
「一番の難関は研究所にたどり着けるかって話だが!!」
マノの魔法がない以上自力でたどり着くしかない。俺は足を動かし続けた。
迷いの森を走り続け、思うがままに突き進んだ。
奴が……森の向こうから猛スピードで飛んでくるまでは……。
「きゃぁぁっ! ちょ! なんでこんなトコに人がいるの!? どきなさいよバカぁぁぁ!!!」
「おうわぁぁっ!? ぐぁぉっ……」
ビリリッという音とともに襟元の服が破かれ胸にある紋章をさらけ出されたかと思えば、俺の腹に、いや、腹のもう少し下に世界の終わり的な衝撃が走った。飛んできた女? の膝が俺の大事なところにめり込んでいる。
チーン、なんて生易しい表現誰が考えやがった。そんなもんじゃねぇ。ぐりょぐじゃっ!! ってほどの衝撃だ。意識が飛びそうになる。俺は地面に突っ伏し悶え苦しんだ。
「ご、ごめん……、大丈夫……?」
長めの茶色い髪を一房右側で縛り、ピンクのシャツに赤いチェックのスカートを身に着けた女は水色の瞳を揺らし心配そうな声を出してきた。だが俺の耳には届いてこない。
「おい! こっちだ!! いたぞ!!」
「うそっ……バレちゃった!! もうっ信っじらんない!」
その女はそのまま森の奥の方へと逃げて行った。俺の方が信じらんねーっつのクソ。
そんなことを考えていたら女が逃げた方とは逆側から白銀に金のラインの鎧……、クロレシアの兵士がやってきた。地面に転がって悶え苦しんでいた俺が気づいたときにはそいつと目が合い、そのまま奴の視線は胸へと移動していく。紋章を隠す暇もない。
ああ……、俺オワッタ……。
かすかに残っていた意識を手放したくなった瞬間だ。




