第二十二話 思惑
「来て、ニーズヘッグ!!」
いきなりナナセの声がこだまして俺は一瞬足を止めた。
ガラスの筒の中……怪しげな液体に浸かっているタケルに向かって駆け出そうとしていた俺の真横に、召喚獣ニーズヘッグが飛び出してくる。かと思えば直後ニーズヘッグの体が鱗ごと切れ、絶叫がこだました。辺りには半端なく血が飛び散っていく。そのままニーズヘッグは消えていった。
いったい何が起こったんだ……? 訳も分からずふと気が付けば俺の首筋の皮も少し斬れ飛んでいて、もう少し深ければ即死だっただろうと気づく。呆然と首の傷に手を触れた。
「うっしー、油断すんなボケがぁぁ!!」
俺の横を駆け抜ける影と立ち上る水柱。それによって阻まれる模様の描かれた布……。そこでようやく俺を守るように立ち上っていた水柱の向こう……そこに敵の姿を確認した。白い髪に赤い目、そいつの口角は極端に上がり、気味の悪い笑みを作り上げている。恐らく奴がナナセの言っていたコタロウだろう。
「ほほう……。なかなか素晴らしい力を持っているじゃないか。その本……ヴェリアが海に沈んだと報告してきた禁書か?」
「さぁね。野郎なんかに答える義理はないと思うけど」
「くく……答えていたら君の首は体とお別れしていたところだよ。おめでとう」
そう言いながらも奴の目はぎらついている。一歩でも動けば殺す、そんな雰囲気をまとっていた。
「うっしー。僕があの機械を止める。時間……稼いでくれるかい?」
テンの作り出す水柱の音に掻き消されそうなほどの声量でナナセが話しかけてくる。確かに俺ではタケルが入れられているあの機械の操作はどうにもできないだろう。下手をすればとんでもないことになるかもしれない。
俺は静かにうなずくと襟元をくつろげ、いつでも魔法が使えるように準備した。ここまで来て逃げるなんて俺の選択肢にはない。もう二度と後悔はしたくないんだ。例えタケルが人じゃなかったとしても俺にとっては……。
「時間を稼ぐだけでいいから。無理はしないで」
「分かってる」
「うおおおぉぉっ!」
ナナセに背を向けると、気合を入れるための雄叫びを上げながら俺は駆け出した。魔法を使おうと胸に触れた瞬間こちらに気付いた奴、コタロウは人差し指を一本突き出し空中に向かって何かを描き出していく。直後、俺の胸の前で炎が生まれ爆発した。一瞬の出来事すぎて何が起こったのか良く分からないまま俺の体が吹き飛ぶ。床に体を強かに打ちつけ痛みで悶えているとテンが駆け寄ってきた。
今のは……魔法? こいつまさか”紋章持ち”なのか!?
目を見開いてコタロウを見ていると、奴は気持ちの悪いほど口角をあげ笑いながらゆったりとこちらに近づいて来た。俺のそばに居たテンを足で弾き飛ばし、そのまま炎で焼けただれた俺の胸を踏みつけてくる。
「うあぁぁっ!」
踏みつけるだけでは飽き足らず、さらにぐりぐりと抉ってくる奴の足を掴んで俺は悲鳴を上げるしかなかった。近づいて来ようとするテンはコタロウが生み出した炎に足止めされているみたいだ。ナナセが恐れていたのも良く分かる。俺達だけじゃ……こいつには勝てない、そんな気がした。
コタロウは俺を踏みつけながらニヤリと笑うと、一枚の布のようなものを取り出す。それは恐らく始めに俺を攻撃してきた時のやつだろう。
「ふぅん。その形……花の加護の紋章かなぁ? また少しこのリボンも長くできるってわけだ、くく……」
リボンを……長く……? それを聞いて布に描かれている様々な文様の形から俺は悟った。”紋章持ち”が持つ特有の模様だってことに。こいつが持っているリボン……、恐らく”紋章持ち”の人皮だ。
「な……んで……? 俺達……が、腐敗……原因、なら、研究……意味わか……」
「意味が分からないって? クク、お前たち紋章を持ったクソが魔法を使うと大地が腐敗するなんてボクらが流したデマだって言ったら納得する? 本当はねぇ、陛下はクロレシアの領土を広げたいだけだし、ボクらは人間や”紋章持ち”を殺す兵器を開発したいだけ。利害は一致してるだろ? でもねぇ、大々的に開発していらないものを廃棄するには大義名分が必要なんだよ。それがないと悪人には牙をむく、本当に人間ってやつはクソだよねぇ?」
「て……めぇ……」
何が……大義名分だっ……! そんな嘘のために俺達はひどい目にあわされて殺されたのか!? 怒りがどんどんと湧き上がってきた。どかそうと足を掴んでいた手を離し、紋章に触れて地の力を開放してやる。下から突き出た瓦礫がコタロウを弾き飛ばした。ダメージにはならなかったのか、奴は宙で一回転するとすとんと少し離れた場所に着地する。奴の足止めを突破してきたのか、テンが俺の元へ駆けつけてきた。同時に空気が排出される音とともにタケルが入っていたガラスの筒が下に消えていく。
「タケルっ……!」
俺はコタロウには構わず駆け出した。攻撃して来ようとした布はテンの水柱によって阻まれる。いいタイミングだと背中でテンに感謝を送った。
そのまま目の前に居たナナセを押しのけ、タケルがちょうど重力によって前のめりになったところを抱き止める。変な液体は一瞬にして揮発したのか、体は濡れていなかった。
「タケル、おい! 目ぇ開けろ!」
筒から離れてタケルを抱いたまま地面に座ると、冷え切った頬を軽く叩く。そんな俺にナナセが近づいてきて、何かを渡してきた。
「これ……筒の中にあったんだ。捕えた後タケルに渡したんだけど……それからずっと離さなかったのかもしれない」
「な……」
それはどう見ても出会った時俺から持っていった剣だ。何なんだよ、いったい……何でこんなもの大事に持ってんだよ……。俺は複雑な気持ちになりタケルの体をぎゅうっと抱きしめた。
「ちょっとぉ! マジで助けて欲しんだけどぉ!!」
コタロウの足止めをしていたテンが悲鳴に似た声を出しながらこちらに訴えかけてくる。体のあちらこちらは焼け焦げてるし、流血してるしでかなりヤバそうだ。
「タケルが目覚めたら脱出するよ。ニーズヘッグは今瀕死だから呼び出せないけど攪乱ぐらいならできるから」
タケルを捕らえたことが気まずいのか俺に任せてナナセはテンの方へと駆けていった。俺も感謝の言葉を送ってタケルに視線を戻す。
「タケル、起きろ!」
微かにタケルが身じろいだ。生きてる……、それだけで俺の中に嬉しさが込み上げてきた。
「タケル」
「ん……。うっ、し……」
閉じた瞼がゆっくり開き、ずっと見たかった水色の瞳が覗く。置いて行ったこと謝らなきゃな、それから桔梗とテンの事も話して……。俺の頭の中を様々な想いが駆け巡っていた。
直後腹にドスリと衝撃が走る。
「いったぁぁぁぁ!!!!」
絶叫したのはコタロウと戦っていたテンだ。俺はただ目を見開き荒い息とともに自身の腹に突き刺さっている剣を見つめるだけだった。柄はタケルの手に握られている。
「”紋章持ち”殺す」
「な……かはっ……」
何で、という言葉すら出せなかった。タケルの顔を見てみれば表情なくただ虚ろに俺を見つめてくる。まるで何も感じていないかのようだ。
「あはははは! TK86に余計な記憶を植え付けたのはお前達だったのか! 残念だけどいらないものは全部消させてもらったよ。ここで消え去れ、クズども」
コタロウの言葉と同時にタケルが俺から剣を抜いたかと思えばナナセやテンに向かって斬りかかっていった。とてもタケルが取る行動とは思えない。
タケル……、嘘だろ……? 出会ったときの記憶消されたなんて……。さっき俺の名前呼ぼうとしてたじゃないか、どうして……。
とても信じたくないのにタケルは戸惑っていたナナセを斬り伏せた。このままじゃ俺たちここで死ぬことになる。何も変えられないまま……? 俺の口から苦笑が漏れた。
「冗談じゃ……ねー」
俺は死んでいった人たちに恥じない奴になるって決めたんだ。あんな隠れ住んで蔑まれて、辛い想いのまま殺されることのない世界にしたいとも思った。だから英雄になるって……。決意させてくれたのはお前だろ? タケル。
へばってる場合じゃない。俺は紋章に触れて自身を回復すると、ナナセに向かって駆けた。俺が回復したことで痛みが和らいだのか、テンもすぐに水柱を立ち昇らせてタケルの攻撃を防いでいる。
「大切なヤツ一人救えないで何が英雄だ……!」
確認したところナナセの傷は寸前でガードしたのか、思ったよりは浅くてほっとした。すぐに手を当て回復する。途中でコタロウのリボンが飛んできたが、とっさに回復術から地の術に切り替え岩壁を作り上げた。それは数秒で崩されたもののその間の回復でナナセは動けるようになったみたいだ。
「……ありがとう」
「悪い。ニーズヘッグまで回復する余裕ないみたいだ」
「大丈夫。彼らがいる世界では時が止まっているみたいだからここに召喚しない限り傷で死ぬことはないよ。痛みはあるだろうけれど」
「そうか……」
それだけ会話を交わし、それぞれに分かれた。俺は魔法で剣を作りテンに斬りかかろうとしていたタケルの前に飛び出す。
「タケル……忘れたなんて嘘なんだろ!?」
タケルが振るった剣を受けたまま話しかけたが、虚ろな瞳は何の反応も見せなかった。もう記憶は戻らないのか……?
淡い期待と裏切り……俺はタケルに斬りつけられ血を流しながら、それでも諦めたくなくて……何度も何度も話しかけ続けた。




