第二十一話 王立研究所
「じゃ、行ってくるよ」
「お兄ちゃま……う、ん……」
まるで今生の別れかのように寂しそうにうつむくヤエに、ナナセは近づいて目の前にしゃがむと何も持っていない拳を差し出した。何をするのかと見ていれば、その拳をくるりとひっくり返し手のひらから小さな花を出す。魔法じゃなくて種も仕掛けもあるやつだ。ヤエがその花を見て、負けず劣らずの笑顔を返した。
「必ず帰ってくるから……」
「…………うん!」
あいつ、本当に妹の事可愛がってんだな……。妹に別れを告げると、ナナセはこちらに歩いてきた。
「お待たせ」
「……連れて行かなくて良かったのか?」
元々こいつには妹を助ける手伝いをしてやると言ってついて来てもらってるんだ。せっかくここまで来たんだから連れて行くべきだと思った。
「これからタケルを助けに行くんだろう? ヤエは足も悪いし足手まといになる。タケルと合流してから逃げるときに連れ出せばいいよ」
ナナセの言う事ももっともだ。連れて行けば余計危険な目に合わせるかもしれない。俺は了解の返事の代わりにコクリとうなずいた。
「これから少しひどい扱いになると思うけど我慢して」
「分かってるよ」
そのままナナセは魔法を封じる何かの装置を俺達に取り付け、三人をつなげて縛り門を出る。
真っすぐ研究所に向かって歩き出した。
「お兄ちゃま……」
「ヤエ様。中に入りましょう……」
屋敷の門からナナセの姿が見えなくなったころ、メイドのヨンがヤエの肩に手を置いてそう告げた。ヤエも名残惜し気に送っていた視線を戻し、あきらめてヨンの方を見る。ナナセからもらった小さな花をぎゅっと握りしめ、覚悟を決めたように口を開いた。
「ヨン、お願いがあるのだけど……」
「はい?」
ヤエは少し迷った後、ヨンに願いを告げた。
王立研究所は貴族たちの屋敷がある場所からさらに上に登ったところにある。王城の左側半分がほぼ崖になっているとすれば、研究所の右側はほぼ山だ。つまりそこへ行くためには階段と坂道と足場の悪い砂利道を通らないといけない訳で……。さらには手まで縛られている訳だから、かなり俺達の負担は大きい。なのにナナセの野郎は涼しい顔して人の腕を引っ張りやがる。覚悟はしていたつもりだが怒りはどうしても抑えられなかった。
「おい、もう少し、うぶっ……!」
文句を言おうとしたところでいきなり放り投げられる。テンと桔梗はかろうじて地に膝をついたが、勢いのついた俺の体は足の力だけで止めることができず、そのまま地面に転がった。砂利が俺の頬を擦り痛みがじんわりと広がっていく。
「ナナセ様、またお手柄ですか!? TK86に続きさすがですね!!」
研究所の手前、恐らく見張りをしていたであろう兵士がナナセに駆け寄ってきた。人の事を侮蔑の混じった目でジロジロ見た後、桔梗とテンを見てナナセに視線を戻す。
「そんな事はどうでもいいよ。ヴェリアを呼んで来てもらえるかい? 帰ってきてるんだろう? 君が逃がした魔導書と”紋章持ち”を捕えてきたって言ってもらえれば分かるから」
倒れた俺の横にナナセはしゃがむと、顎を無理やり持ち上げてきた。背中がのけぞって骨がきしむ。扱いを酷くするとは聞いてたが、くそっ痛ぇんだよ……!
けど兵士は言う事を聞かずまごついていた。
「どうしたんだい?」
「いえ……。その……ヴェリア様はただ今コタロウ様に……あの……」
兵士の言葉を聞いた途端、ナナセが一気に青ざめる。コタロウ……? ヤバい奴なのか……? 俺の顎を持ち上げているナナセの手がカタカタと震えだした。いったいどうしたっていうんだよ……?
不思議に思ってナナセを見上げていたら、研究所の中から誰かが出てきた。ついついそちらに気を取られてしまう。
「門兵!! 今すぐ使われな!! とっとと私の……あらぁ?」
体の半分を赤く汚れた包帯で包み、叫びながら出てきたのは青白い肌、くすんだ赤茶の長い髪、ごつい足鎧に爬虫類のような眼……。まぎれもなく俺から魔力を奪いやがったあの時の女、ヴェリアだ。
ヴェリアは俺を見てナナセを見ると、桔梗に目を止めた。
「あはは! お手柄じゃないかスティンリー卿。まさかあの時の憎らしい女を捕えてきてくれるとはねぇ! ちょうどいい、今むしゃくしゃしてたんだよ。この女からは私が直々に思う存分魔力を吸い取ってあげるわ!! ああ、それからそっちの坊やはとうに頂いた後だから用済みだよ。捨ててきな」
ヴェリアはナナセに向かってそう言うと、高らかに笑いながら縛られている桔梗の腕を引いた。俺達に繋がれていた縄を素手でちぎり、そのまま桔梗の体を引きずっていく。
「その呼ばれ方は嫌いだと言ったはずだけど……。それから残念だけど彼もまだ魔法を使っていたよ。君がしくじるはずはないから何か秘密があるんじゃないのかい? きっとTK86とともに研究対象になるだろうと思って連れてきたんだ」
「なん……だと!?」
ヴェリアは目を見開き俺をまじまじと見てくる。父さんの封印のおかげで魔力を吸い取られずにいただけだったがヴェリアにとっては不思議な現象だったんだろう、桔梗から手を離しこちらに近づいて来ると、いきなり俺の髪を鷲掴みにして顔を覗き込んでくる。赤く汚れた包帯も相まって、近くで見れば見るほど気持ちの悪い顔だ。早く離れて欲しい。
「面白い……。スティンリー卿、あの方に献上しな! 奥でTK86の研究してるだろうからね」
ヴェリアは言葉とともに自身の目を抉り取ると、地面に放り投げてきた。うっ……、できるなら見たくない光景だ。気持ち悪くて仕方がない。どういう仕組みなのか目がきょろきょろ動いてるのまで視界に入ってきて吐きそうになる。
「は。さすがキメラだな。目も自在に入手できるという訳か。貴様の中で如何ほどの人間が嘆いている事か」
「あはは! 好き勝手ほざいているがいいさ。お前はこれから私が存分に可愛がってやるからねぇ!」
ヴェリアは手の甲で桔梗にビンタをし、勢いで倒れた体を蹴ると、呻いたところで腕を掴んで立ち上がらせた。
「桔梗っ……! うぐっ」
叫ぼうとした俺の口はナナセの手のひらで塞がれる。ヴェリアは桔梗を連れて研究所の中に入っていってしまった。
「おい、いいのかよ!?」
まさか分断されるとは思っていなくて口から手を離された隙を狙って小声でナナセに問いかける。ナナセも少し焦っているみたいだ。
「まさかコタロウ様が直々に来ているとは思わなかったよ……。でもここで桔梗を助けたら計画が台無しになる。一応縄は自分で解けるようにしてあるし、僕らは先に奥まで行こう。最悪あの方……コタロウ様と戦うことになる。逃げられなかった時は死を覚悟しておいた方がいいかもしれない」
死!? そこまでかよ!? とは思ったがナナセの焦りようは尋常じゃない。多分相当ヤバい奴なんだ。
「僕らも行くよ」
わざとらしく門兵に聞こえるようにナナセはそう言うと、ヴェリアの目を拾った後俺を見てテンを見た。そういえばテンのヤツずっとおとなしかったななんて思い出し、俺もチラリとテンの方を見る。その時ようやくぼそりと口を開いた。
「ボク、あっちに行きたいぃ……」
ナナセは俺を立ち上がらせると、無言で引きずって歩き出した。縄でつながっていたテンも俺に引きずられてついて来る。「ちょっとぉ!」という声は悟りを開けば聞こえてこなくなるだろう。俺もナナセも完全無視を決め込んで研究所の奥へと向かっていった。
研究所内部はもっと禍々しいかと思っていたが、普通の建物だった。長い廊下が奥まで続き、左右にいくつかの扉がある。白い壁は変わらなかったが、迷いの森の研究所と違うのはライトも普通の色だという事か。時々すれ違う研究者もいて表面的には変わったところなど全くなかった。
通路をさらに奥まで進んでいくと、恐らく認証用のだろう機械が置いてあり、ナナセがそこに先程ヴェリアから受け取った目をかざす。扉が開くのと同時にその目は燃えて炭になった。
「なるほど……ヴェリアの眼球は取り換え可能だから一度きりって訳か……」
ナナセはぼやくと、俺とテンの背中を押して中に入った。その直後、すぐに扉が閉まる。
「内部の構造は頭に入れてきたよね? 脱出経路は大丈夫かい?」
「多分な……まずは一番奥の扉の真横、通気口……だったよな確か」
少しあやふやなところもあったが、大丈夫だと思いたい。テンはここまで来ても桔梗が気になるのか、閉まった扉の先を見つめていた。
「あいつなら大丈夫だろ。俺より強いしな。あんな爬虫類女からはきっと逃げ出してくるさ」
しゅるりと、縛られていた手の縄をほどき魔法を封じる装置を外してテンにそう言った。テンもようやく納得して自身の縄と装置を外す。
「まぁ、比べる相手がうっしーじゃ、おねぃさんも救われないけどね~」
うるせーよの言葉の代わりにテンにげんこつを落とす。気の利いたナナセが見てみぬふりして話を続けた。
「桔梗より僕らの方が危険かもしれないよ。覚悟しておいた方がいい」
それだけ言うと、通路のさらに奥に向かって歩き出す。
コタロウ……か。ナナセがこれほど恐れるなんて、いったいどんな人物なんだ……。けどここまで来たんだ、とにかくやるしかねぇ。俺も覚悟を決めギュッと拳を握り締めた。
通路の奥の奥……。ナナセが見取り図を見せて指で示していた場所だ。恐らくここに……。俺は高鳴る心臓を抑えてそっと扉を開いた。
その先……。目の前に広がるのは大きなガラスの筒と何かの液体……。その中にタケルを見つけて俺は一目散に駆け寄ろうとした。