第十四話 禁書
―――――――苦しい……。
―――――――――苦しくて、息ができない……。
俺の口からごぼりと泡が出た。頭上に広がる水面は光を反射して煌めいているのに、それを綺麗だと思えないのは現状死の恐怖しかないからだろう。あがけばあがくほど沈んでいく我が身が口惜しくて仕方がない。
「う、ううっ……! 何でぼくがヤローなんかっ……。痛い……、痛いッ……! 痛いんだよォー!!!」
ほぼ垂直になりかけた船の上、俺が海に沈んでいった辺りを睨みつけながら半泣きでテンが叫んだ。そのまま背負っていた大きな本を手に取り振り上げる。
船を造ろうと魔法を使っていた桔梗の足元には支えができていたものの、テンの真下には何もない。巨大本を振り上げたままテンは海の方へと落下していった。
どんどんと沈んでいく俺の頭上……煌めく水面の向こうに、ゆらゆらと揺れるテンの姿が映し出された。しかもその姿がどんどん近づいて来る。本が濡れたらダメだって言ってたくせに後追いでもするつもりか……? 何考えてんだ、アイツ……。
霞む意識の中そんなことを考えていたら、テンが本を一振りしたのと同時に俺の体がブワリと持ち上げられた。一気に水面の上に投げ出され、バシャンと海の上に手をつく。
「ぐ、ガはッ……! げほっゲホッ……! っ……はああぁぁぁぁぁ!!!!????」
飲んでいた水を吐き出して苦しい気分も通り過ぎれば、あとは驚きが来るばかりだ。
だって仕方ねーだろ!? 俺、今海の上に手ェついてんだぞ!? どうなってんだよコレ!?
はたから見ればアホみたいだが四つん這いになった格好のまま試しにパンパンと海を叩いてみる。水面を叩く音はいつもと同じだったが、それ以上手が沈んでいかない。まったくもって訳が分からない。
混乱しているうちにテンが本を背負い直し、指さしながら水音をあげて俺の方へと近づいて来た。こいつもなぜか海の上を歩いてやがる。
「テメー、今すぐ理解しろ! いいか、守護するって契約を破ったり契約中に鍵に触れたらぼくに激痛が走るんだ!! 今後は即死するか死なないように気をつけろ、ぶわーか!!」
そのまま尻を蹴り上げられる。
……この場合は……怒っても……いいよな、遠慮もいらないよな?
助けてもらった感謝も忘れて自己完結すると、俺は水面の上で立ち上がりテンの胸ぐらをつかみ上げた。
「最初からこの力を使ってりゃ痛くならなくて済んだんじゃねーの? あ? クソガキんちょ」
「ぼくの力も無限じゃないんだよ! この術はあと五分で尽きる」
そのままテンは俺の手を振り払って舟をよじ登り始めた。
「それを早く言え!!」
テンの言葉を聞いた俺もサーッと青ざめて、あわてて沈みかけの船に手をついた。紋章に触れて魔法を発動する。今のうちに足元を固めておかないと今度はマジで沈むことになるだろう。
俺は一旦テンの事は忘れ、魔法に集中した。
桔梗と俺、二人でやれば大仕事の船づくりもあっという間だ。造形とか仕組みなんてわかんねーけど、浮けばいいんだよ浮けば。三人乗れる程度のボートみたいなものだが、それが無事完成して俺たち三人はその船に乗り込んだ。テンの魔法が切れても沈むことなく浮いている船にほっと一息をつく。
「さて、ここからなら恐らくクロレシア王都の方が近いだろう。近くの浜で降りて私の故郷へ向かう船に乗りたいんだが……それで構わないか?」
「やった! おねぃさんの故郷~! うふ、おねぃさんのご両親にもご挨拶しなきゃ❤」
アホ顔で桔梗の胸にすり寄るテンにはげんこつを落とし、俺は真剣な眼差しで桔梗を見つめた。俺の答えなんてすでに決まっている。
「悪いがアスレッドに戻ってくれ」
俺の言葉を聞いた途端、桔梗とテン二人ともが目を見開いた。
「ええ~!! なんでさ!」
「とんだ手間をっ……」
そこまで言ったときに察したんだろう、桔梗が口元を笑みの形に歪めて俺の目を見てきた。
「タケル……か。クク、なんだかんだ言って好きなんだな、うっしー」
にやにやと笑う桔梗に向かって俺は心外だとばかりに大声をあげた。なぜか顔が火照ってくる。
「はぁぁ!? だ、誰が好き……だ! ただ心配してるだけだろ!! ……てかお前……何で俺の事うっしーって……!」
「ぷぷ、うっしーだって、ダッサい名前~」
そう笑ったテンにはもう一度げんこつを落とし、火照る顔をごまかすように髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
「くそ、何で知ってんだ……」
「ふふ、そう呼ばれていただろう?」
そういやコイツ……、迷いの森から見てた……とか言ってたよな……。まさかずっとつけ回してたのか!?
そう思っていたことがそのまま顔に出ていたんだろう、桔梗が声をあげて笑い出した。
「あはは、ずっとではない。お前の魔力を感じた時だけだ。木を通じて覗かせてもらっていた。面白いものをたくさん見させてもらったがな」
マジかよ……。と余計に顔が火照ってくる。何度もぐしゃぐしゃと髪を掻きまわした。
だが桔梗はそこで一旦言葉を止め、表情を真剣なものに戻すと胸元に居たテンを見た。
「で、お前は何者だ?」
桔梗の言葉にテンがビクリと体を震わせる。
「え、や、やだなぁ~。ぼくは可愛いテンくんですよ~? あ、これって結婚前の相談!? そうだよね、将来一緒になる人の事は知っておきたいよね~」
そう言ってにひひと笑うテンの冗談に呆れ顔になった俺とは違い、桔梗は真剣そのものだ。テンの肩を掴んで上向かせている。
「私は真剣に聞いているんだ。海をどうこうできるなんて体の半分を占める大きさの”紋章持ち”でもなければ恐らくは無理だ。そんな人間が居るなんて聞いた事もないし、どう見てもそんな大きな紋章を持っているようにも見えない。お前は何者で、何が目的だ。なんのためにクロレシアの軍船に乗っていた?」
桔梗の次から次へと飛び出してくる質問に、テンは逡巡の後何かを覚悟したらしい。顔を上げて背中の本を手に取り、真面目な顔で語り出した。
「んっと、まずはこの本を見て。これは開いたら世界が滅亡するっていう本らしいんだ。ぼくもこの本については良く分からないんだけど、生まれた時からあるぼくに刻まれた記憶がそう言ってる。だからぼくはこれが開かれないよう封印管理してるってわけ。で、その封印を維持するのが鍵と契約した”紋章持ち”の力なんだ。ま、ぼくはその契約者と本をつなぐ精霊ってところだね。本は動けないから契約者が死んだときに新しい契約者探さないといけないでしょ?」
「つまり”紋章持ち”以外は契約できないってわけか?」
俺の質問にはテンがうなずいて答えた。
「”紋章持ち”の魔力で封印を維持してるらしいんだ。ぼくは精霊って言ってるけど実際魔力はないよ。この本から流れてくる微量の魔力を増幅して使ってるだけだから」
う……ん……。なんだか頭が混乱してきたぞ……。つまりなんだ? あの変な契約で俺の魔力が勝手に本に取られてて、その取られた魔力を使ってテンが魔法を使ってると?
「つまりテメー、魔力泥棒じゃねーか!!」
「テヘ。いいじゃん~。寝れば回復する程度の魔力だよ❤ 多少は本にも蓄積できるしね」
ダメだ……。頭がくらくらしてきた……。
「テン、そういう本は他にもあるのか!!? 同じような精霊がいるのか!!?」
仕組みを理解して頭を抱えていた俺とは逆に、桔梗はテンに食って掛かっていた。あまりの勢いに船が揺れ、俺はとっさにふちを掴んで身体を強張らせる。
「す、少し落ち着け……」
「えと、本は全四巻あるらしいから他にもあるかもね……。ぼくは会った事ないけど……。お、おねぃさん痛いよ……」
俺とテンの言葉に少し落ち着きを取り戻したんだろう、桔梗がテンから手を離し、船のへりに背を預けた。
「すまない……私の故郷を滅ぼしたのはその本を持った誰かじゃないかと思ったらどうにも……」
それは……今みたいになっても仕方ないよな……そう思った。俺だってもしツイッタ村を滅ぼしたアイツが生きていたら同じことをしていただろう。出会うクロレシア兵全員の肩を揺さぶってでも奴の居場所を聞き出していたに違いない。
「んで? お前は何でクロレシアの軍船に乗ってたんだ?」
俺の質問には唇を尖らせつつ答えた。
「前の契約者がぼくをクロレシアに売ったんだ。”紋章持ち”の力を増幅する精霊を研究させれば地位と住む場所与えるぞって言われて。結局騙されて契約者殺されちゃったんだけど。ぼくもヴェリア? って人にはどうしても敵わなくてさー、契約者死んだ時点で本に蓄積した分しか魔法使えなくなるし。だからあの船に捕まってたんだよね~」
テンの延びていく鼻の下を見てああ、と納得してしまう。どれだけ女好きなんだ、このガキ。そんな事よりテンが持っている本の内容が気になって、手を伸ばして触れようとしたらテンに手を叩かれた。
「何かの拍子に封印解かれたら世界が滅亡しちゃうからね!」
冗談ではないんだろう、テンの顔は真剣そのものだ。すぐに背中に本をしまった。
「まるで禁書だな……」
もしかしたら積まれてた禁書ってのはこいつの事かもしれない……なんて思ってしまった。考えても答えは出ないんだろうが。
「とにかく! ぼくは契約者とそんなに離れられないし、うっしーについて行くしかないから! 感謝しろよな!」
テンの言葉と同時に海の水が変な風に流れ始めた。かと思えばものすごいスピードで船が走り出す。
「いっくぞォー! 目指せアスレッド!!」
「ぬあ! ちょっと待て! 誰がうっしーだっ……、つか、マジで待て! 早すぎだろが!! 落ちるじゃねーかぁーーー!!!」
騒ぐ俺とは別に桔梗が顎に手を当てながらぼそりと呟いた。
「精霊……か」
そのまま気持ちに整理をつけたのか、ニヤリと笑って立ち上がった。
「た、立つんじゃねぇ! 揺れる!!」
「私も力を貸すぞ、テン」
そのまま訴える俺を無視して桔梗は呪文を唱え始めた。それと同時にさらに船のスピードが上がる。ガチガチに固まった俺をよそに、小船は水しぶきを上げながら猛スピードでアスレッドへと向かっていった。




