第十話 クロレシアの兵士
商店街から港までは思ったより距離があった。おかげで手に持っていた山盛りのパンはすでに空になっている。べ、別にヤケ食いとかそんなんじゃないからな!
俺は残ったバスケットを少し悩んだがゴミ置き場に放ると、民家の壁に隠れたまま港の方へと視線を巡らせた。
目の前は壮大な海だ。手前にはレンガ造りの通路がほんの気持ちあるぐらいでほぼ海と直結している。その通路の右端に、大きくて豪華でごつい船が一隻泊まっていた。その船に入るための通路には見張りも二人ほどいる。
「あれがクロレシアの軍船……か」
年配の女がくれた情報が正しければあそこに当時の事……大地の腐敗の原因が書かれているかもしれないという禁書が積まれているわけだ。
「出港するまでに手に入れて逃げないと、ここに戻ってこられなくなるな……」
逃走するためのある考えは浮かんだが、それは無理だと頭を振って打ち消した。
小型の脱出ボート? ふざけるな。もし何かの拍子に転覆したらどうする。人間が浮くなんて本気で思ってるのか? そんなわけない、浮くわけなどないんだ。
例えば足がつかないところで沈んでしまったら……とそう考えただけで一気に鳥肌が立ってきた。
「二人……か。ここから魔法は……、距離もあるし攻撃してる間に援軍呼ばれたらヤバいからな。一気に決めるしかねー……」
俺は両手で頬を叩くと気合を入れ直し、船の様子を確認するために一歩踏み出した。
前に進もうとしたはずなのに、なぜか視界が揺らいで膝の力が抜ける。
「あ……? なんだ……疲れてんのか……? いや、海の事を考えてたせいかもな。せめてもう少し踏ん張れよ、俺」
悠長にしていたらマジで船が出港しちまう。とにかくやるしかないと覚悟を決めると、船へと続く通路に居た見張りの兵達に向かって駆け出した。右側に居た兵士の方に拳を放つ。
「なっ……!?」
奴らは俺の服に気を取られでもしていたんだろう、なぜクロレシアの兵士が!? というような顔をして、鳩尾に叩き込もうとしていた拳を止めた。さすがに見張りの兵士、といったところか。左に居た兵士はとっさに剣を抜いて斬りかかってきた。
一筋縄じゃいかないようだがこれは想定内だ。
俺はすぐに襟元を緩めると、左から来ていた兵士の剣をかがんで避け、そのまま右手を地面につけた。左手は紋章に触れさせようとしたが、その途端ぐらりと脳内が揺れる。
「……あ?」
急激に襲い来るめまいと眠気……。視界が一気に歪んだ。
「な……んだ……?」
訳が分からず両手を地面について、頭を振る。ダメだ、なにかがおかしい……。
支えていた膝にも力が入らなくなり、俺はその場にくず折れた。視界に、女の足が近づいて来るのが映る。ゆっくりとぼやけていく目線だけを上げ、その人物を眺めた。
「ごめんなさい、ナナセ様のご命令なの」
「な……ん、で……」
見知った顔、腕にある小さな紋章……。
彼女は間違いなく俺が助けたあの”紋章持ち”の女だ。
「船に乗せなさい。大きな紋章だったもの、かなりいい研究をさせてくれるはずよ」
その言葉と同時に女は白いハトらしきものを飛ばし、兵士は俺の両脇を抱えて立ち上がらせた。抵抗しようとしたがうまく力が入らない。茶かパンか……、どこかに何かが盛られていたのかもしれない。
薄れる意識の中、思い浮かんだのが極秘調査潜入班という言葉だ。まさか……本物の”紋章持ち”が関わっていたなんて。
俺は見張りの兵士たちに引きずられながら、微かに残る意識を手放していった。
☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆
ガシャンっと辺りに大きな音が響き渡る。足元に大量の剣が転がった。
「大丈夫? タケルさん」
「ご、ごめん。なんか急に悪寒がしてっ……。あ、えと平気だよ! 何ともない! あ、と、あたしのことはタケルでいいってば!」
その言葉にゴンゾーがくすくすと笑う。タケルはエヘヘと真っ赤になって頭を掻いた。
ショーが終わり、タケルとゴンゾーはウッドシーヴェルと別れた最初の路地裏に来ていた。そこで片付けをしていたところ、タケルが芸に使っていた剣を落としたのだ。
「あ、ハト……」
ゴンゾーは何かに気付いて呟くと、一羽のハトを腕に止めた。
「どしたの?」
タケルの言葉にゴンゾーは笑むと、腕に止まっていたハトをケージの中に入れた。
「ううん、何でもない。ハトが一羽逃げちゃってたみたい。戻ってきてくれてよかったよ」
「そっか! でも、ショー上手くいって良かったよね! あーあ、うっしーにもあたしのすごいサポート見せたかったなー」
「ふふ、そうだね。この後はアスレッドを出て南下するつもりだから、お別れぐらい言いたかったよね。彼、どこに居るのかな」
「え!? 街を出るの!?」
ずっとこの街に居るものだとばかり思っていたタケルは素っ頓狂な声をあげた。この街を出てしまうのならばそれまでにゴンゾーから逃げなければならない、そういうことだ。
「僕は流れの芸人だから、ひと所に居ることはないよ。とりあえずご飯でも食べない?」
「う……ん……」
ゴンゾーに連れられるままタケルは路地裏を歩いていった。このままじゃ本当にうっしーとお別れになる。そんな気持ちが焦りをもたらしていた。
「……ごめん、ゴンゾー!!」
覚悟を決めると、タケルは踵を返し駆け出した。すぐに気づいたゴンゾーが慌てて後を追う。
「タケル、どうしたの!?」
「あたし、うっしーと居たい!! ごめんねっ!」
タケルはゴンゾーを振り切るように角を曲がって駆けていく。次の角を曲がったら表通りへ出られると思った瞬間、目の前から竜のような蛇のような生物が飛び出してきて目の前を塞いだ。驚いてタケルはたたらを踏む。
「な、なに!?」
灰色のうろこに赤い模様が所々入っている。尾の先は、なぜか地面に埋まっていた。
いきなり現れた謎の生物に驚き怯えていると、ゆっくりと背後からゴンゾーが近づいて来る。口元はニヤリとしか形容できないように歪められ、頭上に高く掲げている杖は怪しく黒い光を放っていた。
「逃がさないよ、タケル。タケル……、タケル……ね。安易だけどいい名前だ」
それだけ言うとゴンゾーはタケルの前、蛇のような生物に声をかけた。
「そのまま通路を塞いで、ニーズヘッグ」
ゴンゾーの持っていた杖がひときわ鈍く輝いたかと思えば、地面からさらにうねうねとニーズヘッグと呼ばれた蛇のような魔物の胴が伸びてきた。目の前の道がすべて塞がれる。
「何の、つもり……?」
タケルは振り返り、ゴンゾーを睨みつけた。ウッドシーヴェルから預かっていた剣を引き抜き指先にキスをする。途端、辺りにタケルから生み出された光が満ち溢れた。
「ごめん、うっしー。殺すなって約束、守れないかも……」
嫌な予感がじわじわと湧き上がってくる。タケルはゴンゾーに向かって駆けだした。
一瞬にして間合いを詰め、ゴンゾーに斬りかかる。横に薙いだ剣はゴンゾーが手に持っていた杖で防がれた。ガツンッと鈍い音が響き渡る。通路を塞いでいた蛇のような魔物は消え失せたが、タケルが生み出した光がゴンゾーの放つ黒い闇に飲み込まれていった。
「どうやって搬送中に覚醒したかは分からないけど、クロレシアに戻ってもらうよ、TK86」
その言葉と同時に、ゴンゾーはタケルを振り払うと再び杖を掲げた。地面から先程の魔物が飛び出してきてタケルを突き上げる。
「あっ!!」
油断していたタケルはそのまま宙に打ち上げられ、重力に従って地に叩きつけられた。体中に痛みが走る。
それでも反撃しようと剣だけは握っていたタケルの右手首をゴンゾーがぐしゃりと踏みつけた。さすがのタケルも指先の力が抜け、剣がカラリと転がっていく。
「なん、で!?」
「君に話す必要はないよね。少し活動停止しててもらうよ」
ゴンゾーはポケットから何かを取り出すと、タケルの手首を踏みつけたまま、しゃがんで首にソレを押しつけた。途端にタケルの視界がゆがむ。
「ゴン……ゾ……?」
ゴンゾーは足をずらして立ち上がると、無表情でタケルを見下ろした。
「僕の本当の名前はね、ナナセって言うんだ」
苦しそうに口元だけを歪めて呟くと、ナナセは意識の途切れたタケルを担ぎ上げる。
「搬送の準備、しないとね」
ナナセは再び無表情に戻ると、タケルを抱えたまま裏通りを進んでいった……。