10「一万と二千の軍隊」
場面転換が多いので、今回は短めとなっています。
空が白み始めて、やがて太陽が顔を出す。
日常的にこんな光景を見ることが出来るのは、彼らくらいだろう。既に感慨の念は湧かない。夜が明けたかぁ、くらいである。しかしそのいつもの光景に、一点の影が射すことを見逃すほど、彼らは気を弛めてはいない。特にバケモノが出てからは街に近付いてこないか動員も増やして、気を張り詰めて警備を夜通し行っているのだ。
「……おい」
「お前にも見えてるってことは、俺の目がおかしくなったわけじゃねえみたいだな」
南門の警備をしている兵士の仕事は主に黒の館の監視だったが、監視記録によればもう200年近く何の変化もなく、南の警備は兵士達にとって暇なものであった。
兵士の出番がないというのは、平和な証拠でもあるので良いことではあるのだが。
「上が騒がしいな……こりゃ、まじで、見間違いというわけではなさそうだ」
アウダウンは5メートルの壁に囲われており、その壁に沿うようにして東西南北4箇所に7メートルの見張り小屋が設置されている。そこが騒がしいということは、何かが起きているということだ。
目の前に、あるはずのない階段が出来ているなら誰だって驚くものだ。
彼らがアウダウンと黒の館のとを結ぶ巨大な階段に注意が向いているせいで、上空から迫ってくる飛行物体に気づくことができなかった。
「警笛を鳴らせ!統括長と各隊長に伝達せよ!『南方見張り部隊、正体不明の階段を発見』と! 警鐘はレベル2だ」
警鐘は5段階で分けられている。
レベル1:警戒せよ
レベル2:現時点で被害は予想されないが、不明な事案が発生。警戒せよ
レベル3:戦闘の発生有り。1部隊の出動要請
レベル4:全兵士による対応レベル。直ちに戦力を集中されたし
レベル5:街が滅ぶレベル。直ちに避難が必要
警鐘の音はレベルが高いほど低い音になる。
基本的にはレベル1が多い。嵐だとかの自然災害の警告がほとんどを占めているが。
ゴオオオオオォォォォンーーゴオオオオォォォォンーー
腹の底に響くような鐘が街全体に鳴り渡った。
街全体を震わせるこの低音は……レベル5の警鐘だ。訓練の時くらいにしか聞いたことないぞ。
「レベル5!? これは……北からか」
北方の見張り小屋に据え付けられている5つの鐘のうちのレベル5を示す鐘を見張りの兵が鳴らしているのが見えた。
続いて東方からもレベル5の音。
「北東方面に、例のバケモノでも出たのか?」
見張り小屋から、街を囲う壁の上を走って伝達兵がこちらに向かってきている。
異常が発生したときには、こうして壁の上を道とすることで伝達を早くしている。
「何があった?」
息を切らした伝達兵に問うと、呼吸を整う時間も惜しいと直ぐに最悪の答えを返した。
「魔物の群れだ!! 数はおよそ、千!!!」
「ーー千、だと!! 何かの間違いじゃないのか?!」
そんな数聞いたこともない。もし本当にそうなら、この街はもうお仕舞いだ。
「訂正します!!」
新しく伝達兵がやってきた。
ほらな、どうせ幻覚とかで数を多く見せていただけだろう。
「数、1万と、2千を……オーバー……」
「は?」
ゴオオオオオォォォォンーーゴオオオオォォォォンーー
鳴らされ続けるレベル5に掻き消されて聞き間違えたに違いない。ええっと、12の間違いか?
「1万を越える大軍ーー」
再度訂正をしようとした兵士の首を1本の赤い線が貫いた。
線が途切れると兵士は操り人形がご主人を失ったかのように、ズルっとその場に力なく倒れた。
「ぇ……? え?」
ゴオオオオオォトォォンーーゴオオオオォォトトドォンーー
鐘に紛れて、別の振動音が聞こえる。
そして遂に南の見張り兵の視界にも、大軍の一部が入ってきたのだった。
ーーーーーーーーーー
「何事だ!!?」
訓練でしか聞いたことのないレベル5の鐘の音に起こされた、魚屋の主人が外へと出てきた。
他の人も眠気眼を擦りながら次々と出てくる。
腹の奥を揺らす低音に泣き出す赤子の声が聞こえる。
それをあやす夫婦の声。
今までなかったレベル5の警報に不安な様子な子供たち。
誤報じゃないのかと話すお年寄り。
街の人達全員が、屋外に出てきていた。
レベル5が知らせるのは即時避難。
しかし住民は初めての経験で逃げるという思考が働かない。訓練は何度かやったことはあるが、そんな驚異が来るとは思えないので真剣にやっていた人間は少ない。
だから壁の向こう側へ向かって吠える犬が、突如飛来した赤い光に焼かれて死んだことで、ようやく事の重大さというのを実感した。
「ペ、ペルチネ……ペルチネぇえええええええ、ええ?!!」
飼い主だった男が犬を抱き上げ泣き叫ぶが、周りの人達の注意はそちらには向いていない。
「……まさか、あれ全部」
「そんな……はずは……」
目の前に迫るのは十数本の赤い光。
壁から生えるように迫るそれは、飼い主の眉間を貫いた。
飼い主はくの字に体を折り、愛するペットに被さるようにして息絶えた。
「あああああああ!!! 腕がああああ!!!」
「いてぇええ!! いてぇよおおお??!」
「ぐっ、ゾオぉぉ……」
他の者は運良く致命傷を避けられたが、3人が腕や手に直径3センチほどの穴が空くことになった。
恐怖はそれでは終わらない。
街を囲う壁の一部が大きく抉れた事によって、数えきれない魔物の群れが土煙と行進の振動を伴ってやってきていたからだ。
……壁の一部が抉れている??
「か、壁が……壊されてる……」
大小、沢山の穴が空いた壁はすでに機能していない。
あれだけの数に突撃されれば、僅かな足止めすら食らわせることなく瓦解することだろう。
ゴオオオオオォトォォンーーゴオオオオォォトトドォンーー
鐘の音が響く。
人々は動くことを思い出したように一歩二歩と後退し、魔物とは逆方向の南の方へ我先にと避難を開始した。
ーーーーーーーーーー
二つの鐘が街の北東方向から響き、伝達役が各々散っていく。しかし『1万を越えるだろう魔物が来ている』という非常識なその伝達を、隊長達は常識を持って何かの見間違いだろうと否定する。
魔法には幻覚を見せるようなものも存在するという。魔物の特性とか、そういうものかもしれない。そちらさのが現実味がある。
そんな中、統括長は速やかに行動をとった。彼の頭には何故そうなったのかは分からないが、原因がひとつだけ浮かんでいた。
カールの言っていた伝、黒の館の主に関係しているのだろうと考えるのは彼にとっては当然の結論だった。
事前にカールから話を聞いていたというのもあるが、柔軟な判断力と実行力も兼ね備えた兵士団統括長ダダンだからこそ出来る、迅速な指示を飛ばす。
「住民の避難を開始しろ!! 」
「俺は戦いに行きます!! でないと街がーー」
「馬鹿か!!! お前が行って1秒も足止めできるとは思えん!! 街を思うなら住民を避難させろ!!」
仮に全兵士約100人で立ち向かったとして、1万を相手にどうすることも出来ない。しかも奴等には強力な飛び道具がある。
作戦室にいるのはダダンを入れると4人だ。
部隊隊2人に、報告に来た兵士が1人。
作戦室に金を使うなら、兵装に回すべきだとダダンが進言したことから部屋は一般住宅とほぼ同じクオリティだ。異なるのは広いことくらいだ。
しかしその結果装備が更新されるような事はなかった。
危機に瀕するようなことが今までにあったか、そう言って装備の一新を切り捨てたのは前フレデリックだ。
建物の3階から、外を見渡す。街は変わりない姿だ。人々は突然の轟音に思考が働いていないような状況だ。
ダダンの視線の先には、赤い光によって開けられた壁の穴がある。そこからは無数に蠢く緑の群れが、土煙を上げながら行進してくるのが見えた。
(あと10分もしないうちに、ここにあの群れ……いや、軍勢がやって来るだろう……我々に出来ることは避難させることとーー)
ダダンは先見する。
避難したところで、人と獣の足では勝負になるまい。
直ぐに追い付かれ全住民はやつらの腹の中。更にはまた別の街へと空腹を満たすべく移動していくに違いない。
「ーーここで止めるぞ」
「統括長……? 今、なんと?」
「ここであの軍勢を止める! そう言ったのだ」
信じられないといった表情でダダンを見るのは第一、第二部隊隊長だ。
彼らがそう思うのは無理もない。
たかが100人程度の兵士に、一体何が出来ようか。
だがそれでもーー
「街にある火薬類をありったけ持ってこい」
逃げ出すわけにはいかない。
住民を逃がす。それに全力を尽くすのが兵士であり、統括長である私の仕事だ。
国の兵士であれば、命を捨ててでも守る覚悟を求められることだろう。そしてその覚悟が当たり前だろう。
もしかしたら、こんな一つの街に、そこまでするような覚悟は求められていないのかもしれない。
それでも、この街は私にとっては守るべき国なのだ!!
「死ぬ覚悟がある奴だけ!! 火薬を持ってこい!!! 覚悟がない者を責めるつもりはない!! ただし! 住民の避難に徹しろ!!! それが! 兵士の務めだと思え!!!!! 行けええぇぃ!!」
敬意を表し、額に手をあて敬礼する。
「見くびらないでいただきたい。これは死ぬための、最期の敬礼です。ダダン殿、貴方のような方が統括長でよかった」
そう第一部隊隊長は告げ、ドアを開けた。
他の2名もそれに続いて部屋を出た。
「……ありがとう」
死地へと向かう兵士達に、統括長もまた、敬礼を返した。
ダダンさんの株が上がるといいなぁ……なんて思ってます。
ダダンさん。ダダンダン、ダダンという謀未来のアンドロイドが過去にワープしてくる映画のBGMからとったというのは、ここだけのお話です。
*ダダンさんは、ネッガー様のように肉体派ではございません。老執事ケルディさんが、あの肉体をお持ちであると考えていただければ幸いです。