明ルイ未来ノ爲ニ
「ねえ、なんか臭くない?」
自習室で俺はそんな声を聞きハッと我に返る。自分はいつの間に此処にいたのだろうか? とボンヤリ思う。
最近は兎に角勉強する、その事だけの為にだけ生きているようでそれ以外の事は自動でロボットのように無意識に行っている所がある。
もしかして臭いって俺なのだろうか? 俺はお風呂にちゃんと入っていたのかと思い出そうとするが記憶がボンヤリしている。
自分の匂いを嗅いでみるが何の香りも匂いも感じられない。大丈夫そうだ。俺は机の上に視線を戻す。
「え? しないけど、どんな匂い?」
後ろに座っていた女の子の二人がコソコソと話を続けている。
「なんか焦げ臭いというか、肉が焼けたような匂いというのかな」
「アンタ昨日、焼肉を家族で食べにいったって言ってたじゃん! それが残っているのでは」
「えーちゃんとお風呂入ったし洋服も着替えたし。違うよ~!
それにそういう美味しそうな、良い匂いじゃなくて……」
そんな下らない会話を聞いて時間を無駄にした。
俺は舌打ちをして再び勉強に没頭する事にした。
もう遊んでいる暇なんてない今年こそ大学に受かり、こんな状況からオサラバしないといけない。俺は勉強により一層勤しむ事にする。
集中するために俺はその後、自習室に入ってきた人が腰を抜かして大騒ぎした事も気にしないことにした。もう雑音に邪魔されるのはゴメンだ。
「ゆっ幽霊っ! ……そっそこに……見えないの? 皆は?」
自習室が何故か大騒ぎになっているようだが、俺は馬鹿らに付き合あうつもりはないので、そのまま勉強を続けた。
閉室時間まで勉強をして予備校を後にする。夏バテのせいだろうか? なんか身体に力が入らない。
今日はさっさと休んだ方がよいのかもしれない。身体を壊してしまったら元も子もない。俺はユラユラとした足取りで家路を急ぐ。
お腹も空いていないので、今日は食事もとらずに真っ直ぐ部屋に帰ることにする。アパートのある細い路地に入って俺は首を傾げる。
俺の行く手を阻むように黄色いテープが張られていたからだ。そしてその向こうには焼けて原型も留めていないアパートであったモノが夜の闇の中でボンヤリ見えた。
ザッ ザッ ザッ
呆然とその風景を見つめていると、箒で地面をはく音がする。見ると焼き焦げた細い身体の人間が掃除をしている。その仕草からそれが二〇一号室のお婆さんだと気がつく。
全身熱傷であること以外はいつも通りの様子である。嫌こんな夜も更けた時間に掃除もオカシイのかもしれない。
「おかえりなさい、遅くまで大変ね。
昨晩は本当に大変だったわよね」
所々焼け残った肉部分から体液を流しながら婆さんは、明るくそう俺に挨拶してくる。
声を聴いて、やはり二〇一号室の婆さんだと納得する。そして別の事が気になる。昨日? 何があったのだろうか? 俺は考える。
思い出せない。浮かんだのは揺らめく赤い色のイメージ。
壁を舐めるように広がる炎。
他の部屋から聞こえる悲鳴。
俺を襲う夏の暑さどころではない熱。
息をすればする程苦しくなる呼吸……。
俺は頭を横に振る。前に視線を向けると俺の下の階の夫婦と思われる人影が二体喧嘩をしている。近くで子供らしい影が声を押し殺して泣いている。蹲ってブツブツいっている人影もいる。コチラはおそらく俺の隣の部屋の住民だろう。
………………………………俺は我に返ル。なんダいつも通りの鬱陶しい日常ソのまんまジゃないか。
何の問題モない。俺は安堵スる。
ソれより、何時まデも何呆けてィるんだ。隣でハまだ婆さんが昨晩、自分が如何に大変だッたカを話し続けテいる。こんナ婆さんと話シている場合でハない。今日ハさっサと寝て、俺ハまた明日モ勉強を頑張ラないといケない。俺はアパートのあッた方へとフラフラと歩キだス。
明日ノ為に……今日ハ、もウ眠ロう、ハやク
コんナ状況かラ抜ヶ出ス為ニ……。
俺ノ、アカ……ルイ……
ミ……ラ……ィ……ノ……
タ……メ
……ニ……。
ネ………ム……
……ロ……
…………ゥ…………
……………
……
、
。
。
・
・
……!
俺ハ、
自分ヲ包ム
異様ナ暑サニ、
身ヲ捩ル。
言葉ニナラナイ音ガ
俺ノ唇カラ発ッセラレテ、
ソノ勢イデ飛ビ起キル。
暑イナンテ超エタ熱ガ俺ノ全身ヲ襲ッテイル。
ゴォゴォト音ヲ立テルアパートニ負ケズ俺ハ叫ビ続ケル。
周リノ部屋カラモ同ジヨウナ叫ビ声ガ聞コエテイタガ、ソレモ直グ二呻キ声ヘト変ワリ、終イニハ聞コエナクナッタ。
辺リハヤガテ静カニナリ、朝ガ来タ。隣ノ住民ハ最近更ニ独リ言ガ多イ、叫ンデイタリスルノデ、精神的ニモ更ニ危ナイ状態ニナッテイルノカモシレナイ。近づカないホウガ良いイダろう。
下の階ノ夫婦が今日ハ朝から喧嘩シてイル。いい加減ニシテ欲シイ。子供が可哀想ダろうニ。
ザッ、ザッ、ザッ
婆サんノ箒の音が聞コえル。イツモの様に近クを通るト婆サンは相変ワらず俺に話シ掛ケてきてウンザリとすル。
俺は内心溜め息をつきながら婆さんとの会話を適当に切り上げ予備校に向がった。