(5)
良平が希に起こされた時、腕時計は午後一時を示していた。大体、五時間くらいは寝ていた計算になる。
「街の様子は?」
「相変わらず。むしろ、悪くなってるみたい」
希も眠れたのか、顔色に赤みが戻っていた。それでも、健康な状態には遠い。
体を伸ばした後、ガラス越しに空を見るが相変わらず、薄暗い。
「充分に休んだか。なら、そろそろ動くが良いか?」
レジカウンターに座っていた魔王が口を開く。
「何故、休ませた? 供給すれば済む話だろう」
「その都度その都度、そのようなことをしておれば、我の身が持たぬではないか。無駄な力は使いたくはない」
魔王はうんざりした表情で答え、奥を見る。宗一郎が奥から現れた。
「こっちは準備完了。OKだ」
「残っておるのは汝の準備だけぞ。もっとも、その女子が殆どやっておったが」
魔王は宗一郎から視線を外し、こっちに顔を向ける。
「特にないよ。持てる物はリュックに入れたと思うし」
良平は希が持ってきたリュックを受け取り、中を確かめる。水の入ったペットボトルと携帯食が入っているだけだ。
元々、このコンビニにあった物は多くはない。
「これで全部だな」
良平はコンビニの内部を見渡してみるが使えそうな物は少なく、古くなった週刊誌が棚に陳列されているだけだ。
「希がやってくれたんだ。ありがとう。自分の分は大丈夫なのか?」
その問いに何故か、希の顔が赤くなった。
「必要な物は持ってお金置いたから、大丈夫。急ごう」
希は店内から出る。彼女が不機嫌なように見えたのは錯覚だろうか。いや、要らないことを間接的に聞いてしまった気がする。男には分からないことなのかもしれない。
良平も希に続いて、コンビニを出た。
歩き始めて、二時間。コンビニで手に入れた地図と魔王の遠隔透視で病院には近付いていた。
この住宅地を抜ければ、病院が見える筈。
もっとも、病院に戻るのは単に救助がくる可能性の高い場所と言うだけで魔王には何らメリットはない。
「どうして、こんな茶番に付き合ったんだ? 君にはメリットがない筈だ」
良平は先頭を歩く魔王に問う。
「……そんな風に見えるか? 少なくとも、我には得る物はあったぞ。あの陰陽師に、退魔師の女。我一人では危うかったぞ」
魔王は辺りを警戒しながら、自嘲気味に呟く。
「俺等、暦氏の戦力になったんですか?」
何故か、嬉しそうにする宗一郎に良平は怪訝な表情になる。どうして、宗一郎が魔王に肩入れするのかが分からない。
良平が咎めようとした時、上の方に人の気配を感じる。
「貴様! その女が魔王と知っての言葉か! それとも、操られているのか!」
こちらが探しだす前に声は上から降ってきた。上の方を探せば、民家の屋根に立つ黒い学生服の少年が見えた。ブラウンの短髪にカナリヤ色の目。いかにも熱苦しそうな雰囲気だ。
彼は十六歳になっていない良平よりは年上に見える。その腰には剣を収めた鞘がベルトで固定されていた。
学生服は扉守市では見たことがない。少なくともこの市の人間ではないように思えた。
「さあ、お嬢さん。その男と魔王から離れるんだ!」
彼が希に手を差し出すが、彼女は珍しく、唇を歪め、睨みつけていた。それは普段の態度からは想像できない一面だった。
「そうか。名乗るのを忘れたからか。自分は徒屋勇治。デビル・ハンターだ」
屋根の上で徒屋と名乗った少年はポーズを決めていた。正直、今時、幼稚園児の方が彼よりもまともなことを言うだろう。
「あちゃ、典型的に頭がおかしい奴がきちゃったよ」
「その認識は間違いではないが、厄介だな。デビル・ハンターとやらを自称するの当人は致命的に、たわけのようだが」
宗一郎の言葉に魔王が続ける。何か、厄介な相手なのだろうか。
「何が?」
「確証はないが、彼奴の持っている剣だ。我等、魔族には効果を発揮する」
魔王は敵から目を離さずに説明する。
「その通りだ。魔王! 覚悟しろ! この聖剣の錆にしてやる」
徒屋は両刃の剣を抜き放ち、言うや否や飛び降りて、歪んだアスファルトの上に危なげなく着地する。
「――絶対に偽物だな」
宗一郎は誰ともなく呟いた。思わず、突っ込まずには入られなかったのだろう。
もし、宗一郎が言わなければ、良平がその一言を口にしていたと思う。
「うるさい黙れ!」
徒屋は切っ先を良平でも、魔王でもなく、宗一郎に向けて叫ぶ。
希が徒屋に見えないように良平に合図を送る。そして、一歩前に出て、両手を胸の前で祈るように組み、口を開く。
「もし、貴方がデビル・ハンター様でいらっしゃるのでしたら、弱っている魔王を昼間に倒すなんて信じられません。
仮にもハンターいえ、救世主様である方が弱っている相手を攻撃するなんて、それではまるで悪魔の所業」
希は普段、使い慣れてない口調なのか、精一杯、甘えるような声で言った。
普段の希は誰であろうと分け隔てなく接している彼女だが、人に媚びた声を出すのを聞いたことがない。
「しかし、今倒さなければ、大変なことになる」
余りに徒屋の真面目な表情に良平は笑いだしそうになるが宗一郎と顔を見合わせて、必死に堪える。今は希の努力を無駄にしてはいけない。
「勇治様。それでは悪を滅ぼしたことになりません。そのような手段で倒せば、この魔王の返り血が、悪の返り血が勇治様を蝕み、貴方を悪の道に誘うでしょう。そうなれば、誰が世界を救うのですか。
それを防ぐには魔王が完全復活を果たす瞬間に倒さねばなりません。それまで辛いですが、希は耐えて見せます。どうか、どうか、今は退いて下さいませ」
希はまるで囚われの姫のような身振り手振りで訴えながら、かぶりを振り、どこかで聞いたような言葉を紡ぐ。
それ以外にも既視感に囚われる。昔、同じような光景を目撃したことがあるような……
良平は横目で魔王の意志を確認する。彼女は気付いたのか、横目で見返すが、すぐに視線を目の前の遣り取りに戻し、それを無表情に黙って眺めている。
魔王が問答無用で戦闘体勢に移るかと思っていたが、彼女は希の意図を完全に理解しているらしい。
自分とは意思を確認するのに言葉が必要なのに。
「分かった。希君。君の努力は無駄にしない。必ず助けにくるからな! 魔王とその手先。今は見逃してやる。首を洗って待っていろ!」
徒屋は一目散にこの場から走って立ち去る。良平はそれを見送りながら、自分の腕を抓って表情を殺す。不快で仕方がない。嫉妬だろうか。
魔王は馬鹿馬鹿しいと思っているのか、挑発に対して、何も返さない。
「はい。希はお待ち申しております。ハンター様」
希は走り去る自称ハンターの背中にそんな言葉を送る。そして、いなくなったのを確認してから、彼女はアスファルトの上にへたり込んだ。
「大丈夫」
良平が駆け寄って支えると同時に希は笑いだした。
「うん。……馬鹿みたい。よく聞けば、解るのに。取り合えず、良ちゃんを殺されずに済んだみたいだね。咄嗟の閃きにしては我ながら首尾よくいった」
気が抜けたのか、希は呆れ返って、小悪魔的に舌を出す。
「……あ、どっかで聞いたことあると思ったら、昔、発売されたRPGのワンシーンか。助けにきた主人公達をヒロインが追い返すシーンの台詞か」
「それでどっかで見た身振り手振りだったのか」
そこまで言われて良平は思い出した。
そのゲームなら自分もやったことがある。ヒロインはその台詞が出てくる場面で希がやっていたような仕草を行なっていたような気がする。
希のそれは演技ではなく、神懸っていたように思えた。
良平はそんな希を見て、初めて、彼女を女性として見てしまい、見惚れる。
「取り合えず、汝等、はよう目的地へ着かぬか。我は彼奴の相手までさせられるのは御免こうむるぞ」
それを遮るかのように魔王は徒屋の去った方向を監視しながら、良平を促す。
今まで希を恋愛対象だと思ったことはないが――それでも、良平は大切な人だと思っている。
「立てるか?」
「緊張が解けたら、腰が抜けた。良ちゃん、ヘルプ」
そんな言葉に良平は言われるがまま、背負っていたリュックを魔王に押しつけ、希の前に屈む。彼女は遠慮なく背中にしがみついた。
不思議なことに良平はごく自然にこの遣り取りを行なってしまった。今までそんなことは一度もなかったのに。
良平が希を背負って立ち上がると、魔王は黙ってリュックを持ち、宗一郎が呆然としていた。
宗一郎の姿に良平は不穏な気配を感じ、声をかけようとするが、先に向こうが口を開く。
「さあ、病院に急ごう。日が暮れると厄介だ」
宗一郎は病院へ通じる道へと足早に歩き出す。良平はその背を見て、何かが狂いだしたようにしか思えなかった。
それに、今、思い出したが、あのゲームは最後、熱血主人公が最後の最後にヒロインに裏切られる話ではなかったか。
たしか、動機はヒロインが主人公の友人を愛していたことを発端としていた筈。
希はどうして、そんな物語のワンシーンだしたのだろうか。
良平は空よりも重苦しく軋み始めた人間関係が元通りに修復できることを祈るしかない。
そして、見逃してはいけない何かがあった筈なのに――意識に留めることができなかった。