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魔王が嫁になりました  作者: 明日今日
第二章 焦慮
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(2)

 聞き覚えのある声に良平は目を覚まして、体に巻きつけていたエマージェンシーブランケットを押しのけ、床から起き上がる。

 病院には死と血と薬品の臭い。そして、重苦しい雰囲気が立ち込めていた。

 近くに寝ていた希の姿がない。残されているのは銀のエマージェンシーブランケットだけだ。

「良平、しっかり起きてるか?」

 宗一郎が目の前に立っていた。その表情は険しい。

 「ああ」と返事をして、良平は床から立ち上がり、頭を振って、意識をクリアにする。

 魔王は隣に正座で瞑想でもしているのか、目を瞑っていた。魔族とは想像できない居住まいが整っていた。

「珠江さんが第二手術室で危篤状態だ」

 宗一郎の言葉を聞いて、良平は急いで第二手術室へ走る。

 希の泣き叫ぶ声が廊下にまで聞こえるので、良平は声のする方に向かう。

 第二手術室の扉が開け放たれ、手術台に乗せられた珠江に希が泣きすがっていた。

「姉さん! 珠江お姉ちゃん! 目を開けてよ。お願いだから。家事を手伝えとか言わないから。目を、目を覚ましてよぉ」

 その姿が余りに気の毒だったのか、その場の医師も看護師も誰一人として希を止めようとしなかった。

 良平は希に近寄って、隣に立つ。だが、彼女は気付かずに泣き続け、その瞳は赤く充血していた。

 しばらくして、良平に気付いた希は珠江から離れて、天井を仰ぐ。その姿は幽霊に見間違えるほど、悲壮感が漂っている。

「午前四時四十八分。心臓の停止を確認致しました。ご臨終です」

 手術を行なっていた中年の医師が厳かに告げる。

 霊安室に運びます。と看護師の一人が言って、看護師達、若い医者も含めて、珠江を手術台から下ろし、ストレッチャーに乗せ代える。

 立っているのがやっとの希を良平は肩を貸して、第二手術室から連れ出し、廊下の長椅子に座らせる。

「……お姉ちゃん。死んじゃった。あたしのたった一人のお姉ちゃん」

 希は放心した様子でうわ言のように繰り返す。

 良平は希を抱き寄せて、ガラス細工を触るようにできるだけ優しく頭を撫ぜる。今まで一度もそんな風に慰めたことなど一度もないのに、何故か、良平はその行為にデジャヴを感じた。

「あの女が我等に魔物を引き寄せなければ、この女子は巻き込まれずに済んだものを」

 すぐ近くに来ていた魔王は何故か酷く哀れむように口走る。その姿は一見しただけでは魔王には見えない。

 対照的に宗一郎は希の姿を見るのが辛いのか、この場には来ていない。

 代わりに騒ぎを聞きつけた紫藤が遠目からこちらを見つめていた。彼女は寝ていないのか、目の下にはクマのように痣ができていた。何かに取り憑かれているようにも見えた。

 「紫藤」と口にしていた。声に出すつもりはなかったのに。

 それが聞こえたのか、希は良平を押しのけ、長椅子から立ち上がり、夢遊病者になったかのような足取りで紫藤へ向かっていく。

 慌てて、希を追いかけながら、彼女が紫藤に襲いかからないか、警戒する。

 紫藤の正面に立ち止まって、希が顔を上げた。目の瞳孔が鈍く光っていた。

「紫藤! お前が殺したようなものでしょう」

「どうして、……私が。あ、あんたの姉を殺したのは魔物でしょう。切羽詰ってるからって人のせいにしないで」

 希の腹の底から湧きでるような怨嗟の声に紫藤は震えていた。その表情は十三階段を上る死刑囚と見間違えるほど、怯えている。

「お前が巻き込まなければ、お姉ちゃんは少なくとも生きていた」

 希は体中を小刻みに震わせながら、呟くように、だが、一番聞かせなければならない相手に聞こえるように言う。

 良平の知らない女がそこにいた。

「き、緊急事態時に、ほ、放心状態だった鷹羽の姉がいけないんでしょう」

 紫藤は反論こそしているが酷く動揺し、獅子に追い詰められた小動物のように見えた。

「もう止めてくれ」

 見かねた良平は希を強引に抱き締め、引き止める。同時に紫藤に向けて、睨みつける。

 紫藤がそれを見て、一目散に逃げ出した。

 これ以上、続ければ、確実にどちらかが怪我を負ったしれない。或いはどちらかが死んでいたかもしれないほど、一触即発の状態だと良平は感じて、希の手を掴む。

 逃げ出す紫藤を追跡しようとしていた希が睨みつける。そこに普段の愛らしい表情はなく、怒りに満ちていた。

「良ちゃん。どうして、あたしを助けてくれないの? どうして、あたしを擁護してくれないの? あたし、間違ってる? 間違ってないよね? 紫藤が巻き込まなければ、お姉ちゃんは死なずに済んだ。少なくとも、命は落とさなかった」

 真っ向から良平を見つめる希の瞳に強い意志が宿り、それは復讐者の目に見えた。

「ねえ。良ちゃん。誓いを覚えてる? 紫藤はあたし達を危険に晒して、お姉ちゃんを死に追いやった。誓いの中に含まれるよね?」

 希は誓いを出してこちらの言葉を待つ。その顔は先程までと違い、異様なほど無表情だった。

 良平には返す言葉がなかった。下手な言い訳は希を傷つけるだけだ。

「殺してなんて言わないよ。でもね。いいたいことくらい……ぶちまけたいの」

 希が沈黙を破る。無表情も崩れて、疲労の色が現れる。

 だが、その言葉にどこか、不吉な意志が宿っているように思えた。

「分かった。その時は必ず付き合うから、一人で先走らないでくれ」

 良平は擦れた声でゆっくりと言葉を紡いだ。

「うん。ありがとう。今度こそ、お願いね。……ちょっと疲れた。少しだけ、十五分で良いから休ませて。寝てる間、傍にいて」

 希は昏倒するように寝てしまう。その寝顔は酷く憔悴していた。

 良平は希を抱きかかえて、寝ていた場所へと連れて戻る。

 魔王が薄っすらと瞼を開き、こちらを見るが、良平は何も答えなかった。

 廊下に希を寝かし、上からエマージェンシーブランケットをかけた。

「話がある。構わぬか?」

 魔王はタイミングを見計らって、口を開く。良平には不機嫌そうに見えた。



 午前五時十五分――良平は人気がなくなった緊急搬入口から病院の外へ出ようとしていた。

 魔王からの情報で街の北部に魔物が集まっていると言うので確認の為だ。

 魔王は辺りに人がいないことを確認してから溜め息を吐く。

「別に汝等がすべきことでもなかろう。あの女子の姉は死に、この土地に拘る理由はなかろうに。我が単身で調べれば、すぐに済む」

 魔王は良平の行動に難色を示していた。

 隣を歩く魔王の眉間には皺が寄っている。それさえも彼女の秀麗さを引き立てている。

 当然、彼女には人間を助ける意図などないだろう。己と契約した人間の安全確保。即ち、自分の復活にしか興味がないのであれば、当然の反応と言えた。

「見にいくだけだ。わざわざ、君の同種と戦う気はない。さっきのあいつとも」

 だが、内心、少しでも家族を失った痛みを魔物達にぶつけることで気を紛らわしたいのだろうか。自分でも分からない。

 じっとしてるだけよりは落ち着くだろうか。

「本心なら杞憂も少ないのだがな」

 魔王は早歩きで搬入口に先回りし、良平の前に立ち塞がるようにして言った。

「あたしも一緒にいく」

 振り向くと、希が目を擦りながら、こちらへ向かってくる。隣にはスタンガンが巻きつけられた棒を、即席のスタンロッドを持つ宗一郎をいた。

 希は軽く微笑んで良平の横に立つ。彼女の双眸には剣呑な光が灯っている。

「休んでなくて大丈夫なのか?」

「止めた。でも、聞かないんだ。それに先程、聞いた話によると、一時間前に外部との連絡が途絶えた。携帯も無線も通じないらしい。俺も公衆電話を探す」

 希の代わりに宗一郎が答える。

 起きた希を看てもらうつもりで頼んだ筈なのに、逆に押し切られたようだった。

 ミイラ取りがミイラだ。

「唯一の肉親が死んで、まともに寝れないの。それでも、三十分は寝たから大丈夫」

 異変が起こる前に希の顔を見たのは昨日の昼間。最後に会った時とは違い、明かりのあるところで顔色を観察すると、十五時間ほどで酷く痩せこけたように見える。

「そこまでして、ゆきたいなら、止めはせぬ。――気が進まぬが。同行すると言うのならば、しっかりと手伝ってもらうぞ」

 魔王は最初から連れ出すつもりだったのか、笑みを浮かべて、搬入口を塞ぐのを止め、横に避ける。

「それに一人で行動しない方がいい。良ちゃんの方が私よりも酷い顔してると思う。暗いところで見たら、びっくりするから」

「……確かに酷いな」

 希の発言に宗一郎も便乗する。良平はそれを聞いて、不快感を表す。もっとも、家族を失って、正常な精神状態ではないことは自覚していた。

 顔の表情もその影響で酷いのだろう。正直、見たいと思わないが。

 無言で魔王がショルダーバッグから古い鏡を取り出し、良平の前に差し出す。

 良平が鏡を覗き込むと……そこには希と同じような状況の自分が映っていた。自分でもびっくりする。まるで亡者だと思った。

「汝の顔、確かに酷い。これでは我が疑われるではないか」

 良平は魔王を反射的に睨む。その原因の一端を担っている魔王が言うべきではない。

 文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、契約の影響で良平の心のうちを読めている節がある魔王に怒声をぶつけて、喜ばせるのも癪だと感じたので黙っていることにした。

 負の感情を糧とする魔王に必要以上、力を与えたくなかった。

「ただ、不幸中の幸いと言うべきか。少し力を取り戻した故、そなた達の体力回復や傷の治癒くらいはいつでもできる。《ぎぶ・あんど・ていく》と言うのだろう?」

 魔王はこちらの心境を把握しているのか、愉快げに話す。完全に手玉に取られていた。

 良平は希と宗一郎を交互に見る。

「あ、すまん。俺が教えた。拙かったか?」

 いつもの口調で宗一郎はあっけらかんと話す。この状況下において、頼もしい反面、魔王に対する免疫のなさは危険な要因に思えた。

 良平は宗一郎が女性に弱かったか、思い返す。けれど、そんな話は聞いたことがない。

「責めるな。むしろ、我は汝を責めたいのだぞ」

 小首を傾けながら、魔王は意味深に笑う。良平の言いたいことは彼女に伝わっているらしい。

「言いたいことは山ほどあるが……汝等は戦える準備をしたのであろうな? せめて、自分の身は護れるようにしてくれぬと我の仕事が増えてしまうのでな」

 魔王は希と宗一郎を見た。相変わらず、値踏みするような視線を注いでいる。その仕草は己の近衛兵を選別する女王のようだ。

「これ、効きますか?」

「石像には効かぬが、向かう先にいたのは鬼の類。怯ませることはできよう。少し貸せ」

 宗一郎の問いに答えながら、魔王はスタンロッドを両手で持って床に跪き、掲げるように祈る。

 少しだけこの場の、緊急搬入口に溜まる淀んだ空気が薄らぐ。その事実に希や宗一郎も気付いたのか、驚いているみたいだった。

 それは禍々しい力とはまったく逆の力。良平はそんな魔王を素直に美しいと思った。

 魔王が立ち上がって、スタンロッドを宗一郎に差し出す。

「これで少しはマシになった筈ぞ」

 周囲の驚きを知ってか、知らずか、魔王は何の感慨も見せない。

「で、でも、貴方は……暦氏は魔族で魔王ですよね?」

「今更、そのようなことを問うのか? ――我にも前職と言うものがあるぞ。愉快か?」

 宗一郎は首を横に振りながら、スタンロッドを受け取った。

「汝よりは素直だな」

「一々、僕をからかうな」

 良平は苛立った声で返したが、それも魔王の思い通りだったらしく、彼女は蕾を連想させる小さな口を開いて、その隙間から白い歯を見せていた。

「場所はどこなんですか?」

「ここから、そう遠くはない。……確か、床ノ座森林公園と書いてあったぞ」

 希と魔王の遣り取りを聞いて、良平は嫌なことを思いだした。

 床ノ座は確か、疫病で流行った時、死んだ人間を臨時に埋葬したと言われてる土地で近くにある霊山・六陣山の影響もあって、頻繁に心霊現象の目撃地点だった。

 この街で一番、真夜中に足を踏み入れたくない観光スポットだ。

「言葉はどうやって覚えたのですか?」

 良平の感想を遮って、宗一郎はどうでもいいことを口にする。

「……知りたいか? ……伏せておこう。知らぬ方が良いこともあろうに」

 魔王は答えをはぐらかした。その際にこちらを見たので良平には理解できた。

 恐らく、良平の知識を流用して理解しているのだろう。

 だが、それだと、最初に出会った時、魔王が現代語を喋れた説明ができない。追求して話すような相手ではない上に自分の傷を広げるだけなので黙っていることにする。

「では参ろうか?」

 魔王が緊急搬入口を開け放った。

 二月の為、夜は明けずに空は漆黒に覆われて……皮肉なことに衰えぬ災禍の炎が黒煙と共にこの惨状を形成していた。

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