(1)
昔から思ってたけどこの章だけ妙に長くてバランス悪いな
良平は白い靄の中、立っていた。
真正面には見慣れない薄紫の衣装を着た神聖な印象を受ける少女が立っていた。夢なのか、容姿が確実に認識できない。だが、少女は印象と違い、その顔には苦悩が浮かんでいる。
「あの時と同じ過ちを繰り返すつもりですか。あなたは力を持っている。なのに戦わないで、また、妾を見殺しにするつもりですか?」
「僕に言われても困る。誰かと勘違いしてる」
少女の目から涙が零れ落ちる。彼女は唇を震わせながら叫ぶ。
「戦いたくないですか? そんな綺麗事で傷つくのはあなたですか?
違います。周りの人間です! 想像できますか? 貶められ、穢された者の気持ちが。あなたは見殺しにしたのですよ。共犯者です! 妾は……あなたを信じていたのに!」
その表情に良平が拳を震わせながら、目を逸らす。怒りではない。良平が感じるのは足元から這い上がってくるような罪悪感と恐怖の感情だった。
襲ってくると分かっているのにそれから逃げられない。いや、指先一つ動かせない。
「僕は――」
「『僕は戦いたくなかった』ですか?」
良平は驚いて、思わず、少女の顔を見る。その顔は怒りの形相だった。
「そんな言い訳聞きたくない! 妾に、妾に約束してくれたことは全て嘘だったのですか。何があっても離れないって言ってくれたのに」
少女は屈み込み、両手で顔を覆う。
良平はその絶望から絞りだされた声に今度は目を逸らすことさえできず、ただ、少女を見つめていた。
自分ではない。人違いの筈なのに、少女が絞りだす声を聞き、あがらえない。
夢の中なのに胃ごと吐き出しそうな激しい自己嫌悪に襲われる。
「あなたが選んだ選択肢は最善どころか、最悪でした。そんな道を選ぶなら……一緒に死んでくれと言ってくれなかったのですか? 妾はあなたとなら、地獄の底でも喜んで落ちたのに」
少女は言葉が言い終わると同時に姿を消す。その強烈な言葉は真実に聞こえた。
聞きたくなかった筈なのに、その少女が目の前から消えると同時に、良平は心に空洞ができたような感じを受けた。
良平は祈るように目を閉じる。多分、自分は家族の死と苦痛を糧に蘇った魔王の力を借りていることに対する嫌悪感だろう。……希を助ける為とは言え、魔王の力を借りたくなかった。
良平が目を開けると同時に体は空を舞っていた。落ちるかと思ったが、体は空中に静止したままの状態だった。
パニックになり、叫び出しそうになるのを堪え、深呼吸。落ち着いてから、眼下を見下ろすと、自分が通っている公立高校に近くのコンビニ、希の家に、完全に倒壊した自分の家があった。
もし、希を助けずに両親の生存を調べることを優先していたら、助けられたのだろうか。そう思うと震えが止まらない。それだと希を助けることはできなかっただろう。
どうすれば、良かったのだろう。
扉守市は街中から火の手が上がり、建造物も倒壊している物が目立つ。道路のアスファルトは波打ち、道路は所々で寸断され、橋は落ちていた。
街中に群がる魔物はさまざまな箇所で蟻の如く、人々を襲撃している。市内の左街の中央区では人々は逃げ惑い、警官や消防士達が応戦しているが次々に殺されていく。
良平には不思議と何の感慨も湧かない。現実感がないから。
今、悩んでいる事柄に比べれば、TVの向こう側の出来事にすら思えた。
「契約のせいか。汝にも見えるようだな。雑兵も我の供物を捧げる程度の役には立つか」
良平は声のする方を見て、空中に浮遊する魔王がいることに驚きを隠せない。
視界の端には紅き月が既朔から三日月に変化していた。
「夢だと思ったのか? 無理からぬことではあるが……これも遠隔透視の一種だ。――信じろとは言わぬが汝の両親は死んでいた。生存の可能性で悔やむのなら、我を憎め」
魔王はこっちを一瞬見て、再び、扉守市に視線を戻す。
意外な言葉に良平は驚きを隠せない。
「何故、こんなことをする」
口をついて出た言葉は良平には関係ないことだった。
「先程も述べたであろう。あの低級の魔物について、我は詳しいことは知らぬ。復讐については人間共が我を封じ込めたから復讐する。ただそれだけのこと。先に手を出したのは奴等だからな」
魔王は少しだけ怪訝な表情を浮かべ、まるで哀れむような目を良平に向ける。
「……相手のことを知らないのにどうして、判別できる?」
「我が魔王《絶望の満月》と化した時、与えられた知識がある。
汝も己が直接見たことがない事実について、知識としては存じてはおるだろ? それと同じことにしか過ぎぬぞ。それがそんなに変か?」
魔王が言い返したことはある種、当然の反応であった為に良平は言い返す言葉がない。
近辺では人間達が自警団を結成して魔物と戦っているが状況は芳しくない。
魔王はそんな中、ただ、一点を見て、溜め息を吐く。
「早くも厄介な連中が現れたか。どうやら、我は運命の巡りが悪いようだな。これは汝にとっても他人事ではないぞ。素知らぬ顔をするな」
魔王が口の端に笑みを浮かべているように思えた。どうやら、苦笑いしているらしい。その表情は厄介事を押しつけられて、少し怒っている様子だった。
良平はそれを見せられ、戸惑う。さっきの配慮も相俟って普通の人間にしか見えない。
「あれを見ろ。あの狩衣を着た男だ」
魔王に言われて、良平は六陣山の方角、右街と呼ばれる東中央区の北部、公園に佇む男を見る。良平の視力では遠すぎて詳細までは分からない。
男が白い服を着ているということだけは理解できた。
「どこが厄介事なんだ? 遠すぎてよく分からない」
「見えぬと言うのは気楽で良いな。こんな状況下、野外をあんな格好で出歩く奴が普通の人間か? あの男は陰陽師だ。それもかなり高位の能力を持った。封じられていた期間が長かった故、主要な血は絶えたと思っておったのだが――各時代に厄介な奴はおるか」
魔王の呆れている態度に良平は考えなしの自分が恥ずかしくなった。
「余り、あの男を見るなよ。視線で気取られては元も子もない故」
すぐに魔王は勝手を言って、言葉を続ける。
「寝ぼけておらぬと思うが、汝の生殺与奪の権は我が握っておる。それを忘れないでくれるか。無駄に生命力の供給を減らす拷問など行ないたくはないからな。そういうのは人間の領分だ」
良平は自分の命を魔王に握られていることを改めて認識して、憂鬱な気分になる。
「嫌がらせだろう?」
良平は自分でも子供じみた問いだと自分でも思った。
「何を言っておる。運命共同体。持ちつ持たれつの協力関係。利害の一致。我と汝は過程はともかく、そういう関係になったのだ。しっかりと認識してもらわぬと困る。――それに人間は異端には冷たいぞ。汝をどう扱うか、少しは考えよ」
魔王の言葉には実体験に基づいたと思われる棘が含まれていた。
緊急事態とは言え、魔族と契約した人間の末路を考えると良平の気分は重くなった。こんな状況だ。下手すれば、命も危ういだろう。
「だが、今は眠れ。そのうち、嫌でも起こしてやる故」
声が聞こえたと同時に良平の視野がブラックアウトし、意識は闇の中へと消えた。