(4)
良平と魔王は魔族としての身体能力をフルに使い、秘頭ヶ丘を一気に駆け下りた。
左中央区飲み込んだ火災も儀式の影響で鎮火していた。二人で焼け落ちた左中央区を抜けて港湾地区に入る。
途端に風が激しさを増し、周囲は倉庫だらけに変わった。先程まで飛び交う火の粉に晒されて、ひりついていた肌には冷たい風はむしろ、心地良い。
もう、目の前に海が見える。五分もかからないだろう。
死の街と化したこの扉守市でこんなことを思うのも不謹慎ではあったが、良平にはこの街から脱出ができる喜びが勝った。
魔王が扉守市から出るのに海上ルートを選択したからだ。
港は地震で壊れているが、魔力で浮遊し、歩いて出ることはできる。その後、そのまま、海を渡って移動すれば、人間の追っ手を撒けると告げた。
「体は大丈夫? 支障は?」
「こっちは大丈夫。君の肩は?」
良平はぎこちなく問う。《彼女》との距離感が掴めないから。
「痛みは平気。傷は……情けないことに治りが遅いかな。でも、一番困ってるのは自分じゃないみたいな感覚。妾、こんな性格だったかな」
走りながら、魔王がはにかんで笑う。人格が混ざり合っている影響なのか、口調が統一されていない。
「……夜が明ける前に急ごう。辛いんだろう」
「日の光を浴びたくらいでは死なないけど、気分は悪い。それに疲れた」
ふいに良平は魔王の袖を掴んだ。意図に気付いて、彼女が倉庫の向こう側を見る。
何か、禍々しい者がそこにいる。微かにそれを感じ取った。
「御機嫌よう、同胞。魔族になった気分はどう?」
倉庫を粉々に破壊し、舞い上がる粉塵の中から多頭の怪物が現れた。頭は九つ。粘着性の液体で濡れたようなガマガエルのような肌。蜥蜴のような腹と足。ヒュドラと呼ぶのが相応しい魔物だった。小屋くらいの大きさはある。それが紫藤の声で喋った。
「さしずめ、ケルベロスと言ったところ? それとも、イザナミの真似? しつこい女は嫌われるわよ。生徒会長殿」
魔王が希の声で言った。ここにきて取り繕う気もないのか、不快感を露わにする。
ヒュドラはその体に微かに明け始めた日の光を微かに浴びながらも平然としていた。
光が門からあの世に差し込む現世の陽光とすれば、このタイミングで立ち塞がった元紫藤の怪物は地獄の門番と呼ぶに相応しい姿に堕ち果てていた。
「随分、本音で喋るようになったわね。《絶望の満月》様。邪魔されて怒っているのね」
九つの首をこちらに向け、鋸のような歯を剥き出しにして嘲笑う。喉の奥には作業着のような物の切れ端が見えた。
恐らく、海上から扉守市の救援にきたの政府組織の人間を食べたのだろう。
ようやく、性根と容姿が一致したな。小剣を引き抜きながら、良平は思った。
「いいえ。この手でお姉ちゃんの敵が討てるなんて、今日は良い日ね。
それより、その体、生贄が足りなくて、自分まで捧げたの? 不死の為に? 不死になったか、確かめる為にあたし達の見える場所で首を刎ねさせた。……とんだ、パフォーマンスね」
なるほど、首を刎ねても再生するか、確かめたのか。
「完全なる存在になる為よ。人間なんて醜いわ。私の性根も理解できない馬鹿共にはウンザリしてたし、そして、このふざけた世界にも。
だから、下級魔族に知恵を貸して、A76号線に防衛線を敷いたりしたの。日常が壊れるには丁度いいじゃない。この地震は――
平凡よりも劇的な死よ。その方が美しいじゃない。それに馬鹿な男子も喰って、私の一部にしてあげたのよ。彼等も幸せだと思うわ。私の糧になれたんだから」
「悪魔から聞かされた動機が腑に落ちないと思えば、そんなことの為に」
怒りと言うよりは呆れが湧いて出た。
「私とあんた達、大差ないでしょう? 外村宗一郎も不死にしてあげれば良かったのに酷いわね。そしたら、肉親は助けられなくても、あんた達の目の前では死ななかったのに」
その言葉に頭の中で何かが切れた。こいつだけは許す訳にはいかない。
「なるほど。《不純なる純粋》は真実を言っていたのね。宗一郎が良ちゃんに嫉妬してたから、変だと思ったら……お前が焚きつけたのか。妾は紫藤……お前を許さぬ」
「鷹羽。あんただって、鬼緒の為に何人殺したのよ?」
ヒュドラが全身を震わせる。その動作が嘲弄のように思えた。
「あたしは欲得の為に人を」
「愛も欲得よ。残念だわ。分かり合えないなんて――でも、良かったわ。
私、人間のまま、永遠を生きる鷹羽が許せないの。それに魔王? 魔王の力? 気に食わないのよ! 初めて見た時から! ここで私の養分にしてあげるわ!」
一斉に九つの首がそれぞれ、良平と魔王を狙う。
「魔獣如きが魔王を囀るのか。一つだけ慈悲として答えてやる。我は永遠に生きる気などないし、お前と違って興味もない。だが、我に対する非礼、滅びにて償え」
魔王が錫杖を振り、向かってきた首の三つを真空刃で切断する。首は異臭のする体液を撒き散らしながら、アスファルトを転がるが、すぐに斬られた箇所から頭が生えだしている。
やはり、普通に斬っても無駄か。良平は迫る首の目をすれ違いざまに狙う。
契約していた、人間だった頃とは比べ物にならない反応速度で動ける。苦もなく、迫ってきた首の目を小剣で切り裂く。
小剣は紫の光を纏い、零れ落ちた体液を防ぎ、傷の再生も阻んでいる。
「離れて!」
ヒュドラが痛がっているその隙に魔王の傍に移動する。
それを見計らって、再生を行なおうとしていたヒュドラの首の三つが一気に凍りつく。
魔王が錫杖の力を使い、大気に干渉させたのだろう。
「希、望。誓いは守る。危害を加える人間はこの手で葬る。すぐに済ませよう」
『うん』
希と魔王の声がハモる。その頬が赤みを帯びていた。
街が混乱している間に逃げなければならない。魔族になった自分達にはすぐに追っ手がかかる。一気に決着を着けなければ――
ヒュドラと戦い始めて、五分。
既にヒュドラの首は残り一つになっていた。さすがに元人間が魔王を敵に回して、勝ちを拾える訳がない。
しかし、最後の首だけが残っていた。伝承によると最後の首は土の中に埋めて、その上に石を置いた筈。
この港湾区は一面アスファルトに覆われ、石など見当たらない。ヒュドラの体液も伝説と違い、大した毒性もないように見える。
だが、最後の首は一時しのぎで切り落としてもすぐに再生してしまう。
良平は平気だが、魔王の方が消耗が激しいのか、肩で息をしている。やはり、儀式の影響だろう。
「もうすぐ夜明け。鬼緒は平気そうだけど、《絶望の満月》様は辛そうね。私が何も考えないで喧嘩を売ったと思うの」
千切れていた最後の頭部が笑い声を上げながら、首に繋がる。
「希、大丈夫?」
「これは本当に予定になかった故……汝といると心強い」
膝をついていた魔王は苦笑いを浮かべ、錫杖を支えに立ち上がった。希と呼んだから、口調は冷たいような気がした。望の部分が怒っているらしい。
「いい加減、諦めたら。鷹羽を喰えば、私も人の姿に戻れるんだから、協力しなさいよ」
「残念ながら、そんなに都合が良い話があると思うのか?」
その言葉にヒュドラの濁った目が見開く。魔王の横顔が海風で揺れた髪で隠れた。良平には解る。間違いなく嘘だ。
「黙れ! あいつから聞いたんだ。間違いなどない」
ヒュドラは首を魔王に叩きつける。彼女はそれを回避しながら、尚も言い放った。
「人間に魔族の何が理解できる? 《不純なる純粋》が事実を言うと思うのか。お前に悪魔を召喚できる能力があると信じているのか」
絶望の声を上げ、ヒュドラの首が天を仰ぐ。
その隙を狙って、体は敵の懐に入り込み、首を刎ねた。最後の首だけで五回目である。
「無駄よ。あんた達に私は倒せない」
離れる良平に侮蔑の言葉を吐きながら、頭はコンクリートに落ちる。
「案ずるな。これで終わりだ。発動せよ。滅魔陣!」
鴨野の声と共にヒュドラを中心に発動した五芒星の結界が、三者を白い光が包む。
良平に脳裏に数百年前の悪夢が過ぎる。あと一歩まで来れたと言うのに。良平は必死に魔王に手を伸ばす。
魔王も手を伸ばす。あと少しと言うところで視界がホワイトアウトする。
また、駄目だったのか、こんな所で諦めなければならないのか。両親、双葉と裕太を失い、三度、最愛の少女まで失わなければならないのか――
空白の中で手が届いた。《彼女》の手だ。間違いようがない。
「運がないのかな」
希の声で魔王が手を強く握り返しながら言った。
――心よりも体が動く。強引に魔王の手を掴み、一か八かで結界の外に向かって、白い壁に突撃する。
壁は拍子抜けするほど簡単に抜けられて、視界に倉庫街が飛び込んでくる。
痛みがないことを不思議に思いながら、後ろを振り返った。
「後ろを振り向くのは禁則だぞ。少しは控えよ」
魔王の声を出しているが、一人に戻った時と彼女は何ら変わりなかった。その顔は笑顔だった。
「大丈夫か? 望。希も」
安堵の溜め息も吐く暇もなく、魔王を抱き締めながら、鴨野を探すが発見できない。
「平気よ。でも、良ちゃん。あたしはついで」
「違うが、その件は後で頼む」
魔王を離して、結界を凝視する。結界の内部が見え始めていた。
ヒュドラが絶叫の声を漏らす。首は結界に耐えているが、本体が泡のように消え去っていく。
「私の、私の体が……がっ」
透明度を増していく結界の中で突如現れたように出てきた鴨野が自分の錫杖でヒュドラの頭を串刺しにした。
「扉守大橋での件、今、この場にて返そう。迷わず、成仏するがよい」
結界が消え去り、ヒュドラは完全に動きを止めた。それを見届けて、陰陽師は結界から距離を取る。
「さて、橋と言えば、お主達もか……橋での続きをする気か?」
魔王は無言で錫杖を振った。同時に大きな余震が起きた。
『我、万物に使えし者として願い乞う。かの者に永遠の枷を』
再び、動こうとしていたヒュドラの頭があった地点に大きな余震で地割れができ、そのまま、紫藤だった存在は奈落の底へと落ちていった。
それを封印するかの如く、バケツを引っ繰り返したように穴の周りにあった大量の土砂とコンクリートが奈落へと沈んでいた。もう二度と地上には戻って来れないだろう。
あらゆる人間を欺いた紫藤彩は死ぬよりも辛い目に遭うだろう。死ねない体であるが故に。
全てが終わったのと同時に大きな余震は収まった。鴨野は地割れから逃れ、対岸に立っていた。
この区域のあらゆる箇所から悲鳴にも似た軋む音が聞こえ始める。魔王はこうなることを分かっていて使ったのだろう。
「お姉ちゃん、敵は討ったからね」
魔王の頬を涙が一滴だけ通った。
「どうするつもりだ」
鴨野と東の空を見る。夜明けまで時間がない。光は人間の領分だ。今戦うのは不利だ。相手も消耗しているだろうが――それ以上にこちらは消耗していた。
良平も魔王と一緒に地割れを挟んで陰陽師と対峙する。
「行け。駆け落ちでも何でも好きにしろ」
傷だらけの鴨野が言った。この港湾区域の崩壊が始まっているにも関わらず、飄々とした態度が不気味だった。
「我等を逃がすと言うのか?」
「どうして」
「無粋なことは聞くな。約束は違えぬ。扉に関して、奴は一枚噛んでいた。だから、滅した。お主達には関係のないことだ。それに……今、戦えば、双方共倒れ。それではお互いに面白くなかろう。
《絶望の満月》よ。貴様はこの土地に縛られていたのだろう。私が受けた依頼はこの土地から魔を排除すること。ここから去る分には止めぬ。……気が変わらぬうちに去れ」
「お前が先に妾達の視界から消えてくれれば、二度とこの地には踏み込まぬ」
「贅沢な奴らだ。先程の攻撃でこのエリアも長くはないぞ」
「――この三日間、ろくな人間に会っていない。警戒するのは当然だろう」
地割れを挟んでいるが鴨野の身体能力なら飛び越える可能性も護符を使った攻撃が届く可能性もある。
「……ならば、お互い少しずつ下がる。私はお主達の攻撃範囲から、お主達は私の攻撃の届く距離から脱す。それが譲歩ラインだ」
鴨野が呆れるように溜め息を吐く。
「分かった。それで構わない」
良平は魔王と目配せして、手を繋いで海の方へとゆっくり後ずさる。鴨野も同様に後ろへと下がっていく。魔王は警戒しているのか、鴨野から目を離さなかった。
お互いに必殺の間合いから離れた瞬間、良平は近くの倉庫の裏に滑り込み、魔族の力を使い、魔王を引きずるように一気に海へ向かって走りだす。見る見るうちに海が近付いてくる。
良平と魔王はようやく埠頭へと辿り着いた。
振り返ると、屋根の上に鴨野が立っていた――が言ったとおり、相手は手出しをしなかった。
心配性め。まあ、好きにするがいい。唇が動くと同時に彼は屋根から飛び降りて、何処かへと姿を消した。
今度こそ、扉守市での出来事は終わりを迎えた。この五十五時間が嘘のように太陽を迎え入れた空は澄み切っていた。街の隅々まで太陽光は暖かく照らすだろう。
せめて、家族を供養したかった。
良平は己には決して届かぬ光の中でただ、それだけが無念だった。しかし、それはあの時、逃げると言う選択肢を選べなかった自分への十字架だと考えた。
だから、今度こそ、この手を握り続けてくれる少女の手を決して離すまいと強く握り返す。
希=望は眩しげに左手で太陽を遮りつつ、微笑み返してくれた。
[了]
この話はこれで終わりです
一応おまけ出しておきます




