(2)
良平達は魔王の魔力で浮遊し、瓦礫で形成された左中央区をスケート靴で氷上を滑る要領で歩いている。
既に市の左街中心は魔物が徘徊し、灰と火の粉が舞う紅の地獄だった。街の随所で火災が発生し、降り出した雪と夜の闇は炎に蹴散らされ、地面に触れることもできない。
近くで起きてる火災のせいか、余り寒さを感じない上に魔王が力を取り戻しつつ影響なのか、魔物は今まで以上に良平達を避けている。
この左中央区の大通りを抜ければ、魔王の目指している場所に着くらしい。良平の記憶にはこっち側の中央区にはそれらしい場所と言えば、秘頭ヶ丘の森しかない。
「それに触れていて大丈夫か? 苦しくはないのか?」
そこら中に溢れかえっている魔物を牽制しながら、魔王が良平に声をかける。
「平気じゃない。戸津之守神社で君が味わった気分の何分の一かを今、味わってるよ」
自虐的に肩を竦める。希はこっちを気にかけているようだが、何も話さない。
この聖剣は持っているだけで不快なので良平には扱う以前の問題だ。
「それなりに献身的になってきたようだな。我は嬉しいぞ」
魔王はからかわなかった。むしろ、その声は本当に喜んでいた。
「良ちゃん。前」
希の言葉に良平は異変を察した。前方には魔物が集まっている。だが、襲ってくる気配はない。その視線は魔王に集中しており、何かを乞うようだった。
魔王が浮遊を解除したのか、良平達の体がアスファルトの上にゆっくりと降りた。
「突破できるのか?」
「問題はない。できれば、朝がくる前に終わらせてしまいたい」
魔王は無慈悲な視線を魔物達に向ける。こういう瞬間は魔族らしい。
「お前達は森に潜んでいる人間共を狩りたいのか。よかろう。社のある境内に入らぬのならば、かの地での非礼は許そう。存分に暴れてくるがよい」
魔王の許しを得て、集まっていた魔物達は一斉に秘頭ヶ丘へ向かっていく。
「仲間なのか?」
「まさか。単純に飢えておるから秘頭ヶ丘に入りたいのだろう。あそこは我が根城にしていた場所。それ故に勝手には入れぬからな」
魔王はかぶりを振って否定する。
「言霊で縛ってるから、入れないないんだよ。――多分」
希の補足に違和感を感じる。
確かに希は魔王に仕草や考え方が似てきているような気がした。それで宗一郎の言葉を思い出す。良平はかぶりを振って、雑念を心の隅へ追いやる。
「朝日が昇って、人間共がこの惨状を見た方が魔族達の力を増すぞ。特に我みたいなタイプはな。――こそこそ隠れておらぬで姿を現せ」
魔物達が去ったのを確認してから、魔王は炎の向こう側に向かって叫ぶ。
「これは僥倖。まだ、ご存命でいらしたか。《絶望の満月》殿」
扉守大橋で倒した筈の悪魔が炎の中から現れた。胸の傷と折れた爪は再生していない。
その口調は慇懃だが、いかにも白々しかった。
良平はリュックと聖剣を鞘ごと捨てて、小剣を抜く。
「攻撃が浅かった。それとも、幻だったのか」
「いえ、攻撃は上々でしたよ、魔王の花婿殿。ですが、某は少々、頑強にできておりますので……お一人足りないご様子。人間にでも殺されましたか? お悔やみを述べましょう。
彼は花婿殿と違って、蘇生は勿論、延命も不可能だったようですね。ですが、悲しむことはありません。某が会わせて差し上げましょう」
慇懃無礼な態度を崩さずに悪魔は答えながら、攻撃の構えをとる。
魔王は持っていた錫杖の祭具《転生の輪音》を構え、希はロンデル・ダガーを右手に持っていた。
「なるほど、高い不死能力を持っておったか。或いは心臓が三つあるのか? それとも、召喚者を生贄にしたか?」
魔王の問いに悪魔は笑って、答えを示した。
その中に答えがあるのだろうが、魔術に疎い良平には理解できない。
「では、《絶望の満月》と魔王の婿よ。開幕のベルを鳴らすと致しましょう?」
悪魔が魔王との距離を一瞬で詰めて、死神の鎌と呼んでも遜色のない爪を振り下ろす。
今までと違い、魔王は爪を錫杖で圧し折る。その隙を狙って、悪魔が蹴りを繰り出す。
良平は魔王をフォローする為、悪魔を攻撃できる位置に移動する。
魔王は悪魔の繰りだした蹴りを難なくかわし、距離を離す。
「ほう。多少は戦えるようになったのですか。では、手加減なしで」
悪魔が右手を掲げると同時にその上空に雷雲が発生し、閃光が走る。
良平と魔王は咄嗟にその場から転がって離れるが、希は動けない。それを見て、悪魔が笑う。
「希!」
良平の絶叫をどこ吹く風で希は自分を狙って落ちる雷を掲げた右手で防ぐ。そして、その手に収束された雷をあらぬ方向へ受け流す。
その姿に良平は唖然となった。
希は無事のようだが、放心している。いや、トランス状態なのだろうか。
「やはり、そうか。ならば、魔王殿、貴殿から倒す方が確実なようだ」
その様子を見て、悪魔が魔王に告げた。
「笑わせてくれなどと、頼んでおらぬ」
魔王が錫杖を振り下ろす。それに応えて空間にできた一筋の切れ目が悪魔に迫る。
周囲の空間ごと悪魔の姿が歪み、避けなかった悪魔が中央から真っ二つに引き裂かれ、無色の体液を撒き散らす。橋の時とは違って。
だが、悪魔はそんな状態でも動いていた。
「こんなに街中に瘴気が満ちていては滅びぬのも無理はないか」
魔王は不愉快そうに言い放つ。悪魔はそれを見えて哄笑している。
歪んだ空間が徐々に戻ろうとするのと同時に悪魔の体も切断面を中心に何事もなかったかのように元に戻り始める。
「それは、この扉守市全体に漂う瘴気が奴の生命力に変換されている」
良平は何事もなかったかのように元通りなる悪魔を見て、戦慄を覚えた。
攻撃が通じても殺せないのなら、戦いようがない。
「ご名答。人間にしては聡いな。人間上がりの《絶望の満月》殿が選ぶ訳か」
悪魔は良平を嘲る。その言葉に魔王の視線が鋭さを増す。
「我も名なし……貴様のことを理解したよ。海に落ちた程度では滅びん筈だ。
確か、《不純なる純粋》と言う二つ名だったか? ……となれば、橋の時の流血も偽装か。だが、倒される可能性が少ないから、我に挑むと言うのは浅はかではないのか」
魔王は合点がいった様子で悪魔を凝視する。
「それもあるが、呼び出された以上、遂行するのが悪魔の矜持と言うものであろう?」
「どういう意味だ」
良平は意味が分からず、声を上げた。
「これは失敬。魔王の花婿殿に非礼か。某はある少女に呼び出された。気に食わない女を殺せと言う命令を実行する為に――」
「紫藤彩」
希が代わりに答えを出す。表情の消えた横顔。その心境は計り知れない。
そう語る悪魔の様子に何処か、腑に落ちないものを感じる。紫藤が人一人殺すのに一々、そんな手間をかけるだろうか。あの女なら、簡単にやってのけた筈。
悪魔が「やはり知己であったか」と邪悪な笑みを浮かべる。
「それであの女は両親を捧げ、家を見られるのを嫌い、この街の連中を手にかけた」
魔王は紫藤の心を読んでいたらしく、思い返すようにして呟く。
「本来、彼女では某を呼ぶことはできぬのだが――」
「この地震で死んだ人間を生贄に使い、それで貴方を召喚した。途中で従えておく為の対価が足りなくなって、病院の連中を生け贄に使った。それで肝心要である召喚主は何処に消えた? 貴方が殺したか?」
悪魔の言葉を希が引き継ぐ。その仕草は魔王に似ていた。
「そこまで完全に演じきるとは――神憑っている。さすが、元巫女殿。
彼女は某との契約を破棄して、魔王殿との契約を交わそうとしましたので処断致しました。 ガーゴイルを生み出した時も某の忠告を聞かずに勝手に逃げ回ったせいで余計な犠牲を出したようですし――花婿殿の御友人にも《絶望の満月》と契約できれば、死んだ人間を生き返らせることができるなどと唆していたようなので」
悪魔は良平に目線を向ける。紳士的に。宗一郎の声が聞こえたのもそのせいだったのか。
真相を理解して、希の全身が小刻みに震えている。紫藤の行動で犠牲になった人間に珠江も含まれていたから。
「では第二幕を始めましょう? 《絶望の満月》よ」
悪魔は掲げた右腕で雷雲を操り始めた。
悪魔が宣言すると同時に雷が良平と魔王を襲う。金属の武器を使用している以上、避け続けるは不可能。一気に決着を着けるしかない。
だが、この街全体を生命力に変換されては――
回避しきれず、良平の体を雷が絡め取った。魔王と契約があったお陰で即死しなかったが、一瞬、意識が飛ぶ。
気付けば、地に伏している。
神経内部を流れる電流と干渉しているのか、体が上手く動かない。まるで壊れた時計の秒針だ。
希は動かず、悪魔を見つめていたが、良平の捨てた聖剣を拾いに上げる。
「良平!」
魔王が障壁を生み出し、雷を防ぎ、錫杖を振り回し、空間を引き裂く。悪魔は空間ごと首を刎ねられ、一時的に動きが止まる。
首を刎ねられたにも関わらず、血らしき物は一滴も噴き出ずに水のような液体が道路を濡らす。
だが、地面に転がった悪魔の頭部は哄笑を続け、勝ち目のないこちらを蔑むように見た後、首は消滅し、次の瞬間には元通りに戻っていた。
良平は辛うじて上半身を起こすが、足が動かない。
「動けるか? 次に引き裂いた時にこれを奴の体に投げ込め。しくじるな」
魔王は駆け寄って、有無を言わせず、良平に白い粉――塩が入った袋を渡し、悪魔の前に躍りでた。
あいつの二つ名は《不純なる純粋》と言った筈。雷を恐れない体に、あの再生能力。
悪魔はすぐに刎ねられた首を再生させる。魔王に笑いかける。
「そろそろ、終焉に致しましょう。《絶望の満月》殿」
魔王は悪魔を睨みつけているだけで答えない。
「悪魔! 貴様を構成しているのは純度百%の超純水だ!」
悪魔の表情から余裕が消える。
魔王はその隙を逃さず、錫杖を上から振りかざし、悪魔の周囲の空間に干渉し、その体が上から包丁を入れられた果実のように引き裂かれる。
良平は力一杯塩の入った袋を放り投げる。それは悪魔の切断面に命中し、塩を全身に撒き散らす。
悪魔が体中から煙を上げ、絶叫する。
「……こ、これは、塩か。だが、これだけでは」
確かに動きは止まったが消滅していない。むしろ、悪魔の体は再生しつつあった。
その瞬間、血の付着した聖剣が悪魔の頭上に舞った。希が投げた物だ。
悪魔も聖剣を警戒していたのか、一瞬、注意が逸れた。
『稲妻よ。我、万物に使えし者として願い乞う。かの者に裁きを!』
魔王と希――二人の少女の声がハモり、稲光が辺りを照らす。雷雲から落ちる稲妻は聖剣に誘導され、真下の悪魔に落ちる。
純度百%の体を失った悪魔の絶叫が木霊する。導電率〇%の体を失い、使役していた稲妻により、その身を焦がされ、徐々に蒸発していく。
永遠とも思える絶叫の後、落ちてきた聖剣と呼ばれていた剣が体を半分失った悪魔の胸を貫く。
これなら、瘴気から得る生命力の供給を絶った上で倒せたか?
「……なるほど。伊達に魔王を名乗ってはいないか。見事」
それだけ告げて、《不純なる純粋》の二つ名を持つ悪魔の体は一気に灰になり、風に舞い、消滅した。
良平は悪魔だったものが消滅する最後の一瞬まで釘付けになっていた。
同時に聖剣と呼ばれていた剣も稲妻の威力に耐え切れなかったのか、一筋の亀裂が入ったかと思うと、次の瞬間に砕け散る。
我に返って、魔王と希に視線を移すと二人とも、天を仰ぐような体勢で祈っていた。
魔王が膝をつき、錫杖を支えに息を整えようとしている。希は力を失い、倒れようとしていた。
良平は慌てて、希の体を支えて受け止める。同時に足が雷の影響か、膝が笑う。それでも、希を地面に触れさせないように堪えた。
「良ちゃん。驚いた。あたし、ちょっと、魔族に……なりかけてる。契約を交わした時から……分かってたんだけど」
希がこっちを見て、弱弱しく微笑む。顔色こそ悪いが、命に関わる事態ではなかった。もっともこの状況で命に関わらないことがあるのだろうか。
「もういい。もういいから、喋るな。立てるか?」
言葉の意味を問い詰めようと思うも、良平は敢えて、今は聞かないことにした。
「うん。立てる。あいつ、強かったから、力を、使う予……定なかったのに。……使ってしまったから、消耗、してる、だけ」
希は体の重心を変え、前のめりになって、呼吸を整える。
「汝等、大丈夫か。今、生命力を供給する。体力までは何ともならぬので文句は言うなよ」
こちらに寄ってきた魔王が軽口を叩いた。空間を断裂させる能力で消耗したのか、顔色が良くない。
「ほら、見て。月が満ちていく。もう少しだから」
希は夜空を見上げながら言った。紅き月が十三日月から十四日月に満ちていく。
「魔王。希は大丈夫なんだよな? 約束を違えた時は――」
良平は立ち上がって、魔王を睨みつけた。供給された生命力のお陰だ。
「我は何もせぬよ。契約者は一心同体だからな」
魔王は皮肉めいた笑みを浮かべていた。ただ、痛みに耐えるように。
甘いと思ったが、それ以上は追及しなかった。真実を聞くのが怖いから。
「心配ないよ。自我とか弄られてもないし、洗脳もされてないから。第一、そんなことあり得ないから。それより、急ごう。ここ、もうすぐ、炎の海になる。焼かれて死ぬなんて嫌だし」
希が立ち上がる。まだ、足がふらついていた。
見渡すと周囲で爆ぜるような音が頻繁に聞こえだしていた。工場のような鉄の焼ける臭いが漂いだす。
確実にここに炎が迫っている。
「ここで最後だよな」
「無論。扉の方で異変が起きておる。瘴気が薄まりつつある。急くぞ」
魔王がはっきりと答えた。状況はこちらに好ましくない方向に動いているようだった。
良平は捨てたリュックを習慣で拾い背負う。既に中身はゴミしか入っていない。 妹の双葉と弟の裕太が欲しがったリュックと言う事を良平は今、思い出した。
異変が起こる出来事が遥か昔に思える。まだ、七十二時間も経過していないにも関わらず――既に良平に残された物は少ない。もし、悪魔が言ったことが事実ならば、宗一郎と違って、自分は家族を生き返らそうともしなかった。
良平はかぶりを振って、体を引き摺りながら、秘頭ヶ丘に向かって歩きだした。




