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魔王が嫁になりました  作者: 明日今日
第一章 黄泉比良坂
2/25

(1)

 この国の中心部、北に霊峰である六陣山系。遥か昔より山から形の崩れたS字を描くように東へ流れ出た式ノ河と南の三角江には扉守大橋がシンボルで南側を海に面する都市、扉守。

 太古、陰陽寮に多数の人材を輩出した土地として有名だった。この扉守市を訪れる者は呪術やそれに関わる人間だけだった。

 だが、この百年間で扉守市にも近代化の波は押し寄せ、その姿は見る見るうち変化していく。

 昼間人口三十三万人。夜間人口十三万人。河で西と東に仕切られ、山側の閑静な住宅街と埋立地のオフィスビル街に二元化された都市は観光や海運を主要な産業とする地方都市へと発展を遂げていた。

 それがこの街に秘められた本来の役目を大きく歪めているとも知らずに――



 鬼緒良平は瓦礫の中で轟音の中、目を覚ました。自宅の二階にある自分の部屋で寝ていた筈なのだが、体の上には本や色々な物が散乱している。

 良平は目を擦り、自室を見渡す。薄暗い中、天井の一部が抜け落ち、天井を支えていた板までが被っていた布団の上に落下している。

 絨毯の上に転がっている置き時計の針は日付が変わった時点で壊れて止まっていた。

 ベットの近くに落下していた手鏡を拾い上げ、覗き込む。剣道の為に邪魔にならない程度に切りそろえた茶色の髪と翡翠の瞳が手鏡に映る。

 高校一年生だと言うのに童顔とからかわれる顔には傷はない。むしろ、傷でも負っていれば、箔がついたかもしれないと思う。

 試しに体を動かしてみるが、幸いにも軽い打ち身程度で済んだようだ。

 どうして、こんな状況なのか、良平は記憶の糸を手繰っていく。轟音と共に咄嗟に布団を被った為にこの程度だったのだろう。

 恐らく、地震だ。それもかなり大きい。この地方では地震は起こらない筈なのに。

 地震が収まったと確認してから、良平は自分の上に落ちてきた板や本を押しのけ、ベッドから起き上がる。

 机の上に置いていた携帯電話は埃を被った国語辞書の下敷きになっていた。

 良平が携帯を持ち上げて確かめると液晶が破損し、本体は真ん中から二つに分かれていた。

 窓ガラスが割れているのか、カーテン越しに冬の風が吹き込む。不思議なことに触覚が麻痺しているのか寒さを感じない。そして、外が明るい。街で火災が発生しているのだろう。

 良平はベッドの下に置いていた買ったばかりの靴を箱から出す。

 本来、喜ばしい筈の下ろし立ての靴を慌てて履き、椅子から落ちていたジャンバーの埃やガラス片などの危険物を払い落とした後、それを羽織る。

 家族の様子が気になった良平は自室のドアを開け、廊下へ出た。だが、階段を下りようとして、驚愕の余り、事実が認識できなかった。

 階段がなかった。正確には階段が消えたのではなく、一階が押し潰れて存在しない。

 すぐに向かいにある妹と弟の部屋を覗いて見るが、誰の姿も確認できない。

 良平は急いで自室に戻り、割れた窓ガラスを踏みしめ、力一杯、サッシ戸を開け放つ。開くと同時にサッシ戸はレールから外れた。

 ベランダに出て、良平は目にした光景に一瞬、唖然とする。

 扉守市の各地からは炎が上がり、煙が夜空を覆う。その真ん中には従来の月の他に紅く輝く既朔の形をした何かが浮かんでいた。

 それを気にも留める余裕もなく、良平は眼下に視線を移す。想像通り、自宅の庭には潰れた一階の一部が散乱している。

 息を吸い込み、意を決し、良平はベランダに踏みだして柵を蹴り飛ばす。留め金が弱っていたのか、柵は簡単に壊れ、地面へと落ちた。高さは自分の身長の半分もないだろう。些細な傷も負わぬように慎重に庭へ下りた。

 乱れる呼吸を整えながら、息を大きく吸い込み、体の向きを反転させ、自宅を見る。

 一階は押し潰され、原型を留めていなかった。辛うじて、原型が残っていた台所に人影が見えた。床に妹が座り込んでいた。

「おい。双葉。聞こえるか、しっかりしろ」

 良平は割れたガラス越しに妹の双葉に声をかけた。か細い腹部には大きな木片が突き刺さり、流れでた血がパジャマと床と壁を赤く染め続けている。

「お、お兄、ちゃん。わたし、何か、刺さってるから、助けにいけな、トイレの、ゆ、裕太を助けて――あげ」

 窓越しの双葉が面倒を見ていた小さな弟の安否を気遣い、血の海に倒れこんだ。長く茶色の髪を血に染まる。彼女は役目を果たしたかのように安心して目を閉じた。

 良平は泣くこともできず、訳が分からぬまま、双葉が残した言葉を頼りにトイレのあった位置に向かう。

 しかし、トイレは電信柱に押し潰されて、外から見える部分に大量の血と体液らしき液体が付着し、オブジェのように白くなった小さな右手だけが見えた。

 その場で良平はショックを受けるが、放心状態の中、両親が姿を現さない理由を考える。その結末を振り払うように力の抜けた体を引き摺って、両親が寝室に使っていた部屋の外に辿り着く。

 寝室は完全に押し潰されていた。自分の部屋の真下だ。考えないようにしていたが、激しい嫌悪感が湧き上がってくる。

 自分の体重も両親を圧死させた重さの一部なのだと言う事実に、膝を折り、胃の中にあった未消化の物を吐き出す。

 目から涙が零れ落ち、口の中を苦味と酸味が広がる。

 そのままの状態で何分経ったか分からないが、良平は我に返った。

 良平は紅い月に向かって、腹の底から力の限り、叫んだ。

「呪いでもかけてるつもりなのかよ。僕の家族を返せよ」

 次の瞬間、余震が起こり、慌てて地面に膝をついて堪える。

「呪いか。魔に属する者がそんな回りくどいことをすると思うかの? 呪いなど人がすること」

 余震が終わると同時に後ろから、少女の声がした。この異常な状況下で妙に冷静だった。

 声の主である少女は外見は十七、八歳程度。深紅でウェーブのかかった肩までの髪に濡羽色の瞳。服装は日本古来の民族衣装のように見えたが貫頭衣ではなく、白地に赤で鮮やかな模様が施され、複数の布地を組み合わせて作られていた。靴以外、街中を歩いていても個性的なファッションに見えるかも――そして、彼女は肩からは大きなショルダーバッグを下げていた。

 絵画から抜け出たかのような整った容姿。こちらの言葉は通じているようだ。

「人は我のことを《絶望の満月》と呼ぶ。階級で言えば、魔王に属する者と言えるな。汝、名くらい教えぬか。もしや、この時代の者は言葉が通じぬのか?」

 魔王と名乗った少女は庭に置いてあった無傷の椅子に腰をかけ、値踏みしているのか、良平を頭頂から爪先まで隈なく眺める。

 その視線に不思議と不快さを感じなかった。

「僕は鬼緒良平。悪ふざけはいい加減にしてくれ。この状況が分からないのか?」

「汝、余震が起こるから、斜め右に三歩ほど動け。瓦に当たるぞ」

 不審者の言葉であるにも関わらず、良平は言われたとおりに反応する。三歩目で余震が始まり、立っていられずに地面に這い蹲りながら自宅を見る。

 余震は激しさを増し、魔王が指摘したとおりに屋根から瓦が落ち、数秒前に立っていた地点に欠片が降り注ぐ。

 動かなければ、今の余震で大怪我を負っていただろう。

「嘘だろう。君がやったんじゃないのか!」

 余震が収まってから、良平は土を払いながら立ち上がる。

 自称、魔王は先程の揺れにまったく動じた様子もなく、ただ座っていた。

「汝、それより、その格好でいいのか。家が倒れる前に今すぐ、持ちだせる衣類や道具を取ってきた方が賢明ではないのか? その格好だと生き残れぬ」

 淡々と指摘される。その表情は心配しているようにも見えた。

「我が地震を起こせるなら、苦労などせぬ。それに汝が生き残らないとこの家の血筋は絶えることになるぞ」

 良平は指摘に怒りをそがれ、反論を抑え、慎重に自室へと戻る。

 その際、両親の遺体を踏みつけにしていると言う事実をできるだけ考えないようにクローゼットを開け、ジーンズや白いシャツ、黒い厚手のセーターを取り出す。

 そして、ジャンバーをベッドに置いてパジャマを着替え、できる限り、耐寒性と動き易さを重視して、普段着に着替え終わる。

 庭の方を見ると、魔王はこちらを黙って眺めていた。今のところ、殺す気はないらしい。

 部活の準備していたリュックサックと掴み、無事を確かめた後、使い捨てカイロを発熱させ、使わなくなっていた腕時計を見つけ、動いていたそれを左手首に巻きつけた。

 持ちだす物を確認した後、良平は部屋から出て、庭にいた魔王の前に立つ。

 彼女が本当に魔王なら、殺されても構わないと思ったのだろう。家族を一瞬で失った喪失感で涙も出ない。

 十五年間の思い出も死の影が纏わりつく。大脳の記憶中枢より引き出すことができない。最初から、家族の記憶など存在していなかったかのように。

「君は何がしたいんだ?」

 このまま、殺されるのも癪だった。叩きつけるように詰問する。

「戯れ。このままだと汝は死ぬ。生きるのを拒絶するのは勝手だが、汝はまだ、手に持っているものですらも投げだすのか?」

 魔王は座ったまま、良平を見上げる。月光に照らされた美貌は確かに人間として誕生した存在とは一線を画す。禍々しいが整った禁忌の美しさだ。

 触れた者を確実に滅ぼす。そんな危険性すら魅力として感じられた。一瞬、良平に息を吸うことを忘れさせるほどに――

「どういう意味だ」

 魅了を振り払うように良平はかぶりを振って問う。

「汝の友人はまだ、生きているぞ。その女が辱められるのが望みか? 今は無事だが、集団と言う群れは所詮、獣。秩序もなくなった状態なら、容易に堕ちるぞ」

 魔王の漆黒よりも暗い瞳は良平を映しだす。

 瞳の中で映しだされた顔には血の気が失せたかのように真っ青に変化し、倒れそうになるのを必死に堪えた。

「誰のことだ。教えてくれ」

「幼馴染と言えば、汝の方が理解できるのではないのか?」

 魔王の言葉を聞いた途端、急いで幼馴染である鷹羽希の家に向かって走りだしていた。



 道路に散乱する瓦礫やブロックの破片を乗り越えながら、希の家へと急いだ。だが、普段の倍以上の時間を要している。

 もうすぐ、希の家が見える時、悲壮な悲鳴が上がった。それは震えながら、絞りだした為に注意していないと聞き取れないくらいの声だ。

 急いで駆けつけた時、玄関前で複数の暴漢達にパジャマを引き裂かれ、恐怖に身を震わせ、今にも襲われそうな小柄な少女の姿があった。

 紅い月の光の中、暴漢達に取り囲まれた少女の特徴はアザレアピンクの瞳に銀髪のロングヘア。間違いなく、希だった。

 良平はリュックを投げ捨て、数の不利も気にせず、暴漢達に殴りかかった。

 しかし、良平は剣道部に所属しているが、喧嘩が強い訳でもなく、最初の一撃を防がれ、あっさりと投げ飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 叩きつけられた衝撃で肺から空気が漏れ、良平は立ち上がれない。

「良平ちゃん!」

「おお。一人前に挑んでくるじゃねぇか。この女は後回しにして、こいつからボコろうぜ」

「いいね。どうせ、サツなんて来ないし、事故死で終わりだしな」

「火事ってるんだから、いざとなったら燃やしちまおうぜ」

 暴漢達は希を後回しにし、倒れたままの良平を踏みつけ、蹴りを入れる。

 体を丸めて耐えるが、良平を傷つけ、一方的に叩きのめす。

「早い退場だな。大丈夫か? ナイト様」

「カッコつけたんだから、もう少し、遊ばせろや」

 瞬く間に良平の全身を痛みが走り抜け、口の中に血の味が溜まりだす。

 既に喧嘩ですらもなく、一方的な私刑になっていた。こうなった以上、勝ち目はない。ただ、殺されるだけだ。良平もそれは分かっていたが、諦める訳にはいかない。

 しかし、体は反対に感覚が遠のいて、音も小さくなって――

「助けてやろうか? 見返りに我の完全復活に協力してもらうが」

 いつの間に近寄ったのか魔王の声が耳元で聞こえる。霞む視野、暴漢達の隙間から見えるその顔には余裕に満ちた笑みが浮かんでいる。

 その姿は水溜りに落ちた蟻を気まぐれで助ける童女のようにも映った。暴漢達は魔王の存在には気付いていない。彼女の姿は良平にしか見えないのだろう。

 魔王の申し出は悪魔の契約だ。しかし、状況を打破するには彼女の力を借りるしかない。

「……復活でも何でも、手伝ってやる。だから、僕に力を貸してくれ!」

 良平が口にした言葉は発音されているのか、自分でも不思議だった。

「いいだろう。証明として、自らの手を汚せ。それが条件だ。今の汝は瀕死。忘れるな。不要な行動は生命活動にすら支障をきたすぞ。そして、我が消えても、汝は死ぬ」

 魔王は笑みを消し、無表情で告げる。

 その言葉が契約として効力を持ったのか、良平を暴行していた暴漢達が一斉にボーリングのピンの如く、見えない力に弾き飛ばされた。

 魔王が良平を掴んで起き上がらせる。同時に視界が元に戻り、良平が負っていた傷口が見る見るうちに塞がっていく。痛みも和らぎ、幻だったかのように薄れていた。

 その感覚に本当はリンチされている間に死んだんじゃないか――そんな不安さえ過ぎる。

「分かった。でも、君の下僕になったつもりはないからな」

 無愛想に魔王の手を振り払う。

 そうしないと目の前にある魅力的過ぎる魔王の瞳を介して、虜になってしまいそうだった。

 良平はそんな考えを消し去るように希を押さえつけていたチンピラ風の男を睨みつける。

「そんなつもりは――ない」

 魔王は腕組みしながら、何故か硬い声で言って、良平が睨みつけたチンピラを指差す。

「では、証明してもらおう。思い切り、殴れ。その力加減で殺せる」

 勘違いだったのか、魔王は極めて、冷淡に言う。威圧的で抗し難い支配者の声だ。

 言われるまでもなく、良平は希の近くのチンピラに襲いかかった。

 良平は一瞬で距離を詰めたことに驚き、振り払うように手の甲を叩きつける。手に重い感触と共にチンピラは鈍い音だけを残して、既に男はブロック塀に激突する。

 男の顔があらぬ方向に曲がっている。今の一撃で死んだようだ。

 自分の手を見る。あれだけの力で殴りつけたにも関わらず、何の損傷もなかった。

 気味が悪いことに触覚はあっても痛みはない。

「嘘だろう」

 自分でやっておきながら、良平は唖然としつつも、先程のリンチで砂に汚れたジャンパーを脱ぐ。そして、それを恐怖に震える希の肩にかける。

「待ってて」

「良ちゃん。その――」

 希の静止も聞かずに良平は吹き飛ばされた状態から起き上がっている暴漢達の方に近付く。

 暴漢達の手には転がっていた金属片やバット、それにバタフライナイフを握り締めている。

「どうする? 相手は獲物を出してきたが」

「――今の僕なら分かる。殺せるよ。簡単に」

 暴漢達を見て分かった。ライオンが獲物を見て、怯える必要がない――理屈ではなく本能に感覚で理解する。

 嬉しげに反応する魔王に苛立ちを感じながら、良平は転がっている木片を拾い上げる。

 竹刀よりは短いがあいつ等に対抗するには充分な武器になる。

「何、一人で喋ってやがるんだ」

「この状況でイカれてやがるんだよ。一斉にかかれば、どうとでもなる」

「構わねぇ、こ、殺すぞ。殺しちまえば、何もバレやしねぇ」

 三人の暴漢達は恐怖で思考が回らないのか、一斉に真正面から、襲いかかる。

 良平は向上した身体能力で庭の土を巻き上げ、一気に三人の後ろに回り込み、首を狙って木片を突く。

 一人目の首が鈍い音と共に木片の先端が砕けた。二人目が振り返った瞬間に短くなった木片を目に突き刺す。

 二人目が血と白い液を撒き散らしながら、後ろにバンザイの状態で倒れる。

 良平は素早く、二人目の暴漢が持っていた金属バットを奪い、反撃の体勢を整えようとする三人目の鼻筋をフルスイングで狙う。

 向上した反射神経は三人目の反応速度を凌駕し、鼻が陥没し、男の目は光を失う。恐らく、軟骨が脳にまで達し、それによって、損傷したのだろう。

 フルスイングの影響で金属バットは捻じ曲がる。少なくとも二度と野球には使えない。

 残っていた男は三人。二人は良平が睨みつけると同時に逃げ出し、一人は動かなかった。いや、足が竦んで動けないのだろう。

 それと同時に魔王の姿が虚空に消えていた。良平に興味がなくなったか。

 魔王がいなくなるのと同時に庭の空気を一変し、殺伐とした雰囲気で満たされた。彼女がいなくなって、初めて、そのことに気付く。場にある種の品があったことに。

「頼む。殺さないでくれ。俺は嫌だと言ったんだ」

 リーゼントの男は尻餅を着きながら、後ずさる。

 良平は男の前に立ち、顔を覗く。髪をリーゼントに見た目だけの男に見えた。

「消えてくれ。そして、二度と姿を見せるな」

 人を殺したくなかった良平は男に背を向ける。

「良ちゃん、後ろ!」

 希に近寄ろうと数歩動いた瞬間、彼女が自分の後ろを指す。

 良平は屈みながら、金属バットを男の座り込んでいた地点に投げる。

 コンクリート片のくっ付いた金属棒で襲いかかろうとしていたリーゼントの男は反応できずに金属バットを腹部に受け、地面に倒れ、自らが持っていたコンクリート片で顔を強打した。

 良平は男に近寄り、首に触れ、死亡しているか調べる。男は顔が陥没し、息絶えていた。

 周囲の安全を確かめてから、希の傍に立つ。彼女は渡したジャンバーを羽織っていた。パジャマこそ破られていたようだが、隙間から覗く下着から察するに、最悪の事態はさけられたようだ。

 しかし、良平には希の顔をまともに見れなかった。幼馴染の彼女を助ける為とは言え、人を殺め、魔物言うべき存在と手を結んだのだから。

「怖いよな。人――殺しちゃったら」

 希の顔を見ずに良平はこの場を去る為に背を向ける。安全は確保されてないが、少し離れるべきだと思ったからだ。

「待って! それはあたしの……責任だから、良ちゃんは悪くない。一緒にいてよ。こんな状況で一人にされる方が怖いよ」

 希が後ろから良平に抱きついた。首筋を彼女の前髪がくすぐる。

「お願いだから、こっちを向いて」

 希の悲痛な声に良平は体を反転させて、ゆっくりと彼女と向き合った。

 向き直った瞬間、希は良平の胸に顔を埋めるように泣き出す。

 良平はすぐに希を安心させるように抱き締める。

「ご……御免。怖かった。良ちゃんが助けに来てくれて、あたし、嬉しかった。――傷は大丈夫? それにどっかの遺跡に描かれていたような服装の女の子は?」

 希は涙を見せない為か、良平の胸に顔を埋めたまま、矢継ぎ早に問う。恐らく、先程の恐怖を忘れたくて、聞いているのだろう。

 魔王はどこに向かったのだろうか。良平は気になって、辺りを見渡す。

「我ならここにおる」

 その声に驚いたのか、希が慌てて、良平から離れる。その勢いで涙が地面に落ちた。

 魔王がきた瞬間から殺伐としていた庭の空気が変化し、厳粛な雰囲気に取って代わった。

 良平が反射的に声のした方向を見ると、魔王は逃げ出した男二人の首根っこを持ち、引きずりながら、見える位置に移動していた。

 男二人はそんな状態であるにも関わらず、反応がない。既に死んでいるのだろう。

 よく見れば、男二人の顔がおかしな角度を向いていた。首の骨が折れてるのか。

「逃がすには惜しいのでな。糧にする目的で殺させてもらった」

 二つの死体をを道路に投げ捨てながら、魔王はこともなげに言い、引き返し、再び、壁の陰に消える。

「それよりもこの女が裏路地に倒れておったぞ」

 良平には希がショックで固まるのが分かった。戻ってきた魔王が裏路地から抱えてきた女性は希の姉である珠江だった。彼女は意識はあるようだが、喪心状態で反応しない。

 珠江はスーツを切り裂かれ、半裸に等しい状態だった。普段、見せていた大人の女性として凛々しい彼女の姿はない。

「ね、姉さん。珠江お姉ちゃん」

「見ない方がいいぞ。さっきの奴等に乱暴されたようで酷く痛ましい状態だからな」

 激しく動揺する希に魔王は何の感慨もないのか、さらりと言ってのける。

「そんな言い方は」

「ただの事実だ。それに、この状態だと精神的に危ないぞ。早く処置してやらないと持たぬぞ」

 言葉を遮って、魔王は良平を見る。試すように。或いは見極めるように。

「希。珠江さんの応急処置の為にタオルや水を。そして、服を探そう。その後で病院に連れていこう」

 良平は声を絞りだすように提案する。ここから、一番近い市立病院でも歩いていくと三十分はかかる。まして、この扉守市が有様では無事に着けるかどうか。

 希が歩きだすのに合わせて、良平は後を追う。

「分かった。その人、なんて、呼べばいいの?」

 希は珠江を引き受け、魔王を真っ向から凝視している。どうやら、彼女には魔王が見えているらしい。

 良平は黙って、希と珠江を支える。

 まさか、《絶望の満月》と言う名前を名乗るのだろうか。

「呼び名か。――始終人前で魔王と口にする訳にも参らぬか。……便宜上、暦と呼べばよい」

 腕組みして、少し考えた後、魔王はそう答えた。その姿は毅然として凛々しい中にどこか、少女のような純真さが残っていた。

 男の性なのか、どうしてもそんな魔王に見とれてしまう。……吊り橋効果だろうか。

 良平は自分の思考が麻痺しているのを自覚する。全ての家族を地震で失い、暴漢に襲われ、自身も死にかけた。心を麻痺させなければ、とても耐えられない出来事。

 大事な何かを、心の底にできた穴から零れ落ちた何かの感覚を覚えながらも、今、できることを考える。

 止まってしまうと家族の死。自分が人を助ける為とは言え、殺人を犯したこと。――全てに向き合わなければ、ならない。それから逃げる為、今、すべきことに意識を集中させた。

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