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魔王が嫁になりました  作者: 明日今日
第四章 反転
18/25

(5)

 良平は軽トラックの荷台の上で目を覚ました。吹き込む海風による寒さのせいだ。

 隣を見れば、魔王が良平の左腕を掴んで落ちないように支えていた。

 黒い雲から零れるように差し込んでいた太陽光はなく、代わりに月光と火事の炎が街全体を街灯と篝火の如く、照らしていた。

 火事場よりも遠いが黒煙の煙さと脂肪の焼ける匂いが微かにする。吐いたりはしないが気分は悪い。

 良平が起きたのを確認して、魔王は支えていた手を離す。

「汝は睡眠が浅いのではないのか? それとも、この寒さは堪えるか?」

 魔王が苦笑らしき笑みを浮かべていた。その手には使い捨てカイロを握っていた。良平が使い、既に温度は失われている。

「僕は不慣れで疲れてるんだ。責めないでくれ」

 家族の死に際がフラッシュバックする。寝ても起きても精神的に安らぐことはない。

「戸津之守神社は魔に類する者にとって、留まるだけで苦痛な場所。汝を責める気などない。事実、我も大変だった」

 魔王は良平の頭頂部をガラス細工を触るように優しく撫ぜた。その表情は魔族の王とは思えない。

 禍々しい気を発している訳でもなく、妖艶な雰囲気を漂わせている訳でもない。高貴で可憐だった。

 良平はその撫ぜ方に肩に疑問を覚える。幾ら、知識を共有していても撫ぜ方まで完全に再現できるだろうか。

「ぼ、僕は懐柔されないからな」

「汝も素直ではないな。――それよりも、瓦礫のせいで全然進んでおらぬ」

 良平の顔を見て、魔王は諦めたような、開き直ったように笑う。自分が考えていたことは悟られなかったようだ。

「もうすぐ、扉守大橋だ。多分、通れると思うが」

 宗一郎が運転席から声をかける。立ち上がって前を見れば、街の西側へ通じる橋の袂まで着ていた。

 扉守大橋と呼ばれている通り、扉守市の中では南端にある一番大きなラーメン橋で三角江に架けられ、地震にも耐えているように見える。

「調べる故に待て」

 同じように立ち上がって魔王が目を閉じる。良平には黙祷をしてるようにしか見ない。

「通れるぞ。だが、急げ。拙い者の来訪がある。座れ」

 魔王が良平の手を掴む。彼女の表情は厳しい。何か、危険が迫っていることだけは明確に感じ取れる。

「了解」

 それに応じて、良平は座って鉄枠を掴む。魔王も座るが上空を気にしている。

 宗一郎がアクセルを最大限に踏み込んだのか、急加速で軽トラックは橋の上を最大速度で疾走する。

 地震が起きてから殆ど使われていないのか、車の姿は一つもない。だが、最大速度で動いている為に軽トラックが激しく揺れる。喋れば、確実に舌を噛むだろう。

 魔王はその揺れを苦にしなかったが、空を見て、険しい表情を崩していない。

 不意に何かが追い越していく影を良平は見た。寒気からではなく、恐怖心から、体の芯から粟立つような震えが止まらない。

「停止せよ!」

 魔王の警告に驚いた宗一郎が急ブレーキーを踏む。同時に良平は頭を抱えて、伏せる。

 同時にガラスが割れるような音が響く。

 軽トラックはスピンし、クルクルと回転しながら、横転することも欄干に車体をぶつかることもなく停止する。

 良平は奇跡的に荷台から落ちなかった幸運に感謝し、顔を上げる。

 橋の上で紫藤を殺した悪魔と対峙する魔王の姿があった。彼女と比べると悪魔は背丈が二倍あるように見える。

 先へ進むには立ち塞がるこの悪魔を倒さなければならないのか。

 背負っていたリュックを脱ぎ、荷台の床に固定されていたスタンロッドを避けて、下ろす。

「魔王《絶望の満月》殿とお見受けする。某の名を上げる為にここで消えてもらおうか」

 悪魔は紳士の如く、慇懃に頭を下げる。

「我も嫌われたものだ。上級魔族なら通り名くらい名乗らぬか」

「残念ながら、某は名乗るほどの力を持ち合わせていない。故に辞退させていただく」

 魔王の挑発に悪魔は頭を上げ、名乗りを拒否する。

「く、首じゃないか。しかも、紫藤の」

 宗一郎の叫びに良平は荷台から飛び降り、運転手の方を見る。宗一郎も無事のようだが、視界の端に見えた軽トラックのフロントガラスにヒビが入っている。

 宗一郎が後ろを指し示していたので、良平はその方向に視線を向ける。

 指摘したとおり、人間の頭部と思しき物体が橋の上に転がっていた。正確に分からないのは頭部にはガラス片が刺さって酷く損傷していたからだ。どうして、紫藤のだと――

 それに不可解な事に頭部からは今、切断されたかのように血が零れ落ちていた。

「病院の殺害はフェイクか。紫藤はあたしに目撃させたかったのね」

 良平の隣にきた希は姉の敵に対して、鋭い光が宿る瞳で見下しながらも、顔は晴れ晴れとした笑顔だった。

 それは少女の怒りではなく、女としての怒りの表現なのだと良平は直感する。今、迂闊に近寄るべきではない。

 だが、希の発言に違和感を感じる。実情と何かが噛み合っていない。

「偶然とはいえ、魔王殿に会えたことは感謝している。まあ、そんな貴殿も人間達には感謝しているのだろうな。貴殿の復活の遠因を作ったのは他ならぬ人間なのだから。

 封印をずらしたせいで今回の災厄が起こったのだからな」

 悪魔はその巨躯を準備運動でもするかのように動かして確かめる。

「良平に希。我を加勢を頼む。宗一郎は無茶をするな。奴に並みの電気など意味を成さぬ」

 魔王は初めて、良平達に頼んだ。恐らく、それだけの相手なのだろう。

「さすがに元巫女だけあって聡いな。要らぬ知恵が回る。だが、素手でどこまで戦えるか見せてもらおう」

 悪魔は一つ一つが脇差ほどの長さを有する爪を用いて襲いかかる。

 魔王はそれを回避しているが身体能力では悪魔の方が上だった。彼女は必死で攻撃をかわしてるがたった二、三回の攻防で既に勝敗が喫していた。

 希はガーゴイルの時に使った石を一つ投げた。石は信じられないほど正確に悪魔に当たるが、その体を凍結させたにも関わらず、動きのキレは変わらない。

 それ以上、投げようとしないことから、今使ったのが最後の一個だったのだろう。

 良平が鞘から小剣を抜き放ち、悪魔に挑みかかる。悪魔はそれを爪一つで受け止めようとするが振り下ろされた小剣は爪にヒビを入れる。

「ほう。それは魔剣か。人が持っても耐えられるとは……」

 悪魔は左足で良平を蹴り飛ばす。それを避けることができず、良平の体は宙に舞う。

 体を捩って、背中から、コンクリートに叩きつけられることだけは避けた。

 だが、叩きつけられた衝撃で肋骨の一つが折れたのか、息を吸うごとに良平を激痛が襲う。

 気絶しそうな意識を繋ぎとめるが、壊れたテレビのように視界がブチブチと途切れる。

「良平。しっかりしろ」

 見ていた宗一郎が良平を抱え上げる。さすがにいがみ合っている場合ではないと判断したのか。

 喋るだけでも激痛が伴うと思われたが――痛みは襲ってこなかった。魔王が生命力を供給する要領で痛感覚を麻痺させたのだろう。

 瞬きし、視界が元に戻ったのを確認する。

「宗一郎。フォローを頼む」

 そう告げて、良平は戦況を見た。

 魔王は魔力で盾を形成して、悪魔の攻撃を防いでいるが相手が上級魔族と言うこともあって、その盾もすぐにヒビが入る。

「武器がないと、やはり、魔王殿の身体能力では話にならぬか」

 悪魔は悠然と魔王を橋の縁へと追い詰める。

 だが、寸分の狂いもなく、二箇所から笑うような息が漏れた。

「言霊発動。形を成せ。清めの陣」

 魔王が発した言霊で悪魔の周りに白い粉でできた五芒星が光の結界として作用し始めた。

 魔王の手には白い粉が握られている。攻撃を避けながら、これを描いていたのか。

「馬鹿な。塩の結界。そうか、魔王殿は元人間。塩に触れることもできたのだったな」

 悪魔は爪で破壊しようとするができず、五芒星の中心に閉じ込められ、動けない。

 良平はそれを好機と見て、全力で悪魔の背中向けて、小剣を構え、突撃する。

 悪魔が振り返ったが、良平は構わず、その胸に小剣を突き刺す。だが、勢いを殺せずに良平は空中に投げ出される。

 魔王が獲物を捕らえる鷹のように空中で良平を抱きとめ、橋の上に着地。ことなきを得た。

 良平は自分の意思で魔王から離れる。

「まさか、こうも易々とやられるとは――だが」

 悪魔は後ずさり、小剣を引き抜き投げ捨てる。そして、自分の胸から零れる赤色の血を眺めながら、欄干と主桁の一部を破壊し、大橋から海へと転落。音と共に盛大な水飛沫が上がった。

 良平は警戒しながら、破壊された部分から身を乗り出すように海面を覗くが悪魔は浮かんでくる様子がない。

 希がアスファルトの上を転がる小剣を拾って回収する。

 良平はそれに気付いて、希から小剣を奪うように取り上げた。

 けれど、希は小剣を触っても何ともないのか、驚いているだけで体には何の異変もないように思えた。

 小剣を触った両手には新しい包帯が巻かれているだけで特に変化が見られない。

「大丈夫か?」

「平気よ。あたしも魔王と契約してるんだから大丈夫だよ」

 希は小剣を取り上げた意図が分かったのか、苦笑いを浮かべていた。

 言われれば、鈴の件も契約の影響だと考えれば、辻褄が合うのだが、どうしても良平には引っかかった。

 希が契約しているのならば、良平と希の意思も間接的に流れ込んでくるのではないのか。それがないのは何故かと――

「なるほど、お主の狡猾さではなく、人間の愚かしさに振り回されるとはな。つくづく救えぬ」

 その声に反応して、良平は辺りを見渡し、一つの人影を探し出す。

「鴨野篤弘」

 いつの間にか現れた陰陽師はこの状況下でも動じることなく平然としていた。



 少なくとも良平には鴨野の気配を感じることさえできなかった。

 鴨野は欄干に立ち、海を見下ろしている。悪魔が落ちた辺りを見ているのだろうか。

「魔族同士をぶつけ合わせ、高みの見物か? 裏鬼門で待っておったのではないのか?」

 魔王は驚く様子もなく、ただ、鴨野の挙動にのみ注意を払っている。その念の入れようから、彼女がこの陰陽師がそれだけの力を有していることに他ならない。

「お主の目的の物はそこにはないらしいのでな。ここで待ち構えていた。やはり、魔王と冠するだけのあって、私に気付いておったか。だから、見せたのであろう? お主の力の一端を」

 鴨野は結界のことを言っているのだろう。

「気にするな。ただの意趣返しだ。余興として堪能していただけたか?」

 魔王の皮肉に鴨野の表情が微かに変化した。

 その間に魔王は左手を後ろに向ける。多分、手を出すなと言う意味だろう。

 良平は魔王の隣まで移動し、鴨野と対峙する。この場に現れた以上、こちらを見逃すつもりはないだろう。

 希は宗一郎と一緒にただ眺めている。

「それはありがたい。お陰でお主に結界が効かぬことは理解した」

 鴨野の挑発に魔王はとても穏やかに笑っていた。内心は逆だろうが。

 当然、魔王は一切取り乱した様子がない。元々、ポーカーフェイスだったのか、肝が据わっているのか、堂々としている。

 それが巫女だった頃からなのか、それとも、魔族になってから身につけたのか……魔族になってからだとすると良平には悲しいに強さにも思えた。

「では始めようか。我は退魔師と言う連中を好きになれん。お前は特に」

 魔王が先に仕掛けた。その手には刺突短剣と呼ばれる柄の両端にコイン状のパーツを取りつけたロンデル・ダガーが握られていた。

 相対する鴨野が素手で迎撃に移る。

 良平は魔王と鴨野を横から見る形で小剣を構えて、隙を伺う。

 鴨野は刺そうとする魔王に狩衣の左袖を巻きつけて動きを封じようとする。分かっていたのか、魔王はその瞬間、ロンデル・ダガーに紫の光を纏わせて、袖を切り落とす。

 それを気にせず、鴨野は隠し持っていた護符五枚を魔王に投げつける。

 一枚の護符を避けられず、魔王はロンデル・ダガーで防ぐが、剣身に巻きつき紫の光を消す。

 魔王の苦戦に良平は黙って見てられず、後ろから鴨野に斬りかかる。

 後ろからの攻撃を鴨野は天狗のように軽々と一撃をかわして、良平の喉に袖を叩きつける。

 ただの布と思った一撃は喉を潰し、その一撃の勢いで良平の体が紙切れのように浮き上がる。

 錐揉み状態で右肩から橋の欄干に叩きつけられた。骨が砕ける嫌な感触が伝わってくる。

 良平が何とか、体を捩って、橋の上に逃れた。海へ落下は避けたが、呼吸をするのが精一杯で戦えそうにない。だが、瞬時に喉の痛みが和らぐ。

 魔王が生命力の供給で喉の傷を治癒してくれなければ、今頃、気道が出血で満たされ窒息していただろう。そのせいで喉が焼けるように熱い。

 助けようとしたのに逆に足を引っ張ってしまった。

 良平の手には考えられないことに小剣が落とさずに握られていた。まるで良平の体の一部のように吸いつき離れない。

 悪魔が魔剣と称したのも頷けた。

 良平は辛うじて動く上半身を起こし、戦況を見る。鴨野はダメージを負っているにも関わらず、魔王を押していた。

「痴れ者」

 不意に近くで魔王の声がしたような気がした。だが、良平を抱え起こしたのは希だった。宗一郎もその声に呆気に取られている。

 覗き込む希はいつものように笑っていた。その笑顔を見て、地震が起こる前に戻ったかのような錯覚に陥る。この状況でどうして、笑っているのだろう。背筋が寒くなる。

 良平は視線を逸らすように上半身を起こす。

 その言葉に鴨野も反応したのか。こちらを見ていた。いや、恐らく、希を。

 今まで心を僅かでも動かさなかった男がその顔に驚愕と言える変化を見せた。魔王はその隙にロンデル・ダガーに貼られた護符を剥がそうとする。

 勘付いた鴨野が指を鳴らした。それと同時に撒き散らされた護符の一部が破魔矢に姿を変え、それに反応して、魔王の四方を光の帯が正方形を作り、取り囲む。

 丁度、魔王が護符をロンデル・ダガーから外した瞬間だった。

「やはり、術はともかく、神道系の媒介自体は防ぎようがないのだな。……決着を着ける前に問おう。お主は人を憎んでいる理由は返報が望みか?」

 光の監獄に囚われた魔王に鴨野が問う。

「――だとすれば、どうする。まさか、説教を垂れる気か?」

「お主が私の預かり知らぬ場所で暴れると言うのならば、《絶望の満月》よ。……今はお主を見逃しても構わぬ」

 魔王の返答に鴨野は思わぬことを口にする。良平はその言葉を疑い、希と宗一郎は驚いて、声を漏らしていた。

「正気を失ったか?」

「何、簡単なことだ。私は元々、この国がどうなろうと知ったことではない。受けた依頼はあの扉を閉めること。そして、この街から、魔を追い払うことであって、お主等を排斥することではない」

 鴨野は真後ろの月を親指で指した後、再び、指を鳴らし、正方形の光を消滅させた。

「見逃すのか」

 自由になった魔王は戦闘体勢を崩さず、鴨野を睨んでいる。

「お主達から見るとそうなるな。お主がここで倒れれば、お主は負の感情を撒き散らす。それを墓標として、魔族の連中はこの世界への誘導灯を得ることになる」

 鴨野は何故か、一瞬、希を見た。

「何が条件だ」

 軽トラックの近くにいた宗一郎が横から口を挟んだ。

「私は扉を閉めて塞ぐ。その邪魔さえしなければ、こちらから手出しをする気はない」

 良平の位置からでは背を向けている為、鴨野は本気で言っているのか、判別ができない。

 咳払いをしてみると、声は出せそうだ。

「あの退魔師や自称……デビル・ハンターはどうする」

 良平も口を挟んだ。鴨野が裏で糸を引いているのならば、反応があるかもしれない。

「……知らぬ。お主達が自分で何とかせよ」

 鴨野は体の前後を反転させ、こちらに向き直る。しかし、自身の後方に立つ魔王を警戒しているのか、一分の隙もない。

 陰陽師はゆっくりと橋の縁へと歩み寄り、欄干に飛び乗る。

「少年。その女は己の男の為ならば、世界を滅ぼして、是とする。女の情念に注意せよ。……最早、手遅れかも知れぬがな」

 笑い声を漏らし、鴨野が欄干から身を投げた。何故か、着水した音がしなかった。

 対照的に魔王はその怒りを隠さなかった。己の内面を晒した者に対する憤怒だった。

 良平が欄干に駆け寄り、下を確認するが、赤い海面には首のない女性の死体が浮かんでいるだけで鴨野も悪魔も見つけられない。

 だが、遺体の着衣に見覚えがあった。紫藤の着ていたコートだ。

 魔王も同じように橋の下を覗いている。

 危機が去ったのを確認したのか、魔王が良平に寄ってきた。彼女が苦々しい表情をしていることから、鴨野と悪魔は生きているのだろう。

 鴨野に関して、どうやって逃げたのかすらも分からない。

「良平、疾く治す。だが、次は我の指示に従え。無駄に力を使うのは我等にとって自殺行為ぞ」

 遠くで燃え上がる紅い光に照らしだされた魔王の表情を見ると鴨野の件とは違うことで怒っているらしい。

 魔王が言うや否や、生命力が供給されているのか、肩の傷が塞がり、痛みが治まっていくのが、動かしてみるとぎこちない。

 宗一郎が移動の為に軽トラックに乗り込み、エンジンをかけようとしていた。

「急げ。余震がくる。この橋、長く持たぬぞ。……今は我慢してくれ」

 宗一郎を急かしながら、魔王はこっちを見る。良平は頷いて答えた。



 走る軽トラックの荷台上で良平は試しに何度か動かしてみるが、肩の違和感は消えない。

「無茶はするな。だが、もう少し速やかに移動できぬか」

 スピンの影響とフロントガラスを取り去った影響で速度がでない軽トラック。魔王は運転手の宗一郎を急かす。

「暦氏、これ以上は速度が出ない」

 宗一郎も焦っているのか、声に余裕がない。バックミラー越しに希の顔が映るが、対照的にやけに落ち着き払っていた。

 三十秒程度で橋を渡りきることができるだろう。

「備えよ。敵がくるぞ」

 魔王がロンデル・ダガーを握り締めながら、右の前方に、橋の袂、海岸沿い北側に視線を向けている。

 良平は魔王の隣に移動し、目を凝らして、その方向を探してみるが何も見つけられない。

 軽トラックが橋を渡りきった瞬間、魔王が叫んだ。

「止めろ。何かに掴まれ」

 宗一郎が軽トラックを停車させたほんの数秒後、轟音と共に今まで最大の余震が起こる。

 地面が波打ち、アスファルトが縄のように揺れる。良平には最初に起きた地震と同じ大きさの揺れに感じた。

 揺れが収まるまで軽トラック荷台の枠にひたすら、しがみついている。

 右の方で崩落音が聞こえ、良平は何とか、扉守大橋の方へと振り返った。

 音と共に先程まで、その上にいた橋は真ん中から鍋の底が抜け落ちるように折れ曲がり、橋の中央部分は海の中へ消えた。

 これで橋を使って後戻りすることはできなくなった。

 隣を見ると魔王は荷台には乗っておらず、針金のように折れ曲がった道路の上に立っている。

 魔王の前方には――

「小生はあの陰陽師とは違いますわよ。覚悟なさい」

 阿倍野靖花がスーツ姿の男達を引き連れていた。男の人数は七人。

「相変わらずの女だな。……あの野郎があっさり引き下がる訳か」

 宗一郎は運転席から降りて、荷台のスタンロッドを取り出し、構える。

「僕達は放っておいて欲しいんだよ。あんた達が扉を塞がないから、魔王に協力したり、魔物に追われる羽目になるんじゃないか!」

 良平は感情的に小剣を構え、吼える。

「魔に加担しておきながら、なんて言い草! それに貴方は己が生きる為に本心から協力し始めているくせに何を言っている」

 靖花はその言葉に激昂した様子で言い返す。

 良平は言葉に詰まる。魔王がどういう存在であるか、充分に理解していた。

 最初は反発していたが少なくとも暴漢や紫藤彩、そして、目の前の退魔師よりはマシなんじゃないかとは思い始めていることは確かだ。

「生きる為に、か。当然ではないか。生物はそのようにできておる。死ねと言われて死ねる方がどうかしている」

 魔王は誰にともなく呟く。だが、その場の全員に聞こえる声だった。

「一つ聞くが、貴様等は我を倒した後、どうやって、この街を去る? 下手すれば、焼け死ぬぞ。それでも、我と戦うのか?」

 魔王が言った。その声は優しく、何かを酷く哀れむような意図を込めて。

「当然だろう。魔を滅するのは小生の役目」

「貴様は生き残れる可能性があるから言えるのだろう? 他の連中はどうだ? 尊い犠牲とやらか?」

 魔王の見解を聞き、男達に動揺が走った。

 それを魔王が見逃す筈もなく、男達に素早く襲いかかる。

 靖花は辛うじて、その場から離れたが、その右隣にいた男が魔王に首を斬られ、鮮血で周囲を紅く染めた。そのまま、魔王は直進する。後ろにいた男も二の腕の内側を斬られ、血を撒き散らす。二人が戦闘不能になった。

 男達は一瞬の出来事に呆然としている。

「お前達はそいつを抑えろ。小生は男を滅する」

 男達が命令に正気に返る。

 靖花は魔王に護符を投げ、こっちに向かって、走りだす。

 護符が爆発したのか、靖花の後方、魔王の周囲に炎が発生する。炎は魔王の服を焦がすことさえ、できない。

 魔王は炎を気にすることなく次の獲物に襲いかかっている。

 良平は迫る靖花に小剣を構えて迎え撃つ。

「許せない。良ちゃんになんて言いがかりを」

 希が横から靖花にタックルを食らわす。しかし、靖花はそれを耐え、強引に希を投げ飛ばそうとして、その瞳孔が大きく見開いた。

「まさか、お前……信じられない。そう、か。そうなのか。お前が……」

 靖花の動きが止まった隙に、希が靖花を突き飛ばして、距離を置く。

 良平が斬りかかるが、靖花に太刀筋が読まれているのか、猫科を思わせる素早い動きで簡単に斬撃をかわす。

 靖花は間合いを離して、こちらを睨みつける。

「それに、その小剣は金属に呪術的を使って人の骨を混ぜて、精製されたものか。なら、あの魔の目的は――下がるぞ。準備が必要だ」

 良平を、小剣を見て、靖花は慌てて、男達に呼びかける。既に半数は戦闘不能に陥り、戦えるような状態ではなかった。

「けれど、奴は」

「死んだ奴など置いていけ。この後の方が大事!」

 部下の懇願に靖花はすぐにこの場から離脱し始める。

 慌てて、男達は小さな陶器を地面に叩きつけ、何かを撒き散らす。魔王がそれから発した匂いで怯んだ隙に靖花の後を追い、この場を去った。

 魔王は匂いが不快なのか、袖で鼻を押さえている。

 割れた陶器から発する匂いは線香のような匂いがする。現段階では良平は平気だったが魔王との契約の影響でこれが次の瞬間、害を与えないとは限らない。

「大丈夫か? この匂いに何かあるのか」

「案ずるな。単に酷い匂いだと思っただけのこと。特に害がある訳ではない」

 背を向けたまま、魔王は左手を払うように振り、烈風を起こして、匂いを吹き飛ばした。

「ガソリン――じゃなくて、軽油が残り少ない。いける地点までいって、乗り捨てよう」

 宗一郎も無事のようだが不機嫌そうな顔でこちらへ戻ってくる。

 良平は頷いて、返事を返す。希も「分かった」と答えていた。

「人など、あの程度のものか」

 ショルダーバッグから取り出した布切れで服に付着した返り血を拭いながら、魔王は嘲る。 その視線の先には最初に首を斬られた男の死体があった。

 良平は靖花の言葉を聞いて、自分の持つ小剣と希を見比べながら、不安を覚える。

 それに宗一郎との確執もいつ、危険な状態に陥っても不思議ではなかった。この扉守市に法の加護はないのだから。

 不意に二月の寒さよりも冷たい隙間風が心の中を吹き荒れてた。

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