(3)
良平は再び、白い靄の中に立っていた。
以前の時と同じくあの少女が佇んでいたが、こっちを見てはいない。
「全てを滅ぼすことがお主の望みなのか?」
不意に声が聞こえた。男性の声だ。良平には聞き覚えがあるように感じたが記憶にも靄がかかっているのか思い出せない。
「いつから、妾は人を憎んでいた。最初から、人が憎かった訳では――ない。
ただ、奇異な目で妾を見ないで欲しかっただけ。妾は読心術や人とは違う容姿を持って生まれてきたが巫女に祭り上げられたい訳ではなかった。まして、生贄に志願した訳でもない。
ごく些細な願いとして、妾を臆することなく接してくれたあの人と二人で幸せになりたかった。できることならば、夫婦として、いつまでも笑って暮らしたかった。死ぬまで。
ただ、それだけだったのに」
少女は虚空を見つめ、思い返すように独白を続ける。
「お主とて、好き好んで人を傷つけている訳ではない筈だ。もう繰り返す必要はない」
その声は口調は柔らかく、優しく口調だった。
床ノ座森林公園であった陰陽師の男。良平はその声の主を探り出す。
これは夢なのだろうか。過去を見ているのであって、今、現実に起きていることではないのだろうか?
だが、一方で自分に関係ないと思われることであった筈なのに強烈な不快感を覚えた。
仮にこれが今起きていることならば、彼の方が正しい筈なのだが、良平には納得がいかない。
良平には大事な物を奪われるような感じがする。これを認めてはいけない。
そんな良平の心中を表すかのように白い靄の中に黒い光が現れた。球体状で色を除けば、ウィル・オ・ウィスプに似ていた。
「ダメヨ。ソンナ、イツワリノ、コトバニ、ダマサレナイデ。アナタハ、ヤサシイカラ、スグニダマサレル」
ウィル・オ・ウィスプがぶれると同時にたどたどしく暗い声が発せられる。
良平はその声に思わず、聞き入ってしまう。現実ではないので触覚が存在しない筈なのに頬を涙が零れ落ちていく感触がする。
これが魔の力なのだろうか。
少女はその声に反応し、周囲を見渡す。しかし、彼女には見えていないのか。ただ、ひたすら探し続けている。
「私はお主を騙すつもりはない。ただ、憎しみに囚われて欲しくないだけだ」
「妾は、妾は憎い訳ではない。だが、邪魔をされたくない」
男の声を聞き、落ち着いたのか、独白の続きを再開しようと唇を動かした瞬間、再び、黒い光が振動する。
「アナタガ、ヘイオンヲ、ノゾンデモ、ニンゲンハ、ソレヲコワス。ナゼナラ、ソレガ、ニンゲンノホンシツ。オモイダシテ」
それと同時に響く声は明確な憎悪を秘めていた。
良平はその黒いウィル・オ・ウィスプの発しているらしい言葉に共感を覚える。内容は間違っている筈なのに何故か、咎めようとする気が起こらない。
少女は思い出したように虚空を睨みつける。
「その声を聞いてはいけない! 人に戻りたくはないのか?」
「……人間? 人間。妾は人間であることに興味なんて――ない。妾は人間であることに意義なんて感じない」
男の声に認識のズレを感じたのか、少女は否定するように叫ぶ。
少女が己を取り戻したのか、男が動揺したのか、白い靄が薄れ、良平の視界に黒いノイズが混じる。
「お主は過去を取り戻そうとして足掻いてる。だが、それは望んではいけないことだ」
その説得に少女の瞳孔が大きく見開いた。
「「ダマレ! ニンゲン! ソノテデ、ワラワノ、スベテヲ、ウバッテオキナガラ、ソノクチデイウノカ!」」
ウィル・オ・ウィスプと同時に少女の口からも発せられた。激しい呪詛に似た拒絶の声。苦い記憶を思い出したのか、少女が涙を流している。
ウィル・オ・ウィスプが少女の下に近寄る。
少女が涙を拭い、ウィル・オ・ウィスプを思い人のように抱く。その表面に自分の頬を摺り寄せ、虚空を赤い光が灯った瞳で見据える。
良平はその姿を見て、不思議と落ち着く自分がいた。これが災厄の始まりだと言うことを感じ取る生存本能と相反する精神状態に戸惑いを覚える。
「妾は――下らぬ戯言に耳を貸してしまったか。――ゆけ」
少女の言葉に応えて、ウィル・オ・ウィスプはその両腕から鳥のように飛び立ち、白い靄の世界から姿を消す。
数秒してから、男の絶叫が聞こえる。良平にはその声は不意を衝かれ、傷を負った感じに聞こえた。
「まさか。――そうか。だから、か。なるほど、確かに。これは巧妙に隠蔽されている。さすがは魔たる者の王か」
振り絞るような声が白い靄から、白黒に転じつつある世界に響いた。
「女子の心を覗くとは趣味がいいな。去るがよい。間男」
少女は屹然と言い放ち、世界が黒に満たされる。
「褒め言葉をありがとう。言われなくても立ち去ろう。――殺される前に」
皮肉を皮肉で返して、男の声は聞こえなくなった。
世界は漆黒に染まり、次第に少女の輪郭も見えなくなっていく。
その場には良平と少女が残された。
「心配しなくても妾はあなたの妻です。永遠に――」
恐らく、少女は自分に対して微笑んでいるのだろうが、世界は黒い闇に覆われ、良平の目には見えない。
反論しようとして、良平はこの世界を追い出された。




