(1)
瓦礫を乗り越え、良平達は半日ほど時間を使って、やっと市立病院へ戻った。
病院の玄関前に入りきれなかった患者や人が溢れかえり、状況は悪化している。
救助隊も軍も瓦礫と通信障害、魔物の出現で市内に入れないのだろう。その為、救援物資も届かず、医療品が届かなければ、医者がいても治療の施しようがない。
「まるで――」
その光景を見て、宗一郎が絶句する。その場にいた全員は憔悴しきっている。
「それで救助隊は? 軍は助けてくれるのか?」
「物資は? 電気は? ライフラインはどうなってる」
勘違いした被災者の何人かが詰め寄ってくるが、良平には答えようがない。
「あたし達は街の様子を見てきただけです。酷い有様でした」
希は溜め息を吐いて、それに静かに答えた。被災者達は落胆の様子を隠せない。
恐らく、救助隊や軍も魔物達に襲われて、それに対応するのに時間を割かれ、救助が後手に回っているのだろう。
「どうせ、自分達だけ美味しい思いをしたんでしょう。信用できない。明け方にこっそり出かけたり、密談してたりしてる人を信じろと言うのは無理よ」
奥から現れた紫藤が嘲るように言い放つ。
「信用? あたしのお姉ちゃんを巻き込んで殺しておいてよくもそんな単語を口に出せるわね。お姉ちゃんは紫藤が殺したようなものじゃない!」
希は紫藤のその姿を見て、タガが外れたのか捲くし立てる。
「だから――」
「あたし、知ってる。紫藤が真夜中に怪しい実験を行なってる話は。そして、紫藤、お前が黒魔術に傾倒してることも」
紫藤の声を遮って、希は続ける。目は血走り、弾劾裁判を行なう異端審問官のように見えた。
それに反応して、周囲の人間も紫藤に意識を向ける。
「そんなのただの噂よ!」
「は。よくもそんなことが言えるわね。一週間前、床ノ座公園で何かを燃やしたような痕跡が見つかったけど、紫藤が悪魔を呼び出そうとしてたんでしょう。あたし達が襲われた石像の魔物も紫藤が呼び出したんじゃないの?」
希の追求に紫藤の顔色が一気に変わった。ガーゴイルに関して、後ろめたいことがあったのだろう。
「確かにあんな石像に追いかけられて、よく無事だったな。普通なら、すぐに殺されてる」
良平は思わず口にしていた。
「あ、あんた達こそ、あれを易々と倒したじゃないの。鬼緒の剣とか、鷹羽の投げた物とか魔術とかに通じてないと、そ、そんな簡単にできることじゃないわ」
良平が口にしたことは紫藤に反撃の隙を与えてしまった。今度は良平達に人々の意識と視線が集中する。その目は冷たい。
隣にいた宗一郎の目にも彼等とは違う光が宿っている。余計な口を挟んだことに対する非難のように思えた。
「じゃあ、紫藤。お前は潔白を主張するのね。それなら、家の部屋を見せて。それで証明できるでしょう?」
希は良平に黙っててと言わんばかりに睨んでそれを紫藤に戻す。
再び、紫藤の表情が凍りついた。追い詰められたネコのように肩を震わせている。
「確か、この病院から北に歩いて十分で辿り着ける札橋七丁目だったけ」
希の言葉に宗一郎が眉毛を顰めた。確か、宗一郎の家もそっちの方だ。
「札橋七丁目は橋の向こうだ。地震で橋が落ちて通れないぞ。それに式ノ河は二日前の大雨でまだ勢いが激しい。渡れるとは思えない。それに祭祀橋も落ちてる。ここで大人しくしてくれ」
騒ぎを聞きつけて出てきた若い医者が大きな声で告げる。
六陣山から流れる式ノ河は扉守市内で蛇のような変則的なS字を描き、市の東側を通って、最後には海に流れ込んでいた。この区域では左街即ち市の北西部に移動する為には祭祀橋を渡らなければならない。
その祭祀橋が落ちていると言う現実はこの地域に救助も物資も大幅に遅れると言う事実を示していた。
それは人々に希望を失わせると同時に下手をすれば、秩次を乱すことに繋がる。
医者は言ってから気付いたのか、慌てて手で口を塞いだ。
「良平。式ノ河の対岸にある札橋では火事が起きてる。鎮火されない限り、向こうには近付けないし、紫藤の家の辺りはとっくに延焼が広がって焼け落ちてる」
宗一郎は周りに聞かせない為に小声で言った。良平は彼の家が河を挟んで北側にあったことを思い出す。同時に宗一郎にはこちら側に親戚の家があったことも思い出す。
避難してきたのだろうと勝手に解釈する。
「残念だったわね。家に帰りようがないわ」
希は微かに口の端を持ち上げる。それはその言葉を待っていたかのように思える。
「それにしては嬉しそうね。家に帰れないのに。いえ、どうして、橋を渡ってこっち側にいるの? 橋は落ちてるのに」
希の言葉は安堵する紫藤の表情を再び、曇らせた。その表情は追い詰められた獣のように怯えていた。
「紫藤の家には何か見られたら困ることがあるの? 親殺しとか」
希の表現に紫藤の体が一瞬、ビクっと揺れた。良平の目には紫藤が必死に自らの震えを悟られない為に耐えているように映る。
『落ち着け。この場さえ乗り切れば、何もかも誤魔化せる』
唇を一文字に閉じ、喋ってもいない紫藤の声が良平の耳に届いた。それを不審に思って魔王を見る。
気がつけば、魔王はこの遣り取りを黙って眺めていた。そして、誰ともなく呟く。「人は醜い」と。
「今時の若い娘が真夜中に徘徊していようと、どうでもいいだろう。いい加減にしてくれ」
場の空気に耐えられなくなった初老の男が立ち上がって、喚くように叫んだ。
「そんなに口論がしたいなら、別の建物でやってくれ。儂等は助かりたいだけだ」
聞いていた大部分の人間がそれに頷いた。
紫藤はそれをチャンスと見て口を開く。
「鷹羽の妄想には付き合ってられないわ」
希の反論を聞かずに逃げるように紫藤が病院の玄関から奥へと消えた。
その場には気まずさだけが残された。
希も玄関へ向かって早足に歩いていく。宗一郎もそれを追った。去り際、彼と目が合う。その視線に冷たい意志を感じた。
「なあ、君は何かしたか?」
良平は離れて立っていた魔王に小声で問い質す。
「何も。それより、衆人環視の中で我に話しかけると変人だと思われるぞ。ここにいる大部分の人間には見えぬのだから。
しかし、この街が瘴気に満たされれば、普通の人間にも見えるようになるかもな。もっともここの人間共がそれまで生きているとは思えぬが」
魔王は憐憫の感情が込められているような瞳で被災者を見つめ、街の中央へ向き直る。それから、再び、こちらへ視線を戻す。濡羽色の瞳は良平を見た瞬間、何かに疲れたような、懐かしむような色に変わる。
そして、魔王は良平に病院の中へ入るように右手で促す。
良平はここで声を出す訳にいかないと考え、反論を押さえ、黙って、それに従った。
食料も何も届かぬ状態で扉守市が再び夜を迎える中、良平は希を探していた。
医者に聞くと、姉の珠江の遺体が別館一階の廊下に安置されていると聞き、本館を出て、目的の場所へ向かっている。
建物の中に遺体を置くのは外に出して、魔物を呼び寄せたり、損壊されるのを防ぐ為だ。
一度、外に出て、別館の入り口を開ける。丁度、宗一郎が立っていた。
すれ違いざまに「お前には希を任せておけない」と告げて、彼は本館の扉に吸い込まれていった。
良平は黙って、宗一郎を見送り、見えなくなってから、辺りを見渡す。遺体袋やシーツが廊下一面に整然と置かれている中、その一角に希の姿があった。
希は壁を背に座り込み、シーツで覆われた物体の前で放心している。
「珠江お姉ちゃんを見てたの。良ちゃんは?」
良平を認識した希は顔を上げて、歓迎する。その顔は寂しそうだった。紫藤と口論してた時と違い、落ち着いていた。
「希が心配で見にきた。隣に座ってもいいか」
希の顔が少しだけ明るくなった。「どうぞ。どうぞ」と促されて、リュックを下ろし、隣に座る。
「こうやって、三人一緒に一つの場所に座るのは久しぶりだね」
「幼稚園児の時は珠江さんの我が侭に付き合わされたっけ」
良平は珠江を見て、昔を思い出す。彼女は希と五歳離れて大人びた外見に似合わず、無理やり、二人を付き合わせて飯事をして喜んでいた。
多分、幼い良平と希に言うことを聞かせるのに、飯事が最適だったのだろう。
「うん。――あたし達……さあ、普通に生きて、普通に暮らして、普通に死にたかったのに。――どうして、こんな風になっちゃうのかな」
希は体を壁に投げ出し、天井を見る。
「そうだな。夢なら、早く覚めて欲しいよ」
家族を失い、暴漢を殺したことを思い返す。まだ、一日も経っていないのに信じられない事態が次々と起こり、落ち着く暇もない。
「手を握ってもいいか。怖いんだ。まだ、最初に殺した連中の感触が――残ってる」
良平が右手を見る。希が左手を添えて握る。とても柔らかく温かい感触が伝わってくる。
「いいよ。でも、あたしも怖いから一緒に寝てくれる。一人で寝られそうもないから。
それに良ちゃんが来てくれなければ、あたしもお姉ちゃんも――あそこで犯されてから殺されてたと思う。武器って言うか、襲われた時の備えて……必要ね。何も持たないことが安全だと思ってた。……馬鹿みたい」
希が良平の右手を引き寄せて、自らの頬を摺り寄せる。
「良ちゃんが人を殺した責任はあたしが背負うから。だから、絶対に置いていかないでね。あたしが傍にいて欲しいのは良ちゃんだけなんだから」
希は良平の手を握り締めたまま、決意を秘めた声で言う。どう、返事をしていいのか、分からなかった。
「暦さん、いるんでしょう?」
希の声に答えて、魔王が姿を現した。その表情は呆れている。
「汝らは我を荷物持ちか使用人か何かと勘違いしておらぬか? 本来の力はまだ……発揮できぬが、我は魔王なのだぞ」
魔王は責めるような眼差しで希を睨む。だが、良平にはその動作がぎこちないように見えた。
「《ぎぶ・あんど・ていく》なのでしょう? 少し眠りたいから、見張って」
希は良平に肩を寄せ、瞼を閉じた。もう眠りに落ちていた。その寝顔は聖女のように安らいでいた。
「汝も寝ておれ。我からすれば、汝の方が重要なのだから」
魔王は呆れて、反対側の壁添えに座る。
良平は眠れるとは思えなかったが、リュックから畳んでいたエマージェンシーブランケットを取り出し、自分と希にかける。
そして、目を瞑った。




