エピソード010「望月浩太のエピローグ」
教室の僕の席は、一番廊下側の真ん中だった。
ある日の昼休み、ボーっと暇をつぶしていた僕の席の前に、学年一美人と評判の森田紗友莉が近づいて来た。 それから彼女は少し困った風に綺麗な顔を赤らめながら、僕に薄桃色の包に入ったお菓子を差し出す。
森田:「あの、これ、作ったの。 良かったら食べて、…下さい。」
一瞬、教室内が、ぐらっとザワツいた:「何で森田さんが、何で望月に?」
敢えて無関心を装う者、あからさまに凝視する者、それぞれ反応はめいめいだけれども、教室中の全員が、何かしら普通じゃ無い事が起きているのを感じ取った事だけは、確かだった。
僕は、無言のまま包を受け取って、…森田さんは恥ずかしそうに早歩きで教室の外へ出て行く。
望月:「そうか、…こうなるんだ。」
僕は、包に添えられていた、小さな手紙の中身を「覗き」見た。
ここ数日、僕は暇さえあれば森田紗友莉の事を「覗き」続けていた。 その温かくて柔らかな粘弾性の膨らみの頂にある薄桃色の細かな粒起物の一つ一つから、…大切なものを庇い護る様に秘所に穿たれた幾重もの襞の更にその奥に在って、来るべき時を待ち続けている硬い蕾のとば口迄を、…撫ぞる様に、舐る様に、焦がれる様に、慈しむ様に、じっくりとゆっくりと「観察」し続けてきた。
一人の思春期の雌に過ぎない彼女が、その直肌とも臓とも遠慮なしに触れてくる好奇心に満ちた違和感を、自分の身体に芽生えた「どうしようもない運命的な感情」だと勘違いしたとしても、それは仕方のない事なのかも知れない。
僕は、歯が浮く様な台詞が並べられた彼女の恋文を、封を開きもせずに、ポケットにしまった。
皆が、興味津々に僕を「見て」いる。 その視線を痛い程に実感する。 だから僕は、これが「見ら」れるという事なのだと実感する。
僕に「観ら」れる事に対する反応は、一人一葉だった。 森田紗友莉の様に好意的に受け止める者もいれば、理由も無い不快感に意味も分からず僕を避ける者も居た。生理的に嫌い、と言う奴だ。 それでもだからと言って、僕が「観る」事を妨げる事が出来るモノは、誰一人として居なかった。
最近の僕の趣味は、正義の味方ゴッコだった。 放課後は真直ぐにネットカフェへと向かう。 そこで、大人向けの週刊誌を開いて、凄惨な未解決事件の記事を読み、関係者の秘密を「覗き観」て、事件解決の糸口になりそうなヒントを、警察に投稿する。 殆どの重大事件がこんな「匿名のタレこみ」で解決しない事は十分に学習済だったけれども、僕は、自分がそうしたいからこんな独り善がりな「趣味」を続けていた。
誰からも褒められなくても、有難がられなくても、少なくとも敏江おばあちゃんの敵討ちだけは果たせたのだから、もうそれ以上に報われなくても良いと、僕は考えていた。
おばあちゃんは、隠れ部屋の押入れの床下に埋めた大きな瓶の中でミイラになっていた。 預金通帳と年金手帳と遺書を懐に抱いたまま、おばあちゃんはずっと昔から冷たく硬くなっていた。 多分、僕に別れを告げた直ぐ後に自分でそこに「隠れた」のだろう。 遺書には「息子に殺されるかもしれない」と綴られてあった。 きっと、ずっと前から、おばあちゃんは浩太君に苛められていたに違いなかった。
僕は、そう言った内容の箇条書きのメールを、警察に送って。 それからしばらくして、おばあちゃんの遺体が掘り出された事を知った。
そして、今日、パソコンの送信ボタンを押した僕の手を、大きな男の人が捕まえた。 …振り返ると、二、三人の警察の人が立っていて、僕はそのまま、警察署に連れて行かれた。
警察官:「君が、あちこちのネットカフェから警察に悪戯メールを送ったのかい?」
望月:「い、…」
…悪戯なんかじゃない!…そんな風に、流暢にしゃべれない事は、とっくに知っていた。
僕は、満足に何の説明も出来ないまま、お母さんが迎えに来るまでの間、警察署の奥の鉄格子のついた部屋の中で待つ事になった。
やがて、コンコン!…とコンクリート壁を叩く音がして、顔を上げると、
そこには、ずっと待ち続けていた女性が、立っていた。
ラプラス:「随分と、上手に「観る」事が出来る様になったみたいね。」
「観る」事は、つまりお互いの存在を、認め合う事に他ならない。 誰かが誰かを「観る」事によって、「観ら」れた誰かは誰かを意識し、たとえそれが好意であっても悪意であっても、そうして人は、この世に一人きりでない事を実感する。
ずっと、僕の事を「観て」いたの?…
ラプラス:「ええ、そうよ。」
これからも、僕を「観て」いてくれる?…
ラプラス:「ええ、この世界が終末を迎えるその時まで、私は貴方を「観て」いるわ、」
だから僕は安らかに目を閉じて、諸手を差し延ばす。
ラプラス:「それじゃあ、イキマショウカ。」
……、
それから、…僕の事を「見た」者は一人もいない。