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どんなに上手に隠しても卑しい性根が透けてるよ



 はい、街です。

 さらに、沢山の人です。

 領内の村人たちに無理を言って集まってもらっているのですから、密度が高いのは当然ですね。

 そして、道行く人々の表情はお世辞にしたって明るいものとは言えません。

 分かっています。

 だからこそ、私は伯爵様の妾になる決意をしたのです。

 それにしても、何だか十日も経っていないはずなのに、もう一年くらい離れていたような気がします。

 何だか、とても長い間、ゴブさんと一緒に過ごしていたような、そんな気がします。


 さて。


 さすがに危ないということで私は宿に一人待機の予定だったのですが、そこに辿り着くまでの道すがらで、ゴブリンが犯人の臭いを嗅ぎつけてしまいました。

 どうやら移動しているらしいと言うので、逃げられないためにもこのまま後を追うことに……。


 うぅ、不安です。


 相手は特に急いでいる風もなく、散歩のようにゆっくりと道を進んでいるようでした。

 余裕、なのでしょうか。

 体力の無い私からすると助かることではありますが、何だか釈然としません。

 確かにゴブリンに指摘されるまで、お兄様も誰もキュウマ草のことに気が付いていませんでした。

 キュウマ草を人知れず持ち運べるような技術を持った人間がいるだなんて、私だってゴブリンに言われなければ、そして確かな現状をこの目で見ていなければ、信じはしなかったと思います。

 きっと犯人もそれを知っていて、だからこそ落ち着いていられるのでしょう。

 やがて大通りを抜け、薄暗い路地の奥へ奥へと入り込んでいきます。


 相手を視界に入れずとも、ゴブリンの確かな嗅覚で追っていけるのですから便利なものです。

 それにしても、一体どこの誰がどんな目的でこんなちっぽけな領にキュウマ草なんて危険なものを持ち込んだのでしょう。


 ほどなくして、犯人である誰かは路地裏のとある一角で足を止めたようでした。

 数十秒ほどして追いついた私たちの目の前で、その誰かは石畳が剥がれむき出しになった地面の傍にしゃがみ込み、何やら奇妙な銀色の箱に手を伸ばしていました。

 ハッとしてお兄様の方を見れば、兄はなぜかにこやかな笑顔を浮かべて、一連のキュウマ草事件の犯人と思わしき男へと近付いて行きます。


「そこにいらっしゃるのは、コリドー殿?

 モメヤケベス伯爵様の使者であらせられる、コリドー殿ではございませんか?」


 えっ。


「おや、これはバグナー男爵の……奇遇ですね。

 まさか、このような場所でお会いするとは」


 お兄様に声を掛けられて振り向いた男性は、薄く笑んで立ち上がりました。

 あっ、ほ、本当ですっ。

 本当に我が家に妾の打診に来た、あのコリドー様です。

 っえ、待って。

 だって、この方が本当に犯人なのだとしたら、それはつまり……。

 気が付いてはいけない事実に気が付きそうになったところで、コリドー様が兄の後方に立つ私へと目を向けて来て、ギクリと思考が停止しました。


「ところで……そちらにいらっしゃる御方は、もしやイヨルデ様では。

 まさか生きていらっしゃったのですか?」

「……っ」


 一瞬焦って声が出そうになりましたが、後ろ手に兄から制されて何とか口を閉じることができました。


「いえ、この二人は……ただの旅人です。

 我が領の事情を知らぬようで、無防備に外を歩いていたところ、保護して街まで連れて来ました。

 彼らの知人がこの近辺にいるとのことで、まぁ少々治安の悪い場所ですから案内と護衛を兼ねて行動を共にしていました」


 旅人という設定は事前に決めていたものですが、最後のはお兄様の即興です。

 確かに、騎士がこんな路地の奥までやって来るのならば、それなりに理由が無ければおかしいでしょう。

 さすがは私のお兄様です。


「はぁ、そうでしたか……奇特な方だ。

 貴殿のような息子を持った父君も、それは誇らしく思っておいででしょうな」

「いえ、そんな、当然のことをしているまでです。

 しかし、コリドー殿こそ、このような場所で一体何を?

 私はてっきり伯爵様の元へ報告にお戻りかと……」

「いえいえ。

 ランズマイル殿が単身妹君の捜索に向かわれたと風の噂で耳にしたもので、私もせめてその結果を聞くまではと思った次第でして。

 やはり立場上、手ぶらでは帰り辛いものですから」


 言っていることは分かりますが、それはこの街にいる理由にはなっていても、この場所にいる理由にはなっていないのでは?

 動揺は見られないけれど、問いの答えを微妙に逸らしてきたことを思うと、やはり彼がキュウマ草の……。

 お兄様はどうお考えなのでしょうか。

 兄が貴族としての本心を悟らせない笑みを浮かべている時は、妹の私にもどんな感情を抱いているのか読み解くことはできません。


「なるほど、心中お察し致します。

 ただ、ご期待に副えず大変申し訳ないのですが、やはり妹は……」


 お兄様は笑顔をほんの少しだけ曇らせて、さり気なく手を強く握り込んで震わせました。

 その姿はどこからどう見ても、愛する妹の死を目の当たりにし深く嘆き悲しみながらも次期領主なのだからと無理にでも平静に努めようとする健気な兄にしか見えません。

 うーん、お兄様、実はかなりの演技派ですね。

 コリドー様も笑みを止めて、いかにも同情的な表情を浮かべています。


「あ……と、そうでしたか、いやその、ご愁傷様です」

「いえ、こちらこそ配慮が足りず、伯爵様には大変ご迷惑を」

「このご時世です、我が主も責めはしますまい。

 ただその、妹君が儚くなられたとあれば、さすがに派兵の件は……」

「理解しております。

 妹の件はこちらの落ち度……当然のご判断です」

「……本当に申し訳ない」

「とんでもないことです。

 それよりも、コリドー殿、先程から気になっていたのですが、何やら珍しい箱をお持ちですね」


 えーっ! ここで!?

 お兄様ったら、さすがにちょっと強引すぎじゃ……。


「中々重そうだ。

 これから宿にお戻りなら、私が運んでさしあげましょうか。

 何、遠慮することはありません。

 契約不履行の詫びとでも思っていただければ」

「あぁ、いや、お気持ちだけで結構。

 この箱には少々繊細で扱いの難しい品が入っておりまして」


 お兄様がコリドー様の足元に置かれた艶めく銀色の箱に足を向ければ、彼は今までにない素早い動作でそれを遮ってきます。

 これはいかにも怪しい。

 お兄様も分かりやすく訝しむような顔を作って、コリドー様を問い詰め出しました。


「繊細、ですか。

 きっと貴重な一品なのでしょうね」

「えぇ、お分かりいただけましたか」

「しかし、性質の悪い人間はどこにでもいるものです。

 このような場所には特に。

 使者殿とあろう者が、それを知らぬわけもありますまい」

「存じないこともありませんが……」

「であれば、なぜ、そのような代物を護衛もなく持ち歩いておいでなのです。

 そもそも、どういった必要性があって路地裏などに?」

「あー、それは……その……」


 兄得意の理詰め質問責めが炸裂しています。

 これにはさすがにコリドー様もタジタジのようです。

 私もお兄様に叱られる時はそんな風になってしまうので、内心お察しします。

 もちろん、同情はしませんが。


「来訪目的に添わぬその品を我が領に持ち込んだ理由をお教えいただきたい」

「いや、そんな大層な、これはちょっとした個人的な野暮用で」

「現在は状況が状況ですから、例え相手が使者殿と言えど不審物を見逃すわけには参りません」

「不審物?

 ……ちょっと、待ってください。

 それはさすがに、言いがかりというものでは?」


 もはや疑いを隠そうともしない兄の口ぶりに、コリドー様は気分を害した様子で眉間に軽く皺を寄せ、声色を低く落としました。


「清廉潔白であるというのならば、その箱の中身を開示してくだされば良い話です。

 更に拒否を重ねるようであれば、少々強引に調べさせていただくことになりますが」

「はぁ? 正気ですか?

 その無礼、我が主に報告してやっても良いのですよ?」

「民のため、平和のために必要なことです。

 泥は私一人がいくらでも被ります」


 それから、じっと無言で互いを睨み合う兄とコリドー様。

 まさに一触即発といった雰囲気です。

 二人の発する恐ろしく冷たい空気にあてられ、私も緊張から額に汗が浮かびます。


「……ド田舎のクソ猿風情が」


 瞬間。

 グシャリと顔中に皺を寄せそう吐き捨てたコリドー様は、およそ人とは思えぬほどの激しく恐ろしい悪意をその身に纏っていました。

 数秒前とはまるで別人です。

 魔物に向けられる純粋な殺意とはまた違った、全身に絡み付きじわじわと侵食してくるようなどこまでも邪悪な彼の殺意が、私の身を竦ませます。


「コリドー殿!」


 危機を感じ取った兄が素早く腰の剣に手をかければ、コリドー様……いえ、コリドーは同時に足元の箱を自身の手中に収めました。


「動くなッ!

 この箱には、ドラゴン種すら呼び寄せる瘴気濃度のキュウマ草が入っています!

 動けば即座にフタを開け放ちますよ!」


 箱の上部に手をかけ、コリドーが脅しをかけてきます。

 なにが楽しいのか、彼はどこか狂気的な薄ら笑いを浮かべていました。

 しつこく村々に植えられたあのキュウマ草について知らない人間なら、この現実味に欠ける脅しを何を馬鹿なと笑い飛ばすのでしょうが、私達は彼の言葉がおそらく真実であろうことを知っています。

 あぁ、でも、例え何も知らずとも、コリドーのこの迫力を目の当たりにすれば黙って従ってしまう人間は多いかもしれません。

 もう疑うべくもない、この邪悪な男こそが魔物を操り数多の領民を間接的に苦しめた残虐な大量殺戮犯なのです。

 ともすれば、使者の名すら騙りであるやも……。


「っ貴様がぁ!」

「動くなと言っている!

 貴方の言う民とやらが魔物共になぶり殺しにされたくなければ、黙って言うことを聞きなさい。

 この箱からほんの少量でも瘴気が漏れ出せば、煉獄の炎は平等に彼らの身を焼き尽くしてくれることでしょう」

「……っぐ」


 激昂したお兄様が攻撃の前動作として小さく腰を落とせば、即座に反応を示したコリドーの脅し文句により、悔しそうに歯を喰いしばりながら背を伸ばし、剣の柄から手を外しました。


「そう、それで良いのですよ。

 暗愚な猿共なぞ、ただ私に恭順を示していればそれで良い」


 くくくっと明らかに人を見下したような笑いを溢し、直後にコリドーは何かに気が付いたかのように眉を顰めます。


「しかし、妙だ。

 貴方にしろ後ろの方々にしろ、少々反応が大人しすぎるような……。

 まさか、そこの二人、帝国の追手じゃあないでしょうね?」


 え? 帝国? 追手?

 何だか突然、話が予想外の方向に飛んでしまいましたよ?


「帝……っまさか。

 遥か南東のユウァン大陸において高度な魔機文明を築き、単一国家での支配を成し遂げたとされる……あの帝国か!?」


 えっ? えっ? ゆうぁ……何? え?

 お、お兄様、驚愕しているところ大変申し訳ないのですが、あのってどの?

 もしかして、ついていけていないの私だけですか?


「そうです。

 この国と比較すれば、時代を二つは先行しているというあの帝国です。

 その驚きようからすると、追手というのは勘違いでしたかね?」


 ええっと、まだよく分からないけれど、とにかくすごい国なんだなということはおぼろげに理解しました。

 追手云々という発言からして、そちらの帝国とやらでも彼は何か酷いことをしていたのでしょう。


「元なんですが、私その魔機先進国家の兵器開発部なんかに所属しておりましてね。

 私のような才能ある人間は複数部門重複雇用などされていたわけですが、まぁ主には自然毒を扱っていました」


 あら、何か急に自慢げに過去話を始めましたよ。

 専門用語なのか、内容はさっぱりですが。

 でも、私と違ってお兄様はきちんと把握できているようで、どこか唖然とコリドーの話を聞いているようでした。


「自然毒……まさかキュウマ草はっ……?」


 兄はひどく難解な表情を浮かべて呟きます。

 怖がっているような、怒っているような、拒んでいるような、悲しんでいるような、確信しているような、とかく難解な表情です。

 静かな空間ですから、小さな声が届いたのでしょう。

 コリドーがニタリと唇の端を歪めました。


「その通り。

 キュウマ草と呼ばれ恐れられる植物兵器を完成させたのは私です。

 いやはや、辺境の猿にしては中々賢いようですね」


 ……………………え。

 ……………………え?


「けれど、どこにでも愚者はいるものでね。

 手柄を横取りしようと画策した無能が取扱いを誤り、結果、自国都市がほんの三つほど消滅しました。

 開発者の私は責任を問われ死刑判決。

 それでまぁ、諸々に愛想を尽かした私は自主退職してやったというわけです。

 ついでに手元にあったキュウマ草と関連資料を、退職金代わりとして失敬しました」

「そして、逃亡先にこの国を選んだ」

「私に全責任をなすりつけてくれた愚物が、保身のために追手を差し向けてくるであろうことは分かっていましたからね。

 とにかく距離が必要だった。

 充分な準備もなくこのような未開の地での不便極まりない生活を強いられはしましたが、それでも強欲なブタに取り入る程度は簡単でしたよ」

「そのブタに差し出したのは……お前の取引材料は、妹と同じ何の罪もない女たちなのだろう。

 貴様、それでも人間かッ! 恥を知れ!」

「はっ! 実験材料の畜生共にいちいち情を移しているようじゃあ、研究者とは言えませんよ」


 お兄様が激しい怒りに全身を震わせています。

 私も……私も、目の前が赤一色に染まり、衝動のまま今にもコリドーに襲いかかってしまいそうになっていました。

 それを実行せずにいるのは、隣に立っていたはずのゴブリンが、いつの間にか私の視界に入るように少しだけ前方に出て来ていたからです。


 あぁ、ゴブさん、私、どうしたら良いんでしょう。

 絶望の闇の中、唯一の希望の光だと信じていたものは、全て偽りでした。

 それが憎くて、恨めしくて、忌々しくて、悔しくて、憎くて、憎くて、憎くて、心臓が潰れそうに苦しいんです。


 アーリの両親は死にました。

 ガラッドの親友は死にました。

 エネスの兄妹は死にました。

 レワンナの恋人は死にました。

 バンの恩人は死にました。

 リィクスは死にました。

 コッズは死にました。

 ネイワンもポーリもマイネルズもトッドも死にました。

 死にました、死にました、死にました。

 みんな、死んでしまったんです。


 ねぇ、ゴブさん、私、どうしたら良いですか。

 この憎くてたまらない男をゴブさんに惨たらしく殺してほしいと願わずにいられない卑怯で卑劣で非力な私を、魔物の貴方は軽蔑するでしょうか。

 自分がこんな風に誰かを強烈に憎むことができるなんて、知りませんでした。

 知りたくもありませんでした。


 ゴブさん、私、怖いです。

 自分が怖くて怖くて堪らないです。

 ゴブさん、どうか、ゴブさん。

 お願いですから、ゴブさん。




 ……………………助けて。



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