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恋われて添うのはいつの日か



 きぃっ!

 どうして! 私が! 魔物の! ゴブリンに!

 ブスなどと言われなければならないんですかッ!

 自分の顔を湖にでも映してから言って下さい!

 あの時の泣きたいくらい嬉しかった気持ちを返してください!

 もうキライっ…………には、なれないですけど……でも、ばかっ!


 まぁ、そんなこんなで急に十発もの平手打ちを喰らって呆然としていたゴブリンでしたが、最後にキッと睨みつけてからゆっくり離れていこうとすると、彼は途端に焦り出し必死な様子で追いすがってきました。

 懇願するように伸びてくる緑の手を、いまだ怒りに燃える私はピシリピシリと容赦なく叩き落としていきます。


「ギ、ギギョグゲっ、ギギョグゲっ」

「知りません! ゴブさんなんて知りません!」


 右! 左! 右! 右! 左! 右! 同時!?

 伸ばされては落とし、伸ばされては落とし……正直疲れてきました。

 しつこいと言うか何と言うか、意外と諦めることを知らないゴブリンです。


「えいっ! えいっ! えっ?

 あぁーっ! 時間差攻撃だなんて卑怯ですよ!」

「ギギャッ!?」

「もう! ゴブさんは強いんですから、常に手加減ありきで変な小技も使わないで下さい!」

「グェ……ゲグー……」


 少々納得いかないような表情をしつつも、ゴブリンはすぐに手を後ろに回してペコペコ頭を下げてきました。

 うんうん、どうやら反省していただけたようですね。

 こうした素直なところが、彼の良いところではないでしょうか。

 などと考えて頷いていると、突然、兄が背後でボソリと何事かを呟きます。


「…………うん、何だか疑うのがバカらしくなってきた」

「っえ、なぁに、お兄様?」


 その言葉が聞き取れず振り返って尋ねてみるも、曖昧な笑みで流されてしまいました。

 いつになく遠い目をしていたようですけど、何だったんでしょうねぇ。

 首を傾げてゴブリンの方を見れば、彼は私と目を合わせた後に、やれやれとでも言いたげな顔で肩を竦めました。

 ちょっと、そんな反応をされる意味が分からないのですけれど?

 むっと眉間に小さく皺を寄せた時、急に真剣な空気を纏ったお兄様が私の肩を掴んできます。


「え……あの?」

「イヨルデ。

 こうして何気なく過ごしている間にも、人々は常に魔物の存在に脅え苦しめられ続けている。

 私の妹はそれを知っていたはずだ、そうだろう?」

「っあ」

「思い出してくれたかい。

 ゴブリンと戯れていられるほど体調が良好であるのなら、私たちはすぐにでもここを出立すべきなのではないかな」


 兄の話はもっともでした。


「わ、私っ…………ごめんなさい」

「イヨルデ、謝るのなら相手が違うよ」

「……はい」


 そう。今にも領民が殺されているかもしれない状況で、私は何を浮かれていたのでしょう。

 あぁ、なんて情けない。

 なんて恥知らずな娘。

 自分だけ幸福に浸れれば、それで後はどうなっても良いとでも言うのでしょうか。

 胸の内にドッと後悔が押し寄せ、まるで自身の愚かさを弁解するかのように瞳に涙が滲んできます。

 けれど、それを卑怯だと感じた私は伸ばした手の先にある己のスカートを強く掴んで、無理にでも落涙を我慢することにしました。


「……ゴブさん、行きましょう。

 私は、お腹を空かせている人間を見ながら食事をすることができません」


 細く震える声。

 お兄様は私の出した結論に満足したのか、小さく微笑んでいるようでした。

 いつもいつも、こうして甘やかされてきたのでしょう。

 私はたった今自らが口にした主張の歪さと、それに疑問の一つも抱かなかった過去の自分の愚鈍さに気付き愕然としました。


 自身の幸福のために他人の幸福を求めること、それ自体がけして悪では無かったために、私は私がその言葉を口にする意味を考えることをして来なかったのです。

 食事は全て自分以外の誰かが用意したもので、さらに目の前の食事を飢えた者に分け与える術も知らない私ごときが、その言葉を口にする滑稽さを今の今まで知ろうともしていなかったのです。


 無知は罪とはよく言ったもの。


 一見美しいようで、偽善と欺瞞ぎまんに満ちた主張は、私の耳にいかにも空々しく響きました。

 隣人の幸福を願いながら自ら行動することを厭い他人任せを常とする怠惰な偽善。

 目の届かぬ場所を存在しないものと扱うことで罪悪から逃れようとする卑劣な欺瞞。


 どんなに賢くとも魔物であるゴブリンにはおそらく、今この時に私の抱いた感情を理解することは出来ないでしょう。

 それでも彼は、まるで全てを知っているかのような慈しみ深い眼差しで、ただいつものように太く逞しい緑の腕の中に私を受け入れてくれるのでした。




~~~~~~~~~~




 そして、夜。

 ゴブリンはあれから更に二つの村をキュウマ草の脅威から解放しました。

 さすがに疲れもあってか無傷というわけにはいかず、腕を深く切られたり、お腹を抉られたりと痛そうなことになっていたのですが、薬草と化したキュウマ草を摂取することによって、浅くないはずの傷はすぐに完治していました。

 その効果を目の当たりにした私と兄が、思わず驚きに固まってしまうくらい恐るべき回復力でした。


 普通どんな薬草でも、その場で即座に傷を治してしまうような力はありません。

 ほんの少し、完治までの時間を早めることができるくらいなのです。

 薬草に拘らなければ、王家の抱える最上級魔術師たちだけがこしらえることのできるという魔法薬がありますが、アレは相当に貴重な代物で高位貴族だって所有は難しいとされています。

 そんな魔法薬と同等の効果のある薬草が、もっと安価で容易に手に入るとすれば……。

 やがて顔を顰めたお兄様にこの事実を伏せるよう言い渡されましたが、いくらのん気とされる私でも、軽々しくこれを吹聴することがどれだけ危険か、理解できないほど愚かではないつもりです。

 神妙に頷いて見せれば、次にお兄様は同じことをもっと噛み砕いてゴブリンに説明していました。

 でも、彼はすぐに元から広めるつもりはないと、ツガイとその兄であるから特別に話したのだといったことを伝えてきて……私はその言葉に思わず頬を赤く染め俯いてしまいます。


 狙ってやっているとしたら大したものですが、普段の言動から察するにおそらく天然です。

 全く、なんて恐ろしい魔物でしょう。

 ……と言いつつ、その特別扱いが嬉しかったので、隣に座る彼との距離をほんの少しつめてみたりしました。


 急所は外れていたとはいえ、今日、ゴブリンはキュウマ草がなければ数週間は寝込んでおかしくない傷を負っていたのです。

 改めて考えるに、それはゴブリンも私もいつ死んでしまってもおかしくない状況にあるのだということに他なりません。

 だから、私は自身の心を偽ったり、一時の怒りで彼を遠ざけたりすることは止めようと思ったのです。

 今日の昼間、飢えた人間が云々と話していただけに、自分でもどの面下げてと思う部分もありますが、他人が不幸だからと己まで不幸でいなければならない理由はどこにもありません。


 さて、当のゴブリンですが。

 私のさり気ない移動に気が付いた彼は、チラチラとこちらを見つつ緑の膝の上で四本の指をモジモジ弄り始めました。


 っこれは!

 結構、意識されているのではないでしょうか?

 おおっ、良いですよ、悪くない反応です。

 ……って、アレ……でも。

 いつもは隣で寝ていようが、抱き上げて密着していようが平然としているくせに、今さらどうして。


 そこでふと気が付いたのですが、そういえばあちらからの指示もこちらからの用事もなく、私から彼に接近してみたのはこれが初めてだったかもしれません。

 一人納得している間にも、ゴブリンはゆっくりゆっくり私の左手に向かって自身の右手をのばして来ていました。

 私は彼の動向に気が付かない風を装って、握りやすいよう腕の位置を調整します。

 じりじり、じりじり。

 距離と共に期待も否応なく高まり……けれど、待ちわびた瞬間は訪れてはくれませんでした。

 お兄様がわざとらしく起こした咳払いで、彼はサッと自分の膝の上に手を戻してしまったのです。

 良いところだったのにと正面に座っている兄に恨みがましい目を向ければ、逆にげんなりだとかうんざりだとかいった視線を返されてしまいました。


 ……何ですか、あからさまに邪魔なんかしてきて。

 そんなに見たくないなら、お兄様が席を外せば良いんだわ。


 ふいと軽く頬を膨らませつつ顔を逸らせば、その隙を見計らったかのように、兄がゴブリンへと話しかけました。


「あー、少々尋ねたいのだが……」

「ギャッ?」

「元凶となる人間が街にいるのなら、なぜそちらを先に叩かないんだ?」

「え? どういう意味ですか、お兄様」

「放棄させた村々に蔓延る魔物を狩ることが無意味であるとは言わない。

 だが、その間にもまたキュウマ草を植え付けられてしまうかもしれないだろう。

 今、街には各地の村人を集結させている。

 悔しいが、我が領の兵力では襲い来る魔物の脅威から彼らを守りきることは出来ない。

 だから、多くの人命が失われる可能性を考えれば、元凶の特定と排除を最優先させるべきではないのかと……。

 まぁ、私が自由に動けるのも明日で最後だから、それまでに片を付けたいという本音も多分にあるのだが」


 最後の本音はともかく、兄の話は筋が通っており、私にも納得のいく内容でした。

 だから、答えを求めて視線をゴブリンの方へと流したのですが、彼は返答のために地面へ木の棒を突き立てながらも動きを止め、珍しく躊躇うように瞳を揺らしていました。

 それでも、彼の中で何かの決心がついたのか、いつもより少し時間をかけつつ文字を刻んでいきます。


 単語で構成された長く読み取り辛いそれを解読すれば、私はもう黙り込むことしか出来ませんでした。

 彼の主張を簡単に纏めると、こうなります。


 万が一、これまでよりも一層濃度の濃いキュウマ草を用意されていれば、各村に散っている魔物が集結する可能性があり、そうなればいくらマッチョゴブリンの彼でも対処は難しい。

 一人の人間を葬るだけであれば、外套を纏い口に布を当て手袋を着用しブーツを履くことで正体を隠し内密に行動を起こすことも可能だけれど、それも前述したような状況に陥れば意味がなくなってしまう。

 そうなれば街には多くの人間がおり、ゴブリンもまた魔物である限り例外なく討伐対象とされてしまう。

 そして、人間から攻撃を受ければ身を守るため彼は反撃せざるをえない。

 魔物と人間の両方を警戒し、その上で人間だけを殺さないよう手心を加えることは不可能。

 だからこそ、より確実に目的を達成するために、もしもの時には人間だけを相手に手加減も容易な状態にするために、こうして遠回りとも思える村巡りをしているのだ……と。

 それに正体が露見してからでは、領内の魔物を倒してまわることも難しいと。


 ゴブリンは人間に余分な被害を出さないためとしか言いませんでしたが、本当は彼が殺されてしまわないための作戦でもあったのだと思います。

 口を噤んだのはきっと自らの命を惜しんでのことではなく、例えば私に対する配慮であったり、例えば格好つけたがりな男性のちっぽけな見栄であったりするのでしょう。


 けれど、それだけの理由を述べながら、彼は兄の言葉に賛同を示しました。

 明日、更に二つの村を解放したら、一先ず街へ向かい元凶と思われる人間を探し排除しようと。

 それでキュウマ草に狂わされた村は残り三つ。

 この規模であれば仮に集結されても何とか対処ができるだろうと、彼はどこか達観したような表情を浮かべて頷きました。


 私はゴブリンの決定に賛成することも反対することもできず、ただ黙っている事しかできませんでした。


 だって、私に何が言えるというのでしょう。

 最初に領民を助けたいと訴えたのは……全く無関係のはずの彼に、洞窟で平和に暮らしていたはずの彼に、無茶で途方もない我が侭を突き付けたのは、私なのです。

 知恵も力も持たない無力な存在でありながら、高望みばかりして彼に迷惑を掛けているのは私なのです。

 その諸悪の根源が、ただただ純粋にツガイの願いを叶えようと奮起する悲しいまでに優しい彼を前に、一体何を言えるというのでしょう。

 心の中でだけ彼を好きだ何だと囀りながら、いつも与えられてばかりで何一つ返すことをしていない傲慢な私が、一体何を……。


 そうして一人グダグダと落ち込んでいる間にも、お兄様とゴブリンとの打ち合わせは滞りなく進んでいます。

 最終的に、私とゴブリンは兄が保護した旅人という名目で、正体を隠して街中への侵入を果たすことになりました。

 私の存在はすでに死んだものとして話が広がってしまっているので、余計な混乱を招かないためにもそうした方が良いのだそうです。




 どこにいようと自分には待つことしかできないし、そこで何が起こるのかも分からないけれど、とにかく明日が正念場となることだけは間違いありません。

 だから、押しつぶされそうなほどの不安には無理やり目を瞑って、私は少しでも体力を回復し最低限二人の足手まといにならないよう身を横たえ就寝に努めたのでした。




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