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意識が飛んで壊れて消えた



「イヨルデ、すまない、私が間違っていた」

「あぁ、お兄様……分かっていただけて嬉しいわ」


 想定通り食事の手際とその素晴らしい味に感激しマッチョゴブリンへの認識をあっさり改めたお兄様は、キリリと表情を引き締めて右手をこちらへ伸ばして来ました。

 私はその掌を両手で包み込むように強く握りしめ、喜びのまま笑みを浮かべます。


 やった!

 やりましたね、ゴブさん!

 私たちの完全勝利っ、ですっ!


 兄から視線を外しゴブリンへと顔を向ければ、彼もまた両腕を組みウンウンと満足気に頷いていました。

 やはり美味しいは正義ということですね。


 それから数十分後。

 ゴブリンが食事の後片付けを終わらせて一息ついたところで、私はずっと疑問に思っていたことを兄に尋ねました。


「そういえば、お兄様。

 お兄様はなぜこのように何もない場所を駆けていらしたの?

 何か、大切な任務ですか?」

「あ……いや……」


 問えば、お兄様は少し気まずそうに視線を逸らし言葉を濁します。

 こんな大変な時に、任務でなければ一体何をしていたと言うのでしょう。

 黙り込んでじっと訝しむような目で見やれば、兄は観念したように眉を下げポツリポツリと事情を語り出しました。


「……私は、イヨルデを探しに来たんだ」

「えっ……私?」

「つい昨日のことだ。

 お前が魔物の襲撃にあって、死んでしまったのだと……報告が上がって……。

 到着が遅れすぎていると、サクシュールから問い合わせがあってな。

 多くはないが人員を割き調査に当たった。

 そして、その結果、シンヤの森の程近くに我が家紋入りの馬車と騎士の死骸を発見するに至った」

「あっ……」

「あまりにも凄惨な現場の状況から、イヨルデが生きている可能性など万にひとつも無いことは分かっていた。

 だが、私はそれを信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。

 だから、父上と交渉し三日だけお前を捜索する時間を貰ったんだ」

「で、でも、それは……」

「勿論、これが次期領主としておよそ相応しくない行いであることは理解していたさ。

 けれど、せめて妹の死をこの目で直接確認するまでは夜も日も明けないと、私は我が儘を通した。

 …………まさか、ゴブリンに保護されていたなどと夢にも思わなかったが」

「お兄様」

「イヨルデ……あぁ、イヨルデ。

 生きていて、良かった、本当に良かった」


 お兄様は最後に呟くようにそう言うと、その逞しい胸の内に私を導き閉じ込めました。

 初めて聞いた兄の弱弱しく震える声に、自身の胸がどうしようもなく締め付けられるのを感じます。

 ただでさえ、モメヤケベス伯爵の妾になるということで心労をかけていたところに、死亡の報告です。

 それがどれだけお兄様たちの心を打ちのめしたか、私には想像することすらできません。

 ゴブリンの庇護下でのうのうと生活していたことが、今は酷く心苦しい。

 そこでしていた私の心配など、彼らのそれと比べれば児戯にも等しいというものでしょう。

 申し訳なさや、兄と再会できた喜びや、その他複雑な感情がじわりじわりと広がって、私の瞳を熱くします。


 結局。兄と私は長い長い間、無防備にも抱き合ったまま互いに嗚咽を漏らし続けていたのでした。


 そんな周りの見えていない私達兄妹に気を使ってか、ゴブリンが寄ってきた魔物を静かに始末してくれていた、というのは随分後になってお兄様から聞かされた話です。

 途中からでもそれに気が付いていたのなら、どうして助けに入らなかったのか……と、私が兄を強く叱責したのも当然の事だったでしょう。


 ごめんなさい、ゴブさん。

 ……兄妹揃って、ご迷惑おかけしております。




~~~~~~~~~~




「それで、イヨルデたちはどうしてここに?

 話を聞く限り、二人は森の洞窟で平穏に暮らしていたんだろう?」


 翌朝。野宿の後片付けをしているさなか、お兄様にそんな風に聞かれ、私は返答に困って息を詰まらせました。

 どこか、その生活を続けていれば良かったのにとでも言いたげな響きと、問いに対する明確な答えを所持していないという事実が、口を開こうとする私をためらわせます。


「えっ……と、ごめんなさい。

 それは、私にも分からないの。

 言葉が通じるのだと知って領地の現状を話してみたら、そのあとでゴブさんが急に……」

「そうか。

 話を聞いたゴブリンがお前を家族の元へ帰しに来た、という可能性はあるのか?」

「分からない。そう聞いても彼は何も言ってくれなかったから」

「……もどかしいな、あちらの言葉が理解できないというのは」

「そうね」


 その後、二人で相談し合った結果、ゴブリンの目的が分からないこと、悪意は感じられないこと、兄と合流した私をそのまま逃がしてくれそうな気配が見られないことなどから、まずは彼の目指す所に付き合うべきであるとの結論にいたりました。



 今日も今日とて、ゴブリンは私を腕に抱えて軽快に道無き道を駆けて行きます。

 それでも、馬で後を追う兄に気を使ってか、昨日よりは平坦で障害物の少ない進路を選んでいるようでしたが。

 うーん、紳士な魔物ここに極まれりといった具合ですね。


 途中の休憩時間に、お兄様は馬の隣に立ちこれまでの道筋と地図を照らし合わせて、その到着地点を予測しているようでした。

 そこで、何か思いついたことがあったのか、兄はふと眉を顰めて小さく唸り声を上げます。


「う……む、これは……」

「どうしたの、お兄様」

「この先に、一連の魔物襲撃事件の発端となったゼメツ村がある。

 進行方向から考えるに、どうも彼はこの村を目指しているのではないかと思われるのだが……。

 しかし、本当にそうだとすれば、今なお魔物犇めく危険な場所になぜわざわざ?」

「……理由はともかく目的地が本当にゼメツ村かどうかは本人、いえ、本ゴブに聞けば分かるのではないかしら。

 ねぇ、ゴブさん、どうですか?」

「ギャッ?」


 地図を指さしながらゴブリンに振り返りそう問いかければ、彼はどうもこちらの話を聞いていなかったようで小首を傾げながら近づいてきました。


「あぁ、えっと、ゴブさんが行こうとしているのはこの地図のこちらでしょうか?」

「ギャー?

 ギャギューギョ、ギョギョゲー」


 私の言葉を受けて、ゴブリンは地図に四本指の内の一本を置き、トントンと軽快にいくつかの村や町を指していきました。

 何を言っているのかはやはり全くわかりませんが、その動作から見るに彼の目的地はひとつではないということなのでしょうか。

 私にはその関連性を見出すことは出来なかったのですが、兄は違ったようで、ヒュッと息を吸い込んでから口を手で覆っていました。


「……っ驚いたな、どれも襲撃を受けた場所だ。

 イヨルデ、まさかとは思うが、お前がこのことを彼に?」

「えぇっ、まさか!

 そんなことを知る必要はないだなんて、私に具体的なことを何も教えてくださらなかったのはお兄様でしょう?」

「あっ、あぁ、そうか、そうだったな。

 だとすると、ゴブリンはどうして……」


 それから、お兄様は難しい顔をして黙り込んでしまいます。

 兄の疑問は別として、では、ゴブリンは何のためにそんな危ない所へ私を連れて行こうとしているのでしょうか。

 まさか、子供も産まない無駄飯喰らいは他の魔物に襲わせてしまえ、なんて、物騒な事は考えていないですよね?

 そうですよね、このゴブリンに限って、まさかですよね。

 うん、そうだとしたら、いくつも目的地がある意味も分からないですし、無い無い、ありえません。

 ありえない……ですよね? ……ゴブさん。


 そんな後から考えれば本当にバカみたいなことで頭を悩ませて、この時ゴブリンの様子が少しおかしかったことにも気が付けなかったというのですから、自身のあまりの情けなさに涙が出てきそうになります。




~~~~~~~~~~




 それからさらに数時間が経過しました。

 今、私達はゼメツ村の傍近くにある林の一角に身を潜めています。

 木々の隙間から遠見筒で村の様子を窺っていたお兄様は、ひとつ小さなため息を吐いてから筒を下げて私達の方へと振り返ります。


「報告で聞いてはいたが…………あまりに酷いな」

「日々魔物と相対するお兄様が言うほど、ですか」

「イヨルデは見ない方が良いだろう。

 奴ら見境なく殺し合い、そして喰らい合っているようだ。

 同種だろうが強者だろうがお構いなしに、な。

 一体、どうなっているんだか」

「えっ、魔物同士の場合は強者に対して服従傾向にあるって話じゃ」

「それに、こうして殺し合っているのに数が減っていないのもおかしい。

 どこからこんなに……」

「あっ! ご、ゴブさん! ゴブさんは!?」


 村の魔物がおかしくなっていると聞き、急にどろりとした不安が身の内を這いずり回りました。

 心配で顔を横に向ければ、そこでゴブリンは皺だらけの顔をさらに皺くちゃにさせて左手の指で鼻をつまみ更にその手の平で口元を押さえていました。


「ゴブさん?」

「グ……ギ……っ」


 なにかを必死で堪えているような、ひどく辛そうな表情のゴブリン。

 咄嗟に手を伸ばせば、彼はそれを躱す様に立ち上がってフラフラと村の方角へ足を踏み出します。


「まさかっ……ダメです!

 行っちゃダメですよ、ゴブさん!」

「無謀だ、あそこにはワイバーンやギガースだっているんだぞ。

 いくら何でもゴブリンの君じゃ……ッ!」


 慌てて走り寄り彼を止めようとする私とお兄様でしたが、それは叶いませんでした。

 ゴブリンは今まで見たこともないような強く鋭い眼光を飛ばし、私達二人の足をその場に縫い付けたのです。


 怖いと、初めて心の底から彼のことを怖いと思いました。

 ギラギラと充血した眼球は、話に聞く血に飢えた魔物そのもの……。

 あと一歩でも彼に近付こうものなら、私の命は容易く摘み取られてしまうだろうと、本気でそう思えました。


 呆然とゴブリンが林を抜けるのを見ていると、彼はそこから少し離れた場所で巨斧を地面に突き立てます。

 それから、背負っていた弓を手に取り矢をつがえ……村を闊歩する魔物たちに向けて迷いなく撃ち込み始めました。

 放たれた矢がどうなったのか、このように離れた場所からではとても確認できるものではありません。

 ただ、ゴブリンのあの大きな目にはしっかりと映っているようで、彼は初撃から間髪入れずに一本、また一本と惜しむことなくかなりの速度で矢を消費していきます。

 そうして、元からあまり多くはなかった在庫を空にしてしまうと、彼は弓をその場に投げ捨て巨斧を手に駆け出しました。

 彼の背中がどんどんと小さく小さくなっていきます。



 グォォァアァァアアァアァアアアァーーーーーッ!!!!



 瞬間、地を揺るがす恐ろしくも激しい雄叫びが辺り一面に響き渡ります。

 その轟音に、たまらず耳を押さえ座り込んでいました。

 全ての生きとし生ける者が本能的に恐怖を抱いてしまうような、この世の物とは思えぬ雄叫び。

 それがあの彼から発されたものだと、私が理解するまでにはかなりの時間を要しました。


 だって、あまりにも違うから、あまりにも、私の知っているゴブリンと違い過ぎるから。

 もうどうすればいいのか、何を信じればいいのか、私には全然分かりませんでした。

 遠い遠い場所で上がり始めた魔物たちの悲鳴にも似た奇声群を、私はただ深い深い意識のどこかで漠然と聞いていたのです。



 ゴブさん……あぁ、ゴブさん。


 どうして貴方は私をここに連れて来たんですか。

 どうしてさっきあんな目で私を見たんですか。

 どうして一人で死ににいくような真似をするんです。

 どうしてそんな怖い雄叫びをあげるんです。

 どうして……ねぇ、どうして……。


 ゴブさん、ゴブさん、ゴブさん、ゴブさんっ。



「貴方はあの日、どうして私を助けてしまったんですか……?」




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