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嫁さんはねイヨルデっていうんだ本当はね



 で、七日目の朝になってようやく私、ものすっごく重大な事実に気が付きました。

 逸る気持ちのままに、私は急ぎ身体を起こし彼の元へと駆け出します。


「ゴブさん!

 貴方もしかして、私の言葉理解してませんか!?」

「グギャッ!?」


 開口一番、叫ぶようにそう問いかければ、朝食製作中だったゴブリンはビックリした様子でこちらを振り返りました。

 あっ、今日は焼き立て豆パンと熱し卵と果物多めのサラダにエソ茶ですか。

 いつもどおり美味しそうです。

 エソ茶には以前のように甘味草の抽出粉末を入れてもらいましょう。

 って、違う違う!

 危うくゴブリンの狡猾な罠に嵌ってしまうところでした!


「グギャじゃありません!

 そうですよ、考えてみれば最初からおかしかった!

 美味しいって言ってみれば喜んでみたり、嫌だって言えば止めてみたり、イヨルデって言えばすぐに名前だって分かってくれたり!

 これって、言葉の分からない魔物の反応じゃありませんよね!?」

「ギャ……ゲグギャ……?」


 主張を続ける私に、ゴブリンはなぜか怪訝な表情を向けてきます。

 私、魔物のゴブリンから「え、なんなのこの子?」みたいな微妙な目を向けられています。

 でも、そんな視線程度で私は怯んだりしません。


「ゴブさんの言うことは私には分かりません。

 とにかくっ!

 こちらの言葉が分かるなら、片足を上げてください。

 分からないなら、舌で鼻の頭を舐めつつ腕を顎下に……って、あ。

 本当に分からなかったら、反応があるわけないですね。

 ごめんなさい」

「…………ギョギェ」


 私の台詞に更に困惑した顔を見せつつも、ゴブリンはゆっくりとその右足を地面から離しました。

 あぁ、やっぱり……やっぱりですっ。

 彼は人間の言葉を理解する世にも不思議なゴブリンだったのです。

 だったら、もしかしたら、彼が私の事情を理解してくれる可能性だってあるかもしれません。


「そうと分かればゴブさん!

 私、とっても大事な話があります!」

「……ギギョグゲ?」

「朝食の後に!!」


 直後、ゴブリンはズルッと足を滑らせ転びそうになっていました。

 うーん、運動神経の抜群に良い彼にしては珍しいですね?

 どうしたんでしょう。






「……それで、今は各地に点在する村の人たちには無理を言って、領館からほど近い三つの街に集まってもらっているんです。

 防壁のある街で防衛に集中することで少しでも時間を稼ごうとしたんですね。

 あと、事前に近隣の領主様方に兵を貸していただけないか、もしくは領民を受け入れてもらえないか打診していたのですが、今の時期はどなたも都合が悪いらしく断られてしまって……。

 かといって、国も頼れないのです。

 王都は遥か遠く、行き来だけで日をいたずらに消費してしまう上に、ここのような地方の書類は後回しにされがちで、結果を待つだけで月を跨ぐこともザラでして。

 そもそも、当の救援要請自体通るかどうかも分かりません。

 更に言えば、けして安全とは言えない道中、無事に文を届けたければ、必然的に戦力を割くことになります。

 勿論、それをしてしまうと、今度は守りの手が薄くなり現状維持すら難しくなってしまうわけで……。

 であれば、そのように負ける可能性の高い賭けに出る事はできませんでした。

 そうして行き詰る私達の現状を憂い、慈悲深くも救いの手を差し伸べてくださったのが、彼の人モメヤケベス伯爵なのです」


 宣言通り朝食後に時間を取ってもらった私は、領地の状況や愛する家族の事、そしてこの度の伯爵との取引についてなどなど、とにかく私が知っていることを全て余すことなく語りました。

 魔物であるゴブリンがどこまで理解してくれているのかは分かりませんが、彼はそんな私の話を終始真剣な表情で、そしてところどころ相槌を打ちつつ聞いてくれていました。

 全ての説明が終わりその場に沈黙が訪れると、ゴブリンはしばし何かを考えるように瞼を下ろしたあと、自虐ぎみに微笑んでから私の肩を軽く二度ほど叩きます。


 え……と、これはどういう反応なのでしょう。

 まさか「さっぱり理解できない、ごめんね」という意味ではない、ですよね?

 でも、ゴブリンですし、可能性としてはそれが一番高いんでしょうか。

 それはちょっと、いや、かなり困ると言いますか、その……。


 不安気に漂う私の様相を知ってか知らずか、ゴブリンは無言でゆっくりと立ち上がり保管庫へと向かいます。

 それから間もなくして、彼は一枚の大きな紙を手に戻ってきました。

 その紙が目の前の地面に広げ置かれ、正体がこの辺りの地方の地図であると判明します。

 ……おそらくですが、これは人間から奪ったものでしょう。

 左下側からのびる赤茶の飛沫跡が、私の心を何とも言えない複雑な気分に染め上げていきます。

 赤褐色の血液は人間特有のもので、魔物たちには当てはまらないからです。

 私への態度がどれだけ奇特なものであろうと、彼もまた討伐されて然るべき、私達人間が忌むべき存在であるのだということを改めて認識させられました。


 あぁ、でも、おかしいですね。

 私はゴブリンに攫われ、今なお囚われ続ける魔物被害者でしかありません。

 一刻も早く誰かに助けられることを……彼の死を望む立場にいるはずの人間だというのに……。

 なのにどこかで、心の奥深いどこかで、そんな日が来なければ良いと思っている自分がいるのです。

 帰りたい気持ちも助かりたい気持ちも本当なのに、これでは矛盾してしまっています。

 疲れて、いるのでしょうか。

 自分自身でも知らない間に、とてもとても疲れてしまっているのでしょうか。

 だから……だから、私はただの魔物である彼を……。


 ギャッと地図の中心を指さされて、私は詮無い思考の海から引き戻されました。


 彼の言葉は分かりませんが、その身振り手振りによれば、どうやら先ほど話した領地や村の位置関係について確認をしたい、ということのようでした。

 話が通じていたと分かり、安堵の気持ちが広がります。

 本来ならばまず、魔物のゴブリンが地図を正しく地図と認識していることに驚くべきだったのですが、この時の私がそれに気が付くことはありませんでした。


 地図とも合わせて更なる説明を終えた後、再び無言で保管庫へと姿を消したゴブリン。

 しばらく中でガチャガチャ金属音をさせていたと思ったら、今度は完全武装としか表現のしようがない出で立ちでこちらへと戻ってきました。

 小さくも逞しい背には大弓を、引き締まった腰には数本のナイフを、その鋭い爪だけで充分な凶器となりそうな右手には巨斧を、太く硬そうな左肩には食料などの詰まった道具袋を、首からは何やら小さな壺を下げ、硬く筋張る腕には小手を、弾けそうに隆起している胸部には胸当てを、柔軟に引き締まった足には脛当てを装備しています。

 彼のこの姿を見て、たかが弱小魔物と侮ることのできる人間はおそらくいないでしょう。

 それほどまでの威圧感が彼を包み、禍々しく渦巻いていました。


 けれど……なぜ、でしょうね。

 そんな迫力のゴブリンが「ギギョグゲ」と醜い声で私の名を呼ぼうとも、鋭い視線を向けゆっくりと近付いて来ようとも、唐突にその左腕へと掬い上げられようとも、驚きはしても怖いとは、恐ろしいとは、けして思うことはありませんでした。

 私は……自分でもどうしてか分からないけれど、この醜悪な容姿を持つ彼が、闘争を好む魔物であるゴブリンが、ただ蹂躙される側でしかない弱者の私を傷つけることは無いと、本気でそう信じてしまっているようなのです。


 それに、彼の腕に座らされたのは初めてではなく、これで二度目。

 以前、森の中にひっそりと群生する可愛らしい花畑に、今のような形で連れて行ってもらったことがあるのです。

 最初は彼の本意が分からず困惑もしましたが、さながら用心棒のように花畑の隅に腰かけるゴブリンを後目に、折角だからと存分に楽しませてもらったのを覚えています。

 その時に気まぐれで作ってあげた花輪をゴブリンはいたく気に入ったようで、彼はそれを私達が駐在している広間の壁に飾って何度も何度も嬉しそうに眺めていました。

 まぁ、あの時の彼はまるで近所に散歩にでも行くようなとても気軽な格好でしたし、今のように変に緊張した雰囲気を纏ってもいませんでしたが……。




 崖を跳ね下り森へと足をつけた瞬間、彼はそれはもう身体に当たる風が痛いと感じるほどの、ものすごい速度で疾走を始めました。

 反射的に叫び声をあげながら、彼のゴブリンにしては太い首に腕を回してギュっと目を瞑ります。


 それから、揺られること数十分。

 ずっと走り通しだったゴブリンが、急にピタリとその足を止めました。

 私は今だとばかりに口を開き、この奇妙な外出の行き先を尋ねます。

 彼はその声に導かれるようにチラと私を流し見た後、再び視線を真っ直ぐ前方に向けました。

 それが答えなのかと追う様に振り返ってみれば、いつの間にか私たちはシンヤの森を抜けた先……おそらく、ゼリリス草原と呼ばれる場所に立っていました。


「ここって……えっ、も、もしかして、ゴブさん。

 私を、解放してくれるつもり、だったり……?」


 そんな多大な期待と共に投げかけた質問に、けれど、ゴブリンは沈黙しか返してくれませんでした。

 私の考え違いだったのでしょうか。

 いつもなら表情も全身を使っての感情表現もとても豊かであるのに、今の彼はまるで石化の呪いでも受けたかのような冷たい佇まいで……気持ちと共に自然と眉尻が下がってしまいます。

 何とも言えぬ硬質さを纏うゴブリンに、実は別の誰かと入れ替わっていて……なんて有り得ないことを考え一人ゾッと鳥肌を立ててしまいました。

 俯く私に何を思ったのか、ゴブリンは少し悲しそうに笑って右手から斧を離し、その空いた手でポンポンと私の背を軽く叩いてきます。

 まるでむずがる赤子を落ち着かせるような、そんな叩き方でした。


 分かりません。

 彼の考えも、その想いも。

 そして、そんな彼の行動に、どうしてか涙が溢れそうになる私自身の心も……。



 それから、再び無言で走り出したゴブリン。

 こちらの体調を慮ってか、彼はちょくちょく休憩に適していそうな場所に立ち寄っては、私を地面へと降ろしてくれます。

 なのでこちらもその際はつかまり通しだった腕を軽く振ってみたり、思い切り伸びをしてみたり、はたまたその場で足踏みをしてみたりと束の間の自由を満喫しています。

 また、そんな私を見る時だけは、いつもの生暖かい眼差しのゴブリンに戻ってくれるものですから、例え呆れられているとしても止めようとは思いませんでした。

 ちなみに「逃げる」というごく当たり前の選択肢は、初めから私の中には存在していませんでした。

 まぁ、あったところで、この規格外の強さを持つゴブリン相手に実行は不可能だったでしょう。


 休憩後、彼は必ずといっていいほど大きなエラ耳とワシ鼻をヒクヒク動かしながら不快そうに顔を歪めています。

 その反応に言い知れぬ不安を覚えながら、私は差し出される緑の左腕へと自ら捕らわれに向かうのでした。




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