嫁さん嫁さんおかわりが多いのね
翌朝。目を覚ますと、もうゴブリンは寝室にはいませんでした。
寝ぼけていたのか、起床後すぐは自分が置かれている状況が理解できずに首を傾げてしまったのですが、部屋の外から漂ってくる良い香りに連想的に昨日食べたお肉のことが頭に浮かび、ここに至るまでの全てを思い出しました。
香りに導かれるようにノロノロと広場へ移動すると、そこで彼が朝食を作っている姿が目に入ります。
今朝はスープみたいです。
側面がデコボコのお鍋の中には、ぶつ切りのお肉と薄く切られたキノコといくつかの山菜が入っています。
均等の大きさに切られたソレらを見るに、このゴブリン、私より何倍も器用かもしれません。
今さらですが、ちょっと悔しい……。
魔物のくせに、さらに雄のくせに生意気ですっ。
その間も鼻をくすぐり続ける匂いについゴクリと唾を飲み込むと、彼は私の方へと視線を向けてきました。
次いで、呆れた様な表情を見せ、水場のある方向と顔と頭を指さします。
少し考えてしまったのですが、どうやら顔を洗って寝癖を直して来いということらしいです。
相手はゴブリンなのに、いや、ゴブリンだからでしょうか……やたらと恥ずかしい気持ちになって、私は駆け足で水場へと逃げ込んだのでした。
そのあと食べたスープもやっぱり美味しくておかわりしてしまったんですが、そうなってくると次のご飯も期待せざるを得ないですね。
昼過ぎの軽食と夕飯は何が出てくるんでしょう。
空になった木のお椀を回収するゴブリンからなぜか生暖かい眼差しを向けられましたけど、気にしないことにします。
洗い物が終わると、彼は保管庫から大剣を持ち出して洞窟の外へと行ってしまいました。
どうやら得物はその日の気分によって変わるようです。
保管庫に限っては中まで入れてもらえないのですが、外からチラチラと覗いたところ、昨日の大槌や今日の大剣の他にも、巨斧に棍、槍や大弓といった様々な種類の武器が置いてあるようでした。
ゴブリンの膝辺りまで土が平らに盛り上がった一段高い場所に、ソレらは等間隔で並べられています。
なんとも几帳面なことです。
おそらくあの魔物の自慢のコレクションなのでしょう。
彼はそんな各々の武器の前を行ったり来たりしつつ、さながら外出着を決めあぐねる女性のごとく、楽しそうに迷いながら選んでいたのです。
うーん、本当にいちいち魔物らしくないと言いますか……。
洞窟から飛び出そうと屈んだところで、ふとゴブリンは何かに気付いたように踵を返して、再び保管庫に入りました。
その数秒後、彼は手に木彫りの人形を沢山持って出てきます。
どうするのかと思って見ていると、ゴブリンはその人形たちを私の前に無造作に置いて、うんうん頷いています。
お手製なのでしょうか。
ごく一般的な体型のゴブリンや人間の男女、獣人や動物などを模したそれらは、緩やかな曲線で形作られており、中々に温かみを感じさせるものがありました。
人形に注目する私を見てから、ゴブリンは保管庫へ通じる穴を閉じに戻り、それから目の前をギャッと片手を上げて通り過ぎつつ、また何事もなかったかのように出掛けて行きます。
あっ?
えっと、もしかして、もしかすると、留守の間これで暇でも潰せということなのでしょうか。
えぇー……いや、子供じゃないんですから……。
とかなんとか考えつつ、囚われのお姫様と旅の剣士様なんて演目で遊んでしまったのは内緒です。
勿論、剣士様の正体は隣国の王子様で、後に二人は結婚します。
……うん、遊んでいるタイミングでゴブリンが帰って来なくて本当に良かったです。
もし、見られていたら私は滝つぼに身を投げていたかもしれません。
そうして、彼が出掛けてから、どれだけの時間が経ったのでしょうか。
出入り口に近付きすぎて落下しても怖いので、私は陽の高さを確認することもできずにいます。
何もすることがなくなってしまうと、誰しも自然と思考に耽ってしまうものです。
その中で昨日オーガに殺されてしまった騎士たちや、今も実家で私の身を案じているであろう心優しい家族のことを思い出し、どうにもやるせない気持ちになってしまいました。
思いのほか丁寧に扱われているとは言え、私は魔物に囚われているのです。
おそらく生きて再び彼らにまみえることは無いのでしょう。
いいえ……そんな私自身のことよりも、今はむしろ家族の方が心配で仕方がない。
本来なら、私は大領地サクシュールの領主であるモメヤケベス伯爵の元に送られ、そこで彼の妾になるはずでした。
それと引き換えに、ここ数ヶ月で急激に魔物被害が増加し悩まされるようになった我が領地に救いの手を差し伸べていただける、という条件だったのです。
聞こえてくる彼の評判はあまり良いものではないし、妻ではなく妾という日陰者の立場であることもあって、家族に限らず友人知人に果ては使用人まで揃って私の決定に異を唱え続けていました。
……が、我が地に暮らす暖かで穏やかな人々の命が日々蹂躙され続けていることを思えば、答えを出すのに些かの時も不要というものでしょう。
私が彼の人の妾になる。
たったそれだけで民が死なずに済むのですから、破格の取引ではありませんか。
これがある種自己満足であることは百も承知ですが、ここに至るまで他に良い解決方法を見いだせなかったことが事実である限り、私の選択肢が間違っていたなどと誰にも言わせません。
しかし、その当人がこうしてここに居るということは、彼との約束が無効になるということです。
私の大切な人たちの死が、苦しみが、この先もずっとずっと続いてしまうということです。
それはなんと恐ろしいことなのでしょう。
ようやく届いた希望がそのまま潰えてしまうだなんて、始めから何もない状態と比べ遥かに残酷ではありませんか。
帰れるというのなら、今すぐにでも帰りたい。
そして、あの優しい場所を、みんなを守りたい。
でも、私を捕らえている相手はゴブリン……魔物です。
話も通じないし、よしんば通じたとしても、やはり理解は得られないでしょう。
せっかく生きているのに、私には何もできない。できないのです。
あぁ、あぁ、胸が苦しくて、苦しくて、今にも張り裂けてしまいそう。
その心のままにうずくまって嗚咽を漏らしていると、いつの間に帰宅していたのか、ゴブリンが私から数歩ほど離れた場所に胡坐をかいて座り、半目でじっとこちらを見つめていました。
思わずギョッとして背を仰け反らせれば、彼は少しだけ息を吐いたあと、その手に握っていたものをゆっくりこちらへ差し出します。
それは、青く可憐な一輪の花。
漂う香りは人を落ち着かせる作用があると言われているレイスンの静寂花でした。
常に日の当たらない寒い場所でしか咲かないというその花は、人間の世界では勿論ですが、魔物の多く住むこの森にあっても大変に珍しいものでしょう。
もしかして、もしかすると、私の為に探してきてくれたのでしょうか。
魔物である、このゴブリンが。
その考えが信じられず呆然としていると、彼はそれを黙って私の前に置いてから立ち上がり、水場へと姿を消しました。
……いつの間にか、涙は止まっていました。
あ、夕飯の蒸し魚も美味しかったです。
ゴブリンと暮らし始めて、早五日が経過しました。
この間に分かったことと言えば、彼がゴブリンのみならず人間の男性と比べた場合でも、異常なほどにキレイ好きであるという驚きの事実ぐらいでしょうか。
寝室の毛皮は晴れの日はいつも外に干しに行っているようですし、少しでも汚れればすぐに水場で洗っています。
定期的に洞窟内をブブゾ草の煙で燻して虫やら何やらを追い出したりもしているようです。
大岩の奥の保管庫の物品だって、一日に一度は必ず拭きあげています。
さらに彼自身、食事を作る前や外から帰った後は必ず水浴びをしていますし、狩りの後だったりなんかすると、それに足してスッキリした香りのミモ草を身体に刷り込むなど、とにかく清潔感を保つことに対して余念がありません。
一体何が魔物である彼をここまで掻き立てるのでしょうか。
まぁ、私としても臭かったり汚かったりする中で生活はしたくないので、助かるといえば助かるのですが……。
こういった毎日を過ごす中で変わったこと、といえば……一番は私と彼が隣り合って眠るようになったことでしょうか。
傍に寝転ぶ彼は、私の反応を見つつ恐る恐る手を握ってみたり、頭を撫でてきたりするようになりました。
が、初日のように性的なことを感じさせる触れ方はしてきません。
私も、まぁ、ご飯だとか他にも色々とただでお世話になっているので、このくらいなら良いかなと妥協しています。
夜中に目を覚ました時、皺くちゃの顔が視界に入るとついギョッとしてしまいますが、それ以外はむしろ隣にいてもらわないと逆に不安になることもあります。
洞窟の中は安全みたいですけど、一応ここは凶悪な魔物たちの犇めく森の中であるわけでして……。
特に夜に活発になる種が多いらしく、こんな洞窟の奥まで醜悪な鳴き声が届いてくることもありますから、とにかく怖くて、ついゴブリンの存在に安心を求めてしまうのです。
いえ、ゴブリンだってそんな魔物の中の一体であることは分かっているのですが、彼はなんというかこう、一般的なそれと違って理性的ですし、今のところ手酷い扱いも受けていませんし、作る食事は美味しいですし。
まぁ、そういうことで、はい。
ところで、ここに捕らわれてから三日目くらいでしたでしょうか。
ついに癇癪持ちの子供のごとく「もう嫌だ」と「家に帰して」と大声で喚き出してしまった私に対し、ゴブリンは突き出した両手を上下させながらギョーギョーと声をかけてきました。
どう見ても暴れる動物を鎮めるような仕草に、何だか惨めになってしまったのはここだけの話です。
いつの間にか、彼の中で私の存在が性欲処理の相手でも子を成すための相手でもなくただの愛玩動物に変わってしまったような、元から対等ではなかった立場が更に悪くなってしまったような、というか魔物のゴブリンよりも程度が低いと言われたような、そんな気がしてしまったのです。
何だか、それが無性に悔しくて悲しくて腹立たしくて……。
癇癪ついでに「私はイヨルデという立派な名前のある人間ですっ、魔物や動物なんかと一緒にしないで下さい!」と抗議すると、ゴブリンはどうしてかちょっと楽しそうにして、以降私のことをはっきりギギョグゲと呼んでくるようになりました。
響きがとても汚いですが、そこはゴブリンだから仕方がありません。
とりあえず、呼ばれた後に私が大人しくなったのは予想外の反応に毒気を抜かれたからで、なんだか人間という大きな括りから離れてようやく私という個人を認めてもらったような気がしてちょっぴり嬉しくなってしまっただとか、そんな訳のわからない事実はちっともありませんから、変に勘違いしないで下さいねっ。