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どうして心が減るのかな



 怪物のその産声は、私の耳にどこか慟哭じみて聞こえました。


 当然、と言うべきでしょうか。

 にわかに大通りの方が騒がしくなっているようです。

 この路地裏の奥深くまで、脅えに満ちたざわめきが風に乗って流れてきます。

 相次ぐ魔物被害に疲弊しきった領民たちですから、きっと咆哮を耳にした今頃は気が気ではないでしょう。


 一吠えしたあと黙り込んだ怪物は、ギョロリギョロリと金一色の眼球を揺らしつつ、私とコリドーとを無表情に眺めています。

 こちらからも見つめ返してみましたが、その瞳からは何の感情も読み取ることは出来ません。

 性急で残酷な展開続きについに限界を迎えたらしい脳は、もはや働くことを完全に放棄し、鳥避けとは名ばかりの案山子のように、私もまた無意味に立ち竦むだけの人形と化していました。

 そんな脆弱な精神性の私とは裏腹に、コリドーは興奮を抑えきれない様子で、ひどく愉快そうに騒ぎ出します。


「おおお、これは素晴らしい!

 よもやあの猛毒に耐え瘴気を取り込むとは、さすがは失敗作でも合成魔物といったところか!

 あぁ、惜しい!

 もっと早くにこの事実に気が付いていれば、合魔研究は更なる進化を遂げていッ……」


 自分は安全だと信じて疑っていなかったのでしょう。

 怪物に無防備に近づいて行ったコリドーが、巨大な拳と地面に挟まれ潰れてしまいました。

 少し離れた場所に立っていたとはいえ、降り下ろされた暴力の勢いは凄まじく、四散した彼の血や肉片のいくつかが、私の身に付着してしまいます。

 それは、あまりに一瞬の出来事で、私は目の前で発生したその現象を正しく理解するまでに、数秒の時間を要することとなりました。

 そして、コリドーの死を認識して……でも、私の頭はそれ以上働くことを頑なに拒否してきます。

 結果、私はやはりただ呆然と立ち尽くしていました。


 視線の先で、怪物はコリドーだったものをどこか忌々しげに踏みつけています。

 しつこいぐらいに、その右足で、何度も、何度も、踏みつけています。

 赤黒い汚物を最後に地面に強く擦りつけるような動きをしたところで、怪物はようやく肉片への攻撃を止め、その残骸を見ながら深く深く濁った息を吐き出しました。

 そうやって、しばらく俯いたまま制止していた怪物でしたが、やがてゆっくりと顔を上げ冷たいばかりの金眼をこちらに向けて来ます。


 次は……私の番、なのでしょうか……。


 本能的な恐れが、軽く足を震わせます。

 けれど、怪物は怯える私に向かって来ることなく、背中から生やしたコウモリのような翼を広げ羽ばたかせて空高く上昇し、そのまま街すら放って、どこか遠い彼方へと飛び去ってしまいました。


 飛翔する怪物の姿を目撃したのでしょう。

 戦慄し泣き叫ぶ街の人々の声が、そこかしこから響いてきていました。


 飛び行く間際のほんの一瞬、あの金の瞳に憂いの色が浮かんでいたようにも思えましたが……それは、私の無意識の願望が見せた虚像だったのだろうと結論付けます。

 だって、アレはもうきっと、私の愛した魔物とは全く別の何か……なのでしょうから……。


 自分の感覚なので正確には分かりませんが、それから十数分はその場に佇んでいたように思います。

 やがてボンヤリと定まらない思考の中で、そういえばと兄の存在を思い出した私は、頭の中と同じくおぼつかない足取りで倒れ伏すお兄様の元へと向かいました。

 幸い軽傷で済んでいたらしい兄は、声かけと共に肩を二度ほど叩くことですぐに目を覚ましました。

 直後、警戒する様子でサッと周囲に視線を滑らせながら身を起こすお兄様。

 そのついでに傍らに落ちていた自身の剣を拾いつつ、現状を把握すべく、こちらに説明を求めてきます。

 私なら、まだ眠いだの何だのと寝ぼけてしまいそうな場面ですが、さすがはお兄様ですね。

 あぁ、ほら、私など、こうして半自動的に浮かんだ感想すら場違い極まりない。

 未だ思考が停滞かつ混乱中の私には、兄の問いに「分からない」と、そう返すことが精一杯でした。





~~~~~~~~~~





 そして、あの出来事から早半月。

 私は、コリドーを追う前に待機する予定だった宿に、例の日から現在までずっと、一人隠れるように泊まり込んでいました。

 事前の打ち合わせ通りの日時に扉を二回、一回、二回と叩く音が聞こえて、さっと着用していた外套のフードを被り、極力足音を立てないよう注意しながら内鍵を外しに向かいます。

 すると、カチリという僅かな開錠の音を聞いた来訪者が、身を滑らせるようにして室内へと足を踏み入れてきました。

 兵たちと共に領内の様子を見回りに行っていたお兄様です。


「お疲れ様です。

 それで、どうでした?」

「ん……あぁ」


 ねぎらいもそこそこに本題に入ろうとする薄情な妹を苦笑いひとつで許容して、兄は部屋の簡素な椅子に腰かけました。

 前述の行動からも推測できる通り、未だイヨルデ生存の事実は誰にもふせたままになっているのです。

 最初、お兄様には家の者だけでも安心させてはどうかと提案されましたが、私が無言で首を横に振れば、兄はそれ以上何を言うこともなく了承してくれました。

 死んでいると思われている内に、どうしても確認したいことがあったのです。

 それは、今回の件でコリドーを失ったモメヤケベス伯爵の反応と、残るキュウマ草の状況、そして、消えた怪物の動向の三つ。

 要するに、単なる私個人のワガママだったわけですが、とにかく妹に甘いお兄様は、こちらの気が済むまで好きにさせてくれるつもりのようでした。

 内二つについて、伯爵は手紙をひとつ寄越して以後一切関わる姿勢を見せず沈黙し、怪物は遥か海を越えもはや我が国に戻ってくる可能性は低いのではないかという希望的観測を結論として終息しました。

 あの外道なコリドーと手を組んでいた以上、再び伯爵を頼るという選択肢は私にも兄にもありません。

 が、そうなれば、残されたキュウマ草の問題がまた大きく浮上してくることになるのです。

 私の待ちきれない気持ちを察してか、兄はもったいぶることもなく視察の結果を話してくれます。


「魔物の……キュウマ草の脅威は、もはや去ったと見ていいだろう」

「えっ?」


 けれど、そんな兄の急ぎ過ぎた言葉に追いつけず、私は動揺から声を揺らしてしまいました。


「ま、待って、お兄様。

 確かに元凶のコリドーはもう死んでしまったかもしれないけれど……。

 でも、まだ瘴気の浄化できていない村があったはずじゃあ?」


 私の当然の疑問に、兄は遠くを見るような目で小さく頷いてから、どこか投げやりに口を開きます。


「あぁ、消滅していたよ」

「しょうめ……って、それは……一体、どういう……」

「さぁ、私にも具体的なことは分からない。

 ただ、村があった場所にはすでに、少しばかり抉れてむき出しになった地面があるだけだった。

 全ての痕跡は欠片ひとつ残さず消滅していた」


 その答えを聞いて、私は真っ先に考え付いた可能性を声に出しました。


「ゴ……いえ、あの怪物がやったのかしら」

「おそらくはな」


 即座に同意が返ってきたところを見るに、兄も同じ解に辿り着いていたのでしょう。

 これで労せずして全ての問題が解決したことになります。


 ……思えば、私はそこで尋ねることを止めてしまうべきでした。

 このままバグナー家に戻るのならば、男爵家の令嬢として再びその恩恵を受けんとするのならば、けしてそれ以上を知ろうなどと考えるべきではありませんでした。

 だけど、やはり思考能力のあまり高くないらしい私は、ろくに結果を鑑みることもせず、自ら後悔の海に身を投げ出してしまうのです。


「…………そう。

 それで、その、お兄様、消滅っていうのは、キュウマ草のあった村だけ……?」

「あぁ、領内の主立った場所はひと通り見回ったけれど、そこだけだったよ。

 兵たちもとても訝しがってね、諌めるのに苦労した」

「まぁ」


 ふと頭に湧いた疑問を無視して軽く同情の眼差しを向ければ、お兄様はいつもの苦笑いを浮かべ私の頭を撫でてきました。

 私も一応年頃の娘ですから、その行為を恥ずかしく思う心も少なからずありましたが、殺伐とした日々の中のわずかな癒しとして甘受することにしました。

 ひと通り満足いったのか、やがてゆっくり離れていく大きな暖かい手をまんじりと眺めていると、当の手の持ち主である兄から、唐突に心臓を抉られるような質問を投げかけれらてしまいます。


「……イヨルデ。

 本当にその怪物になった元ゴブリンというのは、正気を失っていたのだろうか。

 我々の怨敵コリドーを殺し、少々乱暴な方法ではあるがキュウマ草とそれに群がる魔物達を消滅させ、人間に手を出すことなく自らは姿を消したその怪物は、本当に瘴気に身も心も屈してしまっていたのだろうか」

「っ知らないわ!」


 一瞬にして雰囲気を変え、ヒステリー気味に怒鳴り立ち上がる私を、お兄様は呆気に取られた目で見つめて来ました。

 次いで、心配そうな表情を浮かべた兄へ、私は鋭い視線を向けて更に声を張り上げます。


「イヨル……」

「っだって……だって、何も言ってくれなかったもの!

 目だってゾッとするほど冷たくて、全然優しくなかった!

 大きくて黒い身体だって! 瘴気混じりの吐息だって!

 暴力的な雰囲気だって……すごく怖かった!!

 コリドーだって、ぐ、グチャグチャにしちゃうし!

 かと思ったら、勝手にいなくなっちゃうし!

 あんなっ、あんなの……っ!!」

「イヨルデ、イヨルデ、どうか落ち着いて」

「っ何よ………………せに……ツガイ……だって、守るって、言ったくせに……。

 知らないっ……知らないわよぉぉおッ」


 叫ぶだけ叫んだ後、気を高ぶらせて泣き出した私を、兄はそっと広い胸にかき抱きました。


 自己中心的で、頭が足りなくて、情緒不安定で、無理やり攫われたクセにちょっと優しくされたからとコロッと筋肉質で緑色で醜悪な顔の魔物なんかを好きになるような、こんな酷い妹を持ったお兄様は本当に可哀想です。

 あぁ、改めてその事実を認めると、余計に泣けて来てしまいました。

 きっとこんなことをしている暇などないくらい忙しいはずなのに、疲れているはずなのに……ごめんなさい、お兄様。

 知っているのに、今はこの温もりを手放すことが出来ないどこまでも愚かな妹を許して下さい。

 いらないと見栄を張るにはあまりに心が辛すぎて、苦しすぎて、悲しすぎて、そんな重すぎる気持ちをどう扱っていいのかすら迷って、持て余して、怖くて……。

 本来ならばこんな身勝手な想いは、感情は、一人で処理するべきなのだと、それは重々分かっているのです。

 でも、それでも、今だけ……今だけは、どうか……どうか、縋らせて下さい。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。



 ……………………ゴブさん。





~~~~~~~~~~





 泣いて、泣いて、声も涙も枯れるほど泣き尽くして、私はようやく彼との記憶の何もかもにフタをして領主館に帰ることを……男爵令嬢イヨルデ・バグナーに戻ることを決心しました。

 元々、どんなに魔物の彼を好いたところで、両想いだと浮かれたところで、私が人間の貴族である限り幸せに結ばれる未来など有り得るはずもなかったのです。

 であれば、彼がまことの怪物となって彼方へ消え去ってしまった事実は、むしろ僥倖であったと喜ぶべきで……戻ってきて欲しいなどとは、間違っても考えて良いことじゃあなくて……。


 けれど、そうして頭で分かっていても、胸の内にどうしようもなく湧き上がってくる未練を消すことは出来ませんでした。


 だから、そんな自分と折り合いをつけるため、私はお兄様にひとつの願いごとを叶えてもらおうと思ったのです。

 人生最後とまで銘打った、妹が兄へと望んだその願い。

 それは、シンヤの森に咲く花を一輪、自らの手で摘み持ち帰ることでした。


 過去、私の乗る馬車を襲ったイエローオーガのような、凶悪な魔物が住んでいるのだとばかり思っていたシンヤの森ですが……キュウマ草の瘴気がなくなったことで、それ以前の、小型魔物が主に暮らす、比較的穏やかな姿を取り戻したそうなのです。

 本音を言えば、彼の住処に今も飾られているであろう花冠が欲しかったところなのですが、やはり危険な場所であることに変わりはないですし、洞窟の位置については曖昧で、ついでに口頭で説明することも難しく、また、兄とはいえ他人に荒らされたくはないとそう強く感じる部分もあったため、残念ながら第一希望は断念せざるをえませんでした。

 口にした当初は、お兄様から無謀なことだと煩く窘められてしまったけれど、深く分け入りたいのではなくシンヤの森の物であれば例え入口すぐの雑草の花でも良いのだという気持ちを伝えれば、渋々とではありますが、何とか最終的には頷かせることに成功します。


 完全に忘れてしまうのが無理なら、心の奥深くに大切に仕舞いこんでしまえば良い。

 そう、彼はいなくなったんじゃない。私の中でずっとずっと生き続けるのです……。


 死ぬまで一緒に。




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