<八>調査
<八>調査
有栖川乱歩探偵事務所本社の五人目の調査員という『太った謎の男』は、JR品川駅から近いマンションの入口を少し通り過ぎた所で車を停めた。助手席には華子が座っている。太った謎の男は言った。
「華子さんとかいったね。弁護士先生さんですってね。それじゃあわかるでしょ。ウチら警察じゃないんだから、本人だと思っても身柄を拘束したり出来ない訳なのよね。二十四時間、出入りする人の写真全部撮って依頼者に見せるってことで見積りして契約が成立したんだから、それでいい訳よ。それ以上の事必要ないんだよね。『居なかったね、残念だったね』『やっぱりね。ははは』っていうことで仕事が終わって依頼者も諦めがつくし、我々も金が入る。両方それでいいんだよ」
「だって二十五万円もとるんでしょ。それじゃ詐欺も同然よ。始めから居ないの見当付いていてお金取るって。『対価の提供』が出来ないってわかっていてお金取るってことでしょ? しかも二十五万円っていうのは一般的な生活者にとって結構重要な額よ。完璧詐欺行為よ」
――この女。めんどくさいなあ。
「わかったよ。先生さま。じゃあこの仕事やめるかい? 続けたいんだろ? だからって君が居て何になる訳? 万一似た人間が出入りしてもその場ではどうにもならない」
「まずは話をしてみるの。ただそれだけよ。そこで訊いたことを伝えればいいわ。次にどうするかは相談者の判断よ」
「君だって本心ここには居ないと思ってるんだろう? まったく君もその相談者の男とおんなじだね」
そのあと男は呆れたように付け加えた。
「この商売はね。冷静な判断がすべてなんだよ。感情を入れてはいけない。華子さん。君はその基本が全然わかってない」
華子はきっぱりと言い切った。
「いいえ! 今日の調査は序章よ。私には、まだ別な手掛かりがあるわ。たぶん私の知っている人に関係があるから」
男は華子が何の根拠も無しに言っているのではない、と感じた。しかし、これ以上の会話を避けた。
「ええ? そんな話聞いてないよ! だいいち華子さん。あなたの見積りにも含まれてないし」
◇◆◇
華子が真剣にマンションの出入口を見ていたのは最初の一時間程度だった。その後は太った謎の男が眠らない様に、時々彼の太腿をつねったり脇腹をくすぐったりしていた。そのうち華子は退屈な監視に飽きて太った謎の男の事を色々と訊いてみたくなり、試しに適当なことを言った。
「私、あなたの顔を見ていて思ったんだけれど、もしかしてあなたは、横浜に住んでおられた大学の先生のご子息の方じゃない? ああ、そうだ。昔、犬を連れて時々公園を散歩していた……。幼稚園では『おむすびころりん』で主役のおむすびを演じてたでしょ? 」
眠そうな彼がむにゃむにゃと気を取り戻す。
「はあ? ……」
「それから、ピアノが上手で、小学校の合唱コンクールで伴奏やったでしょ。あと、足も速くていつもリレーの選手だった」
「はあ? ……」
「絵も上手だったわね。校長室にはあなたの絵が額に入って暫くの間飾られてましたわよね」
「はあ? ……」
「ああ、それから……」
太った謎の男はさすがに早く話を止めないとまずいと感じて華子の言葉に割って入った。
「あのね……。一体誰の話してるワケ? カンペキ人違いなんだけど。ものの見事に一つも当たってないから……。俺は生まれも育ちも函館だし、猫は何匹も飼ってたけど犬は飼った事ない。幼稚園で主役やったことないし、主役に近いと言えば言えるかもしれないが、浦島太郎の亀はやったことあるけどね。歌は下手じゃないけどコンクールとか出たことないし。絵も下手じゃないけどどちらかというと漫画が得意だ」
「えー? ホント? でもあなた、やっぱり宮本武蔵丸之介さんでしょ?」
「誰だよ。その、むさしまるのすけって。そんな妙な名前じゃあない。俺はね、鈴木弘というんだよ。君の知ってる、むさしまるのすけさんとは無関係だよ」
しかし、ここまで自分で暴露してしまうと、もはや『謎』の男とは筆者も殆ど言い難くなってきた。華子の作戦勝ちである。