<二>生い立ち
<二>生い立ち
ところで華子はもともと両親の居ない『孤児』であった。斉藤華子という苗字も名前も華子が『捨て子』として発見され保護された都内の区長が命名したものだ。その区内の乳児院から物心付く頃に現在住んでいるM市の隣町の児童養護施設に入所してきて、彼女はそこで育った。その養護施設の名は一風変わっていて、『胡蝶蘭の家』といった。施設を預る指導員の所長は東南アジア出身の女性で、自分の祖国の家の周りに群生していた草花『胡蝶蘭』の名を施設名に取り入れてもらったという。
華子が最初に居た乳児院からやや離れた地にあるこの施設に移されてきたのは、彼女がやや日本人離れした顔立ちをしていたからだとも考えられた。彼女は東南アジア系というよりも、インド系というかアラビヤ系というか、肌の色も濃くやや彫が深いという印象だった。所長が東南アジア出身なので、『胡蝶蘭の家』にはどうやら日本人『らしくない』アジア系の子が集められているようだった。そこにはちょっとした配慮があったのかも知れない。
当時施設で育つ子供達は、華子も含め全て捨て子であった。このため、親がどの国の出身者かを知る手立てはないが、顔立ちを見れば、両親とも日本人ではなくておおむねどの辺りの民族の血を引いているかは推し量ることが出来た。施設の所長は祖国での教員経験も長かったし、とりわけ施設の子供にはよく勉強をさせて、平均的な日本人以上、願わくばトップクラスになって欲しいという固い意志と強い意欲が有った。
『胡蝶蘭の家』出身者には国立大の医科に進んで医者になった者も居るし、華子のように私立の大学の法科に進んで特別奨学生として学費が免除され、ロースクールを修了して司法試験にパスした者も何人か居る。華子は高校卒業まで勉強に明け暮れ、進学塾に通うことなくひたすら独学で参考書を読みあさり、大学でも勉強に明け暮れ特別難関なこの資格を手に入れたのであった。