<二十八>母の足跡
<二十八>母の足跡
華子は差し出された報告書を手にした。事務所に居た秋葉さんと武者小路さんはそっけないふりをして脇を向いていたが、息を呑んでいる様にも感じられた。報告書は全て日本語だった。
=斉藤華子氏の母親に関する調査報告書=
【依頼者:斉藤華子】
依頼事項:
(1) 依頼人実母の所在捜索
(2) 依頼人実母の生い立ちについての情報
(3) 依頼人本人の実生年月日
調査結果:
依頼事項(1) 依頼人実母の所在捜索
氏名:華(Hoa)氏(thi)杜(Do)
国籍:ベトナム社会主義共和国
所在:被調査者は既に死亡(一九八六年六月没)。遺骨は葛飾区KG寺に無縁仏として保管。
依頼事項(2) 依頼者実母の生い立ちについての情報
一九六九年 ベトナムホーチミン市で出生。両親不明。
一九八二年 ベトナム出張中のA氏と共に来日。(被調査者当時十三歳)日本での生活を始める。
(参考※A氏の情報:男性、国籍日本、一九八二年ベトナム出張当時四十歳独身、Dプラント建設(株)本社第二営業部課長。同年同社クリーブランド支社(米国)へ転勤。五年間赴任の後帰国。二〇〇二年退職。現(二〇一三年)、七十一歳。生存。東京都世田谷区経堂に在住。要介護Ⅲ)
一九八三年 依頼者斉藤華子をA氏の自宅で出産。
一九八四年 S産業(ビル管理会社)へ短期臨時員として就職。
一九八六年 複数の立件詐欺容疑で逮捕送検。家裁送致。その後、本国へ送還さる。
一九八六年 本国で裁判(刑事)ののち収監。獄中で死亡(死因、肺炎)。享年十七歳。
依頼事項(3) 依頼人本人の実 生年月日
一九八三年十二月二十四日
華子の目には段々と涙が溜まっていった。そしてその一筋が頬を伝った。母は僅か十七歳でこの世を去っていた。当時華子がまだ三歳の頃である。
その後には参考情報として、長文が添えられていた。
【参考情報】依頼者及び被調査者(実母)関連情報
※当情報は、調査の過程で発見入手した被調査者(依頼人の実母)の遺言にも当る『手記』を検証した結果、調べうる限り周辺の事実関係との齟齬が一切ないことから充分信頼性に足るものとし、これを重要参考とした(添付)。なお、手記には被調査者がA氏と出会う以前の情報はない。以下、被調査者(依頼者の実母)を『母』、依頼者斉藤華子を『華子』と記載する。
・一九八二年母は、当時十四歳でベトナムへ出張中のA氏と出会い、華子の誕生に係る関係を持ったものと見られる。その後A氏と共に日本に帰国し、当時独身で一人暮らしであったA氏の居宅(持家)で生活を開始し独学で日本語を勉強した。
・同年、A氏は米国のクリーブランド支社へ転勤となり日本を後にした。任務は大規模なプラントのPR及び受注であり赴任期間は五年。
・日本に残された母はS産業に臨時員として雇われ、十四歳五ヶ月目で掃除婦として働きに出る。この頃、母は診療所で自らの妊娠を知り、米国のA氏にこれを電話で伝えるが、堕胎を要求される。
(※注)実際の生活上の主な収入は、A氏の家に有ったアクセサリーやブランド物のバッグや小物、電化製品や調度品、衣服等をリサイクル店や質屋に持ち込み得た収入であったと考えられる。また、当時A氏の家には、ホームレス女性数人を泊らせる代わりにホームレスから日用品の供給を受けるようになっていたようであり、これらも当時母の生活の糧となっていたと考えられる。(一部、同様の記載が母の手記に見られる)。
・母は十四歳十ヶ月目に自力で華子を出産した。
・母は十五歳になって出産した華子の世話が出来なくなり、A氏の家を華子を伴って出る。そして華子を葛飾区KG寺の境内にあるベンチに毛布でくるみ捨てる。華子はその後、発見され児童養護施設に引き取られる。
・その後母は自分の体を売って収入を得る様になり、知り合った男の一人から八十五万円を借りる。その後男の呼び出し(自宅の固定電話)に応じなくなり金を持ち逃げする。やがてホームレスの女性から金を貸した男の依頼で住所に探偵の張り込みがあるとの情報を伝えられ、母は居宅のマンションへ帰ることが出来なくなる。その後二年間ホームレスと共に路上生活を始め、捨てた娘(華子)を捜し続けるが手掛かりもなく断念する。
・母はその後、複数の立件詐欺容疑で逮捕送検される。未成年につき家裁送致。その後、本国へ送還される。
・母は本国で被疑者として裁判にかけられ、即日刑事罰が確定し収監される。
・同年、母は十七歳の冬、獄中で肺炎をこじらせその生涯を閉じる。遺骨は遺言により、日本に持ち込まれ華子を捨てた葛飾区KG寺に無縁仏として保管される。
以上。




