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<十六>バイリンガルの男

<十六>バイリンガルの男


 そろそろ十一時だ。華子は独りになって居室内のベッドに腰掛け、窓の方を見た。出窓に置かれた小鉢の白い花が半ばしおれている。華子は浴室からコップに水を汲んで鉢に注いだ。花びらは特徴のある蘭の形だった。しかも幾つも連なるように花が付いていて、華やかな中に清楚さを兼ね備えたような不思議な雰囲気を醸し出していた。気が付くと半ばしおれていた花が全て大きく開いている。


――こんな短い時間で元気になるとは思わなかった。すごいなあ。花の力って。


 華子はゴンザレスから預ったタヌキのぬいぐるみと打ち合わせノートをなくさない様しっかりと部屋の手提げカバンに入れた。そして、シャワーを浴びに浴室へ向いかけた。

 その時、突然部屋の外から男性の大きな声が聞こえた。どうやら同じ階の唯一泊り客の男性の声の様だ。通路へ出て携帯電話を掛けている様だ。それにしても大声である。浴室のドアの音などより余程こちらの方が迷惑である。華子には話の内容はわからなかったが、その言語がスペイン語である事だけはわかった。さらに言葉はわからなくとも何となく慣れた流暢な発音だということは感じ取れた。


――スペイン人かあ。残念。英語圏の人だったらなあ。いざと言う時頼りになるのに……。


 暫くして大声がおさまり華子がほっとしていると、再び大声が通路内に響いてきた。しかし今度は明らかにドイツ語である。しかもこれはもっと流暢でネイチャーらしき感じである。


――あれぇ? そうかドイツ人だったんだ。凄いなあ。スペイン語上手に話せて。


 再び大声がおさまった。華子がやれやれとばかり浴室のドアノブに手を掛けた時またもや大声が始まった。今度は華子にも言葉が良くわかる英語だ。華子はその流暢な発音に、絶対他国人ではないと感じた。

「明日の朝、クリーブランドの支社へ戻ります。商談はほぼ成立です。詳しいことは戻ってから説明しますから。今日明日のところ、そちらで何か動く必要は有りません。はい。はい。はい、ありがとう。おやすみなさい」


――やったぁ。アメリカ人だった。それにしても凄いなあ。母国語の他に二ヶ国語もあんなに流暢に話せるなんて……。頼りになりそう。


 華子は顔を合わせて挨拶をしようと部屋の入り口ドアの方へ歩き出した時、さらに大きな声が響いた。それは日本語だった。

「おい。俺だ。今電話に出た女は誰だ。お前には部屋に住んでもいいと言ったが、他の人間は家に入れるなといった筈だ。ええ? おい、何とか言え!」

「何ぃ? 子供が出来ただとぅ? 何ヶ月なんだ。……。何だ。まだ三ヶ月ちょっとなら早く堕ろせ! 明日にでも医者に行って堕ろしてこい。わかったな! おい! 聞いてるのか。……。何すっとぼけたこと言ってるんだ。住むところが有る事だけでもお前は俺に感謝して当然なんだぞ。お前俺に逆らえると思ってるのか。ええ? わかったらすぐに言う通りにしろ。わ・か・っ・た・な!!」

 華子は電話の男性が日本人だった事に驚いた。しかし、もっと驚いたのは話の内容だ。華子が短い会話の内容から想像するに、自分が海外赴任中に日本国内で自宅に住まわせている女性が妊娠したと聞くなり、乱暴にも子供を堕胎させる様に命令している、ということだ。多分この男の子供だ。この男以外の子供だったら相手の女性もこの男には相談する筈がない。相手の女性とは一体どういう関係なのだろうか。もし、この男の奥さんなら即、堕ろせなど、そんな事は決して言わないだろう。普通に『おめでた』だ。結婚する意志がないから堕ろさせようとしているのだ。


――とんでもない奴だ! 仕事が出来ても最低だよ。ホントに。こんな男。


 華子は嫌な話を聞いたと思った。曲がりなりにも同じ日本人として暮らしてきた華子にとってこの男のことは許せなかった。この男の部屋に行って文句の一つも言いたかったが、そんな目立つことは出来ない。それに最低な男だ。何をしでかすかもわからない。華子は地団駄を踏みながらも、大人しく引っ込んで話を忘れることにした。明日は大変な任務が待っている。決して心を乱してはいけないのだ。しかし華子は簡単には話の内容を記憶から断ち切ることが出来なかった。


――『商談成立です』だとう? ふざけるんじゃないわよ。お見合い話を破談にするなんてやめて、そっちの商談、滅茶苦茶に破談にしてやりたいよ! バカ!


 華子はふと思った。自分は任務とはいえ、一人の男性とその相手の女性との結びつきのチャンスを断とうとしている。国政の安定化のためのアクションかもしれない。しかし、お見合いをする男性と女性にとっては人対人、人としての個と個の出会いなのだ。もし話が上手くいけば結婚し二人の子供、即ち新しい生命の誕生が有るかもしれない。華子は今、その機会を人為的に断とうとしている。これで良いのだろうか。

 華子は何だか後ろめたい気持ちになってきた。


――何なのよう、この感覚。やだ、もうどうすればいいのよ!


 華子は急いで浴室に入り、乱暴にドアを閉めて一気にシャワーを頭から浴びせた。

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