<十三>諜報員〇〇七
<十三>諜報員〇〇七
市街地へと向かう間に見えてきた夜景はまさに幻想的という言葉がぴったりだった。この地は旧くはフランスの植民地だったため、中国とフランスの両方の文化が絶秒に入り混じった様な建物が多く、華子はバイクを走らせながら、まるで映画の中の別世界を訪れた様な感覚を味わっていた。中心街に入り、さらに驚いたのは道路を走るオートバイの量だった。それはもはや多いとか少ないとかいう様なレベルではない。まさに路面全体がオートバイで埋め尽くされ、川の濁流のように流れているという様なイメージである。華子が後にビンさんに聞いたところによると、この国では五十CC以下のバイクには免許が必要ないとのことで、人の集まるところ、イコール、バイクの波といった感覚である。
ビンさんはシクロタクシーを降りると華子のスーツケースを転がしながら言った。
「ホテルはすぐ先やで、アホ。食らわんかい、ボケ!」
屋台で華子はこの国を代表する「フォー」という麺を食べた。牛肉のフォーだ。別皿にはハーブやレモンのトッピングが付いている。透明なあっさりめのスープにコシのない米麺が入っていて、牛の薄切り肉が麺が隠れる程たっぷりとのっている。生卵を追加できると言われたが、華子は何となく『生』というのが引っ掛かって敬遠した。
「ワレ、味は自分で仕上げるんやで、アホ! ホレ、ライムの絞り汁や。これわかるやろ? チリソースや。あとな、これ、唐辛子とスライスニンニクを漬け込んだ酢やで。とっとと仕上げんかいな、ボケ!」
「はっ、はい!」
華子は訳がわからず、そこら中のものをちょこちょこと入れて周りの人の様に掻き回した。溜り醤油の様なものもあったので最後にこれを少し加えて味見をしてみた。
――あれ、意外においしいよ。これ。私って料理の才能あるかも……。
周りの人がこれを見て腹を抱えて笑った。全部加えるというのはかなり珍しいらしい。食べながら髪が汁に浸かるとこれを見てまた周りの人がどっと笑う。左手で髪を束ねながら食べているとまたも周りの人が笑う。麺がつるりとテーブルに落ちるとまた笑う。
――何でここの人はこんなによく笑うワケ? 私ってそんなにおかしいの?
横に居たビンさんが言った。
「ワレ。一人、目立つんやめんかい! ボケ! 隠密行動やっちゅうんに。正体バレたらタマ取られるんやで。クソボケ!」
ビンさんは一応現地諜報員の『〇〇二』である。華子は出来る限り目立たないように自重することにした。
――タマ取られるって一体どういうこと? でも、私、目立とうとしている訳じゃないもん。みんな勝手に注目してるだけだよ。
因みに『タマを取る』とは『命を奪う』ということである。ビンさんはどうやら極道用語にも通じているらしい。
「Nice to meet you!」(こんにちは!)
突然背後からネイティブな英語が聞こえた。
「Let me introduce myself」(自己紹介させてよ)
華子が振り向くと身長が二mに届くかのような大男が立っていた。
「Woo…….Yah!」(はっ、はい!)
華子は思わず言葉に詰まった。予期せず突然声を掛けられて固まっていると、ビンさんが言った。
「こいつ、ホテルの総料理長や。アホ! 料理長は仮の姿で実はなあ……」
「実は……?」
「『〇〇七』やで」
身長二mで髪の色は真っ赤。眉は太い毛虫の様に濃く左右繋がっている。唇はタラコのように大きく耳は宇宙人よろしく尖っている。
――わあっ! これって目立ち過ぎ! 駄目じゃん。どこへ居ても見失わないよ。
「I am Ralph Gonzales. As for me, was created in Spain and was brought up in Venezuela. I am a ninja good at a dish and flower arrangement. Thank you」
(ラルフ・ゴンザレスといいます。スペイン生まれのベネズエラ育ち。料理と生け花が得意なニンジャです、ヨロシク)
華子は最初が肝心と思い、目一杯突っ込んだ。
「Are you ninja? I hove a little just said. I am afraid that you do not look like it at all」
(忍者? ちょいムカつく。ゼンゼンそれっぽく見えないんですけど)
「Do not judge him by how you look! Have you become idiot?」
(見た目で人を評価するのはやめなはれ! あほちゃうか)
ビンさんが口を挟んできた。英語でも何故かやっぱり「あほちゃうか」が付いている。
――あれ? あほちゃうかって、親しみを込めての言葉のじゃなかったのかな?
華子は疑いの目でビンさんを見た。ビンさんは相変わらずニコニコしていた。
ところで、似かよった東南アジア系の顔が多いこの国で、インド系の華子と金髪欧米系で背の高いビンさん、それに巨漢で顔が半端なく濃い『〇〇七』が三人並んで歩いていたら、どんな人でも注目すること間違いなしだ。
華子は何やら不安になってきた。替え玉としてお見合いをする自分のことを守ってくれるのはいいが、『何かするぞ!』と自分から言っているような目立つ二人に挟まれてなおさら緊張感が高まっていった。