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意識の深淵でシェリスと出会い、その後意識を失った。
目が覚めたときそこは窓のない手術室のような場所のベッドに貼り付けられており、白衣の研究者たちに取り囲まれて好奇の目を向けられていた。
「ここ、は…?」
「学園の最深部研究施設…とでも言っておこうか。」
「なんで…」
「君がコンフォーマーだからだ。」
「コン、フォーマー…?」
一人の少し年のいった研究者が、めんどくさそうに口を開いた。
シンクロノスという能力を持つものがいること
シンクロノスには適合者というコンフォーマーが必要であること
シンクロノスの能力を使えば、コンフォーマーは強い力を手に入れられること
シンクロノス保有者がシェリスでコンフォーマーが自分であること
コンフォーマーは戦う宿命を負わされること
「ごめんなさい、君を巻き込んだ」
身体の自由を取り戻したレンは、研究施設の休憩所のソファーに座って自動販売機から取り出したドリンクを飲んでいた。
そこに現れたのが、シェリスである。
「俺がたまたまコンフォーマーだっただけ、でしょ。」
「だけど、君は第一級戦闘地域にも派遣されることになる。」
「俺は、戦うために育てられてきた。…本望だよ。」
こんな時でも君は笑う。
どうして…。
「…なんで、笑えるの?」
シェリスが問うと、レンはきょとんとした顔をした。
「不安とか恐怖とか、吹き飛ぶでしょ。」
さも当然といった口調でさらりと言い放つ。
そんな人間を今まで知らなかったから、シェリスは驚く。
「俺、あんまりシンクロしてる時の事…覚えてないけど、飛べたってそれだけは覚えてる。」
「あ、空…。」
「やっぱり、空は良い。」
「…解らない。」
「今まで見えなかった世界を見た。
…君は飛べるから、もしかしたら当たり前の空なのかもしれないけど。」
ふと、二人は目を合わせた。
今までで、初めてである。
「俺に翼をくれてありがとう。」
シェリスの胸の奥に、ぽつりと雫が堕ちて、心に波紋を広げる。
憎まれ、蔑まれ、堕天使と言われ、人を傷付けて生きてきた。
なのに…
「ごめん、俺…変なこと言ったかな。」
先ほどのまじめな顔とは裏腹に、あはは、と右手で頬を掻きながら照れ笑いをするレン。
込み上げてくる感情の名前を、シェリスは知らなかった。
「…」
無言で首を横に振る。
「…君の背中は、私が守る。」
それだけ言うと、シェリスはその場を立ち去った。
塞いできた色々なものが込み上げてきそうで、怖かったから。
「俺は寧ろ…君を守るために戦いたいけど、な。」
シェリスが立ち去った後ぽつりとつぶやくレン。
シンクロノスなどという能力を持って生まれた彼女が、あの研究者たちのもとでどんな生活をしてきたかは察しが付く。
特別だ、といったあの時の表情…。
争いのない世界であれば、彼女はこんな思いをすることもなく
自由に歌うことができたのだろうか。
「レン、最近真面目になった?」
「俺はいつだって真面目だってのー」
シンクロノスを経験してしばらくは学園に登校していた。
あれをみた学生は少なくない。好奇の目線を再び浴びせられるが、中でも普段通り声をかけてきたのは、学級委員兼幼馴染みの女子学生、ミナト。
「ね、レン…聞いてもいい?」
「何?」
「…怖く、ないの?」
普段明るいミナトが、急に声を震わせた。
「何のこと?」
「学園の安全は、レンが守ったって…聞いた。それに、一級戦闘地域にも派遣されるって、噂も…。」
「怖さは無いかな。」
はっきりと強い声で答えるレン。裏腹にミナトは泣きそうな顔をしている。
「私は怖い…。自分が死ぬのも、レンが居なくなるのも。」
「俺は、ここにいて覚悟を養ってきた。それに今は…守りたいものもあるしさ。」
頭のなかに、儚げに歌うシェリスが浮かぶ。
こんな気分になったのは初めてだ。
「レン、私…」
ミナトの言葉を遮って、レンの左腕に付けられた時計型の通信機が音をたてる。
「…呼び出しだ。ごめんな」
「死なないでねっ!」
今にも走り出しそうなレンの背中に投げ掛ける。
レンは首だけ振り返って、いつも通りの笑顔を向ける。
「俺は死なないよ。だからミナトも生きて。戦いの終わった世界で、また会おう。」
もう、学園のみんなには普通には会えない
そんな確信がレンのなかには合った。
この呼び出しは、地下研究施設から。
「シンクロノスの訓練を行う。やる度に意識を飛ばされても困るからな。」
「この機械は?」
施設の中のガラス張りの部屋の中心に、妙な機械がおいてある。
部屋の中には博士とレンのみ。外に観察する研究者と、シェリスの姿があった。
「擬似的にシンクロノスを生み出す装置だ。いちいちシェリスを使うまでもないからな。お前の代わりはいても、シェリスの代わりはいない。」
一言多いやつだな、と最初から気に入らなかったやつの顔を見る。どことなくシェリスに近いものを感じた。
「行くぞ。擬似シンクロノス起動。」
あのときと同じ鼓動の高鳴りを感じる、しかしあのときと違うのは心地よさがないことだ。
「くっ…うわぁぁぁぁっ」
激痛と共に力の増幅を感じる。
与えられた剣で、目の前に次から次へと襲いかかるバーチャルの敵を倒していく。
頭が、割れそうだ…
すべてのミッションをクリアしたとき、異常な疲労に襲われていた。思わず両膝と両手を地面に付ける。
息は上がり、汗は止めどなく流れ落ちる。
「なにが、擬似シンクロノスだ…全然、感覚違うぞ…」
「ふむ、耐えたな。」
恨めしい目で博士を見上げる。何やらデータを打ち込んでいるようで、レンの状態には目もくれない。
「はぁーっ、きつー」
休憩所のソファーにどかっと腰掛けて天井を見上げる。
「君すごいねー」
そんなとき顔を覗き込んで声をかけてきたのは少し年上の男。研究者にしては風貌が違う。
「擬似シンクロノス、結構きついでしょ?俺もやってるけど、あれはな~。
あ、俺イクト。よろしくー」
「あれをやってるって、どういうことだ?」
短髪切れ長の目は冷利で、笑顔を浮かべてはいるがどこか刺すような刺々しさを感じる。
「前にも学園全体にシンクロノスが起動されたことがある。そのときの生き残りでな、それ以降擬似シンクロノスを使って戦場に駆り出されてるってわけ。」
「なんで、擬似…?」
「俺はコンフォーマーじゃないし、純粋のシンクロノスは強すぎて許容しきれないんだ。一度目は生死をさ迷ったしなー。」
ケラケラと笑う顔はどこまでが本心なのか感じさせない。
「ま、がんばれよ~ヒーロー。」
ぽん、と肩に手を置いてイクトは立ち去ろうとする。
「あ、そうだ。」
しかしふと足を止めて、振り返って指を指す。
「…人は殺しても、感情は殺すなよ?」
初めて見せた真面目な目付きにレンは面食らうが、イクトはすぐにニヤリと笑って目の前から消えていた。
「言われなくても。」
だがどんな手を使ってでも争いを無くして、自由な空を取り戻す。
俺にはそれしか、出来ないから…。
それからしばらくは、疑似シンクロノスの訓練が続いた。
走る激痛、身体が悲鳴を上げている。
だけど負けたくなかった、争いのない世の中にすると決めたから。
「もう…いい。」
だがある日、シェリスが言った言葉はそれだった。
「身体…ボロボロ。」
毎日毎日疑似シンクロノスを行い、ボロボロになったレンの身体を見ていられなくなっていた。
「平気だよ、このくらい。」
こんな時でも笑顔のレンは、シェリスを余計追い込んだ。
自分の存在さえなければ、レンにこんな過酷な運命を背負わせることはなかったのに。
「…私は、君を傷付けるために歌えない。」
そんな言葉に意味がないことはわかっていた。
歌わなければ、疑似シンクロノスを用いて戦場に立たされることなど明白だったから。
「私は戦うための道具。だけど…君は違う。」
「道具とか…そんな悲しいこと、言うなよ。」
すかさず反論するレン。
その顔は、シェリスの気持ちに重ねるように悲しそうだった。
「シェリス、一緒に空を飛ぼう。」
そして、予想に反して返ってきた言葉はそれだった。
そしてレンは、右手をシェリスの前につきだした。
「俺は、君の翼で飛びたいんだ。」
堕天使を救う言葉としては、勿体ない言葉。
「戦うためじゃなくていい、俺のために…翼を広げてくれないかな?」
「レン…。」
一度目を伏せ、シェリスはその手を取った。
まるで固く結んだ心の糸が、ほどかれていくようだった。