1
『知りたい』
そんな欲望に駆られた。
あの無表情の奥に何があるのか。
『解り合いたい』
初めての感情にとまどう。
ただ
空を飛びたかった。
「レーンー!」
掃除をサボっていたのがバレて学級委員に追い回される。
だけど、追い付かれたことはない。
大体、なんで兵士養成学校で掃除なんかしなければいけないのか…
戦技教導の成績は抜群であっても、日常生活の成績はイマイチの所以である。
「よーっと、逃げ切り成功!」
バンッと勢いよく屋上のドアを開ける。
いつもと違う風が、レンの前を吹き抜けていった。
尻尾のような赤毛の髪は、風と共に流れる。
「…」
目の前には外の世界を見据えて佇む一人の同い年くらいの少女。
しかしその姿は大人びた空気を纏い、同じ学年の女子たちとは明らかに異なっていた。
彼女は飛び出すことに憧れる籠の中の鳥さながら、高い転落防止用の柵に片手を添えている。肩より少し長めの桜色の髪は強い風に靡き、ためらいがちに伏せたその目から感情は窺えない。
その佇まい全てが儚さを感じさせた。
「…誰、だ?」
やっとのことで絞り出した言葉は、所詮その程度のもの。
「…シェリス。」
透き通るその声も風に溶けて消えてしまいそうだった。
「ここの学生じゃないよな?…見たこと、無いし。」
それよりも、こんな儚げな彼女に戦場は似合わないという思いの方が強かった。
「…私は、特別だから。」
「特別?へぇ、それってどういう――。」
レンは再び言葉を失った。
それ以上の干渉を拒否する目をしていたからだ。
「…横、いい?そこ、俺の特等席なんだ。」
シェリスの許可を待つこと無く、レンはシェリスの横に進み、その場に腰を下ろした。
そんなレンを相変わらずの目でシェリスは見下ろす。
「座ったら?立ったままって辛いでしょ。…俺なんていつも座学で立たされてるからさ~」
両手を後頭部に当て、「今日も疲れたな~」などと言いながら寝転がるレンを見て、シェリスは横に座った。
「…掃除は、しなくていいの?」
初めて語りかけてくれた言葉に暫し驚く。だが妙にその事が嬉しくなって、自然と笑みが浮かぶ。
「サボってる。」
ニッと笑顔で答えると、シェリスは少し驚いた表情を浮かべた。
「…君は、自由なんだね。」
「普段は缶詰だからさ、こんなときくらいいいかなって。」
「…羨ましい。」
「シェリスはサボりじゃないの?」
「私に…自由はない。」
聞いてはいけないことだったかな、とレンは反省してそれ以上の言葉を塞ぐ。
しばらく無言が疾走した後に、空を仰いだレンはふと言葉を漏らす。
「…俺、空って好きなんだ。」
目線を動かすことなく、返答も待たずに言葉を紡ぐ。
「青くて、澄んでて、こんな争いの世界なんて無縁のようで。
…飛びたいって、思ったことない?」
「…私は、」
同じようにシンクロして空を見上げるかと思ったが、シェリスの目は相変わらず地面を向いていた。
「ここから逃げ出せるなら、飛べなくていい。」
「ここ、そんなに嫌い?」
シェリスは立ち上がる。
レンもつられて半身を起こし、胡坐を組んで立ち上がった彼女を見上げた。
「私は…戦争が嫌い。だけどこの世界は…戦うことをやめない。」
「…君は、戦ってるの?」
「戦いの中でしか、私は…」
そこまで言うと、踵を返してシェリスは屋上の出口に向かった。
「なぁ…また、会えるかな?」
レンの言葉にも振り返らず、ただ、頷いた。
レンがシェリスと出会った数日後、争いは激化した。
沢山の兵器と人と人外のものが攻めてくる。
学園からも沢山の学生が徴兵されることになっていた。
だが、そんな若者を投入してまでも、持ちこたえるので精一杯。
このままでは戦況が不利すぎた。
学園の中には、死を覚悟しながらも戦況に震えるものも数多いる。
学園も、もはや安全とは言えない。
特に人外の敵があふれかえっており、今は学園のセキュリティと学生達で抑えている状況である。
「俺にもっと力があれば…守れるのに。」
剣を手に戦いながら、レンは願った。
幼いころより育ったこの学園を、何としても守りたかった。
しかし戦技の成績は良くても、実戦となれば話は別で、思うようにはいかないことを痛感する。
目の前で傷付く者も沢山いる。
争いの世の中を無くすために、戦いたかった。
力を望んだ。
どくん。
鼓動が高鳴った。
「しかし…コンフォーマーは見つかっていません。」
「手当たり次第シンクロさせろ。」
「コンフォーマー以外にシンクロさせると、それがどれだけの負荷を身体にもたらすか…!」
シェリスの前で繰り広げられていた会話。
白衣を着た研究者たちが、手に電子資料をもって押し問答をしている。
この戦いが始まった時から気づいていた。自分自身の運命に。
「構うな、学園の生徒全員に同時にシンクロを試みろ。」
「正気ですか?!」
「なに、コンフォーマーが見つかれば、それだけで済む話。いなければ全滅するだけだ。
使えぬ学生など、どうなってもよかろう。」
学生。
その言葉を聞いて、先日出会ったレンを思い出す。
一つに束ねた尻尾のような髪、強い瞳、無邪気な笑顔。
彼もまた犠牲になろうというのか。
「博士…!」
「国家の総意でもある。やるぞ。」
国は学園を捨てた。
シェリスは、適合者の身体能力その他の能力を異常なまでに増幅させる力を持っている。
しかし、そのシンクロノスの適合者は世界中めぐっても探すことが難しいといわれている。
非適合者に無理やり能力を使用すれば、その能力の負荷に身体が持たず、崩壊してしまう。
そうして何人も壊してきた。
「歌え、シェリス。」
私が歌えば、学園中のスピーカーを通して学生全員にシンクロノスを行うことになる。
コンフォーマーがいれば、その一人に力が集まりほかの学生には影響を及ぼさない。
しかし、いなければ分散して皆に干渉してしまい、少なからず力を増幅させてしまう。
無事で済む者が何人いるか。
シンクロノス、起動。
その合図とともに、歌う。
空を見上げても、夜の曇り空はやけに近くて暗かった。
あぁ、どうしてこんな空にレンは憧れるのだろう。
シェリスの背中に白い翼が広がる。
どくん
心臓の鼓動が高まった。
そう
誰かとシンクロしているような感覚。
「コンフォーマー…?」
シンクロノス起動に楯突いていた研究者がつぶやく。
屋上から見下ろしたグラウンドに、まばゆい光が集まっている。
光はやがて柱となり、あまりの眩さに皆がその眼を細める。
シェリスは飛び上がり、光の柱の中心に寄り添った。
「怖がらないで、レン。」
「シェリス…?」
「一緒に、唱えて。」
『シンクロ・スタート』
シェリスの意識はレンと重なる。
シェリスはレンの翼となる。
光から解放されたレンは、翼をもった戦士になった。
グラウンドに押し寄せてきた敵を一網打尽にし、その矛先は外へ向く。
学園の周りの敵が掃討されるまで、大した時間はかからなかった。